ダライ・ラマ14世の新著
2025年3月11日、チベット仏教の精神的指導者であるダライ・ラマ14世が新著『Voice for the Voiceless: Decades of Struggle with China for My Land and My People(「声なき者の声:私の土地と民のために中国と闘った数十年)』を発表した。米国や英国など多くの国で同時発売され、国際的には注目を集めているが、日本ではほとんど話題に上らない。この本の中で彼は、後継者が中国国外の「自由世界」で生まれると明言しているが、その意味も理解されにくい時代になったのかもしれない。
活仏といわれるダライ・ラマだが、89歳という高齢からは、その死期が近づいていると見る人々がいても自然であり、これがチベット問題が再び大きな波紋を呼ぶ予兆となる。日本ではかつてチベット支援の声もあったが、今では関心が薄れているように感じられる。この問題は遠くの出来事と切り捨てるには、あまりにも深刻な影響を秘めている。チベットの危機は、アジア全体の安定や日本の安全保障にもつながる可能性があり、無視するには重すぎる現実がある。
ダライ・ラマ14世
ダライ・ラマ14世についてはウィキペディアにも紹介があるだろうが、簡単に言及しておこう。本名テンジン・ギャツォは1935年7月6日生まれで、現在89歳になる。彼の人生は、チベットと中国の対立の歴史と切り離せない。1950年、中国がチベットを軍事的に占領し、自治を武力で奪った。当時15歳だった彼はチベット政府の指導者に立てられたが、実権は中国に握られていた。1959年、状況は緊迫の極みに達する。チベット人が中国共産党の支配に抵抗し、ラサで大規模な蜂起を起こした。しかし、毛沢東政権はこれを武力で鎮圧し、この際数千人のチベット人が死傷したとも言われる。この混乱の中、23歳のダライ・ラマは命の危険を感じ、インドへの亡命を決断した。映画『クンドゥン』(1997年)やドキュメンタリー『Never Forget Tibet』(2022年)で描かれたように、彼は一般兵士に変装し、夜間にノルブリンカ宮殿を脱出した。約2週間、ヒマラヤの過酷な山岳地帯を徒歩で進み、中国軍の追跡を逃れた。この逃亡劇では、彼の身代わりとして多くのチベット人が犠牲になった。ラサに残った民衆は彼の逃走を隠すため、あるいは彼を守るために中国軍と戦い、「弾除け」として命を落とした者もいる。彼らにとってはそれも活仏のための信仰でもあった。1959年3月31日、インドにたどり着いた彼は、以降ダラムシャーラを拠点に亡命政府を設立した。これには中国と対立するインドの思惑もある。彼はその後、チベットの自由と文化を守る活動を続け、1989年にはノーベル平和賞を受賞した。しかし、中国政府は彼を「分離主義者」とみなし、敵視し続けている。
新著にみる中国との対立
新著『Voice for the Voiceless』では、ダライ・ラマが70年以上にわたり中国政府と繰り広げてきた交渉の内幕が明かされている。彼は現在の中国を「毛沢東時代に逆戻りした」と批判し、チベットへの抑圧が続いていると訴える。しかし、なにより注目されるのは後継者に関する発言である。チベット仏教では、高僧が死ぬとその魂が子どもの体に転生し、次の指導者となるのだが、これまで彼は「ダライ・ラマの伝統は私で終わるかもしれない」と曖昧に語ってきた。だが、今作では「次のダライ・ラマは自由世界で生まれ、チベットの志を継ぐ」と断言したのである。これは中国外、おそらく亡命先のインドでの転生を示唆し、チベット仏教の転生制度を中国の干渉から守ろうとしている。この発言は、チベットの存亡をかけた戦略ともいえる。日本ではこうした宗教的伝統が遠く感じられるかもしれないが、これは中国との対立が単なる過去の話ではなく、今も続く危機である。
「文化的ジェノサイド」
ダライ・ラマが焦点となるのは、彼がチベット問題の象徴であり、中国との対立の中心にいるからだ。中国はチベットを自国の一部とみなし、1950年の占領以来、寺院の破壊、僧侶への弾圧、チベット語教育の制限、漢民族の大量移住を進めてきた。近年では、チベットの子どもを寄宿学校に強制収容し、中国語と共産主義思想を押し付ける政策も報告されている。これらは「文化的ジェノサイド」と批判され、チベット人の文化やアイデンティティを消し去る動きと見られている。さらに、2006年に開通した青蔵鉄道や建設中の四川チベット鉄道などの開発も問題を深刻化させている。中国はこれを「チベットの近代化」と主張するが、漢民族の流入を加速させ、チベット人の人口比率を減らし、文化を希釈している政策である。高原の凍土や生態系への環境破壊、インド国境近くでの軍事利用の懸念も指摘され、チベット人の自決権をさらに奪う手段と批判される。北京はチベットが繁栄していると主張するが、ダライ・ラマは「抑圧が続く限り安定はない」と反論する。
中国が掲げる後継者
中国はダライ・ラマの後継者選定に介入する姿勢を崩さない。彼は「中国が選んだ後継者はチベット人から尊敬されない」と警告するが、中国は既に同様の介入を行っている。1995年、ダライ・ラマが6歳のゲドゥン・チョェキ・ニマを11世パンチェン・ラマ(ダライ・ラマに次ぐ重要人物)に認定した。しかし、中国はこれを認めず、彼を連れ去り、消息を絶たせた。代わりに別の少年、ギャンツェン・ノルブを「公式のパンチェン・ラマ」として指名し、国家の管理下で育て上げた。ギャンツェン・ノルブは中国共産党の意向を反映する存在で、チベット仏教の指導者層に組み込まれているが、チベット人や国際社会からは「偽のパンチェン・ラマ」と呼ばれ、支持されていない。この事例が問題なのは、中国が宗教を政治的道具として使い、チベット人の心を支配しようとしている点である。中国政府の意向で伝統的な転生制度が歪められ、チベット本来の精神的意義が失われることになる。ダライ・ラマが新著で「自由世界での転生」を訴えるのは、こうした中国の介入を阻止する最後の抵抗でもあるだろう。
ダライ・ラマは昨年膝の手術を受けたが、「110歳まで生きるかもしれない」と語ってはいる。しかし、90歳の誕生日(2025年7月)頃に後継者に関する詳細を発表すると述べており、その時期が迫っている。彼が亡くなれば、中国が独自にダライ・ラマ15世を指名する可能性が高い。パンチェン・ラマの前例からすれば、転生制度を国家管理下に置き、対抗者を立てる戦略が続くだろう。そうなれば、チベット人の支持を得られない「偽のダライ・ラマ」と、亡命側が認定するダライ・ラマが並存する異常事態が生じるかもしれない。これは1959年、彼の亡命を助けたチベット人の犠牲、身代わりとして命を落とした民衆の想いを再び踏みにじるほどの危機だ。
中国は「チベットと台湾が中国の一部と認める」ことを条件に交渉を示唆するが、亡命チベット議会は拒否している。中国の強硬姿勢が続けば、チベット問題はさらに深刻化し、アジア全体の緊張が高まる。日本では遠くの話に思えるかもしれないが、中国の拡張主義が隣国に及ぼす影響を考えると、無関係ではない。
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