トリウム溶融塩炉と西堀榮三郎の精神
14年前、2011年、私は古川和男の『原発安全革命』(参照)を読んで、拙いながら書評を書いたことがある。トリウム溶融塩炉(MSR)の可能性に心を奪われ、原発を市民社会に根ざした「水道施設」のような存在に変えるビジョンに未来を見たのだった。加えて、若い日に読んだ西堀榮三郎の『石橋を叩けば渡れない』(参照)の精神が、福島第一原発事故後の閉塞感を打破する力になると信じたものだった。2025年4月、中国が世界初のトリウム溶融塩炉の連続運転と燃料補給に成功したニュースは、私の胸を熱くするが、日本の停滞には複雑な思いも抱く。西堀の精神を軸に、この14年の動向を振り返り、技術的進展と今後の展望を考える。
14年前の書評とトリウム炉への情熱
2011年、私は古川和男著『原発安全革命』を「山道の木々の隙間から見る眺望」と評した。彼の描くトリウム炉は、単なる原発の代替ではなく、エネルギーの歴史を問い直す存在に思えたのだった。ユーゲン・ウェグナーの「核分裂は化学反応、液体媒体が理想」という洞察に基づき、1960年代のオークリッジ国立研究所で開発された溶融塩炉は、福島事故後の日本で安全なエネルギー源として輝いてもよかった。しかも、小型で地域に溶け込む「FUJI-II」のビジョンは、市民社会がエネルギーを持続可能かつ民主的に管理する未来を展望させた。このビジョンに、西堀榮三郎の精神が重なった。登山家・科学者としてナンダ・デヴィの初登頂や日本の原子力開発に貢献した西堀は、「石橋を叩けば渡れない」と説いたものだ。過度な慎重さが機会を逃すことを戒めるこの言葉は、トリウム炉の推進に必要な大胆さを象徴する。彼は晩年、原子力界の硬直性に失望しつつも、古川のトリウム炉研究を支持し、社会実装に情熱を注いだ。私は書評で西堀の声を「明確に聞きとる」と書き、彼の『石橋を叩けば渡れない』を推した。福島事故後の日本で、トリウム炉は技術復興の希望に思えた。だが、そう思った私自身、この年月で忘れていた。
トリウム溶融塩炉の技術的特徴
トリウム溶融塩炉は、燃料と冷却材に溶融塩(フッ化リチウムとベリリウムのFLiBe)を使用し、トリウム232を中性子照射でウラン233に変換して核分裂を起こす。従来の軽水炉と異なり、大気圧で運転するため高圧爆発リスクが低く、過熱時には「凍結塩プラグ」が溶けて溶融塩を安全タンクに排出する受動的安全性を備える。トリウムはウランより3~4倍豊富で、長寿命放射性廃棄物が少なく、核兵器転用リスクも低い。だが、溶融塩の腐食性や初期にウラン235・プルトニウム239が必要な点は課題だ。腐食対策にはハステロイ-Nなどの特殊合金が使われ、最近の材料科学の進展で実用性が向上している。
トリウム炉技術は、私が関心を薄くしていくなかも、この14年で世界で伸展した。牽引役は中国だった。2011年、中国科学院は4億4400万ドルを投じ、2018年にゴビ砂漠で2MWtの実験炉(TMSR-LF1)の建設を開始。2023年10月に初臨界、2024年6月に全出力運転、2024年10月に運転中の燃料補給に成功。プロタクチニウム-233の検出で、トリウムからウラン233への増殖が実証された。中国は2030年までに10MWt実証炉を、2030年代には100MWt商業炉を目指す。内モンゴルのトリウム鉱山が「数万年のエネルギー需要を賄える」との主張は、エネルギー安全保障のスケールを示す。
他国も動いた。インドはトリウム埋蔵量の25%を保有し、2050年までに電力の30%をトリウム炉で賄う目標を掲げるが、溶融塩炉では後れを取る。米国(TerraPower、Flibe Energy)、デンマーク(Seaborg Technologiesの浮体式MSR)、欧州(NRGの塩照射試験)は研究を進めるが、運用は中国のみ。14年前に私が感じたトリウム炉は、中国で現実化しつつある。
日本はといえばトリウム炉技術は伸展しなかった。日本人の科学技術意識低迷に合わせて、福島事故後の不信感とウラン・プルトニウムサイクルへの依存が、トリウム研究を阻んだ面もあるかもしれない。2013年に原子力学会内に「溶融塩の核応用研究委員会」が設立され、古川の「FUJI」炉を継承するトリウムテックソリューションも存在するが、資金・人材不足は深刻だ。
中国の成功と技術的意義
2025年4月、中国のTMSR-LF1は連続運転と燃料補給に成功した。2MWtの熱出力を生成し、10日間の全出力運転で核燃料増殖を確認した。この炉は、溶融塩にトリウムと少量のウランを溶かし、特殊合金で腐食を抑制。受動的安全性は、福島型事故のリスクを軽減する。次のステップは、2025年から始まる10MWt実証炉(60MW熱で10MW電力と水素を供給)、2030年代の100MWt商業炉だ。電力に加え、水素製造や船舶推進への応用も視野に入り、2060年のカーボンニュートラル目標を支える。技術的課題も進展している。溶融塩の腐食は、ニッケル基合金やセラミックコーティングの改良で軽減。初期燃料のウラン235・プルトニウム239依存は、増殖サイクルの最適化で低減可能だ。廃棄物管理や規制枠組みの構築は残るが、中国の成果は商業化への道を開いた。彼我の差は開きつつある。まあ、いつか中国に技術を請うでもよいだろう。
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