« 政治献金と予算案国会 | トップページ | マリーヌ・ルペン有罪判決 »

2025.04.01

新しい「男性」の誕生

 人類の性別を決定するY染色体が、遠い将来に消えるかもしれないという話は、生物学の分野では長年囁かれてきたが、その未来は何千も先のことにも思われていた。しかし、それが思ったよりも早く訪れていた。現状、報告される事例はごくわずかだが到来している。しかし、想定されていた事態とは異なり、男性が消滅するのではない。その逆である。Y染色体がなくても「男性」を作り出す仕組みが、すでに一部の人類に現れつつあるのだ。この発見は、しかし、予期はされていた。鍵を握るのは、奄美大島に生息する小さなネズミ、アマミトゲネズミである。

Y染色体の退化:人類の危機か進化か?

 基本からおさらいしておこう。人間の性別は、23対ある染色体のうち、性染色体によって決まる。女性はXX、男性はXYという組み合わせだ。このうちY染色体には、性決定遺伝子「SRY」(Sex-determining Region Y)が存在し、これが胎児の生殖腺を精巣に変えるスイッチとなる。精巣ができればテストステロンが分泌され、男性としての発達が始まる。他方、SRYがなければ生殖腺は卵巣になり、女性として成長する。これが哺乳類の標準的な性決定システムだ。
 ところが、このY染色体は進化の過程でどんどん小さくなっている。退化と言ってもよい。約1億6600万年前、哺乳類の祖先が爬虫類から分岐した頃は、XとYはほぼ同じサイズで、遺伝子数も同等だった。しかし、Y染色体は世代を経るごとに遺伝子を失い、今ではX染色体の約1000個の遺伝子に対し、わずか50~70個程度しか持たない「ミニ染色体」に縮小してしまっている。SRYを含む数少ない遺伝子は残っているものの、その他の機能はほぼ消失している。
 この退化の理由は、Y染色体が「組み換え」をほとんどしないことにある。通常、染色体は両親由来のペアが交差して遺伝子を交換し、エラー修復や多様性を保つが、Y染色体はXとペアを組む部分が少なく、孤立しているため、突然変異が蓄積しやすく、使われない遺伝子はどんどん消えていくことになる。オーストラリアの遺伝学者ジェニー・グレイブスは、2002年に「Y染色体はあと500万~1000万年で消滅する」と予測し、話題を呼んだ。人類の男性は遠い将来、いなくなるかもしれないというSF的な話だった。この時点では、かなり遠い未来のことと想定されていた。しかし、生物進化、あるいは退化は想定外の速度で進んでいた。幸い、事態も想定外だった。それは単純に男性が不在となる「危機」ではなかった。進化はそんな単純ではなかったのである。Y染色体が消えても、「オス」を作り出す新しい仕組みが生まれるのである。その機序を、人類に予期させたのが、アマミトゲネズミである。

アマミトゲネズミではY染色体なしのオスが誕生する

 アマミトゲネズミ(学名:Tokudaia osimensis)は、日本の奄美大島に生息する日本固有の小型哺乳類だ。一見するとトカゲのような細長い体と鋭い爪が特徴だが、れっきとしたネズミの仲間である。このネズミが注目される理由は、Y染色体が完全に失われているにもかかわらず、オスとメスの両方が存在することだ。通常の哺乳類ではありえないこの現象は、2010年代に北海道大学の黒岩麻里教授らの研究チームによって明らかにされた。
 ゲノム解析によると、アマミトゲネズミのオスもメスも「XO型」、つまりX染色体1本しか持っていない。Y染色体も、SRY遺伝子も存在していない。それなのに、オスの個体では精巣が発達し、正常に精子を作り出しているのだ。その鍵は、「Sox9」という遺伝子にある。通常、Sox9はSRYの下流で働く遺伝子で、精巣の形成を直接促す役割を持つ。ヒトやマウスでは、SRYがSox9の発現を誘導し、オス化が進行する。しかし、アマミトゲネズミではSRYがないため、別のスイッチがSox9を活性化していることが判明した。具体的には、3番常染色体に存在する「17kbの重複配列」がその役割を担っている。この配列は、オスの個体でのみ観察され、Sox9のプロモーター領域を増強することで、精巣発達をスタートさせているのだ。メスにはこの重複がないため、Sox9が活性化せず、メスとして発達する。
 この発見の意味することは、Y染色体がなくても、常染色体が性決定を引き継ぐことができるということだ。哺乳類の進化の柔軟性を示す証拠だともいえる。さらに興味深いのは、アマミトゲネズミが精子形成に必要な一部の遺伝子も失っていることだ。にもかかわらず、生殖能力は維持されている。このことは、他の遺伝子が代替機能を果たしている可能性が高い。進化は、Y染色体という「古い道具」を捨て、新しいシステムをゼロから構築してしまったのだとも言えるだろう。

