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2025.03.26

JFK暗殺文書の真相はポンコツ調査が導いたポンコツ結論

 2025年3月18日、アメリカ国立公文書館がジョン・F・ケネディ(JFK)元大統領暗殺事件に関する機密文書約63,400ページを公開した。これらの文書は、1992年の法律に基づき25年間の公開期限が設けられ、トランプ大統領の命令によってようやく日の目を見たものである。しかし、私はこれらの文書をAIで分析し、公式見解である「リー・ハーヴェイ・オズワルドが単独犯である」という結論について考えた結果、この見解が真相を反映しているとは到底思えない、と理解した。むしろ、調査そのものがあまりにも不十分で「ポンコツ」だったからこそ、こんな「ポンコツな結論」しか出せなかっただけだと考える。

公開された文書の内容は真相とは程遠い断片情報

 まず、公開された文書の内容を振り返る。文書からは、CIAが1963年9月にメキシコシティのキューバおよびソビエト大使館でオズワルドの電話通信を監視していたことが明らかになった。また、暗殺直後にメキシコからハバナへ単独で飛行機に乗ったキューバ系アメリカ人の情報も含まれていた。この人物は「キューバのための公正な遊戯委員会」のタンパ支部の集会に出席しており、オズワルドと関連がある可能性が示唆されている。さらに、KGBの亡命者ユーリ・ノセンコがオズワルドに関する情報を提供し、KGBがオズワルドをリクルートしたり、暗殺のために訓練したりしなかったと主張していることも記載されている(104-10211-10001)。
 これらの情報は、一見すると興味深い。しかし、よく考えてみれば、これらがJFK暗殺の真相に直接結びつくものではないことは明らかである。CIAがオズワルドの通信を監視していた事実は、彼がソビエトやキューバと接触していたことを示すに過ぎない。キューバ系アメリカ人の旅行情報も、暗殺への関与を示す具体的な証拠には欠ける。ノセンコの証言に至っては、彼のポリグラフ検査で「オズワルドのケースをケネディ暗殺前に知っていたか」という質問に反応を示しており(104-10211-10001)、彼の主張に矛盾や疑念が残る。結局、これらの文書は調査の断片的な情報を提供するだけで、真相を明らかにするものではない。

公式見解の根拠はポンコツ調査の産物

 公式見解である「オズワルドが単独犯である」という結論は、ウォーレン委員会の報告に基づいている。しかし、この報告がどれほど杜撰な調査の上に成り立っているかを考えれば、その結論が真相を反映しているとは到底思えない。公開された文書を見ても、調査の不十分さが随所に垣間見える。例えば、ノセンコのポリグラフ検査では、彼が「KGBからオズワルドについて特別な指示を受けたか」や「ケネディ暗殺前にオズワルドのケースを知っていたか」という質問に反応を示している(104-10211-10001)。これらの反応は、ノセンコの証言に疑念を投げかけるものだが、ウォーレン委員会はこの点を深く追及していない。
 また、ノセンコの亡命自体が、ソビエトが自らの関与を否定するために仕組んだものではないかという仮説も文書に記載されている(104-10210-10009)。しかし、この仮説は「ノセンコのキャリアから見て、彼がそのような機密情報にアクセスできたとは考えにくい」として退けられている。こんな杜撰な分析で、ソビエトの関与を否定できるはずがない。ノセンコの証言が本物かどうかを検証するためには、もっと徹底した調査が必要だったはずである。
 さらに、CIAのデビッド・マーフィーによるノセンコの尋問に関する証言も問題を浮き彫りにする。マーフィーは、ノセンコが1964年から1967年まで独房に収容され、敵対的な尋問を受けたことを認めている(104-10332-10009)。ノセンコは「CIAに薬物を投与されたため、証言が不正確だった」と主張しているが、この点についても十分な検証がなされていない。こんな状況で得られた証言を基に、「オズワルドが単独犯である」と結論付けるのは、あまりにも無責任である。

