ラリー・サンガーの回心
2025年3月、ラリー・サンガーの名が再び、というか久しぶりに現代的知識人の話題となっているように思われた。ウィキペディアの共同創設者であり、哲学の博士号保持者としても知られる彼が、2020年に彼のブログでエッセイ「How a Skeptical Philosopher Becomes a Christian」(参照)を書き、そこでキリスト教への回心を宣言したからだ。この41ページに及ぶ文章は、40年以上にわたる彼の懐疑主義から信仰に至る旅路を綴ったもので、現代西洋人らしい知的な厳密さと率直な内省が交錯している。彼は「聖書はかつて青銅器時代の神話にすぎないと思っていた」と振り返りながら、今やそれを神の啓示として受け入れ、「すべての被造物に福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16:15)との使命感を表明しているのだ。率直に言って、何があったのかと私は関心をもった。
というのも、この回心は単なる個人的な告白ではない。哲学博士号を持ち、現代知識社会の象徴とも言えるウィキペディアを築いた人物が、理性と信仰の狭間で葛藤し、キリスト教を選択したプロセスは、現代の知性に波紋を投じて当然だろう。彼は、キリスト教回心とはいえ、特定の宗派に属さず、教会への参加も保留しているが、三位一体、キリストの救い、神の存在を信じると公言している。この信仰の証は、現代西洋型知識人の倫理に一つの問いを突きつける。どん詰まりの西洋型知識人にとって新たな可能性の開示なのか、それとも過去への退行なのか。
哲学とウィキペディアの交差点
ラリー・サンガーは1968年、米国生まれ。哲学者と言ってよい。オハイオ州立大学で2000年に哲学博士号を取得し、専門は認識論だ。彼の博士論文「Epistemic Circularity: An Essay on the Problem of Meta-Justification」は、知識の正当性を巡る循環問題に挑んだもので、分析哲学への深い関与を示している。少年時代から「みんなの考え方を変えるのが哲学」と語り、知的好奇心に駆られていたサンガーは、リード大学で哲学を学び、方法論的懐疑主義を信条とした。確実性に基づく信念のみを持つべきとの姿勢は、彼の知的基盤を形作った。彼の名を世界に知らしめたのは、2001年にジミー・ウェールズとともに立ち上げたウィキペディアである。サンガーは、専門家による百科事典プロジェクト「ヌーピディア」の編集長を務めた後、誰でも編集可能なウィキ形式を提案した。ウィキペディアの初期運営を牽引し、「中立的観点」や「ルールを無視せよ」といった方針をも打ち立てた。彼のビジョンは、知識の民主化と共有であり、現代情報社会の礎を築いた。しかし、2002年にプロジェクトを離れ、その後はCitizendiumやKnowledge Standards Foundationなど、新たな教育・知識プラットフォームを模索している。
哲学者としてのサンガーと、ウィキペディアの創設者としてのサンガーは、真理と知識への情熱で結ばれている。彼の回心は、この二つの側面が交錯する地点で起こった出来事であり、理性と信仰の融合を象徴するもののはずだ。
なぜサンガーは回心したのか?
サンガーのキリスト教への回心は、サウロへの呼びかけのような、単一の劇的な瞬間ではなく、数十年にわたる思索と経験の積み重ねによるものだった。そのエッセイによれば、幼少期の疑問、哲学的探求、聖書の熟読、そしてエプスタイン事件に象徴される道徳的危機が絡み合って信仰に至った。
そこにはまず、哲学的探求が基盤にある。サンガーは方法論的懐疑主義を実践し、「確実性に基づく信念のみを持つべき」と考えていた。大学時代にデカルトの方法的懐疑に傾倒し、認識論を深めた彼は、神の存在証明(第一原因論、設計論、宇宙の微調整論)には長年懐疑的だったという。しかし、2019年頃、これらを再検討し、「個別には弱いが総合すれば神の存在が最良の説明」と結論づけた。理性では「厳密な証明」に至らないと認めつつ、信仰を理性的な選択として受け入れたのだ。まあ、アイロニカルに言えば、そこはテンプレではある。
次に、聖書の影響が決定的だったという。2019年末、サンガーは90日間で聖書を読み通す計画を立て、YouVersionアプリやESV Study Bibleを活用して深く研究した。そして、かつて「神話」と見なしていた聖書が、一貫性と知恵に満ちたテキストであることに衝撃を受け、神の啓示として受け止めたという。特に、キリストの十字架と復活が「罪からの救い」として心に響き、哲学的問いへの答えとなったのだそう。彼は「神と話す」実験を始め、それが祈りに発展し、信仰の確信を深めた。もっとも「神と話す」実験といっても、オカルト的なものではなく、祈りとも内省とも理解していいだろう。
