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2025.04.04

ウクライナ戦争で見えてくるものと見えないもの

 昨日扱ったニューヨーク・タイムズのアダム・エントゥース氏による詳細なウクライナ戦争内実の記事は、この戦争における米国の深い軍事的な関与を改めて印象付けた。が、その記事から浮かび上がってきたのは、単に軍事的な「支援国アメリカ」という単純な構図ではなく、米国内部の深刻な亀裂、ワシントンとキーウの間に横たわる認識のズレ、そして見過ごされがちな歴史の文脈とロシア側の忍耐強い対応ではなかった。まるで複雑なモザイク画のように、この戦争の雑然とした実像が透けて見えてくる。エントゥース氏の記事をきっかけに噴出した様々な疑問や考察は、私たちがこの戦争を理解する上で、また、いかに多くの「見えない部分」が存在するかを物語っている。

「一枚岩」ではなかった米国

 ウクライナ支援における米国の姿は、外からは一枚岩に見えたかもしれない。しかし、エントゥース氏の記事が示唆するのは、その内部、特に国防総省(ペンタゴン)と、CIAや現場で作戦に関与する米軍特殊部隊などとの間に、静かな、しかし深刻な路線対立が存在したという現実だ。
 まずペンタゴンがは存外に「リラクタント(消極的)」だったのではないか、という疑問が浮かぶ。核保有国ロシアとの全面戦争という悪夢のシナリオを前に、ペンタゴンがエスカレーションのリスクに神経を尖らせるのは当然の反応だろうから。ロシアが設定する「レッドライン」つまり、NATOの東方拡大、ウクライナへの高性能兵器供与、ロシア領内への攻撃を示唆する動きを前にして、ペンタゴンは常にブレーキを踏もうとしていた節がある。それは、国家の安全保障を一手に担う巨大組織としての、ある意味で合理的な判断と言えるだろう。武器供与のリストが徐々に、そして慎重に拡大されていった過程は、その葛藤を物語っているのかもしれない。当初は対戦車ミサイル「ジャベリン」のような防御的兵器が中心だったのが、HIMARS(高機動ロケット砲システム)のような攻撃能力の高い兵器の供与決定には時間がかかった。その裏には、この組織内部での激しい議論と、対ロシアへの警戒心があったはずだ。
 一方で、CIAや現場の特殊部隊、そしてホワイトハウス内の一部タカ派は、より前のめりだった可能性が高い。この戦争を「ロシアを弱体化させる好機」と捉え、軍事情報提供、ドローン攻撃の支援、さらにはより踏み込んだ作戦への関与を模索していた。彼らにとっては、ペンタゴンの慎重さは「臆病風」に映り、戦機を逸することへの焦りがあったに違いない。この構図は、米国の外交・安全保障政策の歴史において、決して珍しいものではない。ベトナム戦争時の「ペンタゴン・ペーパーズ」が暴露したように、軍上層部、現場、そして政治指導者の間での戦略認識のズレは、しばしば悲劇的でしかし滑稽な結果を招いてきた。ウクライナ戦争においても、ペンタゴンの「抑制」と現場の「推進」というベクトルが衝突し、結果として米国の支援策はどこかチグハグで、米軍の威力を最大限に発揮させなかった側面があるが、それはそもそもこの記事が彼らの弁明の代理であるからかもしれない。軍人が関与しているのにペンタゴンと対立する、という一見奇妙な状況は、この内部の力学を理解することで初めて腑に落ちる。

操られた大統領?

 ペンタゴンと現場の対立構造の中で、最終的な意思決定権を持つはずの大統領府、すなわちバイデン政権の役割はどうだったのか。ここにもまた、不可解な霧がかかっている。現場レベルの部隊が、リスクの高い作戦についてペンタゴンを飛び越し、都度ホワイトハウスの直接認可を求めていたという事実は、事態の混乱を示している。それは、自分たちの行動に対する政治的な「お墨付き」と責任回避を求める、場当たり的で切実な動きだったのだろう。しかし、その一方で、バイデン大統領自身の「顔」も見えにくい。この大統領は公の場でウクライナ支援とロシアへの対抗姿勢を繰り返し、引退した俳優が昔の劇の台詞を不確かに誦じるように表明してきた。だが、具体的な作戦の承認や兵器供与のタイミングといった局面で、彼の主体的なリーダーシップがどれほど発揮されていたのか判然としない。
 この「曖昧さ」の背景には、複数の要因が考えられる。まず、バイデン政権自身が、ロシアとの直接対決を回避するために極めて慎重だったこと。認可を連発すれば、ロシアに「米国が戦争に直接介入した」という口実を与えかねない。曖昧な態度を取ることで、関与の度合いをコントロールしようとした可能性はある。加えて、米国の複雑な官僚機構の問題もある。ペンタゴン、CIA、NSC(国家安全保障会議)、国務省といったプレイヤーたちの間で、権限や責任の押し付け合いがあったとしてもおかしくない。現場からの突き上げに対し、ホワイトハウスが明確な指示を出さず、調整を差し戻していたことも考えられる。
 そして、無視できないのが、バイデン大統領個人を取り巻く状況だ。高齢であること、時折見せる言動の不安定さから、一部では認知機能の低下を疑う声も囁かれてきた。仮に、彼の判断能力に何らかの揺らぎがあったとすれば、ジェイク・サリバン国家安全保障担当補佐官やアントニー・ブリンケン国務長官といった側近たちの影響力が相対的に増大するのは自然な流れだ。彼らが、ペンタゴンの慎重論と現場の積極論の間で実質的な調整役となり、大統領に進言する形で政策が決定されていたのではないか。自動の署名機も安易に活躍しただろう。さらに言えば、息子のハンター・バイデン氏が過去にウクライナのエネルギー企業の役員を務めていたという事実は、バイデン氏個人のウクライナへの思い入れや判断に、何らかの影響を与えていただろう。
 これらの要素が絡み合い、「大統領の意志」が見えにくい状況を生み出していたのだろう。現場が認可を渇望する一方で、最高指導者の関与が希薄に見えるというねじれは、バイデン政権下のホワイトハウスが抱える、ある種の脆さや機能不全を映し出していた。

