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2025.03.25

多くの男児が電車を好きになるのはなぜ?

  子どもを見ていると、不思議なことがたくさんある。特に男の子が、誰も教えていないのに電車や車に夢中になる姿は、素朴な疑問を呼び起こす。今日、𝕏(Twitter)でこういうポストを見かけた。「多くの男児が教えてもいないのに電車や車を好きになるのはなぜだろうか? 電車も車も男児のために発明されたわけではないのに」。確かに、保育園や公園で、男の子がミニカーを手に持って「ブーン」とか言って走らせたり、自動車や電車のおもちゃをじっと見つめたりする姿はよく見かける。そもそも私自身そういう子どもだった(私の子どもはそれほどでもなかったが)。他方、女の子が人形遊びをする姿も多いといいだろう。これって生まれつきのものなのだろうか。それとも、ある種文化的な学習の結果なのだろうか。
 この疑問は、子育て中の親と限らず誰もが一度は感じたことがあるだろう。電車や車は実用的な乗り物であって、男児向けのおもちゃとして作られたわけではない。それなのに、なぜか男の子のほうがより惹かれるようだ。そこには何か理由があるのだろう。そんな素朴な問いを頭に浮かべ調べてみると、それに部分的に答えてくれる研究を見つけた。今回はその研究を紹介しつつ、この不思議な現象について考えてみたい。

乳児の好みを科学的に探った研究

 その研究は、少し古くなるが、2010年に『Archives of Sexual Behavior』という学術誌に掲載された「Infants' Preferences for Toys, Colors, and Shapes: Sex Differences and Similarities(乳児のおもちゃ、色、形に対する好み:性差と類似性)」である。イギリスのケンブリッジ大学の研究者、Vasanti Jadva、Melissa Hines、Susan Golombokが中心となって行ったもので、12か月、18か月、24か月の乳児120人を対象にしている。具体的には、各年齢層で男の子20人、女の子20人、合計60人の男児と60人の女児が参加した。
 この研究の目的は、乳児が性別によっておもちゃ、色、形に異なる好みを示すのかを調べることだ。特に、「男の子は車を、女の子は人形を好むのか」「男の子は青を、女の子はピンクを好むのか」「男の子は角張った形を、女の子は丸い形を好むのか」といった仮説を検証した。さらに、これらの好みがいつから現れるのか、色や形がどれくらい影響するのかも探っている。
 方法は「優先注視課題」というもので、乳児に2つの画像を同時に見せ、どちらを長く見るかをビデオで記録する。乳児はまだ言葉で好みを伝えられないため、視線の動きで「何が好きか」を判断するのだ。実験はロンドンのシティ大学で行われ、親が乳児を抱っこして暗い部屋でスクリーンを見る形で行われた。見せたものは以下の通りだ。

  • おもちゃ:人形(女の子向けとされる)と車(男の子向けとされる)を用意。色はピンク、青、赤、薄い青の4種類で、たとえば「ピンクの人形と青い車」「青い人形とピンクの車」など、さまざまな組み合わせで提示した。色の明るさも調整し、影響を詳しく調べた。
  • :ピンクと青、赤と薄い青など、単独で色の好みもテスト。たとえば、「ピンク vs 青」や「赤 vs 薄い青」といった対比だ。
  • :丸い形(円や丸い三角)と角張った形(四角や三角)を白黒で表示し、どちらに注目するかを確認した。

データはビデオをフレーム単位で分析し、乳児が各画像を何秒見たかを計算。たとえば、5秒間見せた場合、片方を3秒見れば60%となり、その方が好まれると解釈する。この方法で、性別や年齢ごとの好みの違いを統計的に分析した。
 もちろん、研究の背景には、性差の起源を理解したいという意図がある。好みが「生まれつき(生物学的要因)」なのか「社会化(育てられ方)」によるものなのかを見極める手がかりを得るためだ。たとえば、胎児期の男性ホルモン(テストステロン)が影響するのか、それとも親が与えるおもちゃや環境が影響するのか。この研究は、そんな大きな問いにもつながっている。

 では、この研究で何がわかったのか。具体的な結果と限界を整理しておきたい。

おもちゃの好み:性差と年齢の変化

 まず、おもちゃの好みには明確な性差が見られた。女の子は人形を、男の子は車を長く見る傾向があった。特に色の明るさを調整した組み合わせ(例:赤い人形 vs 青い車)でこの違いが顕著だった。注目すべきは、この性差が12~24か月の乳児で既に現れている点だ。つまり、言葉で性別役割を教えられる前の段階で、男の子が車に惹かれる傾向がある。ただし、年齢による変化も興味深い。12か月の男の子と女の子の両方が、人形を車より好んだ。しかし、18か月、24か月と成長するにつれて、女の子は人形への好みを維持し、男の子は車にシフトしていった。たとえば、12か月の男の子は人形を57.2%の割合で見ていたが、24か月では47.9%に減り、車が52.1%に増えた(表3参照)。この変化は、男の子の「人形を避ける」傾向が後から出てくることを示している。

色と形:性差なし、共通の好み

 色と形の好みには性差がなかった。男の子が青を、女の子がピンクを好むという予想に反し、両者とも赤っぽい色(ピンクや赤)を青っぽい色(青や薄い青)より長く見た。たとえば、赤 vs 薄い青では、全体で60.15%が赤に注目し、統計的にも有意な差があった(表5)。形も同様で、丸い形(円や丸い三角)が角張った形(四角や三角)より好まれた。丸い形への注目度は57.44%で、角張った形の42.57%を上回った。これは、乳児期には「ピンク=女の子」「青=男の子」というイメージがないことを意味する。色の好みが性別に関係なく赤に偏るのは、赤が目立つ色だからかもしれない。また、丸い形が好まれるのは、安心感や温かさを感じるからという仮説も立てられている。

なぜ男の子は車を好きになるのか?

 さて、本題ともいえる問題に迫ろう。この結果から、男の子が車を好む理由に迫れるだろうか。研究者は、胎児期のテストステロンが脳に影響を与え、動きのあるもの(車や電車)に興味を持つ傾向を生み出す可能性を指摘してはいる。実際、先天性副腎過形成症(CAH)という病気でテストステロンに多くさらされた女児が、男の子らしいおもちゃを好むという研究とも一致する。また、サルの実験でも、オスが車のようなおもちゃに興味を示した。つまり、男の子の「車好き」は、生物学的な性差が関与している可能性は高そうだ。
 しかし、研究で示された、12か月の男の子が人形を好むという点は注意したい。成長とともに自動車への好みが変わるのは、親が「男の子には車を」と与えたり、社会が「男らしいおもちゃ」を押し付けたりする影響かもしれない。たとえば、研究では、1歳の父親が男児に人形を渡すことが少ないと報告されている。このように、生物学的な傾向がベースにあっても、社会化がそれを強化するのだろう。

どこまで答えられたか?

 この研究はそれなりに多くのことを明らかにしたが、限界もある。第一に、視線で好みを測る方法は、実際におもちゃで遊ぶ場面とは異なる。見る時間が長い=好きとは限らないかもしれない。第二に、サンプルはロンドンの乳児120人で、文化や環境が異なる地域では結果が変わる可能性がある。たとえば、車や電車が身近でない文化では、別の好みが出るかもしれない。第三に、個人差が考慮されていない。すべての男の子が車を好きなわけではなく、女の子でも車に夢中な子はいる。この研究は「平均的な傾向」を示すにすぎない。最後に、12~24か月の範囲を超えた変化は追っていない。色や形の性差がいつから現れるのか、さらなる追跡が必要だ。
 さて、この研究をどう受け止めたらいいのだろうか。男児が電車や車を好きになる理由について考えてみたい。まず、生物学的な要因がありそうだ。誰も教えていないのに、男の子がミニカーを手に持って走らせる姿は、本能的な何かを感じさせる。研究が示すように、テストステロンが動きや機械に反応する脳を作っているなら、「車好き」は人間の進化に関係するのかもしれない。たとえば、狩猟時代に動く獲物を追う役割が男性に多かったことを考えると、動きに惹かれる傾向が残っている可能性もある。
 社会化の影響も無視できない。12か月の男の子が人形を好んでいたのに、24か月で車に変わるのは、周囲の期待が働いている可能性を伺わせる。親が無意識に「男の子には車を」と与えたり、テレビや絵本で「男の子=乗り物」というイメージを見せたりするうちに、好みが形作られていくことはありうる。
 さて、こうした好みに生まれつきの傾向があるとしても、当然ながら、それがすべてではない。女の子が車を好きでも、男の子が人形を好きでも、何の問題もない。研究が示すように、乳児期には色や形に性差がないのだから、子どもが自由に好きなものを選べる環境を作るのが理想かもしれない。性別に縛られないおもちゃの選択肢が増えれば、子どもたちの個性がもっと伸びるかもしれない。

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2025.03.24

60代からの園芸ライフ

 ブログも長くやっている。25年もやっていると自分も老人になった。そんな話でも。
 62歳を過ぎたあたりから、自然に園芸を趣味に加えた。気がつくと趣味の一つになっていたというか。60歳をすぎると年月の流れはさらに早くなるので、かれこれ数年になるが、振り返ってみると、あっという間であった。園芸と言っても大したことをしているわけではない。単に園芸店に行ってその季節に綺麗な花を買ってくる程度のことから始めた。最初は、テーブルや棚に切り花を飾ろうと考えていたのだが、それはそれで良いものの、どうせなら根がついてもいいかと思い、花瓶の代わりに鉢花を買った。ところが、土のあるものは室内に飾るのには向かず、屋外に置いていたのだが、置き場が広くなったぶん、鉢が増えることになった。
 園芸店に行くことも増えた。行くと、すでに咲いた綺麗な花がたくさん売られているのを見る。色とりどりの花々が並ぶ光景は、それだけでも心が和む。おすすめは、大型店である。
 当初私は、園芸店で咲いている花を買って帰ればいいという感覚であったが、やっていくうちに、鉢花というのは花が咲いていることだけが重要なのではなく、花が咲くまでのプロセスがとても楽しいことに気づく。園芸をやっているとそうなものであるようだ。芽が出て、少しずつ大きくなり、つぼみをつけ、やがて花開く瞬間を待つ。その過程全体が園芸の醍醐味なのだと実感するようになったわけである。このあたりは、老人にぐっとくるところである。