こうした彼のキリスト教傾倒に関連する契機として、最も注目すべきは、エプスタイン事件による道徳的危機の認識だ。2019年、ジェフリー・エプスタインの性的虐待事件が明るみに出た。億万長者であるエプスタインが、未成年者への組織的な性犯罪に関与し、権力者とのネットワークが暴露されたこの事件は、アメリカ社会に衝撃を与えた。FBIの捜査で、彼のプライベートジェット「ロリータ・エクスプレス」や私有島での犯罪が明らかになり、2019年7月に逮捕されたが、同年8月に獄中で不審死を遂げている。なお、日本ではあまり話題を見かけないが、2025年2月下旬にアメリカ司法省が「エプスタイン・ファイル」の第一弾を公開した。この公開は、トランプ政権下の司法長官パム・ボンディによって推進され、2025年2月28日に約200ページもの文書がリリースされ、新たな話題となっている。 サンガーはこの事件に強い関心を持ち、ブログで「エリートによる児童性犯罪」や「組織的悪」と向き合った。こうした悪の存在が、彼に「何かがおかしい」と感じさせ、聖書の「罪」や「救い」の概念に現実的な意味を与えた。彼は「この世界がどうなっているのか」と問い、信仰を通じて答えを見出したのだ。
彼の個人的な経験も大きい。サンガーは、結婚や子育てを経験する中で、これまで重視していたアイン・ランド——個人の自由と自己利益を重視し、「利己主義こそ道徳」と説いたロシア生まれの作家・哲学者——の考えを捨てた。彼女の「自分の利益を最優先する」という思想に代わり、家族への愛こそが道徳の基礎だと気づいたのだ。この気づきが、彼の価値観を新しく作り直すきっかけともなった。これらの変化が重なり合って、長年の懐疑的な姿勢を乗り越え、キリスト教への信仰へと彼を導いた。
現代西洋型知性にとってのキリスト教
サンガーの回心は、現代西洋型知性——啓蒙主義以来の理性、科学、進歩を基盤とする倫理——にとって何を意味するのか。一見、彼の選択は伝統的な潮流への「退行」にも映る。ウィキペディアで知識の民主化を推進した彼が、中世的ともいえるキリスト教に回帰したとなると、現代の進歩的価値観とのギャップを感じさせる。哲学者として培った懐疑主義を捨て、聖書や三位一体に「暗唱」のような信仰を見出した彼は、理性の限界を認めたのか、それとも逃避したのか。
しかし、この回心を単なる退行と見做すのは早計だろう。サンガーは、理性と信仰の統合を試みている。彼の回心は、科学的唯物論や新無神論の浅薄さに失望し、哲学的・神学的探求を通じて信仰に至ったプロセスを経由している。現代知識人が直面する倫理的危機——エプスタイン事件のような悪や、AI進化による実存的問い——に対し、彼はキリスト教を「最良の説明」として提示したともいえる。これは、理性の限界を認めつつ、スピリチュアルな次元を再評価する試みと言える。 とはいえ、サンガーの回心には限界も指摘される。彼の信仰が個人的な安寧感に終始し、現代のグローバルな課題——環境危機、技術倫理、文化的対立——への対話に寄与しないのではないか。また、その三位一体や聖書の受け入れが「理性的選択」に依存しすぎ、伝統的神学の神秘性を軽視しているとの批判も可能だろう。トマス・ジェファーソンのように、理性で聖書を取捨選択する姿勢は、信仰の深さよりも知的な構築に重きを置いているように見える。彼の回心は、現代知性に可能性を示しつつも、その視野の狭さや過去志向性が議論の余地を残している。私自身、彼の理性と信仰のバランスに当初は共感したものの、「文化的な退行」への落胆も感じている。余談だが、エマニュエル・トッドにも同種の退行を私は感じている。
期待される新著『God Exists』
サンガーの回心をさらに深く理解する鍵は、彼の新著『God Exists: A Philosophical Case for the Christian God』だろう2025年3月現在、この本は未出版だが、約20万語(550ページ)を超える原稿として進行中だ。サンガーは週5日、30分の執筆を続け、2度の大幅改訂を経ており、神学教授からの好意的なフィードバックを受けながら完成を目指している。「ほとんどの出版社にとって長すぎる」と認め、2巻構成や短縮版を検討中だが、完成は数年後になる可能性もある。
この著作は、自然神学(哲学的議論)と啓示神学(聖書)を統合し、キリスト教の神の存在を擁護するものだ。伝統的な議論——第一原因論、設計論、微調整論——を再評価しつつ、三位一体やキリストの救いに焦点を当てる。サンガーは「説教者ではなく擁護者」として、現代の懐疑的な知識人に訴えたいと語る。彼の哲学的洞察が、エプスタイン事件のような悪への応答や、現代知性の危機にどう答えるかに注目が集まる。期待されるのは、この本がサンガーの回心を理論的に裏付け、現代知性との対話をどう開くかだ。単なる信仰の弁明を超え、人類の未来に寄与する視点を示せるか。読者としては、彼の理性と信仰が、個人的な救いを超えて、グローバルな倫理や文化にどう響くかを楽しみにしたい。
サンガーの回心は、現代西洋型知性に一つの鏡を差し出すとも言える。理性と信仰の狭間で葛藤し、キリスト教を選択した彼の旅路は、知識人の限界と可能性を映し出す。しかし、それが「退行」か「進歩」か。私は彼の回心に当初共感しつつも、その枠組みの狭さや過去への安寧感に落胆した。『God Exists』がこの問いを超える答えを示すのか。また時期を改めて考察したい。
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