「武器さえあれば」の誤算

 米国側の内部対立や意思決定の曖昧さに加え、ウクライナ戦争の混沌を深めたもう一つの要因は、米国とウクライナの間に横たわる、戦争遂行に関する根本的な認識のギャップだ。エントゥース氏の記事が示唆する「異常な作戦」として、例えば、多大な犠牲を払いながらも限定的な戦果に終わったとされる2024年のロシア領クルスク州への侵攻や、素人目にも不可能なドニエプル川渡河作戦があるが、これらの背景には、このギャップが存在していたことが記事に示されていた。
 米軍、特にペンタゴンはこれらの作戦に難色を示しただろうことは、単に戦争エスカレーションを恐れただけではないだろう。純粋に軍事的な観点から見て、リスクとリターンが見合わない、無謀な計画だと判断した可能性が高い。補給線の確保、兵力の逐次投入、航空支援の欠如といった問題を抱えたまま、敵地に深く切り込むことの危険性を、米軍のプロフェッショナルたちは熟知していたはずだ。他方、ウクライナ側には、そうした大胆な作戦に打って出る切実な理由があった。長期化する戦争で疲弊し、ナショナリストを駆り立てる領土奪還への焦りが募る中、何か劇的な戦果を挙げて国内外の士気を高め、西側からの支援を継続させる必要があった。そして、そこには「高性能な兵器さえあれば、現状を打破できる」という、ある種の「武器信仰」があった。
 このウクライナの姿勢を、米軍関係者の一部は「素人集団」のように見ていたのではないか。ウクライナ軍は2014年以降、ロシアとの戦闘経験を積み重ねてはいるが、まともな軍事機構とも言い難いように思う。ヴァレリー・ザルジニー前総司令官は有能で現実的な戦略家ともみなされたが、結果を見れば疑わしい。政治指導部(ゼレンスキー大統領周辺)の意向や、国内の厭戦気分の高まり、そして深刻な兵力不足といった要因も、軍事的な合理性を欠いた判断を後押ししていた。
 ここで重要なキーワードとなるのが「夜郎自大」だろう。古代中国の小国「夜郎」が自らの力を過信した故事に由来するこの言葉は、当時のウクライナ指導部の一部に当てはまるかもしれない。西側からの支援を背景に、自国の軍事力や戦略遂行能力を過大評価し、リスクの高い作戦に前のめりになっていたのではないか。米軍としては、「もっと現実的な戦略を取るべきだ」と助言しても、ウクライナ側が「自分たちのやり方で勝てる」と耳を貸さなかった。そんなフラストレーションが、エントゥース氏の記事に滲み出ている。あるいは、米国の無様さの弁明というだけかもしれないが。
 さらに根深い問題として、兵士や国民に対する「感覚の違い」が存在する。米国では、志願制の下、若い兵士が危険な任務に就くことへの社会的な受容度が比較的高い。沖縄の海兵隊の例を引くまでもなく、「若者が国のために命を懸ける」という意識が根付いている。対してウクライナでは、ソ連時代の強制徴兵の記憶も生々しく、国民、特に若者を安易に戦場に送ることへの抵抗感が極めて強い。徴兵年齢の引き上げ・引き下げを巡る議論の紛糾は、その象徴である。この「国民感覚」の違いが、米国の「もっと兵力を動員しろ」という要求と、ウクライナの「それよりも武器を」という要求の間の溝を、さらに深めていた。