朝顔もいろいろ
 園芸を趣味にして、園芸店をよく見て回るようになると、公園とか庭先で綺麗に咲いている花でも、意外と園芸店で売っていない花もあるものだなと気づく。全く売っていないわけではないのだが、例えば朝顔がその典型である。咲いている時間が午前だけということもあってか、園芸店ではほとんど花を見かけない。代わりに園芸店では朝顔の種をいろいろと売っている。小学校の頃にほとんどの人が経験したであろう種から育てるタイプのものである。私も子供の頃にやったことがある。そういえば、朝顔の種に穴を開けておくと発芽した双葉に穴がつく。今の子どもたちはそんなことはしないのであろうが。
 朝顔がまったく売ってないわけではない。朝顔市とかでは「行灯仕立て」で売っている。行灯仕立ては、竹や木の棒を円錐形に組んで、そこに朝顔のつるを絡ませて育てる伝統的な方法である。花が全体に咲くと、まるで行灯(あんどん)のような形になることからその名がついている。園芸店では見かけたことがない。一般的な朝顔は種から育てればよいので行灯仕立てもやってみるといいであろう。やり方とかは探すとわかるものである。そして実際にやってみると、面白いものである。
 朝顔というと私も当初小学生的なイメージのままであったが、いろいろ種類がある。「つばめ朝顔」という小さな花で、しだれかかるようなのも私のお気に入りである。つばめ朝顔は、花びらの端が深く切れ込んでいるので、名前の由来は、ツバメの尾のように見えるからであろうか。花の直径は3〜4cm程度と小振りである。これがいいのである。一株から多くの花を咲かせ、下向きに花を咲かせるため、吊り鉢などに植えると枝垂れるように花が咲く。風情がある。朝の柔らかな日差しの中で揺れる姿は、まるで小さなツバメが舞っているかのようである。ただ、満開になるのは、秋かな。
 フランス産の朝顔などは、種ではなくて、苗で売っている。おそらくライセンスの問題かもしれない。はっきりとはわからない。特に「桔梗咲き」という種類はとても美しいのだが入手は難しい。桔梗咲きの朝顔は、一重咲きの朝顔と違って、花びらが星の形をして、まるで桔梗の花のように華やかな印象を与える。他に江戸風情の朝顔もある。江戸時代は朝顔の時代ともいえるので、探すといろいろな園芸種があるにはある。江戸の朝顔を知るというのもけっこう楽しい。
 季節が戻るが、春の季節の鉢花はビオラである。園芸的には秋から冬に始まる。ビオラは地植えなどもでき様々な楽しみ方がある。パンジーの仲間だが、パンジーよりも花が小さく、花付きが良いのが特徴である。寒さに強く、秋から春にかけて長く楽しめる。ビオラとパンジーの違いは、主に花の大きさとデザインで、植物的な違いはないというが、育てているとけっこう違う。パンジーは切り戻しして戻りがやや遅い。ビオラは直径が2.5〜5cm程度と小さめで、パンジーは5〜10cm程度と大きい。ビオラは「コーデリアル」「ソルベ」「アンティーク」など様々な系統があり、それぞれ花の形や色合いが異なる。特に近年は、花びらの縁がフリルのように波打つ「フリンジ」タイプや、花の色が季節や気温によって変化する「カラーチェンジ」タイプなど、個性的な品種が増えている。「ドラキュラ」も人気である。
 花を育てるのが楽しいという点では、球根植物も魅力的である。秋に植えておくと春になって花が咲く。この春を待つという感じがとても嬉しくなる。寒い時期にムクムクと芽が出てきて「これから咲くのだな」という期待感はとても楽しいものである。チューリップは最も親しまれている球根植物の一つで、その種類は実に豊富である。シンプルな一重咲きの「シングル」タイプから、花びらが波打つ「パロット」タイプ(オウムの羽根みたい)、牡丹のように花びらが重なる「ダブル」タイプまで、形も様々である。色も赤や黄色、ピンクといった単色だけでなく、縁取りやストライプ、グラデーションなど多彩なものがある。
 ムスカリは名前のとおり、ムスク(麝香)のような芳香がある。屈んで嗅いでみるといい。変わった別名で「葡萄風信子(ブドウヒヤシンス)」とも呼ばれ、小さな鈴なりの青い花が特徴的である。一般的な青紫色の他にも、白や淡いピンク、濃い紫など様々な色がある。小さな花だが、群植すると一面のブルーの絨毯のようになり、チューリップと一緒に植えると色のコントラストが美しく映える。他にも早春を告げるクロッカスや、ユリのような華やかな花を咲かせるフリチラリア、香り高いヒヤシンスなど、球根植物は種類が豊富で、植える時期や咲く季節を考えながら組み合わせると、長い期間花を楽しむことができる。

キケロの知恵
 趣味で園芸をやっていると、一般的な花の季節より1〜2ヶ月早く植え始めることになる。例えば、3月末になると園芸店ではビオラの季節は終わりに近づいてくる。ではこの季節、園芸店では次に何が旬かと言うと、ペチュニアであった。ペチュニアはナス科の植物で、南米原産の一年草である。trumpet(トランペット)を意味するポルトガル語の「petun」に由来する名前を持ち、その名の通り、トランペットのような形をした花を咲かせる。花の大きさは品種によって異なるが、一般的に5〜8cm程度の大きさである。色は白、ピンク、赤、紫、青、黄色など豊富で、単色だけでなく、絞りや縁取りのある品種も人気がある。ペチュニアの特徴は、一度花が咲くと次々と新しい花を咲かせ続け、初夏から秋まで長く楽しめることである。また、枝垂れるように成長するので、ハンギングバスケットや寄せ植えにも適している。余談だが、ハリーポッターの主人公の叔母の名前がペチュニアであった。主人公ハリーの母親リリーの姉で、魔法の才能がなく、魔法使いのハリーに対して冷たい態度を取るキャラクターとして描かれている。リリー(百合)もペチュニアも花の名前なので、作者のJ.K.ローリングは意図的に花にちなんだ名前を選んだのかもしれない。
 先日園芸店に行くと、今はペチュニアの苗がたくさんできていた。園芸店によって品揃えは異なるが、「PW」というブランドのペチュニアがたくさん置かれていた。園芸を続けていくと、花のブランドについても詳しくなる。サントリーも園芸ブランドを展開していて、なかなか凄い。ブランドの花は一般的な花と違い、シンプルでありながらも凝った品種が多く、「今年の花」などといった新品種も出てくる。ちなみに「PW」とは「Proven Winners(プルーヴン・ウィナーズ)」の略で、アメリカの園芸ブランドである。このブランドの特徴は、世界中から厳選された品種を、長期間にわたる試験栽培を経て商品化している点である。PWのペチュニアは、花つきが良く、雨に強い、病気に強いなどの特性を持っているとのこと。特に「スーパーチュニア」シリーズは、従来のペチュニアよりも成長が旺盛で、剪定の必要がほとんどなく、雨でダメージを受けにくいという利点がある。また、サントリーが園芸事業に参入しているのは意外に思えるかもしれないが、実はサントリーフラワーズという会社を設立し、1989年から花の品種改良と販売を行っている。サントリーブルーローズ「アプローズ」や、マーガレットの「サンリップス」シリーズなど、独自性の高い品種を多数開発している。特に青いカーネーション「ムーンダスト」は、遺伝子組み換え技術を使わずに、花弁に青い色素を吸収させる技術で作られた画期的な品種として知られている。飲料メーカーがなぜ花の事業に進出したのか不思議に思うが、これは「水と太陽と自然の恵み」を企業理念としているサントリーの多角化戦略の一環なのだろうか。
 ペチュニアは私も以前育てたことがあり、それほど難しくないのだが、仕立ては難しい。そこが面白いところともいえるがビオラも同様で、手のひらサイズの小さな苗を購入すると、やがてバスケットボールほどの大きさに成長し、吊るして置くと花で覆われた美しい球体のようになる。
 園芸が趣味になってくると、少なくとも2か月おきに園芸店に足を運ぶようになる。今何が咲いているか、何を植えたらいいか、などを確認するためである。季節ごとに次の花を探す楽しみが生まれるのである。かくして園芸を趣味にするようになって、自分も歳をとったなと感じる。そういえば、古代ローマの政治家・哲学者キケロが著した『老年について』(De Senectute)という著作の中で、老年の楽しみとして「農業」が挙げられていた。これを「園芸」と読み替えることもできる。キケロは紀元前106年に生まれ、紀元前43年に亡くなった共和政ローマ末期の重要な政治家、哲学者、弁論家であった。彼は63歳の時に『老年について』を執筆した。この作品は対話形式で書かれており、当時84歳の老賢人カトー(カトー・マヨール)が若者たちに老年の価値について語る内容となっている。キケロ自身も晩年には政治的な苦難を経験した。彼はシーザーとの政治的対立があり、シーザー暗殺後の混乱期には、マルクス・アントニウスとの対立から最終的に命を落とすことになる。
 そのような困難な時期に『老年について』を著したキケロは、おそらく自らの老いと向き合いながら、精神的な充実を得る方法を模索していたのであろう。『老年について』の中でキケロは、カトーの口を借りて「土を耕すことほど老人に相応しいものはない」と述べている。彼は農業(農耕)に対して特別な愛着を持っていた。それは単なる食料生産の手段としてだけでなく、自然の秩序に参加する喜び、種をまき成長を見守る過程の楽しみ、そして収穫の満足感といった、精神的な充足をもたらすものとして描かれている。キケロはこうも書いている。「土地は、耕作者の努力に対して決して恩知らずではなく、利子をつけて元金を返してくれる。時には倍以上のものを返してくれることもある。そして果実だけではなく、その自然の力、その大地の懐の豊かさによっても私を喜ばせてくれる。」
 キケロは農耕が老年の喜びである理由として、その活動が肉体的にも精神的にも適度な刺激を与えること、自然のサイクルを実感できること、そして若い世代のために種をまくという未来への貢献の感覚があることを挙げているが、彼自身も政治から引退した時期にはトゥスクルムの自分の別荘で園芸を楽しんでいたと言われている。彼の手紙には、果樹や花について述べた箇所があり、それらを育てることに喜びを見出していたことがうかがえる。
 キケロのように老人期の農業も楽しい、といっても、本格的な農業ではなく、いわゆる家庭菜園や、市や村から借りた農園で野菜を育てる程度のものだが、トマトなどをよく作る人も多い。私も以前作ったことがある。自分の手で種をまき、苗を植え、水をやり、成長を見守り、そして収穫する—このサイクルの中には、生命の神秘と共に、人間本来の営みに立ち返るような感覚がある。

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2025.03.23

英国Z世代がソープオペラを初めて観る

 BBCに、ソープオペラを観たことがないまま大人になったZ世代の女性のエッセイがあり面白かった(参照)。彼女は、まず、そんな人がどれほどいるだろうかと問いかけていて。そこで、27歳にして初めてイギリスの代表的なソープオペラ(EastEnders、Coronation Street、Emmerdale)を観たという。現代の若者にとって、これらの番組はどんな意味を持つのか、そもそも意味を持ちうるのか。そんなことを確かめるためである。
 ちなみに、ソープオペラ(Soap Opera) というのは、主に日常的に放送される連続ドラマ の一種で、恋愛・愛憎・家族の確執・裏切り・秘密などの要素を中心に展開される。スポンサーが石鹸会社だったというのが名称の由来だ。日本だと、かつてTBS系やフジテレビ系で放送されていた昼ドラがそれにあたる。「愛の劇場」(TBS)や「東海テレビ制作の昼ドラ」(フジテレビ系列)だろう。僕は見たことないが。ほかにも、NHKの朝ドラもそれに近いし、『渡る世間は鬼ばかり』とかは私の母も熱中して見ていた。ただ、なんとなく思うのは、現在の日本からすると、ソープオペラは『サザエさん』『ドラえもん』『ちびまる子ちゃん』とかに近いかもしれない。ガンダムなんかも入れていいんじゃないか。
 英国でももはやソープオペラは、もはや国民的な習慣とは言いがたい。彼女の母親の世代は、昼休みに大学の学生会館に集まり、オーストラリアの「Neighbours」に熱中したという。しかし、英国Z世代の筆者の世代の友人たちは、むしろ「Love Island」や「I'm a Celebrity... Get Me Out of Here!」といったリアリティ番組に夢中になっていて、実在の人物がドラマチックな状況に巻き込まれる様子を、SNSと共に消費するのが当たり前になっている。
 そんな彼女が初めてソープオペラを観た。すぐにある疑問が湧いてきた。なぜ登場人物たちは昼間から酒場で飲んでいるのか。どうして全員がランドリーを利用するのか。近所同士がこんなにも面と向かって口論をするものだろうか。彼女の生活では、近隣住民との対立はせいぜいWhatsAppグループの中で静かに展開されるものだ。しかし、こうした違和感にもかかわらず、ストーリーの速さと絶え間ない衝突に引き込まれ、気づけば何話も観ていたという。ただ、問題もあって、登場人物への感情移入が難しいことである。彼女にとって、他人の人生に没入するなら、それが現実の人間であるほうが面白い。フィクションのドラマよりも、リアリティ番組の中で誰かの恋が壊れる瞬間のほうが強く心に響くという。例えば、最近話題になったスペインのリアリティ番組では、ある男性が恋人の浮気映像を観て衝撃のあまり海辺で泣き叫ぶ姿がSNSで拡散された。これほどの感情の爆発を、ソープオペラは提供できるのだろうかとも。
 まあ、このあたり日本ではどうだろう。日本でもリアリティー番組はあるんだろうが、僕はNetflixの『ラブ・イズ・ブラインド』しか見たことないのでなんとも。