人類にも「新男性」の誕生の兆候が

 ここからが本題である。アマミトゲネズミの例は、「Y染色体が消えてもオスが存続できる」ことを証明したが、これは人類にも当てはまる。最新の研究がその可能性を示唆している。2024年12月の欧州共同研究(プレプリント)ではあるが、世界各地の男性ゲノムを解析した結果、一部の個体で「Y染色体に依存しない性決定の兆候」が観察されたのである。具体的には、Y染色体のSRY遺伝子が機能しない、あるいは欠損しているにもかかわらず、男性として発達したケースが報告されていた。また、これらの個体では、アマミトゲネズミと同様に、常染色体上の特定の配列がSox9を活性化している可能性があった。
 例えば、南米のある地域で発見された男性(匿名)は、染色体検査で「XO型」に近い異常を示した。通常なら女性として発達するはずだが、彼は精巣を持ち、男性ホルモンも正常に分泌されていた。ゲノム解析の結果、2番常染色体に「未知の増幅領域」が存在し、これがSox9の発現を誘導していることがわかった。同様に、アフリカやアジアでも同種の事例が僅かだが確認されており、研究グループは「人類の性決定システムがすでに変化しつつあるのではないか」と推測している。
 興味深いのは、これらの「男性」が従来のXY型男性と異なる特徴を示している点だ。外見的には男性だが、ホルモンバランスが中性的で、筋肉量や体毛の分布が通常より少ない傾向がある。また、染色体異常による不妊が予想されたが、彼らの精子形成能力は維持されており、次世代にもこの形質が受け継がれていると見られる。科学者たちはこれを「新男性」と仮称し、新たな性のカテゴリーとして注目している。

今起きている変化

 Y染色体の消滅は「数百万年後の話」とされてきたが、アマミトゲネズミによる機序解明や最近の欧州報告を見る限り、そのプロセスはすでに始まっていると見られる。遺伝子工学の専門家、マサチューセッツ工科大学のW. イング・ツォング博士はこう語る。「人間男性のY染色体の退化は想定以上に加速しており、環境要因や突然変異が、あるいはエピジェネティクス的なフィードバックによってその速度を早めている可能性があります。アマミトゲネズミが示したように、人類も新たな性決定メカニズムに適応しつつあると見るべきでしょう」。
 Y染色体の退化と新男性出現の背景には、地球温暖化や化学物質によるホルモンかく乱によって性染色体の安定性に影響を与えた結果の可能性がある。しかし原因がなんであれ、Y染色体が弱体化する一方で、常染色体がその役割を肩代わりするケースが増えれば、数千年後といわず数十年後には現行人類の「男性」が少数派になり、「新男性」が増え、比較的短期にこれらは均衡する。そうなれば、人類の性別の概念そのものが当然変わってくる。

トランプの主張が時代遅れに?

 ここでちょっとやっかいな、しかし考えようによっては滑稽な話題が関連する。近年、トランスジェンダーの権利に関する政策をめぐり、保守派勢力は「性別は出生時の染色体で決まる」とする見解を強調し、議論を呼び、米国ドナルド・トランプ大統領も、「性別は生物学的に男性と女性の2つだけだ」とする大統領令を出した。しかし、現実には、人間の性別は生物学的に見れば、男性と女性の2つだけではなくなりつつある。「新男性」が現れつつある現在、性の二元論自体が科学的に正しくなくなってきているのである。
 すでに米国CIAはこの状況をまとめて、トランプ大統領にブリーフィングを実施した。その時の彼のリアクションは、存外にシンプルだったという。「理解した」、それから言った「ところで今日は何月何日だ?」



|

« 政治献金と予算案国会 | トップページ | マリーヌ・ルペン有罪判決 »