調査の「ポンコツさ」が導いた結論

 ウォーレン委員会の調査がどれほど不十分だったかを考えれば、「オズワルドが単独犯である」という結論がポンコツな調査の産物であることは明らかである。例えば、ジャック・ルビーがオズワルドを射殺した事件についても、文書ではルビーの組織犯罪とのつながりが指摘されている(104-10332-10009)。しかし、専門家のジェラルド・ポズナーは、ルビーが組織犯罪の指示で動いたという証拠はないとし、「ルビーは単独で行動した」と結論付けている。この結論もまた、ウォーレン委員会がルビーの犯罪組織との関係を十分に調査しなかった結果である。もしルビーが組織犯罪の指示でオズワルドを殺害したのであれば、暗殺の背後に大きな陰謀が存在する可能性がある。しかし、ウォーレン委員会はこの点を深く掘り下げなかった。
 また、オズワルドがソビエトで生活していた期間についても、調査の不十分さが際立つ。オズワルドは1959年にソビエトに亡命し、ミンスクで生活していた。文書によると、KGBはオズワルドを「異常」と見なし、積極的な関与を避けていたとされる(104-10211-10001)。しかし、ノセンコの証言には矛盾があり、彼が「オズワルドのケースをケネディ暗殺前に知っていたか」という質問に反応を示している点は無視できない。KGBがオズワルドを全く利用しなかったという結論は、ノセンコの証言だけを根拠にしており、あまりにも安易である。もっと徹底した調査が行われていれば、KGBの関与の可能性を排除できたかもしれないが、ウォーレン委員会はその努力を怠った。

真相とは無関係な文書に過剰な期待と「馬鹿騒ぎ」

 公開された文書が真相とほとんど関係がないという私の見解は、文書の内容そのものからも裏付けられる。文書には、CIAのメキシコシティでのファイル管理や技術的運用の詳細が含まれているが、これらは暗殺事件そのものとは直接的な関連がない。むしろ、CIAの内部的な運用方法や、当時の情報収集活動のプロセスを示す資料に過ぎない。また、オズワルドの通信内容や行動に関する情報も、すでに知られている事実を補強する程度のものであり、公式見解を覆すようなものではない。
 この点で、JFK暗殺文書に対する過剰な期待が、今回の「馬鹿騒ぎ」をさらに助長したと言える。多くの人々が、「機密文書が公開されれば、ついに真相が明らかになる」と期待した。しかし、実際には、文書の内容は調査の背景情報を補足するものでしかなく、真相を根本的に変えるような証拠は含まれていなかった。このギャップが、さらなる憶測や失望を生み、陰謀論を信じる人々の間で「まだ隠されている何かがある」とする声が高まる結果となった。

公式見解が真相でない理由

 私が「オズワルドが単独犯であるとする公式見解を覆すような決定的な証拠は含まれていない」という主張に同意しない理由は、単純である。こんなポンコツな調査では、ポンコツな結論しか出せないからである。ウォーレン委員会の調査は、ノセンコの証言の矛盾を無視し、ルビーの犯罪組織との関係を深く掘り下げず、KGBやCIAの関与の可能性を十分に検証しなかった。その結果、「オズワルドが単独犯である」という結論に至ったに過ぎない。この結論が現状覆せないからといって、それが事件の真相を反映しているとは限らない。例えば、ノセンコのポリグラフ検査で示された反応は、彼の証言に疑念を投げかける重要な手がかりである。もしKGBがオズワルドを利用していた可能性があるなら、暗殺の背後に大きな陰謀が存在するかもしれない。しかし、ウォーレン委員会はこの点を軽視し、ノセンコの証言を額面通りに受け入れた。こんな調査で得られた結論が、真相を反映しているはずがない。

真相は依然として闇の中

 以上を踏まえ、私は次のように結論する。JFK暗殺文書は、事件の真相とはほとんど関係がない。公開された内容は、調査の背景情報を補足するものであり、オズワルドが単独犯であるとする公式見解を覆すような決定的な証拠は含まれていない。しかし、この公式見解が真相を反映しているとは限らない。ウォーレン委員会の調査があまりにも不十分だったからこそ、不十分な結論しか出せなかっただけである。
 JFK暗殺事件は、歴史的な出来事として今後も議論され続けるだろう。真相がわからないからだ。そして今回の文書公開からは、真相に迫る新たな手がかりも得られなかった。調査の不十分さが改めて浮き彫りになっただけである。真相は依然として闇の中にあり、この文書ではそれをそもそも明らかにすることはできない。つまり、それだけのことを迂回して、真相追求のチャンスを逸してきたのである。

 

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