リアリティ番組とソープオペラの競争

 というわけで、英国Z世代の彼女にしてみると、ソープオペラがかつて社会において果たしていた役割は、いまリアリティ番組に取って代わられつつある。これは単に「若者がフィクションを好まない」という話ではない。問題は、ドラマの「リアルさ」の基準が変わったことにあるらしい。かつてソープオペラは、庶民の日常や社会問題をリアルに描くメディアだった。1980年代のEastEndersは、ロンドンの労働者階級の生活を赤裸々に映し出し、多くの視聴者が共感した。しかし、2020年代の視聴者が求める「リアルさ」は異なる。フィクションの中の架空の人物より、リアリティ番組に登場する実在の人々の感情のほうが、生々しく、説得力がある。こうした変化は、制作スタイルにも影響を与えている。Netflixの『Euphoria』や『Sex Education』のようなドラマは、同じ社会問題を扱いながらも、圧倒的な映像美と洗練された脚本で観客を魅了する。一方、ソープオペラの映像は「20年前の作品のようだ」と言われることもある。低予算のため、セットや撮影手法の面で競争が難しいのは否めない。さらに、SNSの存在もメディアの視聴体験というものを変えた。TikTokやX(旧Twitter)では、リアリティ番組の印象的なシーンが瞬時に拡散され、多くの人が番組をリアルタイムで語り合う。このような即時的な共有が、ソープオペラにはない魅力となっている。EastEndersのような作品は「その瞬間」に消費されるものではなく、長い時間をかけてキャラクターやストーリーに没入する必要がある。これは、短時間でコンテンツを消費する現代の視聴者にとって、障壁となっている。

ソープオペラの文化的意義

 それでも、彼女はソープオペラは単なる「時代遅れの遺物」ではない。その長寿性こそが、他のエンターテイメントにはない独自の価値を持っていると見出した。例えば、彼女はEastEndersを数話観ただけで終わったが、熱心なファンは異なる。ある25歳の視聴者は、EastEndersの40周年記念放送のために予定をキャンセルするほど熱中している。そうなると、ソープオペラは単なる娯楽ではなく、日々のルーティンの一部なのだ。この「継続性」が、ソープオペラの最大の特徴だろう。映画や短期シリーズが終わりを迎えるのに対し、ソープオペラには「終わり」がない。登場人物は結婚し、別れ、時には何十年ぶりに戻ってくる。視聴者は長い年月をかけて彼らの人生を見守り続ける。これは、SNS時代のコンテンツ消費とは正反対のあり方だ。そういえば『大草原の小さな家』も帰って来るとのことで、米国で話題だ。
 ソープオペラのこうした特性が今後も受け入れられるかは不透明だろう。視聴者の多くは、完結する物語を好むようになった。彼女自身も、EastEndersを観て感じた最大の違和感は「終わりがない」ことだった。物語が完結しないことにフラストレーションを覚える視聴者が増えれば、ソープオペラはさらに苦境に立たされるだろう。とはいえ、GOTなんか今後続々と関連が出てきそうだが。
 彼女は総論として、それでも、ソープオペラには独自の魅力があるとした。リアリティ番組やストリーミングのドラマとは異なり、彼らは「続く」こと自体が価値なのだと。これからの時代、コンテンツの寿命はますます短くなっていくだろう。その中で、40年、50年と続くドラマが持つ文化的意義は、見直される日が来るかもしれない。愛すべきキャラクターたちは、明日もあの酒場でビールを片手に口論を続ける。そして、それを見守る人々がいる限り、ソープオペラは生き続けるのだ。まあ、気持ちはわかる。僕もルーク・デーンズがダイナーで今でもマフィンを焼いているような気がする。

 

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2025.03.22

新型コロナ流出説が「陰謀論」とされたのか

 2025年3月18日、WHOがCOVID-19をパンデミックと宣言してからちょうど5年が経過した。約700万人の命が失われ(WHO推定、2025年3月)、世界は未だにその起源を巡る議論に決着をつけられずにいる。2025年1月26日、CIAが「低確信度ながらラボ漏洩説を支持」と発表したが、その後新たな証拠はなく、既存データの再分析に留まっている(NBC News、2025年1月27日)。しかし、この発表は、初期に「陰謀論」と排除されたラボ漏洩説が再評価される流れを示していることは明らかだ。なぜ当初、流出説は排除され、情報隠蔽が起きたのか。

コロナ禍初期:情報隠蔽の兆し

 パンデミックが始まった2020年初頭、関連情報の混乱が広がった。2020年2月、武漢で発生したウイルスが世界に広がる中、起源に関する議論が過熱し、自然発生説(動物市場起源)とラボ漏洩説(武漢ウイルス研究所からの流出)が浮上した。しかし、ラボ漏洩説は早々に「陰謀論」とレッテル貼りされ、科学的議論の場から排除された。
 この動きを主導した一人が、EcoHealth AllianceのPeter Daszakである。彼は2020年2月19日、Lancetに声明を発表し、「ラボ漏洩説は陰謀論」と断言した(Lancet、2020年2月19日)。Daszakは武漢ウイルス研究所と共同研究を行っており、資金提供者でもあったという背景がある(NIHデータ、2014-2019年)。この声明は、後の2023年米国下院公聴会で「利益相反がある」と批判されたが、当時は多くの科学者が追随し、ラボ漏洩説を唱える声は抑圧された。
 さらに、2020年4月、Anthony Fauci(米国立アレルギー感染症研究所所長)が、ラボ漏洩説を「目くらまし」と呼ぶメールを公開した(米国下院公聴会資料、2023年7月)。Fauciは米国政府のコロナ対策の顔として、自然発生説を強く支持した。この姿勢は、科学界全体の議論を一方向に導いた。

隠蔽の構造

 新型コロナ起源情報隠蔽の背景には、政府と科学界の複雑な連携が存在した。2023年9月12日、米国下院監視・責任委員会がCIA内部告発者の証言を公開。CIAはコロナ起源調査で、7人の科学者に圧力をかけ、うち6人が金銭的インセンティブ(総額約50万ドルと推定)で自然発生説に意見を変更したとされる(WSJ、2023年9月15日)。この告発は、科学が政治的圧力に屈した可能性を示唆している。
 他方、2021年、FBIは「中程度の確信度」でラボ漏洩説を支持していた(FBI声明、2021年5月)。しかし、CIAの圧力でこの見解は公にされず、情報は隠された。2025年1月のCIA発表で「低確信度ながらラボ漏洩説支持」に転換したが、5年後の再評価に留まり、初期の隠蔽が議論の遅れを招いたことは明らかである。
 ようやく英国でも同様の隠蔽が確認されている。2025年3月16日、Daily Mailが公開した「The Lockdown Files」によると、2020年3月、Patrick Vallance(英国首席科学顧問)がジョンソン首相に「恐怖を利用した国民管理」を提案。同時期、ラボ漏洩説に関する内部議論が行われたが、国民には公表されなかった。この文書は、科学的議論よりも政治的意図が優先されたことを示している。
 ドイツでも、2021年12月、BND(連邦情報庁)が「80~95%の確率で武漢研究所流出」と結論付けた機密文書が、メルケル首相により握り潰された疑いが浮上した(Zeit、2025年3月13日)。同盟国間でも情報共有が不十分で、国際的な透明性が欠如していた。

流出説排除はなぜ起きたのか

 研究所漏洩説が「陰謀論」とされた背景には、複数の要因が絡む。まず政治的圧力と国際関係がある。2020年当時、米中関係は貿易戦争で緊張状態にあった。トランプ政権がラボ漏洩説を主張したことで、中国政府は強く反発。2020年5月、中国外務省は「米国が責任転嫁を試みている」と非難した(中国外務省記者会見、2020年5月4日)。この対立が、科学的議論を政治的な駆け引きに変えた。WHOも中国との共同調査(2021年)を優先し、ラボ漏洩説を「極めて可能性が低い」と結論付けたが、調査の独立性に疑問が残る(WHO報告書、2021年3月30日)。
 科学界には強い利益相反があることも「陰謀論」に関与する。Daszakのような科学者が、武漢研究所との共同研究や資金提供関係を持ちながら、自然発生説を推進したことは、議論の公平性を損なった。2020年2月のLancet声明は、26人の科学者が署名したが、うち数人がDaszakと利益関係にあったことが後に判明(Nature、2021年9月)。この利益相反が、ラボ漏洩説を排除する流れを作った。
 メディアとビッグテックの役割も大きい。2020年、TwitterやFacebookがラボ漏洩説に関する投稿を「誤情報」として削除。2020年5月、Facebookは「ラボ起源説は偽情報」とするポリシーを発表し、数千の投稿が削除された(Facebook公式発表、2020年5月)。この動きは、科学的議論を抑制し、一般市民の疑問を「陰謀論」として排除する風潮を助長した。

誤りの影響:失われた信頼と教訓

 研究所漏洩説を初期に排除した誤りは、その後、深刻な影響を世界中に及ぼした。まず、科学的議論の機会が失われ、真相究明が遅れた。2021年3月のWHO調査は中国のデータ提供不足で不完全なまま終わり、2025年現在も決定的な証拠は見つかっていない。次に、公衆の信頼が大きく損なわれた。2025年3月、Xで「#LabLeak」がトレンド入りし、「政府と科学者が隠した真実を知りたい」との声が1万件以上投稿された。初期に「陰謀論」とされた説が再評価される今、市民は政府や科学界への不信感を募らせている。
 コロナ禍初期の情報隠蔽とラボ漏洩説排除の誤りは、政治的圧力、利益相反、メディアの過剰反応が絡み合った結果であると言える。これは5年目の今、過去を振り返るだけでは不十分だろう。政府とメジャーなジャーナリズムを巻き込んだ言論への弾圧に対しては、政府や科学界に依存しない法的な独立調査機関が必要だろうか。あるいは、民主主義自体の遅ればせながらの自浄作用が機能すべきか。2025年1月のCIA発表は一歩前進だが、「低確信度」に留まる以上、さらなる透明性が求められるはずだ。

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2025.03.21

米国教育省の解体

 2025年3月20日、ドナルド・トランプ米大統領はホワイトハウスで、子供たちに囲まれた象徴的な場面で、米国教育省(U.S. Department of Education)の解体を命じる大統領令に署名した。この瞬間は、トランプの選挙公約であると同時に、共和党保守派が40年以上にわたり夢見てきた「小さな政府」の実現を象徴する出来事だった。トランプは「我々はできるだけ早く閉鎖する」と宣言し、教育省を「驚くべき失敗」と断じ、その予算と権限を州に戻すと約束した。署名から翌日には、約4,400人の職員のうち2,100人が休職に追い込まれ、実質的な機能縮小が始まった。
 この動きは、単なる行政改革ではない。教育省が管理する学生ローンや低所得者向け支援(タイトルI、ペル・グラント)の将来に不安を投げかけ、すでに訴訟が提起されるなど、激しい政治的対立を引き起こしている。しかし、完全な閉鎖には議会の承認が必要であり、共和党が上院で53対47の僅差しか持たない現状では、60票の賛成を得るのは困難である。それでも、トランプ政権は予算削減や職員解雇で実質的に教育省を骨抜きにする戦略を取っており、米国国際開発庁(USAID)の前例を見れば、その実行力は侮れない。
 トランプは教育省を「若者を人種的、性的、政治的な内容で洗脳している」と批判し、保守派の支持を固めた。だが、実際の教育省は学校運営やカリキュラムを直接管理する機関ではなく、州を支援する助成機関に過ぎない。このギャップが、今回の解体劇を単なるイデオロギー闘争と見る向きもある理由だ。日本に住む私たちから見れば、この大胆な動きは驚くべきものだが、同時に米国と日本の教育行政の根本的な違いを浮き彫りにする出来事でもある。

教育省の背景
 教育省解体の背景には、共和党の長年にわたる「小さな政府」理念と、連邦政府への不信が横たわっている。この歴史は、1981年にロナルド・レーガン大統領が就任した時点まで遡る。レーガンは教育省を「新たな官僚的無駄」と呼び、州の自治を奪う存在として廃止を公約に掲げた。彼のビジョンは、連邦政府の介入を最小限に抑え、教育を地域のニーズに委ねることだった。しかし、議会の反対で実現せず、その後も保守派の夢として語り継がれてきた。
 教育省自体は1979年、ジミー・カーター大統領(民主党)によって設立された。それ以前は保健教育福祉省(HEW)内に小さな教育部門があるだけだったが、カーターは教育機会の均等を重視し、閣僚級機関に格上げした。これが共和党の反感を買うきっかけとなり、以来、伝統的な共和党員、福音派キリスト教徒、そして近年はトランプ支持のMAGA派がそれぞれ異なる理由で教育省を嫌ってきた。伝統派は財政効率と州の権利を、福音派はリベラルなイデオロギーへの反発を、MAGA派はトランプの反体制的スローガンを理由に掲げている。
 特にこの数年は、「カルチャー・ウォー」(文化戦争)がこの動きに拍車をかけた。オバマ政権(2009年~2017年)が「レース・トゥ・ザ・トップ」(連邦政府の教育改革プログラム)や共通コア基準(州が主導して策定した全国的な学力基準)を通して、従来になく連邦による教育への影響力を強め、「タイトルIX」(教育法9章の教育における性差別の禁止)で性的暴行対策やトランスジェンダー支援を進めたことが、保守派に「連邦のイデオロギー的支配」という印象を与えた。トランプはこれを「洗脳」と呼び、解体を政治的武器に変えた。しかし、バイデン政権(2021年~2025年)では、おそらく教育には関心がなかったせいだろう、大きな改革はなく、トランプの再選で一気に動き出した形だ。

