耐性菌への新兵器となるか?
20世紀後半に医学のシーンを変革した抗生物質だが、もはや万能ではない。薬剤耐性菌、通称「スーパーバグ」が世界中で猛威を振るい、年間100万人以上がその犠牲となっている。緑膿菌(Pseudomonas aeruginosa)は、重篤な肺炎や敗血症を引き起こし、多くの抗生物質を無力化する。こうした、抗生物質が逆説的に生み出した脅威に、私たちの身体が自然に秘めた防御策が応えるかもしれない。イスラエルのワイツマン科学研究所が『Nature』で発表した研究によれば(参照)、細胞内の「プロテアソーム」が、耐性菌と戦う新たな武器を生み出していることがわかった。
プロテアソームの隠された力
プロテアソームは、細胞内で古くなったタンパク質を分解し、再利用可能な断片に変える、いわば「リサイクル工場」であり、これまで、その断片(ペプチド)は主に免疫システムに危険を知らせる役割を担うとされてきた。しかし、この研究は、プロテアソームがもう一つの顔を持つことを明らかにした。それは、耐性菌の膜を直接破壊する「プロテアソーム由来防御ペプチド(PDDP)」を生み出す力である。
PDDPは、プラス電荷を持つ小さな分子で、細菌のマイナス電荷の膜に引き寄せられ、細胞に穴を開けて殺す。実験では、緑膿菌のような強力な耐性菌に対しても、マウスの感染モデルでは顕著な効果を示した。肺や脾臓での細菌数を減らし、組織のダメージを抑えるその力は、既存の抗生物質トブラマイシンに匹敵するようだ。プロテアソームが、単なる掃除役を超えて、危機に立ち向かう戦士となる仕組みである。
感染に反応する知的なスイッチ
興味深いのは、PDDPが普段から微量に存在しつつ、細菌の侵入を感知すると急激に増えている点だ。この切り替えを司るのが「PSME3」というプロテアソームの補助部品である。細菌が細胞に近づくと、PSME3がプロテアソームに結合し、分解のパターンを変える。すると、抗菌効果の高いプラス電荷のペプチドが優先的に作られるようになる。
研究者たちはこれを確かめるために、PSME3を取り除いた細胞で実験を行った。結果は、想定通りだった。サルモネラ菌のような細菌が容易に増殖し、防御が破られたが、PSME3が機能する細胞では、細菌の侵入を効果的に抑えた。この反応は、耐性菌が猛威を振るう前に、体内で迅速に立ち上がる防御線と言えるだろう。危機に適応するこの知的な仕組みは、私たちの身体の驚くべき柔軟性を示している。
この発見は、他面、免疫学の常識を覆す一歩ともいえる。プロテアソームは、これまで「適応免疫」の支援役と見なされてきたが、「自然免疫」の主役としての役割も担うことがわかったからだ。進化という観点からも興味深い。PSME3は、適応免疫が発達する以前の古い仕組みに由来し、耐性菌との戦いが人類の歴史に刻まれた原始的な防御策である可能性を示唆している。
耐性菌との戦いに光明を
耐性菌が現代の医療を脅かす背景には、いたちごっこのように抗生物質の開発が追いつかない現実がある。緑膿菌だけでなく、MRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)や多剤耐性結核菌など、治療が困難な細菌が次々と現れている。そんな中で、PDDPは新たな可能性として期待される。研究チームは、人間の全タンパク質を解析し、プロテアソームが数十万ものPDDPを生み出せることを予測した。その中には、緑膿菌を退治した実績を持つペプチドも含まれている。
さらに、PDDPが体内で自然に生成される物質である点は大きい。合成抗生物質と異なり、免疫系が過剰反応するリスクが低い可能性がある(過剰反応は危険である)。マウス実験では、肺炎や敗血症の症状が軽減し、生存率が向上した。しかし、当然ともいえるが、医薬品としての実用化にはまだ課題が残る。ペプチドの安定性や生産コスト、他の耐性菌への効果検証など、乗り越えるべき壁は多い。そもそも抗生物質活用のきっかけとなったペニシリンもその発見の製造とでのは時間の遅れがあったものだ。基礎研究と応用の壁は厚い。PDDPが薬剤として薬局に並ぶには、さらなる研究と時間が必要だ。どの耐性菌に効くのか、体内でどれだけ持続するのか、答えを待つべき問いも多い。
しかし、この研究は、私たちの体が秘めた可能性を教えてくれる。耐性菌という現代の敵に対し、細胞一つ一つが小さな戦場となり得るのだ。次に病院を訪れるとき、プロテアソームが静かに戦っている姿を思い浮かべると、少し心強く感じられるかもしれない。
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