« チャス・フリーマン大使の講演 | トップページ | ラリー・サンガーの回心 »

2025.03.09

ジーン・ハックマン夫妻の死

 ジーン・ハックマンというと、ハリウッドのタフな男役で有名だった。『フレンチ・コネクション』(1971)で麻薬組織を追い詰める刑事ポパイを演じアカデミー賞を獲得、『許されざる者』(1992)では老いた悪役としてクリント・イーストウッドと火花を散らした。スクリーンでは強さと知恵を兼ね備えた彼だが、2025年2月、95歳で逝った。95歳なら長生きで天寿の部類となりそうなものだが、それとは正反対のような事件となった。妻ベッツィ・アラカワ(65歳)とニューメキシコ州サンタフェの自宅で、愛犬と共に遺体として発見されたのだ。全米が騒然となった。
 CNNは「巨星が静かに消えた」と速報し、𝕏(Twitter)では「こんな最期なんて信じられない」と往年のファンは呟いた。しかし、話題はむしろこの異様な事態に集まった。彼ら、30歳の年の差、二人の病、孤立した暮らし、この死が注目されたのは、ハックマンがスターだったせいもあるが、高齢化社会で増える年の差夫婦や、痴呆症を抱えたパートナーとの生活の現実もまたが、そこに映し出されていたからだ。
 さて、とはいえ、現代、ジーン・ハックマンを知らない人もいるかもしれない。彼は16歳で海兵隊に入り、30歳を過ぎて俳優を志した遅咲きの才能である。2004年に俳優業を引退した。妻、ベッツィはハワイ出身のピアニストで、1991年に結婚。名前から察するに日系ではないだろうか。ハックマン引退後、夫妻はサンタフェの静かな土地で犬たちと暮らした。インタビューを拒み、公の場から遠ざかる彼の選択は、映画の喧騒からの逃避だったのかもしれない。だが、その静けさが、最終的にこの事態を整えたのかもしれない。

痴呆症と重病の連鎖

 2025年2月26日午後、サンタフェの自宅に異変を感じた近隣住民が緊急通報番号911に通報した。警察が到着すると、玄関は開け放たれ、暖房がフル稼働する家の中は異様な静寂に包まれていた。ジーン・ハックマンは玄関近くの床に倒れ、グレーのジャージ姿で杖とサングラスがそばに落ちていた。95歳の彼は、まるで外に出ようとしたまま力尽きたようだ。そして、浴室ではベッツィ・アラカワが横たわり、周囲に錠剤が散乱し、小型暖房機が転がっていた。3匹の愛犬のうち1匹は死に、2匹は衰弱しながら生き延びていた。暖房の熱と、誰もいない家の重い空気が、不気味に混じり合っていた。世間が騒然とするのも理解できる。
 当初、メディアは「一酸化炭素中毒か」「ガス漏れか」と報じ、𝕏では「妻が夫を毒殺?」「薬物絡み?」と各種の憶測が飛び交った。だが、3月7日の検視当局の会見で、静かで残酷な真相が明らかになった。ベッツィはハンタウイルス肺症候群(ネズミの排泄物から感染する稀で致死的な病気)で2月11日頃に亡くなったと見られる。サンタフェのような田舎ではリスクがある病気だが、彼女の遺体はミイラ化が進み、死後時間が経過していた。そしてジーン・ハックマンはすでに重度のアルツハイマー病を患っていたためだろう、妻が浴室で倒れた時、彼にはそれが理解できなかった。彼女の異変に気づかず、助けを呼ぶことも、食事や水を取ることも忘れ、ただ家の中を彷徨ったものと思われる。ペースメーカーの記録は2月17日で止まり、彼もその頃に衰弱死したと推定された。発見までの9日間、誰も彼らを訪ねなかった。
 痴呆症がこの悲劇を複雑にしたのだろう。ベッツィが死に、ジーン・ハックマンは妻のいない家で何を思っただろうか。そもそも「妻がいない」と気づけたのかすら怪しい。アルツハイマーは記憶だけでなく、現実を把握する力を奪う。彼にとって、ベッツィの死は「起こった出来事」ではなく、ただの空白だったのかもしれない。杖とサングラスを手に玄関に倒れていたのは、助けを求めようとしたのではなく、毎日の習慣で外に出ようとしたのか、わからない。だが、その無力さが、痴呆症のパートナーを持つ現実とも言える。

痴呆症の重荷

 ジーン・ハックマン夫妻の事件を知るほどに、その経緯は、年の差夫婦や高齢夫婦の脆さ、そして痴呆症のパートナーがいることの重荷を浮き彫りにする。ジーン95歳、ベッツィ65歳。30年の年の差は、若い頃はロマンチックかもしれないが、老いて病が重なれば致命的な溝になる。ベッツィはまだ「若く」、何かあれば助けを呼べるはずだったが、ハンタウイルスという予想外の重病が彼女を先に奪い、ジーンはアルツハイマーで現実を見失っていた。二人暮らしが安全だという幻想は、ここで崩れる。痴呆症のパートナーがいる生活は、想像以上に過酷なのだ。アルツハイマーは単に「物忘れが多い」病気ではなく、パートナーが倒れても、それが異常だと認識できないことがある。電話の使い方を忘れ、近所に助けを求める発想すら浮かばない。ハックマンはかつて、スクリーンで機転を利かせて危機を切り抜けた男だった。だが、現実の彼は、妻の死を前にただ立ち尽くすしかなかったのだろう。パートナーが痴呆症なら、もう一人が健康でも、その負担は計り知れない。ベッツィが生きていれば、ジーンの世話をしながら生活を回せたかもしれないが、彼女が先に倒れた。
 日本でも、状況は似ている。厚生労働省によると、2025年の65歳以上夫婦世帯は約600万で、年の差10歳以上のカップルも少ないとは言えない。米国では、アルツハイマー協会のデータで2025年に約700万人がこの病気を抱えると予測される。パートナーの一人が痴呆症なら、もう一人が介護者になることが多い。そして、その介護者が病気になったらどうなるか。ハックマン夫妻のように、近隣との交流が薄く、子供もいないとなると、助けはどこにもない。都会なら近所付き合いが希薄だし、田舎なら病院が遠い。二人だけの老後の世界は、一見穏やかに見えて、実は脆い綱渡りだ。
 ハックマン夫妻の死は、高齢夫婦が二人だけで生き抜く限界、そして痴呆症のパートナーがいる現実を知らせる。全米が騒いだこの事件は、ゴシップで終わる話ではなく、私たちへの警鐘でもある。年の差があろうと、アルツハイマーと重病が重なれば、支え合いは絵空事に終わる。20年以上、公の場から退いたハックマンは、静けさを求めた。だが、その静けさが二人を孤立させ、病と痴呆症に飲み込まれる隙を作った。彼らの家に近隣の目が届かず、家族の声が聞こえず、犬たちしか寄り添えなかった。ハックマンのように、妻の死に気づけないまま衰弱するケースは極端かもしれないが、いや、今後はありがちな事例となっていくだろう。
 今回の事態、サンタフェの近隣住民は「彼らがそんな状態とは知らなかった」と語ったが、普段から顔を合わせていれば、異変に気づけたかもしれない。日本では「地域包括ケア」が進むが、実態を知る人はそれが不十分であることも知っている。テクノロジーも頼りになるとされるがどうか。センサーで異変を検知し、家族や自治体に通知するシステム、遠隔で健康をチェックするアプリがある。そうした仕組みに依存するしかないのだろうか。





|

« チャス・フリーマン大使の講演 | トップページ | ラリー・サンガーの回心 »