日本の文科省はぜんぜん違う
 米国教育省の解体を日本の文部科学省(文科省)に重ねる議論がSNSなどで見られるが、両者は、同じ「教育を扱う省庁」という名前を持ちながら、その目的、権限、影響力においてほとんど別物である。
 まず、米国教育省は助成機関に特化している。初等・中等教育の資金のわずか13%を賄い、学生ローンや低所得者支援(タイトルI、ペル・グラント)を管理するが、カリキュラムや学校運営は州や地方学区に委ねられている。連邦制の下、「州の権利」を尊重する米国では、教育省が直接介入する権限はなく、ガイダンスや助成金の条件で間接的に影響を与えるのみだ。トランプが「イデオロギー的」と批判するのも、この間接的制御が保守派の価値観と衝突したからに他ならない。
 対して、文科省は日本の教育を一元的に統括する中央集権的な司令塔である。学習指導要領を全国で統一し、教科書検定から教員養成、予算配分まで直接管理する(さすがに韓国のように初等教育で教科書を国定化はしないが)。公立学校の運営資金や教員給与にも深く関わり、教育内容を細かく規定する。例えば、「ゆとり教育」や「アクティブ・ラーニング」の導入は、文科省が全国に一斉に展開した政策であり、振り返ると失態の歴史を積み上げる。それでも、米国のように州ごとに教育が異なることはなく、文科省の方針が日本全体を貫く。
 文科省の管轄範囲は教育にとどまらない。科学技術(研究費配分)、文化(文化財保護)、スポーツ(オリンピック支援)まで包括的に扱い、米国の教育省が「教育特化型」であるのに対し、「文教全般」を掌握する幅広さが特徴である。米国ではスポーツは教育省の外、科学は国立科学財団(NSF)が担当するが、日本では文科省が一手に引き受ける。この違いは、米国の分散型システムと日本の統一型システムの対照を象徴している。日本では官僚の規模は他国に比べて小さいが権限の大きさには目を見張る物がある。
 また、日本の文科省はその政治的な文脈も米国の教育省と異なる。米国教育省は保守派から「解体の標的」とされ、存在自体が論争の的だが、文科省は日本のシステムに深く根付き、というか、日本の市民は、教育における正しさを国家に結びつけることがあたりまえだとしていることもあり、文科省自体の廃止や大幅改革の議論はほぼ皆無の状態である。米国では教育省が、市民の思想信念への「余計な口出し」と見なされるのに対し、日本ではその「口出し」が教育の公平性や質の基盤としてなぜか広く受け入れられている。このギャップは、トランプの解体劇を日本から見る際の驚きを一層大きくする。

日本の文科省は教育以外の問題が多い(スポーツ利権、医学への介入)
 日本の文科省の強力な中央集権性から、教育分野とは本来異なるスポーツ利権や医学への介入といった問題を引き起こしている。
 スポーツ利権の問題は深刻である。文科省がスポーツを所管することは、国民の健康増進や国際競技力向上に寄与するとか言われて、「利権」の温床となっている。例えば、東京オリンピック(2021年)では、文科省が予算や政策の中枢を担ったが、総額1.6兆円を超える費用と建設会社や電通への契約集中が批判を浴びた。文科省の官僚がスポーツ関連団体(日本スポーツ振興センターやJOC)に天下りし、公的資金が私的利益に流れる構造も、ひどいと言っていいだろう。スポーツ予算の配分や施設整備の補助金が特定の地域や企業に偏るケースもあり、政治家との癒着が疑われる。学校体育や部活を通じた間接的影響も大きく、スポーツ用品業界や指導者団体が文科省の方針に依存する構図は、利権ではない誤解するのもむずかしい。公益性が目的とはいえ、不透明なプロセスや官僚的統制が「スポーツ利権」のイメージを強めている。2017年の文科省天下り問題では、スポーツ分野もその一端とされたが、世間からは忘れられている。
 医学への介入の問題は倒錯的ですらある。医学分野でも、文科省の「口出し」が議論を呼ぶ。医学部のカリキュラムや定員を厳しく管理し、全国の医師養成に影響を与える。例えば、医師不足が叫ばれる中、医学部の定員増は文科省の承認が必要で、その慎重姿勢は、医療全体構造を見ない政治的な介入である。2018年の東北医科薬科大学新設を巡る議論では、文科省の反対が医師供給の遅れを招いたとされた。研究面でも、文科省が科研費や大型プロジェクトで医学研究の優先順位を決め、基礎研究に偏りがちな方針が臨床研究の自由を制限している。厚労省が医療現場を管理するのに対し、文科省は教育と研究の上流を握る。なんだろう、この変な支配体制は。

 トランプ政権の教育省解体は、米国の分散型システムと保守派の理念が交錯した劇的な出来事だが、日本の文科省は中央集権の強さを背景に、スポーツ利権や医学への介入といった問題を抱えながらも、政治的には解決されない。日本の市民には、教育の正義や他国との優越維持に関心を持つが、地域行政のなかで教育に責任を持つという観点はない。

 

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2025.03.20

イズベスチから見るトランプのウクライナ政策

 3月18日のイズベスチヤがトランプ米政権のウクライナ政策を総括していた。ロシアから問題はどう見ているのだろうか(参照)。まず、ドナルド・トランプ米大統領は2期目のスタートから、ウクライナに対して一貫しない態度を見せているとしている。西側諸国を前に、彼は明確な立場を避け、曖昧さを保ってきた。例えば、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領に鉱物資源の開発協定を突きつけ、その場にいないゼレンスキー氏を批判した。さらに両者は直接対決し、トランプ氏は軍事援助をストップさせた。それでも、彼は「平和的解決が最優先」と口では主張している。この矛盾した姿勢はどこから来るのか。記事は2019年に遡るエピソードを背景として挙げている。当時、トランプ氏は初任期中、ウクライナにジョー・バイデン氏の息子ハンターの汚職疑惑調査を要求したものだった。両首脳の電話会談で話題に上ったこの件は、支援との交換条件と報じられたが、結局、米国は資金を出し続けたものの調査も実現しなかった。この騒動は民主党の弾劾攻勢にまで発展し、トランプ氏に苦い記憶を残した。今のウクライナへの態度は、その過去の影を引きずっているようだ。

ゼレンスキーとの衝突

 トランプ氏とゼレンスキー氏の関係がこじれたきっかけを、3月18日のイズベスチヤはこう振り返っている。2024年の米大統領選挙中、ゼレンスキー氏は激戦州ペンシルベニアの砲兵工場を訪問したが、そのおり、民主党のジョシュ・シャピロ知事とボブ・ケイシー上院議員を伴い、トランプ氏の紛争解決能力に疑問を投げかけていた。さらに、副大統領候補J・D・ヴァンス氏を「過激」と切り捨てる発言まで飛び出した。共和党側はこれを選挙への介入と受け止め、トランプ氏自身は個人的な遺恨をゼレンスキー氏に抱いた。再選を果たした後、彼はゼレンスキー氏と会談し、中立を装いつつ和平への意欲を示したが、具体策は一切明かされなかった。強硬派として知られるキース・ケロッグ氏を特使に任命し、モスクワとの交渉を進めたが、ウクライナ側へは冷ややかだった。その後、トランプ氏はウクライナ軍の維持費の高さを理由に、再び鉱物採掘協定を押し出した。しかし、ワシントンでの調印式は口論で決裂した。トランプ氏は「米国を軽視している」とゼレンスキー氏を非難し、謝罪を要求した。この衝突が引き金となり、ウクライナへの軍事援助は完全に停止し、停戦協議に応じるまで支援も情報も渡さないと突き放した。トランプ氏がウクライナから一歩引いたのは、この一連の経緯が大きいだろう。

ロシアとの対話

 イズベスチヤはトランプ氏がロシアのプーチン大統領との電話会談を興味深く注視している。ウクライナ側はこれに強く反発したが、トランプ氏は動じなかった。彼はウクライナ支援の負担を欧州に丸投げするつもりだと、批判に答える形で示唆した。
 イズベスチヤ記事は、トランプ氏の頭の中にある地政学的ビジョンをこう読み解く。ロシア、米国、中国の三大国が世界のバランスを握るべきで、ウクライナはその構図に不要だというのだ。この考えは、ウクライナを支えるグローバリスト勢力と真っ向から対立する。トランプ氏は彼らの価値観を共有せず、米国の利益だけを守る多極体制を模索している。注目すべきは、軍事援助停止は公式に発表せず、匿名ホワイトハウス関係者を通じて漏らした点だ。これは、方針をいつでも変えられる余地を残している証拠だろう。記事はさらに、トランプ氏がウクライナの敗北を気にせず、むしろ欧州グローバリストの崩壊を待っていると分析している。ハンガリーのオルバーン首相を盟友と見なし、ウクライナ支援に懐疑的な右翼が欧州で台頭すれば、ウクライナへの関心はゼロになるかもしれない。中国への対抗を最優先とするトランプ氏にとって、ウクライナは単なる「邪魔者」に映っている。

トランプが導くウクライナの未来

 トランプ氏のウクライナ政策にはその個性が色濃く反映されていると、3月18日のイズベスチヤは指摘する。彼は派手な振る舞いで注目を浴びるのが好きで、リスクを冒す冒険心も持ち合わせている。選挙戦で規範を破りまくった姿勢は、ビジネスの世界での成功を政治に持ち込んだものだ。ゼレンスキー氏との口論では、感情的な不安定さが炸裂した。相手を辱めることに躊躇せず、負けることを我慢できない性格が露わになった。ただ、冷静な相手には弱い一面もあるという。ウクライナへの軍事援助全面停止が検討される中、トランプ氏は欧州や民主党からウクライナを「買収」しようとしたが、ゼレンスキー氏の抵抗で失敗に終わった。西側諸国は両者の連携を望まず、関係修復は遠のいている。2年後の議会選挙を控え、トランプ氏は中国問題に全力を注ぐつもりなので、ウクライナはもやは苛立ちの種でしかない。
 イズベスチヤ記事は、今回の分析は、政治学者ウラジミール・モジェゴフ氏と心理学者イリーナ・スモリャルチュク氏の見解を交え、トランプ氏の行動が予測可能なパターンに従っていると締めくくっている。



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2025.03.19

トランプ・プーチン会談とエネルギー施設攻撃停止の背景

 2025年3月18日、トランプ米大統領とプーチン露大統領が電話会談を行い、ウクライナとロシアが互いのエネルギー関連施設への攻撃を30日間停止することで合意した。このニュースは、ウクライナ戦争が始まって以来、初の具体的な緊張緩和策として国際社会に衝撃を与えている。会談は2時間半に及び、トランプが「和平への第一歩」としてこの提案をプーチンに持ちかけたとされる。しかし、プーチンはトランプの求める30日間の全面停戦には応じず、「外国によるウクライナへの軍事支援と情報共有の完全停止」を条件に挙げた。この限定的な合意は、戦闘の根本的解決には程遠いが、両国が疲弊する中で一時的な休息を求める動きと見なされている。
 実は、このエネルギー施設攻撃の停止交渉は新しい話ではない。2024年10月30日のフィナンシャル・タイムズ(FT)を引くロイター報道によれば、ウクライナとロシアは2024年8月にカタール仲介の下で同様の交渉を進めており、合意目前まで至っていた(参照)。

