60代からの園芸ライフ
ブログも長くやっている。25年もやっていると自分も老人になった。そんな話でも。
62歳を過ぎたあたりから、自然に園芸を趣味に加えた。気がつくと趣味の一つになっていたというか。60歳をすぎると年月の流れはさらに早くなるので、かれこれ数年になるが、振り返ってみると、あっという間であった。園芸と言っても大したことをしているわけではない。単に園芸店に行ってその季節に綺麗な花を買ってくる程度のことから始めた。最初は、テーブルや棚に切り花を飾ろうと考えていたのだが、それはそれで良いものの、どうせなら根がついてもいいかと思い、花瓶の代わりに鉢花を買った。ところが、土のあるものは室内に飾るのには向かず、屋外に置いていたのだが、置き場が広くなったぶん、鉢が増えることになった。
園芸店に行くことも増えた。行くと、すでに咲いた綺麗な花がたくさん売られているのを見る。色とりどりの花々が並ぶ光景は、それだけでも心が和む。おすすめは、大型店である。
当初私は、園芸店で咲いている花を買って帰ればいいという感覚であったが、やっていくうちに、鉢花というのは花が咲いていることだけが重要なのではなく、花が咲くまでのプロセスがとても楽しいことに気づく。園芸をやっているとそうなものであるようだ。芽が出て、少しずつ大きくなり、つぼみをつけ、やがて花開く瞬間を待つ。その過程全体が園芸の醍醐味なのだと実感するようになったわけである。このあたりは、老人にぐっとくるところである。
朝顔もいろいろ
園芸を趣味にして、園芸店をよく見て回るようになると、公園とか庭先で綺麗に咲いている花でも、意外と園芸店で売っていない花もあるものだなと気づく。全く売っていないわけではないのだが、例えば朝顔がその典型である。咲いている時間が午前だけということもあってか、園芸店ではほとんど花を見かけない。代わりに園芸店では朝顔の種をいろいろと売っている。小学校の頃にほとんどの人が経験したであろう種から育てるタイプのものである。私も子供の頃にやったことがある。そういえば、朝顔の種に穴を開けておくと発芽した双葉に穴がつく。今の子どもたちはそんなことはしないのであろうが。
朝顔がまったく売ってないわけではない。朝顔市とかでは「行灯仕立て」で売っている。行灯仕立ては、竹や木の棒を円錐形に組んで、そこに朝顔のつるを絡ませて育てる伝統的な方法である。花が全体に咲くと、まるで行灯(あんどん)のような形になることからその名がついている。園芸店では見かけたことがない。一般的な朝顔は種から育てればよいので行灯仕立てもやってみるといいであろう。やり方とかは探すとわかるものである。そして実際にやってみると、面白いものである。
朝顔というと私も当初小学生的なイメージのままであったが、いろいろ種類がある。「つばめ朝顔」という小さな花で、しだれかかるようなのも私のお気に入りである。つばめ朝顔は、花びらの端が深く切れ込んでいるので、名前の由来は、ツバメの尾のように見えるからであろうか。花の直径は3〜4cm程度と小振りである。これがいいのである。一株から多くの花を咲かせ、下向きに花を咲かせるため、吊り鉢などに植えると枝垂れるように花が咲く。風情がある。朝の柔らかな日差しの中で揺れる姿は、まるで小さなツバメが舞っているかのようである。ただ、満開になるのは、秋かな。
フランス産の朝顔などは、種ではなくて、苗で売っている。おそらくライセンスの問題かもしれない。はっきりとはわからない。特に「桔梗咲き」という種類はとても美しいのだが入手は難しい。桔梗咲きの朝顔は、一重咲きの朝顔と違って、花びらが星の形をして、まるで桔梗の花のように華やかな印象を与える。他に江戸風情の朝顔もある。江戸時代は朝顔の時代ともいえるので、探すといろいろな園芸種があるにはある。江戸の朝顔を知るというのもけっこう楽しい。
