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2025.04.29

Grand BargainとGrand Chessboard

 ドナルド・トランプ米大統領の復帰からまだ100日。短い期間にもかかわらず、その発言や行動は世界を絶えず揺さぶり、市場も為替も、まるでゲームのように動かされる。外交・軍事の動きも同様だ。NATOに厳しく自己負担を求めたり、不可欠な同盟と称賛したり。また翌日には「時代遅れ」と切り捨てる。君主豹変というより朝令暮改の振る舞いは、予測不能性を印象づける一方で、硬直したイデオロギーに縛られない柔軟性を示しているとも言える。しかし、この欠点のような特性こそが、トランプの外交姿勢を、冷戦期に見られた「Grand Bargain(大妥協)」の一形態として位置づけうる理由となるかもしれない。
 冷戦時代、米国とソ連は核兵器を突きつけ合いながらも、緊張緩和のために現実的な妥協を重ねた。1987年の中距離核戦力(INF)全廃条約は、レーガン大統領とゴルバチョフ書記長による歴史的交渉の成果であり、強硬派とされたレーガンがソ連との対話に踏み切ったことは注目に値する。また、1970年発効の核不拡散条約(NPT)は、核保有国を5カ国に限定し、核拡散を抑止する枠組みを構築した。これらは、競争と協調が交錯するなかで達成された「Grand Bargain」の象徴である。
 トランプもまた、意図的であれ偶発的であれ、こうした現実主義的アプローチを現代に再現しようとしているようにも見える。米国特使がモスクワでプーチン大統領と会談し、ウクライナ戦争の停戦や中距離ミサイルの規制を協議する場面を想定してみよう。この動きは、INF協定の精神を踏まえつつ、現在の多極化した国際環境に適応する試みと見えないでもない。また、中国に対しては、145%関税の恫喝を交渉材料とし、軍備管理交渉への参加を迫りうる。予測不能性を戦略資源として活用し、妥協を引き出すというこの手法は、状況適応型の現実主義的アプローチと解釈できる余地もある。

「Grand Chessboard」の挫折

 冷戦を語るとき、ジビグネフ・ブレジンスキーの地政学理論は避けて通れない。彼は1997年の著書『The Grand Chessboard』で、ユーラシア大陸の支配が世界覇権の鍵であると説き、旧ソ連圏を「ハートランド」と位置づけた。この地政学的発想は、その後、ネオコン(新保守主義者)による単極支配戦略に強い影響を与えた。それゆえネオコンはブレンジスキーの申し子とも見られることがある。もっとも、ブレジンスキー自身は必ずしもネオコンの軍事介入主義とは同一視できない点があることは留保したい。彼は、ネオコンのような薄く見悪いロマンチストではなく、地政学的リアリストであり、武力よりも影響力と連携を重視する傾向を持っていた。
 21世紀に入り、冷戦勝利後の米国単極支配モデルは現実と乖離し始める。2003年のイラク戦争は、2兆ドルを超えるコストと多数の犠牲者を生みながら、中東の安定化には繋がらなかった。2021年のアフガニスタン撤退も、20年間の米国の軍事関与がタリバンの復権によって無に帰したことを示した。単一のイデオロギーや軍事力によって世界を制御するという構想は、それ自体、多極化が進む中で明らかに限界を露呈したのである。
 ウクライナ戦争もまた、こうした地政学モデルの破綻を映し出す。NATOの東方拡大はロシアの侵攻を誘発し、西側諸国による軍事支援は紛争を長期化させ、経済的な負担を拡大した。かつての「大きなチェス盤(Grand Chessboard)」に想定された単純な覇権論理は、いまや多様な要因が入り乱れる現実に対応しきれない。

Grand Bargainの展開

 2025年の国際情勢を展望すると、トランプ流の新しい「Grand Bargain」と、冷戦期的な「Grand Chessboard」の対比は鮮明になる。トランプは、ネオコン流の軍事対決路線やブレジンスキーの封じ込め戦略を事実上否定し、交渉と妥協を重視している。それこだけは確かだ。仮にウクライナ戦争の停戦交渉がモスクワで進められ、中距離ミサイルの規制が提案されるなら、それは冷戦期INF協定の精神を現代に蘇らせる試みだったといえよう。イラン核問題でも、米国・ロシア・中国がオマーンでイランと交渉し、NPT体制の強化を目指すといった動きも想定はできる。米中関係では、関税圧力を通じて中国を軍備管理交渉に誘導する試みが展開されるかもしれない。
 これらは、大国間競争の不可避性を認めつつも、協調による衝突回避を目指すジョン・ミアシャイマーの「攻撃的現実主義」にも、そうなればという結果的にだが、通じる。トランプの「Grand Bargain」は、意図的かどうかはともかく、結果として現実主義的秩序構築の一つの試みとなりうる。

限界と未来への展望

 このアプローチには明らかな限界もある。米国・ロシア・中国の間には根深いな不信感が存在するので、交渉は意外と容易に頓挫するリスクを抱えている。トランプの予測不能性も、交渉においては効果を持つが、他方同盟国間の不安を煽り、協調の基盤を損なう危険はある。さらに、米国内部にも恒常的ともいえる課題がある。ネオコン的な影響力はまだ十分に消滅しておらず、議会政治のポピュリズム的性格も交渉戦略を不安定化させる可能性がある。日本のような同盟国も、短期的に軽視すれば、中長期的に米国にとって予期せぬ外交的コストとなる恐れがある。
 それでも、多極化が進む現在において、柔軟な現実主義的交渉を通じて新たな均衡を模索する動きは、十分に注目に値する。2025年以降、ウクライナ停戦や米中軍備管理協定が成立すれば、それは多極化が必ずしも混沌を意味しないことを示す重要な転換点となる。もちろん、交渉が失敗すれば、大国間の緊張は激化し、さらなる不安定化に直面する。しかし、その不安定化も、やがて新たな冷戦的秩序への移行を促すかもしれない。つまり、世界は今も歴史的転換点に立っている。ネオコンが勝手に引き継いだような「Grand Chessboard」が行き詰まったいま、トランプの場当たり的な「Grand Bargain」が空白を埋めるだろうか。確実なことはひとつあるなら、いずれにしても世界は多極化する。細分化する。誰も「大きなチェス盤」で包括的に勝利することなどできない、ということだけである。



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