«10月30日(ロイター) - ウクライナとロシアが互いのエネルギー施設への空爆を停止する可能性について、初期段階の交渉を行っているとフィナンシャル・タイムズ(FT)が報じた。情報源は匿名関係者とされている。FTは、火曜日遅くに得た情報源を引用し、その中にはウクライナの高官が含まれていると述べ、ウクライナが8月に合意寸前まで進んだ交渉を再開しようとしていると報じた。この交渉はカタールが仲介していた。»

 当時、ウクライナは冬を前に電力供給の安定化を急いでおり、ロシアもゼレンスキー後のウクライナとの協調から攻撃を控えるメリットを見出していた。しかし、この交渉は突如として頓挫する。その原因として注目されるのが、ウクライナによるロシア領クルスク州への軍事侵攻である。この侵攻が、和平への道を閉ざした転換点であり、むしろそれが目的だったのだと考えることができる。

クルスク侵攻とウクライナ内部の分裂

 ここで、クルスク侵攻の背景について考えてみる。2024年8月、ウクライナがロシアのクルスク州に侵攻したことは大胆な行動であり、この作戦はロシア領内に戦線を拡大した。意外なことにこの作戦の意図は後付の説明が多様であることからも明確ではない。私見では、クルスク原発を「人質」に取ろうとしたものだろう。問題は、しかし、タイミングである。絶妙すぎる。ちょうどカタール仲介の和平的な交渉が佳境を迎えていた時期に、なぜウクライナは、和平的な志向に反する侵攻を決断したのか。ここに、ウクライナ政府内部の分裂という視点が浮かんでくる。合理的に考えれば、クルスク侵攻はウクライナ内部の強硬派が主導したものではないだろうか。彼らは、ロシアとの和平交渉を進める穏健派やゼレンスキー政権の一部を抑え込み、戦争継続を優先する意図を持っていた可能性がある。FTの情報源であるウクライナ高官が「交渉が近づいていた矢先に侵攻が起きた」と述べている点からも、内部での対立が交渉の破綻を招いたと推察できる。強硬派にとって、ロシアとの妥協は国家の屈服を意味し、領土奪還を諦めない姿勢を国内外に示す必要があったのだろう。他方、和平派は戦争の長期化による国民の疲弊やインフラ崩壊を懸念し、エネルギー施設攻撃の停止を足がかりに停戦を模索していたはずだ。
 この分裂は、ウクライナの政治構造や軍事戦略にも表れている。例えば、ゼレンスキー大統領は2024年初頭に軍最高司令官ザルジニーと対立し、彼を解任した経緯がある。ザルジニーは強硬な姿勢で知られ、国民的支持も高かったが、そこから2023年後半の反攻作戦の失敗の責任がとわれた。他方、ゼレンスキーは存外により柔軟(軟弱)な外交路線を模索していたようすも伺える。このような指導層の軋轢が、クルスク侵攻のような大胆な作戦を後押しした土壌を作った可能性は否定できない。

2025年合意への道

 クルスク侵攻で交渉が頓挫した後、ウクライナとロシアの戦闘はさらに激化した。ウクライナ側では、ロシアのミサイル攻撃により電力供給能力の半分以上が失われ、2024年冬には大規模な停電が頻発した。EUのフォン・デア・ライエン大統領が2024年9月に警告したように、ウクライナのエネルギー危機は欧州全体の安全保障にも影響を及ぼすレベルに達している。一方、ロシアもウクライナの長距離ドローンによる反撃から、石油精製所や発電所が被害を被っている。
 以上が、今回の2025年3月の合意に至る伏線となった。トランプ大統領の介入は、ウクライナの疲弊を見越したタイミングでの動きである。2時間半の電話会談で、トランプはプーチンにエネルギー施設攻撃の停止を強く求め、プーチンは限定的な合意に応じる形で譲歩した。もともと昨年時点で合意するはずであった。ただし、プーチンが全面停戦を拒否し、軍事支援の停止を条件に挙げたのは、ロシアが依然として戦場での優位性を手放す気がないことを示している。ウクライナのゼレンスキーは基本的にこの合意を支持しつつも、おそらく、国内の強硬派からの反発をどう抑えるかが課題となっている。和平への抵抗勢力が根強く存在するとすれば、30日間の攻撃停止が次のステップに進む保証はない。

展望と和平への障壁

 ホワイトハウスは、2025年3月23日にサウジアラビアのジェッダで黒海の海上停戦や包括的和平を議論する会談を予定していると発表した。しかし、ウクライナがこの交渉に直接参加するかは、強硬派による政府内分裂が想定され、不透明である。すでに強行的な西側専門家は、「ロシアが時間を稼ぎ、東部戦線での地上戦を有利に進める戦略ではないか」との懸念を広げているが、冷静に事態を見つめるなら、時間稼ぎを要するのはウクライナ側であることは明白である。
 過去の和平交渉を振り返ると、2022年4月のイスタンブール協議や2024年8月のカタール仲介交渉が、いずれも決裂した歴史がある。いずれも途中までは合意の方向性が見えてきた段階で、外部からの妨害が入って頓挫している。ウクライナ内部の分裂も依然として解決していないだろう。
 私の推測では、強硬派としては、欧州を巻き込むか、あるいは世界を巻き込む核問題などを惹起して、事態を混乱に陥れたいところだろう。しかし、ウクライナ国民の戦争疲れやインフラ崩壊を背景に、和平を求める声はもはや無視できないまでに高まっている。ゼレンスキーがこの二つの勢力をどう調整するかが、交渉の鍵を握ると考えたいが、彼の昨今の動向はすでに蚊帳の外に置かれ、どこかのYouTuberのような状態になっている。
 2025年3月のエネルギー施設攻撃停止合意は、ウクライナ戦争における一時的な休息をもたらし、ウクライナ市民にロシアとの関係を見直す契機となるかもしれない。しかし、全面停戦への道は見えない。戦争継続にメリットがある勢力を除かない限りこれは難しいだろうが、存外にガスプロムに米国が関わるという噂が無視しがたい。2025年3月14日のブルームバーグ報道によれば(参照)、米国がガスプロムとの協力可能性を模索しているとの情報がロシアおよび欧州の匿名当局者から出ている。この報道では、ノルドストリーム2パイプラインの再稼働支援や、ロシアと中国の関係を分断する戦略の一環として、米国がガスプロムと接触している可能性が示唆されている。この話にトランプ政権が直接関与しているとなると、さすがびっくり展開である。が、和平につながる希望でもある。

 

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2025.03.18

石破茂首相の商品券配布「問題」

 日本の石破茂首相が、自民党総裁として新人議員に10万円相当の商品券を配ったことが波紋を広げている。野党は政治資金規正法への抵触から「説明責任」を追及し、マスコミは「政治とカネ」の定番ネタとして取り上げている。総額150万円程度という金額は、国家運営の観点からは些細なものだが、この問題の本質は金額ではない。石破首相の責任感の構造的な欠如と、自己を度外視した他人への責任転嫁的姿勢だ。少し整理してみたい。

商品券配布の発覚と石破首相の初動対応

 問題が表面化したのは2025年3月13日夜である。朝日新聞などの報道によれば、石破首相は3月3日に首相公邸で自民党の当選1回の衆院議員15人と会食を行い、その前に各議員の事務所に10万円分の商品券を届けさせていた。報道直後、石破首相は記者団に対し、「私自身の私費、ポケットマネーで用意したものだ。政治活動に関する寄付ではなく、政治資金規正法にも公職選挙法にも抵触しない」と即座に釈明し、翌14日の参院予算委員会では、「法的に問題はない」と強調しつつ、「多くの皆様に不信や怒りを買っていることは深くおわびする」と付け加えた。それだけ見れば、この過程も大した問題でもないようにも思える。
 ただ「ポケットマネー」という言葉は引っかかる。石破首相は「私費だ」と繰り返すが、その資金の出どころに曖昧な部分は残る。一部では内閣官房機密費が使われたのではないかとの憶測が飛び交った。首相は「亡くなった親の遺産もあるし、議員を40年近くやっているとそれなりに自由に使えるお金はある」と述べて否定したが、具体的な証拠や収支の透明性が示されない以上、納得しづらい。150万円をポケットマネーで賄えるほどの余裕があるという主張をさらっと言ってのけるのにも呆れるが、それ以前に今回の件の責任者としての自覚のなさに呆れる。

自民党の慣例と責任感の不在

 この商品券配布が自民党内で慣例化していた可能性もある。毎日新聞の報道によれば、過去の自民政権下でも同様の行為が複数回行われていたと関係者が証言していた。が、自民党党内での証言者の発言撤回などもあり、実態はわからない。とはいえ、石破首相自身も、「これまでに他の会合で商品券を配ったことはある。回数は両手で数えられるくらいだ」と認めている。基本的に、商品券配布ということは長年続いてきた行為でありながら、それが問題であるという認識が自民党に欠如していた。だが、だからといって自民党総裁である石破首相にこの認識が欠如していてよいというわけもない。
 この件について、石破首相は謙虚なのか尊大なのか、よくわからない印象がある。事態の発覚当初、石破首相は疑念を問いかけた記者に「一体どこの法律に引っかかるんだ」と逆質問したが、詰問の口調であった。政治資金規正法第21条の2では、政治家の政治活動に関する寄付を禁じ、違反すれば罰則が科されるが、首相は「これは政治活動ではない。議員やその家族へのねぎらいだ」と主張した。法的にはそうだろう。だが、首相公邸で自民党総裁として新人議員を集め、官房長官や副長官が同席する会合を「政治活動でない」と公に強弁するのは政治家として重要なネジが外れている。日本維新の会・柳ケ瀬裕文議員が参院予算委員会で「明らかな詭弁だ」と批判したが、それも失当感あるものの、石破首相には野党側の声を受け止めている感覚はないのだろう。薄っぺらい粘ついた敬語の口調があるだけだ。

国民感情への責任転嫁と精神性の欠如

 石破首相の一連の対応で最も呆れるのは、結局のところこの問題を「国民感情」にすり替えた点である。14日の参院予算委員会で、「世の中の人がおかしいと思うことは大変申し訳ない」「国民の皆様にご理解いただくために謝る」と発言した。つまり、「私は法的に正しいが、国民が怒っているから謝る」という論理だ。これはあまりにもおかしい。政治資金のグレーな運用への不信感や怒りは、単なる感情ではなく、透明性と説明責任の欠如に対する正当な疑問から生じたものだ。にもかかわらず、石破首相は自身の責任を棚に上げ、国民の感情が問題だと、つまり他人に責任を回しているのである。
 石破首相はかねてより「精神性努力」を政治信条として掲げてきたが、この件での対応を見ると、その精神性は空虚である。商品券を配る際も、自身の監督責任を顧みず、自分からではなく自民党の慣例かのように振る舞い、そして問題が発覚すれば記者をやり込めて「法的に問題ない」と言い放つ。そもそも法的な問題がないことは最初から分かっているはずなので、悠然と記者をやり込める。これがなぜ問題なのかという所在を考える努力は最初から放棄されている。挙句の果てに「国民感情が悪い」と責任を転嫁する。石破首相はマックス・ウェーバーを借りて政治家に問われるのは結果責任だと言うが、この一連の行動から伺えるのは、すべて「お前たちが騒いだ結果」の責任を私が負ってやるのだという、なんとも薄気味悪い自己尊大感である。他者が問題を指摘するなら、「謙虚な私なのだから、その対処を誠心誠意済ませよう」という姿勢が透けて見える。

なぜこのタイミングなのかの説明の欠如

 そもそもなぜこのタイミングで商品券を配ったのか、その理由が石破首相自身の声で語られていない。彼は「新人議員の苦労への慰労」と説明するが、2023年の自民党派閥の裏金問題が未だに尾を引く中で、10万円もの商品券を配る判断が「純粋なねぎらい」だというのはまともな神経ではない。なぜなら、受け取った議員側が「社会通念上の範囲を超えている」と感じて全員返却しているのである。普通におかしいだろう。この事実からも、石破首相の感覚のズレは明らかである。
 この一件は石破政権の求心力を確実に低下させるかもしれない。自民党内からも「資質が問われる」(日本経済新聞)、「退陣を検討すべき」(毎日新聞)との声は上がっている。日本の野党は政策立案能力に乏しいので、大衆の一時の空気に乗って、予算審議や内閣不信任案で追及を強めるだろうし、夏の参院選を控えた与党にとっては最悪のタイミングだろう。立憲民主党の野田佳彦代表は「政治活動に関する寄付に当たる可能性が高い」と指摘し、国民民主党の玉木雄一郎代表も「疑惑が払拭できなければ首相を続けるのは困難」と述べている。政治の論理としては、それもマトが外れているが、頷きたい心情はある。
 個人的には、自民党に特別な愛着も嫌悪もない。だが、こんな人物をトップに据える政党はやだな。私自身、碌でもない人間でもあり、普通の世間で考えるなら、「世の中にはおかしい人もいる」と許容して生きていくしかないが、これが日本の首相となると話は別だろう。次の選挙で、国民がどう意思表示するのか見ておきたい。