季節が戻るが、春の季節の鉢花はビオラである。園芸的には秋から冬に始まる。ビオラは地植えなどもでき様々な楽しみ方がある。パンジーの仲間だが、パンジーよりも花が小さく、花付きが良いのが特徴である。寒さに強く、秋から春にかけて長く楽しめる。ビオラとパンジーの違いは、主に花の大きさとデザインで、植物的な違いはないというが、育てているとけっこう違う。パンジーは切り戻しして戻りがやや遅い。ビオラは直径が2.5〜5cm程度と小さめで、パンジーは5〜10cm程度と大きい。ビオラは「コーデリアル」「ソルベ」「アンティーク」など様々な系統があり、それぞれ花の形や色合いが異なる。特に近年は、花びらの縁がフリルのように波打つ「フリンジ」タイプや、花の色が季節や気温によって変化する「カラーチェンジ」タイプなど、個性的な品種が増えている。「ドラキュラ」も人気である。
花を育てるのが楽しいという点では、球根植物も魅力的である。秋に植えておくと春になって花が咲く。この春を待つという感じがとても嬉しくなる。寒い時期にムクムクと芽が出てきて「これから咲くのだな」という期待感はとても楽しいものである。チューリップは最も親しまれている球根植物の一つで、その種類は実に豊富である。シンプルな一重咲きの「シングル」タイプから、花びらが波打つ「パロット」タイプ(オウムの羽根みたい)、牡丹のように花びらが重なる「ダブル」タイプまで、形も様々である。色も赤や黄色、ピンクといった単色だけでなく、縁取りやストライプ、グラデーションなど多彩なものがある。
ムスカリは名前のとおり、ムスク(麝香)のような芳香がある。屈んで嗅いでみるといい。変わった別名で「葡萄風信子(ブドウヒヤシンス)」とも呼ばれ、小さな鈴なりの青い花が特徴的である。一般的な青紫色の他にも、白や淡いピンク、濃い紫など様々な色がある。小さな花だが、群植すると一面のブルーの絨毯のようになり、チューリップと一緒に植えると色のコントラストが美しく映える。他にも早春を告げるクロッカスや、ユリのような華やかな花を咲かせるフリチラリア、香り高いヒヤシンスなど、球根植物は種類が豊富で、植える時期や咲く季節を考えながら組み合わせると、長い期間花を楽しむことができる。
キケロの知恵
趣味で園芸をやっていると、一般的な花の季節より1〜2ヶ月早く植え始めることになる。例えば、3月末になると園芸店ではビオラの季節は終わりに近づいてくる。ではこの季節、園芸店では次に何が旬かと言うと、ペチュニアであった。ペチュニアはナス科の植物で、南米原産の一年草である。trumpet(トランペット)を意味するポルトガル語の「petun」に由来する名前を持ち、その名の通り、トランペットのような形をした花を咲かせる。花の大きさは品種によって異なるが、一般的に5〜8cm程度の大きさである。色は白、ピンク、赤、紫、青、黄色など豊富で、単色だけでなく、絞りや縁取りのある品種も人気がある。ペチュニアの特徴は、一度花が咲くと次々と新しい花を咲かせ続け、初夏から秋まで長く楽しめることである。また、枝垂れるように成長するので、ハンギングバスケットや寄せ植えにも適している。余談だが、ハリーポッターの主人公の叔母の名前がペチュニアであった。主人公ハリーの母親リリーの姉で、魔法の才能がなく、魔法使いのハリーに対して冷たい態度を取るキャラクターとして描かれている。リリー(百合)もペチュニアも花の名前なので、作者のJ.K.ローリングは意図的に花にちなんだ名前を選んだのかもしれない。
先日園芸店に行くと、今はペチュニアの苗がたくさんできていた。園芸店によって品揃えは異なるが、「PW」というブランドのペチュニアがたくさん置かれていた。園芸を続けていくと、花のブランドについても詳しくなる。サントリーも園芸ブランドを展開していて、なかなか凄い。ブランドの花は一般的な花と違い、シンプルでありながらも凝った品種が多く、「今年の花」などといった新品種も出てくる。ちなみに「PW」とは「Proven Winners(プルーヴン・ウィナーズ)」の略で、アメリカの園芸ブランドである。このブランドの特徴は、世界中から厳選された品種を、長期間にわたる試験栽培を経て商品化している点である。PWのペチュニアは、花つきが良く、雨に強い、病気に強いなどの特性を持っているとのこと。