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2025.03.13

英国で多発性硬化症治療薬クラドリビンが導入される

 2025年3月、英国の国民保健サービス(NHS)が多発性硬化症(MS)患者に大きな一歩を踏み出した。BBCの報道によれば、イングランドのNHSは、MS患者向けに「自宅で服用できる錠剤」クラドリビン(Cladribine)の提供を間もなく開始する(https://www.bbc.com/news/articles/czxnp0ej81vo)。これまで、注射や点滴のために定期的に病院に通う必要があった患者にとって、通院の負担がなくなり、生活の自由度が劇的に向上すると期待されている。
 クラドリビンは、再発寛解型MS(RRMS)や高度に活動的なMSに有効で、2年間で2コース(各年数日間、合計約20錠)を自宅で服用するだけで済む。薬の効果は数年間持続し、NICE(国立医療技術評価機構)は4月に最終指針を出す予定である。初年度から3年で約2000人が利用可能と見込まれ、NHSは欧州初の公的医療システムとしてこの治療を展開する。BBCが伝える、患者の一人、37歳のクレア・エルガーさんは「自宅で治療できたことで日々の生活を維持できた。多くの人にこの機会が広がるのは嬉しい」とのことだ。MSという病気のつらさが伝わる。
 私は、自著でも記したが、24年前にMSを発症し、現在67歳になる。現状では発作はまれか小規模で、寛解期が長くなりつつあるように感じている。それでもMSに関わって四半世紀たち、このニュースを聞うと、自分への適用以前に「日本でも使えるのか?」という疑問が湧く。MSは脳と脊髄に影響を及ぼす自己免疫疾患で、英国では15万人が、日本では約2万人が暮らしていると言われている。私は幸い発作が減ってきたが、生活にはいろいろ制限を感じてきた。

クラドリビンとは

 クラドリビンは、MS治療における革新的な薬とされている。プリンアナログという化学物質で、リンパ球(B細胞とT細胞)を選択的に減らす。MSでは、これらのリンパ球が暴走し、神経を覆うミエリンを攻撃する。ミエリンは水道管のような役割をしているが、これが壊れると神経伝達がうまくいかなくなる。神経が原因なので、身体各所に不都合が生じる。それで多発性と言われる。攻撃された神経は硬化する。私も実際にCTで自分の脳を見たとき、所々に白い硬化点があって、けっこう絶望感を感じたものだった。 クラドリビンはリンパ球のDNA合成を阻害し、その数を一時的に減らすことで免疫系を「リセット」する。この「免疫再構成療法(IRT)」により、再発を抑え、病気の進行を遅らせるという。臨床試験(CLARITY試験)では、再発率が58-67%減少し、MRIでの新病変が85-90%抑制されたとのこと。投与は2コース(1年目に数日、12か月後に数日)で、計20錠程度。これで3-4年は追加治療が不要になる。英国が採用した理由は、この高い効果と自宅投与の手軽さにある。
 全ての薬剤にはリスクがある。クラドリビンの副作用としては、リンパ球減少で感染症(特に帯状疱疹)のリスクが上がり、倦怠感、吐き気、頭痛が報告される。まれに二次性悪性腫瘍の懸念もあるが、因果関係は不明である。私は寛解期が長いので、副作用を冒す必要がないようには思う。
 他のMSの治療薬と比べるとどうだろうか。日本で使えるインターフェロンβは再発を30-34%減らすが、注射が必要で効果は穏やかである。フィンゴリモド(48-54%減少)やジメチルフマル酸(44-53%)は経口薬だが毎日服用が必要で、クラドリビンほどの強力さはない。アレムツズマブやオクレリズマブは強力だが点滴で通院が必須となる。クラドリビンは「短期間で長効果」という独自の魅力を持つが、日本では未承認で、自由診療なら1錠約34万円と高額である。この高額という点で、昨今の高額医療補助の問題も関わってくる。

クラドリビンの事情

 クラドリビンが使用されるのは英国だけではない。欧州連合(EU)では2017年にEMAが「高度に活動的な再発性MS」向けに承認し、80カ国以上で使われている。米国では2019年にFDAが承認し、再発寛解型と活動性二次進行型MSに適応が広がった。香港では2019-2021年に少数の患者で再発抑制が確認され、オーストラリアでは9年後の追加投与データもある。
 国による違いは、こう言ってはなんだが、興味深い。英国のNHSは公的保険でカバーし、患者負担を軽減。米国では保険交渉が必要で、自己負担が大きい場合もある。ドイツでは5年目以降の管理法(追加投与か他薬切り替え)が議論され、デンマークでは全国レジストリで安全性が追跡されている。クラドリビンは、高活動性MS患者に長期安定をもたらす選択肢として定着しつつある。
 薬剤という観点から補足すると、実はクラドリビンは元々がん治療薬だった。毛様細胞白血病では1993年に承認され、完全寛解率80-90%を誇る。MSへの転用は、その免疫抑制効果を活かしたものである。今後、他の自己免疫疾患やリンパ系腫瘍への応用が広がる可能性もある。

日本での多発性硬化症

 クラドリビンの海外先進国での普及は、日本の私にはうらやましく思う。MSという病気は個人差も大きく、再発が頻繁な人もいれば、寛解の長い人もいる。幸い今の私は後者にあるが、そうはいっても、最新のMS治療薬が自宅で使える選択肢として存在することは好ましいと思うのだ。患者の生活スタイルに合わせた治療の進化でもあるのに、と思う。日本ではこの恩恵を受けられない現実があるということだ。日本では、クラドリビンはMS治療薬として未承認である。保険適用の薬にはインターフェロンβ、グラチラマー酢酸塩、フィンゴリモド、ジメチルフマル酸などがあるが、クラドリビンは含まれない。自由診療で輸入可能だが、費用は膨大となる。国内での臨床データが乏しいということで医師も慎重という建前だ。日本では薬の承認に国内試験が必要だが、クラドリビンにはそれが不足しているというのだが、新型コロナの「ワクチン」ではそうでもなかった。
 残念ながら、MS患者数が約2万人と少なく、市場が小さいのが理由だろう。日本の治療方針は「安全性重視」で、インターフェロン(週1-3回注射、30-34%減少)やグラチラマー(毎日注射、29-34%減少)のような穏やかな薬が優先される。インターフェロンは「効かない」と感じる人もいる。フィンゴリモド(毎日経口、48-54%減少)やジメチルフマル酸(1日2回、44-53%減少)は効果が強いが、毎日飲む負担と副作用(紅潮、心拍低下)が気になる。
 私は42歳で発症し、25年経った今67歳。発作は、老化につれ、減りつつある。MSの経過は個人差が大きいが、一般的に発症後20-30年で再発が減り、二次進行型(SPMS)に移行する人も多いという。私はまだRRMSのままか、SPMSに移行しつつあるのか分からないが、加齢で免疫が弱まり、再発が減るのは自然な傾向ではあるだろう。統計では、60歳を超えると活動性が低下し、「燃え尽き」状態になる人もいる。私はこの経過に当てはまるのかもしれない。どんなに健康でも、人は死ぬ。どんなに健康でも、けっこうつらい病で死ぬ人も少なくない。そこまでなんとかたどり着くと、難病の意味も薄れはする。

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