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2025.03.17

銅が不足していく

 最近、お財布を持ち歩かなくなった。電子決済で足りてしまうからだ。特に、1円玉と十円玉がかさ張ってやっかいに思える。とはいえ、私は十円硬貨がけっこう好きだ。銅という金属それ自体が興味ふかい。YouTubeなどでもこれを使って、靴の匂いを取るとかいうしょうもないライフハックがあるが、銅の殺菌効果を使ったものだ。そう、銅貨である。銅は面白い。この銅が国際的に不足しはじめ、世界情勢をゆるがしかねない。
 十円硬貨を手に取ってみてほしい。この小さな青銅貨には、実は貴重な銅が含まれている。1枚の重さは4.5g、その95%が銅、残りは亜鉛(3~4%)と錫(1~2%)だ。つまり、1枚あたり約4.275gが純粋な銅である。日本銀行の「通貨流通高」(2023年度末)によると、10円硬貨の流通枚数は153億2,300万枚。これを基に計算すると、総重量は約68,949トン(153億2,300万枚 × 4.5g)、そのうち銅は約65,502トン(68,949トン × 0.95)となる。
 もしこの65,502トンを回収し、リサイクルに回せば、銅不足に悩む日本の産業を一時的に支えられるのではないか。そんな発想が浮かぶ。実際、銅価格は高騰しており、2025年3月時点でロンドン金属取引所(LME)の銅先物価格は1トン約11,000ドル(NPR記事に基づく推定値、2024年末の1ポンド4ドルから上昇)。この価格なら、65,502トンは約7億2,000万ドル(約1,000億円、1ドル140円換算)の価値を持つ。日本の製造業にとって魅力的な数字だ。
 しかし、この回収は現実的ではない。硬貨の収集、選別、溶解には膨大なコストがかかる。それに、日本の年間銅需要である約110万トン(日本鉱業協会、2022年推定)に比べると、約5.95%に相当するだけで、一年だけの対応になる。年間需要の6%弱では焼け石に水なのである。それでも、10円硬貨が国際的な銅不足問題と結びついている事実は、私たちに資源の危機を身近に感じさせるものだ。

銅不足が日本のグリーン未来を脅かす

 日本は2050年までのカーボンニュートラルを目指し、グリーン技術の推進に力を入れる。経済産業省は2035年までにガソリン車の新車販売を終了する目標を掲げ、自動車産業は電気自動車(EV)へのシフトを急ぐ。だが、ここで銅不足が大きな壁となる。現状では、EV1台にはガソリン車の4倍の銅が必要と言われている。具体的には、EVには約80kgの銅が使われ(IEA、2021年報告)、ガソリン車は約20kgだ。モーター、バッテリー、配線、充電ステーションに至るまで、銅は不可欠である。
 再生可能エネルギーでも同様だ。国際再生可能エネルギー機関(IRENA)によると、風力発電1メガワットあたり約3.5トン、太陽光発電では約4トンの銅が必要とされる。日本が2030年までに再生可能エネルギーの割合を36~38%に引き上げる計画(経済産業省、2021年)を達成するには、現在の銅消費量を大幅に超える供給が求められる。
 なのに、世界の銅鉱山生産量は2023年で約2,200万トン(USGS, 2024年推定)である。IEAは2050年までの脱炭素シナリオで、年間4,000万トン以上が必要と予測する。このギャップは埋めがたい。関連するNPRの記事を読むと(参照)、BHP(豪鉱業大手)は、「既存鉱山の生産は2035年までに2024年比15%減少する」と警告しているそうだ。「鉱石の平均品位が1991年以来40%低下している」との指摘もある。採掘コストは増大する。

 現状、日本は銅のほぼ全量を輸入に依存し、2022年の輸入量は約112万トン(財務省貿易統計)。この供給が途絶えれば、EVや再生可能エネルギー設備の生産が止まり、グリーン目標が遠のく。銅価格の高騰も深刻だ。2015年の1トン5,500ドルから2025年の11,000ドルへと倍増し(LMEデータに基づく推移)、製造コストは跳ね上がる。日本のグリーン未来は、銅の確保にかかっている。

南米の動乱の影響

 銅不足の鍵を握るのは、南米である。USGS(2023年)によると、世界の銅生産の約35%をチリ(約500万トン、22.7%)とペルー(約260万トン、11.8%)が占める。日本はこれらの国から大量の銅を輸入し、2022年のチリからの輸入は約30万トン、ペルーからは約15万トン(財務省貿易統計)。チリのGDPの10~15%(世界銀行、2022年推定)、ペルーの輸出の約25%(ペルー中央銀行、2023年)が銅に依存し、その経済的重要性は大きい。だが、この地域の政治的安定は揺らいでいる。
 先のNPR記事では、チリのチュキカマタ鉱山での労働争議やペルーの混乱を例に挙げていたが、チリでは水不足が深刻で、2023年の降水量が平年比30%減(チリ気象局)となり、鉱山と農民の水争奪戦が抗議を引き起こし、2024年には一部鉱山で操業が一時停止した(ロイター)。ペルーでは、2022年のペドロ・カスティージョ大統領弾劾後の暴動が鉱山を直撃し、ラス・バンバス鉱山が数カ月停止し、世界供給の約1%(22万トン相当)が失われた(S&P Global, 2023年)。これが日本にまで波及すれば、家電や電力網の生産が滞るかもしれない。銅建値(国内基準価格)は2025年3月時点で1トン約150万円(住友金属鉱山推定)だが、さらに上昇するだろう。スマホやエアコンの供給が南米の混乱に左右される現実が、ここにある。
 国際情勢が不安定さを増すなか、その台風の目ともいえる中国は南米での投資を拡大し、ペルーのセロ・ベルデ鉱山に資本を注入(Bloomberg, 2024年)した。米国はといえば、自国優先主義を掲げトランプ政権のもと、「カナダからの銅輸入に25%関税」(2025年2月)なり、その分、南米への圧力を間接的に高めることになる。南米の動乱が続けば、さらに深刻な事態が現前化する。

大国間の銅戦争と日本の立ち位置

 銅不足はすでに地政学的な火種と言っていい。中国は世界の銅消費の約50%を占め(CRU Group, 2023年)、年間約1,100万トンを消費する。NPR記事は、中国がコンゴ民主共和国(DRC)のCOMMUS鉱山を運営し、2023年で250万トンを生産する姿を伝えている。さらに、アフガニスタンで16年越しに銅鉱山を着工(2024年)するという。対して米国は消費の半分(約90万トン、2023年)を国外から輸入し、カナダ(48万トン)やメキシコ(73万トン)に依存(USGS)しているのに、2025年2月25日、カナダからの銅に25%関税を課す。これは中国依存を減らす戦略だが、カナダとの関係悪化がさほど考慮されているふうでもない。
 日本はこの米中の「銅戦争」の狭間に立つことになる。2022年の銅輸入総量112万トンのうち、南米が約45万トン(40%)、残りをカナダやオーストラリアが補っているが、米国の関税がカナダからの供給を圧迫すれば、日本は代替を南米や中国に求めるしかない。また中国の輸出制限リスクもある。日本には製錬所も限られ(JX金属など年間約160万トン能力)、輸入途絶となれば致命的だ。
 リサイクル銅は、解決策にはならない。米国では供給の33%(約60万トン、NPR)を占めるが、日本では約30万トン(日本鉱業協会、2022年)と需要の27%程度程度。アルミニウムは代替候補だが、電気抵抗が銅の1.6倍(電気電子学会データ)で効率が落ちる。日本の輸入依存は打開策がなく、大国間の綱引きに翻弄されるだろう。もちろん、技術革新は進む。トヨタは銅使用量を減らす配線設計を研究し、パナソニックは代替素材を模索する。だが、NPRのバーゲス氏が言う「1つ入れて2つ出す魔法の箱」は存在しない。根本的解決は遠い。
 日本としては国際協力しか道がない。チリとの二国間協定(2023年更新)やペルーへの技術支援で、安定供給を確保しなければならない。日本のJX金属はコンゴで鉱山開発を検討(2024年計画)し、産出国との関係強化を図る。あわせて、現実的に考えるなら、もはや銅不足を標準とせざるをえない。

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2025.03.16

VOAは消えてしまうのか?

 「アメリカの声(Voice of America、以下VOA)」が危機に瀕している。2025年3月、トランプ大統領の命令により、VOAの全スタッフ約1,300人が職場から締め出され、放送停止の瀬戸際に立たされているのだ。VOA側の公式アナウンスはまだなものの、ディレクターのマイケル・アブラモウィッツはフェースブックの個人声明で嘆いている。「私は深く悲しんでいる。83年ぶりに、歴史あるVOAが沈黙させられた」と。日本でも英語学習や国際ニュースの窓口として親しまれてきたVOAが、今、存亡の危機にある。私は言語学に関心を寄せるものとして、VOA英語の簡易性とその教育的価値に深い愛着を持っている。VOAは、国際政治的に見れば、報道機関というよりプロパガンダ機関と呼べるかもしれないが、その価値は英語教育、米国的価値の普及、娯楽性、そして言語学的視点からも際立つものだ。

アブラモウィッツの悲嘆

 事態は急激に進展した。2025年3月14日深夜、トランプ大統領はVOAを含む米国グローバルメディア庁(USAGM)に対し、「法的に義務付けられていない活動」をすべて削減する命令を下した。これにVOAも含まれる。翌日、VOAの全フルタイムスタッフが無期限休職処分を受け、VOAの「ラジオ・フリー・ヨーロッパ」や「ラジオ・フリー・アジア」への資金契約も打ち切られた。63言語で週4億2,000万人に届くVOAの運営はほぼ停止状態である。アブラモウィッツはこう訴える。「VOAには慎重な改革が必要だった。しかし、今日の措置でその重要な使命を果たせなくなる」。彼の言葉は、単なる業務停止を超えた危機感を伝える。
 背景には、トランプ政権の政治的意図がある。VOAは過去にCOVID-19報道で大統領の不興を買い、「税金の無駄遣い」と批判されてきた。他方、予算削減を進めるイーロン・マスクや、新指導者に指名されたカリ・レイクが主導し、VOAの政治的コントロールを強めようとしている。ロシアや中国の指導者がこの状況を歓迎するかもしれない中、VOAの「声」が標的となった理由は、トランプ個人の意にそぐわなかった可能性すらある。

VOAの本質とその価値

 VOAについて詳しくない人もいるかもしれないので、簡単に歴史を振り返っておきたい。VOAは1942年、第二次世界大戦中に枢軸国に対抗するために設立され、冷戦時代には反共産主義のメッセージを世界に精力的に届けた。戦後は自由な報道と文化発信を掲げてはいたが、米国政府の意向は色濃く反映され、報道機関というよりプロパガンダ機関としての性格が強い。連邦法で「米国の政策を明確かつ効果的に伝える」ことが使命とされ、独立性は限定的である。BBCやNHKとは本質が異なる。
 しかし、そのプロパガンダ的な性質ゆえの価値もある。第一に、米国英語教育の普及である。アフリカやアジアの開発途上国で、「VOA Learning English」は簡易英語でニュースを届け、教育機会の少ない地域に言語と知識を提供してきた。第二に、米国的価値の伝播である。民主主義、自由市場、個人主義を放送を通じて広め、ソフトパワーの中核を担った。第三に、娯楽性である。音楽番組や文化紹介は、リスナーを楽しませ、米国への親近感を育んだ。VOAは報道の枠を超え、教育と娯楽を融合させた存在だった。