特に「スーパーチュニア」シリーズは、従来のペチュニアよりも成長が旺盛で、剪定の必要がほとんどなく、雨でダメージを受けにくいという利点がある。また、サントリーが園芸事業に参入しているのは意外に思えるかもしれないが、実はサントリーフラワーズという会社を設立し、1989年から花の品種改良と販売を行っている。サントリーブルーローズ「アプローズ」や、マーガレットの「サンリップス」シリーズなど、独自性の高い品種を多数開発している。特に青いカーネーション「ムーンダスト」は、遺伝子組み換え技術を使わずに、花弁に青い色素を吸収させる技術で作られた画期的な品種として知られている。飲料メーカーがなぜ花の事業に進出したのか不思議に思うが、これは「水と太陽と自然の恵み」を企業理念としているサントリーの多角化戦略の一環なのだろうか。
ペチュニアは私も以前育てたことがあり、それほど難しくないのだが、仕立ては難しい。そこが面白いところともいえるがビオラも同様で、手のひらサイズの小さな苗を購入すると、やがてバスケットボールほどの大きさに成長し、吊るして置くと花で覆われた美しい球体のようになる。
園芸が趣味になってくると、少なくとも2か月おきに園芸店に足を運ぶようになる。今何が咲いているか、何を植えたらいいか、などを確認するためである。季節ごとに次の花を探す楽しみが生まれるのである。かくして園芸を趣味にするようになって、自分も歳をとったなと感じる。そういえば、古代ローマの政治家・哲学者キケロが著した『老年について』(De Senectute)という著作の中で、老年の楽しみとして「農業」が挙げられていた。これを「園芸」と読み替えることもできる。キケロは紀元前106年に生まれ、紀元前43年に亡くなった共和政ローマ末期の重要な政治家、哲学者、弁論家であった。彼は63歳の時に『老年について』を執筆した。この作品は対話形式で書かれており、当時84歳の老賢人カトー(カトー・マヨール)が若者たちに老年の価値について語る内容となっている。キケロ自身も晩年には政治的な苦難を経験した。彼はシーザーとの政治的対立があり、シーザー暗殺後の混乱期には、マルクス・アントニウスとの対立から最終的に命を落とすことになる。
そのような困難な時期に『老年について』を著したキケロは、おそらく自らの老いと向き合いながら、精神的な充実を得る方法を模索していたのであろう。『老年について』の中でキケロは、カトーの口を借りて「土を耕すことほど老人に相応しいものはない」と述べている。彼は農業(農耕)に対して特別な愛着を持っていた。それは単なる食料生産の手段としてだけでなく、自然の秩序に参加する喜び、種をまき成長を見守る過程の楽しみ、そして収穫の満足感といった、精神的な充足をもたらすものとして描かれている。キケロはこうも書いている。「土地は、耕作者の努力に対して決して恩知らずではなく、利子をつけて元金を返してくれる。時には倍以上のものを返してくれることもある。そして果実だけではなく、その自然の力、その大地の懐の豊かさによっても私を喜ばせてくれる。」
キケロは農耕が老年の喜びである理由として、その活動が肉体的にも精神的にも適度な刺激を与えること、自然のサイクルを実感できること、そして若い世代のために種をまくという未来への貢献の感覚があることを挙げているが、彼自身も政治から引退した時期にはトゥスクルムの自分の別荘で園芸を楽しんでいたと言われている。彼の手紙には、果樹や花について述べた箇所があり、それらを育てることに喜びを見出していたことがうかがえる。
キケロのように老人期の農業も楽しい、といっても、本格的な農業ではなく、いわゆる家庭菜園や、市や村から借りた農園で野菜を育てる程度のものだが、トマトなどをよく作る人も多い。私も以前作ったことがある。自分の手で種をまき、苗を植え、水をやり、成長を見守り、そして収穫する—このサイクルの中には、生命の神秘と共に、人間本来の営みに立ち返るような感覚がある。
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