見過ごされたロシアの戦略とスパイ網

 エントゥース氏の記事を含め、西側メディアの報道は、必然的に米国やウクライナの視点に偏りがちだ。しかし、ウクライナ戦争の全体像を理解するためには、敵対するロシア、そしてプーチン大統領の視点と戦略を冷静に分析することが不可欠である。記事からも、間接的ながらロシア側が直面した困難さがうかがえた。当初からの西側の結束や、予想外に強力だったウクライナ軍の抵抗、そしてロシア軍自身の損耗による士気の低下である。プーチンが決して楽な戦いを進めていたわけではないことは明らかだ。だが、プーチンを単に追い詰められた指導者と見るのは早計だろう。彼が結果としてよくやったことは確かだ。一見矛盾したロシア内での一般的な評価には、無視できない真実が含まれている。彼は、西側の介入やウクライナの抵抗をある程度織り込み済みで、短期決戦の失敗後は、ロシアの国力と広大な国土を背景にした長期戦・消耗戦へと戦略をシフトさせた。ウクライナ側の「夜郎自大」な作戦(クルスク侵攻など)すら、国内向けには「侵略者から国土を守る戦い」としてプロパガンダに利用し、国民の結束を煽る材料にした。泥沼化を厭わず、相手が疲弊するのを待つという、ロシアの伝統的な戦略が垣間見える。そこには、ウクライナが武装解除するまで、効果的に消耗戦をおこなうというとんでもない決意もあったかもしれない
 そして、西側報道、おそらくエントゥース氏の記事でも十分に光が当てられていないであろう重要な要素が、ウクライナ内部におけるロシアのスパイ網と情報工作の存在である。2014年のクリミア併合時から、ウクライナの政府・軍内部へのロシアの浸透は指摘されてきた。2022年の侵攻以降も、ウクライナ政府は繰り返し「裏切り者」やスパイの摘発を発表している。これらの情報網が、ウクライナ軍の作戦計画を事前に察知したり、内部に混乱や不信感を生じさせたりすることで、戦況に影響を与えていた可能性は極めて高い。ウクライナ側の作戦が時に不可解な失敗を繰り返したり、人間の盾と判断された民間施設攻撃の背景に、この「見えざる敵」の暗躍があったとしても不思議ではない。プーチンの「深謀」は、単なる軍事力だけでなく、こうした情報戦・心理戦の領域にまで及んでいたと考えるべきだろう。

なぜ「マイダン」は語られないのか?

 エントゥース氏の記事をはじめ、多くの西側報道がウクライナ戦争の起点を2022年2月24日のロシアによる全面侵攻に置いている。しかし、この時間軸の設定自体が、戦争の複雑な背景を見えにくくしている。ロシア側の公式なナラティブ(物語)では、この戦争は2022年に始まったのではなく、2014年の「マイダン革命」に端を発する、としている。親ロシア派のヤヌコーヴィチ政権が、西側諸国の支援を受けたとするデモによって打倒され、親西側政権が樹立したこと、これがウクライナをロシアの勢力圏から引き剥がそうとする西側の陰謀であり、自国の安全保障に対する脅威だとロシアは主張してきた。クリミア併合やウクライナ東部での紛争支援は、その脅威への対抗措置だという論理である。実際、このマイダン革命に、米国のネオコン(新保守主義者)が深く関与していたことはもはや事実といっていい。当時の米国務次官補ビクトリア・ヌーランド氏の言動などがその根拠として挙げられることが多いが、2014年から2022年に至るまでの米国の対ウクライナ政策(武器供与、軍事訓練、経済支援など)は、ミアシャイマーなどが指摘するように、単なる民主主義支援ではなく、ロシアを封じ込めるための長期的な地政学的戦略の一環だったと解釈できる。
 エントゥース氏の記事が、この2014年からの文脈を意図的にか、あるいは紙幅の都合か、すっかり抜かしていることには、それなりの大きな意味を持つだろう。なぜなら、その「歴史の断絶」は、ロシアのナラティブに対して、この戦争の原因を一方的にロシアの侵略性に帰する、西側にとって都合の良いナラティブを補強することになるからである。マイダン革命への米国の関与や、その後のウクライナ国内の混乱(右派勢力の台頭、東部での内戦状態など)といった、より複雑で多面的な背景が見えにくくなってしまう。
 もちろん、2014年からの文脈を強調することが、2022年のロシアによる全面侵攻を正当化することにはならない。しかし、なぜプーチンがその暴挙に至ったのか、その動機や思考プロセスを深く理解するためには、マイダン革命以降の8年間に何があったのかを避けて通ることはできないはずで、歴史的な文脈を無視して現状だけを切り取れば、物事の本質を見誤る危険性が常にある。エントゥース氏の記事から感じられたかもしれない「アメリカに従っていれば勝てた」といったトーンも、この歴史的視点の欠如によって、より表層的な印象操作のように響いてしまう。
 今回のアダム・エントゥース氏の記事は、ウクライナ戦争という巨大な氷山の一角を照らし出した。しかし、その水面下には、私たちがまだ知り得ない、はるかに大きく複雑な構造が広がっている。米国内部の路線対立、ホワイトハウスの機能不全、米国とウクライナの間の埋めがたい認識のギャップ、そしてロシア側の計算と歴史的文脈、これらが複雑に絡み合い、予測不可能な混沌を生み出しているのが、ウクライナ戦争の実像に近く、それはもしかすると、私たちは、この戦争の死者たちと並びたち、永遠に知ることができない。

 

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