VOA英語の素晴らしさ

 私がVOAを愛する最大の理由は、「VOA英語」の優秀性にある。言語学的な視点からも、その設計と効果を高く評価できる。VOA Learning Englishは、通常のニュース英語を約1500語の基本語彙と単純な文構造に置き換え、しかも、独自に訓練されたアナウンサーによってゆっくりとした発音で放送される。例えば、複雑な時制やイデオムを避け、明確で理解しやすい表現に特化している。これは「簡易英語(Simplified English)」の優れたモデルであり、英語を母語としない学習者にも最適化されている。1分間に130語程度の速度は、標準的な英語放送(約160語/分)より遅く、リスニングの負担を軽減する。さらに遅いレベルの音声も提供されている。
 この簡易英語は、英語教育効果も最大化する。開発途上国のリスナーは、VOAを通じて英語を学び、同時に世界情勢を知る。日本でも、学生や社会人がこの放送でリスニングを鍛え、実用的な英語力を身につけてきた。私自身、VOA英語の明瞭さに助けられ、英語学習をしてきた。もともとは政治的なプロパガンダの一環だったとはいえ、その言語設計は言語学的にも洗練されており、非ネイティブへの配慮が際立つ。VOA英語は、単なるツールを超え、言語教育の傑作と言える。

日本人にとってのVOA

 日本におけるVOAの歴史は、戦後復興期に遡る。米国との同盟が深まる中、VOAの英語放送はラジオを通じて届き、民主主義やアメリカ文化を知る窓口となった。インターネット時代になっても、「VOA Learning English」は英語学習の教材として親しまれている。NHKラジオと並び、その簡易英語は教養を求める日本人にとって頼れる相棒だ。まずその落ち着いたトーンと丁寧な語彙は、学習者に安心感を与える。
 情報源としての価値もある。日本は報道の自由が確保されているが、国内メディアではカバーしきれない海外の視点、特に米国の立場をVOAが補完してきた。アジア情勢や米国の政策を伝えるその声は、日本の教養人にとっても視野を広げる一助だった。
 報道機関としても優れている事例を思い出した。阪神・淡路大震災のときだ。たしか、日本での報道が制限されているとき、VOAの記者が香港から現地に入った。米軍の援助もあっただろう。その情報は日本の報道よりも早く状況を伝えていた。当時インターネットはまだWebが普及してなくて、私はGoferという仕組みでVOAのニュースを引きだした。当時の文面によるVOAニュースは全文が大文字だったことを思い出す。
 仮にVOAが消えれば、日本にどのような影響があるか。まず、英語学習への打撃が大きい。VOA英語の簡易性と教育的配慮は、他に類を見ない。YouTubeやアプリが代替手段としてあるが、その信頼性と一貫性はVOAに及ばない。英語を学び直したい社会人や受験生にとって、その不在は大きな空白となる。VOA英語の喪失は教育ツールの傑作が消えることを意味するからだ。

VOAの未来:再編成と不確実性
 VOAの未来はどうなるか。完全閉鎖となる懸念はある。トランプ政権のこうした政策が進めば、VOAは資金を絶たれ消滅する。おそらくロシアや中国が喜ぶだろうが、米国のソフトパワーは弱まる。それでも、トランプ大統領は意に返さないかもしれない。第二には、縮小存続である。最小限の機能で生き残る場合、政治的コントロールが強まり、従来の使命は失われる。その延長ともいえるが、第三に、カリ・レイクによる再編成の可能性がある。トランプの側近であるレイクは、VOAの新指導者に指名され、保守派の視点で放送局を再構築する意図があると見られる。彼女はメディアの「左派バイアス」を批判し、VOAをトランプ支持層に訴える機関に変えるかもしれない。スタッフの休職や契約打ち切りは、再編成の準備段階とも解釈できなくはない。約1,000人の新チームを率いる計画が噂されており、「新生VOA」が保守寄りのプロパガンダとして復活するシナリオは現実味を帯びている。しかし、連邦法の独立性規定や議会の反発が障害となり、成功は不透明だ。VOA英語の簡易性が維持されるかも疑問である。もちろん、現行に近い状態での復活の希望もある。政権交代や国際的圧力で、VOAが従来の形に戻る可能性もゼロではない。日本を含む同盟国の市民の支持が後押しになれば、アブラモウィッツの「使命」が再び息を吹き返すかもしれない。というわけで、このブログ記事を記す。

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2025.03.15

英国と日本の終末期医療

 英国はかつて終末期医療で世界最高と評価されていたが、近年その評価は落ち込んでいる。2024年11月のガーディアン紙報道に基づく調査によれば、英国では毎日約20人の末期患者が痛みを緩和されないまま亡くなっている。この数字は、緩和ケアの提供体制の不備や地域によるサービスのばらつきを物語っている。一方、日本でもがん患者への緩和ケアが進展してはいるものの、その内実や在宅ケアの普及や地域格差の解消には課題が残る。両国とも、患者が望む最期を迎えられない現実が浮かび上がる。ここでは、英国と日本の緩和医療の現状を比較してみたい。

英国の崩れゆく緩和ケアの基盤

 英国の国民保健サービス(NHS)は、2015年にエコノミスト・インテリジェンス・ユニットで終末期ケアの世界一に輝いた。しかし、今やその栄光は遠い過去となった。例えば、これは2025年3月6日付のBBC報道によるものだが、67歳のテリー・リーダーは末期胃がんで自宅での死を望んだが、十分な支援が得られず病院で亡くなった。彼のパートナー、ジリアンは、彼の痛みを和らげる術を知らず、病院の簡易ベッドで寄り添うしかなかった。このような事例が珍しくなくなった。英国人の大多数が自宅での死を希望するが、国家統計局の推定によれば実際には約26%程度しか実現していない。年間65万人の死亡者のうち、少なくとも75%が緩和ケアを必要とすると推定されるが、マリー・キュリー財団の報告では、イングランドとウェールズで約22%以上が支援を受けられていない。
 この状況の背景には、地域による「郵便番号による格差」(住む場所によって支援の質が異なる状況)がある。例えば、ロンドンでは専門緩和ケアが比較的充実している一方、地方では週7日対応が基準であるはずの病院でも、監査によれば4割がそれを満たしていない。夜間や週末に専門医や看護師の支援が得られない地域も多い。この「郵便番号による格差」は、英国でよく使われる表現で、医療サービスのアクセスが住所次第で決まる不公平さを指す。2024年11月のガーディアン紙報道に基づく調査では、毎日約20人が痛みを我慢したまま亡くなると報告されており、緩和ケアの不備が生命の質を奪っている。
 資金面でも問題は深刻だ。健康経済ユニットとナフィールド・トラストの報告によれば、年間約120億ポンドが最後の1年間に費やされるが、その85%が病院や救急医療に流れ、コミュニティ支援は後回しである。マリー・キュリー財団の報告では、家族の半数が最期のケアに不満を抱いているとされ、この不均衡が患者と家族に重い負担を強いている。
 こうした背景から英国では、2024年11月に「医師による幇助死」法案が議会で可決された。この法案は末期患者に自らの意思で人生を終える権利を認めるものだが、緩和ケアの充実が前提条件であるとの声が強い。保健大臣ウェス・ストリーティングは、緩和ケアの不足が患者を「強制的な選択」に追い込むと警告している。実際、緩和ケアが整わないままでは、死を選ぶことが唯一の痛みからの解放手段となりかねない。先のテリーの事例が示すように、適切な支援があれば自宅で最期を迎えられた可能性もある。

日本の緩和ケアの現状

 日本では、2007年の「がん対策基本法」を契機に緩和医療が進化してきた。がん患者と家族が質の高い治療と療養生活を送れるよう、診断時から治療と並行して緩和ケアが提供されることが求められている。例えば、2023年までのデータに基づくと、215の緩和ケアユニットががん死亡の8.4%を担当し、約500の病院チームが活動する。専門家の数も増え、2023年時点で緩和ケア医師646人、がん疼痛看護師1,365人、緩和ケア看護師1,100人が登録されているが、2025年現在の最新数は未確認だ。PEACEプログラムなどの教育や、2018年の末期心不全への報酬拡大は、政府の取り組みを反映している。
 しかし、在宅緩和ケアの普及は遅れている。2023年の研究では、在宅で緩和ケアを受けた進行がん患者が病院よりも長く生存したと報告されたが、在宅で最期を迎えられる人は少数だ。日本の文化的要因とも言えるが、患者が意思決定能力を失うと家族や医師に依存する傾向があり、これが在宅ケアの障壁となっている。
 2000年に導入された長期介護保険(LTCI)はケアマネージャーを通じてサービスを調整するが、施設ケアが優先されがちである。地域間のサービス格差も課題である。都市部では病院ベースのケアが充実している一方、地方では人材不足やアクセス難が目立つ。例えば、東京や大阪では専門チームが迅速に対応できるが、過疎地域では緩和ケアの選択肢が限られる。高齢化が進む中、2023年の予測では2020年の106万人から2040年には141万人の緩和ケア需要が見込まれ、認知症や老衰への対応が急がれるが、がん中心のシステムが追いついていない。

日英の共通の課題

 英国と日本を比較すると、患者が望む場所で最期を迎えられない点や地域格差が共通の問題として浮かぶ。英国では、資金の大部分が病院に流れ、コミュニティ支援が手薄だ。自宅で死にたいと願う患者が病院に押し込まれるケースが後を絶たない。日本でも、在宅ケアを希望する声は多いが、実際には病院や施設での死が主流である。両国とも、緩和ケアの専門サービスの提供が地域によって不均等であり、「郵便番号による格差」が患者の選択肢を狭めている。英国ではロンドンと地方の差が顕著であり、日本でも東京と過疎地域のギャップが埋まらない。
 人材不足と訓練の欠如も問題を悪化させている。英国では、非専門スタッフ向けの緩和医療訓練が「ほぼ存在しない」とされ、一般開業医が過重な負担を負う。日本では専門家の数は増えたが、地方での不足が顕著だ。両国で共通するのは、患者の痛みや心理的苦痛を軽減する体制が不十分な点である。英国では2024年11月の調査で毎日約20人の未緩和死が報告され、日本の在宅ケア未達もこの現実を象徴している。加えて、高齢化が両国に新たな圧力をかけている。英国では今後10年で死亡者数が12%増えると予測され、日本では2040年までに緩和ケア需要が約4割増えると見込まれる。このままでは、システムの限界がさらに露呈するだろう。

多角的な改革の必要性

 これらの課題を解決するには、多角的な取り組みが必要だ。英国では資金の再配分が急務である。病院からコミュニティへ20%の資金をシフトすれば、現在の支出が倍増し、在宅ケアが強化される。例えば、セント・クリストファーズ・ホスピスのような施設は寄付に頼るが、政府資金が増えれば安定した支援が可能になる。日本では、LTCIを活用した在宅ケアの拡充が求められる。2023年の研究が示すように、在宅ケアは生存期間を延ばし、患者の希望にも応えられる。両国とも、電子記録の共有や24時間対応の看護師ラインのような中央ハブを整備し、サービス間の調整を改善すべきだ。ケンブリッジシャーの事例では、NHS 111と連携したシステムが効果を上げている。
 専門人材の育成も不可欠となる。英国では、非専門スタッフへの訓練を拡充し、緩和ケアを全医療従事者の基本スキルとすべきだ。日本では、地方での専門家配置を進め、PEACEプログラムをさらに拡大する必要がある。また、地域格差の是正も急ぐべきだ。英国の「郵便番号による格差」や日本の都市-地方間ギャップを埋めるには、政策的な資金投入とインフラ整備が欠かせない。そのためには、地方に移動診療車を導入すれば、アクセスが向上するだろう。患者の選択肢を広げる法整備と社会的議論も重要である。英国の「医師による幇助死」法案は一つのモデルだが、緩和ケアが整わなければ真の選択とは言えない。日本でも、患者の尊厳を尊重する終末期医療の議論が始まるべきだ。

尊厳ある最期のために

 英国と日本の緩和ケアには、改善の余地が山積している。患者が最期を自らの意思で過ごせる体制を作るには、医療従事者の意識改革、政策の見直し、社会の協力体制が必要になる。英国では、法案可決を機に緩和ケアの基盤強化が急がれる。日本では、高齢化に対応した在宅ケアの拡充が待ったなしだ。いずれにせよ、終末期にある患者一人ひとりの痛みや希望に応えるシステムが求められる。人は一度しか死なないのだから、その一度が尊厳あるものとなるよう、模索していく必要がある。



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2025.03.14

スターマーのNHS改革が英国を揺るがす

 2025年3月13日、英国首相キア・スターマーがNHS(国民保健サービス)の運営に大胆な改革を打ち出し、英国全土に衝撃が走った。このニュースは一見、日本からは遠く隔たった出来事のように映る。しかし、混雑する医療機関や不足する医療従事者といった課題は、我が国にも共通する現実である。スターマーのこの方針転換は、我が国の医療行政の未来を考察する上で示唆に富む試みである。

衝撃の理由と改革の概要

 スターマー首相によるNHS改革の発表は、2025年3月13日に突如としてなされた。その核心は、NHSイングランドという独立機関を廃止し、NHS全体を政府の直接管理下に置くというものである。NHSとは、税金によって賄われる英国の国民保健サービスであり、年間予算は約2000億ポンド、日本円にして約40兆円に上る。この制度は国民が無料で医療を受けられる基盤であり、2012年のロンドン・オリンピック開会式でも英国の誇りとして大きく称賛された存在である。
 この改革が「衝撃的」と称される理由は、複数の要因に由来する。第一に、その突然性である。労働党は2024年の総選挙においてNHSの改善を掲げていたが、大規模な構造改革は公約に含まれていなかった。国民や関係者の多くが予期せぬ発表に驚愕したのは当然である。第二に、歴史的経緯の逆転である。2012年、保守党政権はNHSの運営を政治家の影響から切り離すべくNHSイングランドを設立した。それをわずか13年で廃止し、再び政府の手に委ねる決定は、過去の方針を否定する大胆な転換である。
 改革の内容を具体的に見よう。NHSイングランドの機能を保健社会福祉省に統合し、政府が予算と運営を一元的に掌握する。総勢約1万8000人のスタッフのうち、半数近い9000人が削減される可能性があり、移行には2年を要する。節約される資金は年間5億ポンド以上、約1000億円と見込まれ、これを医師や看護師の増強、患者ケアの向上に充てる計画である。このような改革案に対し、英国社会の反応は二極化している。賛成派は官僚的な無駄が削減され、患者への還元が実現すると評価する。保健大臣ウェス・ストリーティングは、「2012年の失敗した改革に終止符を打つ」と力強く宣言した。他方、反対派はスタッフ削減による現場の混乱や、政治家の介入が民営化を招く危険性を指摘する。メディアは「NHSの革命」「官僚より患者を優先」と報じ、議論が過熱している。

英国医療の危機と改革の動機
 スターマー首相がこの改革に踏み切った理由は、NHSが抱える危機が看過できない段階に達したことにある。その最たるものは、かつてない長さの待機期間である。現在、専門医の診察や手術を待つ患者は700万人を超え、数か月待ちが常態化している。この状況は、コロナ禍後の医療需要の急増と、高齢化による患者数の増加が重なった結果である。日本の医療機関で待合室が混雑する光景も思い起こすが、英国ではその規模が桁違いである。
 英国の医療制度危機をさらに悪化させているのは、医師や看護師の不足である。NHSの総スタッフ数は約130万人に上るが、需要を満たすには程遠い。過労による退職者が増加し、新規採用が追いつかない悪循環が生じている。加えて、予算不足から医療施設の老朽化が進む。年間40兆円の税金が投じられているにもかかわらず、危機が解消しない。
 批判の矛先はいささか修辞的ではあるが、「官僚主義」に向けられている。NHSイングランドは、政府と医療現場の中間に位置し、予算配分や方針決定を担ってきた。しかし、政府との役割分担が不明瞭であり、責任の所在が曖昧であった。意思決定が遅滞し、無駄な事務作業が増加する一方、患者ケアに資金が十分に回らない。この非効率さが、スターマー首相の標的となったのである。彼は「官僚的な中間層を排除し、政府が直接運営する」と宣言した。

日本の医療制度との比較

 ここで日本の医療制度に目を転じる。スターマー首相の改革はNHSを政府直轄化するものであるが、日本は原点からこの段階を超えて、戦後から一貫して中央集権的な体制である。厚生労働省が国民皆保険制度を設計し、医療費の総額や診療報酬を全国一律に定めている。自治体や保険者が実務を担うものの、基本方針は国が掌握している。NHSイングランドのような独立機関は存在せず、2012年にイギリスがNHSを独立させた時点で、日本は中間層を設けず、中央集権を維持していた。病院の数や病床数の調整も「地域医療構想」として国が主導し、診療報酬も2年ごとに改定される。これらは中央集権の特徴であり、スターマーが目指す「政府直轄」は、我が国がすでに実現している姿に近い。
 しかし、日本で全ての課題を解決したわけではなく、日本の医療費は2023年度で46兆円を超え、高齢化により増大する一方である。地方では病院が閉鎖し、医療難民も生まれている。都市部では医療機関が混雑し、医師や看護師が過労に苦しんでいる。厚労省が中央で采配を振るうにもかかわらず、現場との乖離が大きい。地域医療構想で病床削減を進めても、地方の反発で頓挫する例が後を絶たない。さらに、2020年のコロナ禍では、感染症対応に追われた結果、2015年に策定された病院再編計画は事実上停止した。中央集権が形骸化し、実効性が伴わない現実がある。
 日英の医療制度は、もともと共通の理念を有するが、問題の側面でも多くの共通点がある。高齢化はその筆頭である。日本は高齢者率28%を超え、世界最高水準である。イギリスも18%以上と増加し、医療需要が急増する。財源不足も同様である。我が国は財政赤字の中で医療費を抑えようとし、NHSも40兆円では足りないと悲鳴を上げる。待機期間や医師不足も、両国で深刻な課題である。これらの問題は、中央集権の有無を超えて、先進国の医療が直面する普遍的な試練である。

 

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2025.03.13

英国で多発性硬化症治療薬クラドリビンが導入される

 2025年3月、英国の国民保健サービス(NHS)が多発性硬化症(MS)患者に大きな一歩を踏み出した。BBCの報道によれば、イングランドのNHSは、MS患者向けに「自宅で服用できる錠剤」クラドリビン(Cladribine)の提供を間もなく開始する(https://www.bbc.com/news/articles/czxnp0ej81vo)。これまで、注射や点滴のために定期的に病院に通う必要があった患者にとって、通院の負担がなくなり、生活の自由度が劇的に向上すると期待されている。
 クラドリビンは、再発寛解型MS(RRMS)や高度に活動的なMSに有効で、2年間で2コース(各年数日間、合計約20錠)を自宅で服用するだけで済む。薬の効果は数年間持続し、NICE(国立医療技術評価機構)は4月に最終指針を出す予定である。初年度から3年で約2000人が利用可能と見込まれ、NHSは欧州初の公的医療システムとしてこの治療を展開する。BBCが伝える、患者の一人、37歳のクレア・エルガーさんは「自宅で治療できたことで日々の生活を維持できた。多くの人にこの機会が広がるのは嬉しい」とのことだ。MSという病気のつらさが伝わる。
 私は、自著でも記したが、24年前にMSを発症し、現在67歳になる。現状では発作はまれか小規模で、寛解期が長くなりつつあるように感じている。それでもMSに関わって四半世紀たち、このニュースを聞うと、自分への適用以前に「日本でも使えるのか?」という疑問が湧く。MSは脳と脊髄に影響を及ぼす自己免疫疾患で、英国では15万人が、日本では約2万人が暮らしていると言われている。私は幸い発作が減ってきたが、生活にはいろいろ制限を感じてきた。

クラドリビンとは

 クラドリビンは、MS治療における革新的な薬とされている。プリンアナログという化学物質で、リンパ球(B細胞とT細胞)を選択的に減らす。MSでは、これらのリンパ球が暴走し、神経を覆うミエリンを攻撃する。ミエリンは水道管のような役割をしているが、これが壊れると神経伝達がうまくいかなくなる。神経が原因なので、身体各所に不都合が生じる。それで多発性と言われる。攻撃された神経は硬化する。私も実際にCTで自分の脳を見たとき、所々に白い硬化点があって、けっこう絶望感を感じたものだった。 クラドリビンはリンパ球のDNA合成を阻害し、その数を一時的に減らすことで免疫系を「リセット」する。この「免疫再構成療法(IRT)」により、再発を抑え、病気の進行を遅らせるという。臨床試験(CLARITY試験)では、再発率が58-67%減少し、MRIでの新病変が85-90%抑制されたとのこと。投与は2コース(1年目に数日、12か月後に数日)で、計20錠程度。これで3-4年は追加治療が不要になる。英国が採用した理由は、この高い効果と自宅投与の手軽さにある。
 全ての薬剤にはリスクがある。クラドリビンの副作用としては、リンパ球減少で感染症(特に帯状疱疹)のリスクが上がり、倦怠感、吐き気、頭痛が報告される。まれに二次性悪性腫瘍の懸念もあるが、因果関係は不明である。私は寛解期が長いので、副作用を冒す必要がないようには思う。
 他のMSの治療薬と比べるとどうだろうか。日本で使えるインターフェロンβは再発を30-34%減らすが、注射が必要で効果は穏やかである。フィンゴリモド(48-54%減少)やジメチルフマル酸(44-53%)は経口薬だが毎日服用が必要で、クラドリビンほどの強力さはない。アレムツズマブやオクレリズマブは強力だが点滴で通院が必須となる。クラドリビンは「短期間で長効果」という独自の魅力を持つが、日本では未承認で、自由診療なら1錠約34万円と高額である。この高額という点で、昨今の高額医療補助の問題も関わってくる。

クラドリビンの事情

 クラドリビンが使用されるのは英国だけではない。欧州連合(EU)では2017年にEMAが「高度に活動的な再発性MS」向けに承認し、80カ国以上で使われている。米国では2019年にFDAが承認し、再発寛解型と活動性二次進行型MSに適応が広がった。香港では2019-2021年に少数の患者で再発抑制が確認され、オーストラリアでは9年後の追加投与データもある。
 国による違いは、こう言ってはなんだが、興味深い。英国のNHSは公的保険でカバーし、患者負担を軽減。米国では保険交渉が必要で、自己負担が大きい場合もある。ドイツでは5年目以降の管理法(追加投与か他薬切り替え)が議論され、デンマークでは全国レジストリで安全性が追跡されている。クラドリビンは、高活動性MS患者に長期安定をもたらす選択肢として定着しつつある。
 薬剤という観点から補足すると、実はクラドリビンは元々がん治療薬だった。毛様細胞白血病では1993年に承認され、完全寛解率80-90%を誇る。MSへの転用は、その免疫抑制効果を活かしたものである。今後、他の自己免疫疾患やリンパ系腫瘍への応用が広がる可能性もある。

日本での多発性硬化症

 クラドリビンの海外先進国での普及は、日本の私にはうらやましく思う。MSという病気は個人差も大きく、再発が頻繁な人もいれば、寛解の長い人もいる。幸い今の私は後者にあるが、そうはいっても、最新のMS治療薬が自宅で使える選択肢として存在することは好ましいと思うのだ。患者の生活スタイルに合わせた治療の進化でもあるのに、と思う。日本ではこの恩恵を受けられない現実があるということだ。日本では、クラドリビンはMS治療薬として未承認である。保険適用の薬にはインターフェロンβ、グラチラマー酢酸塩、フィンゴリモド、ジメチルフマル酸などがあるが、クラドリビンは含まれない。自由診療で輸入可能だが、費用は膨大となる。国内での臨床データが乏しいということで医師も慎重という建前だ。日本では薬の承認に国内試験が必要だが、クラドリビンにはそれが不足しているというのだが、新型コロナの「ワクチン」ではそうでもなかった。
 残念ながら、MS患者数が約2万人と少なく、市場が小さいのが理由だろう。日本の治療方針は「安全性重視」で、インターフェロン(週1-3回注射、30-34%減少)やグラチラマー(毎日注射、29-34%減少)のような穏やかな薬が優先される。インターフェロンは「効かない」と感じる人もいる。フィンゴリモド(毎日経口、48-54%減少)やジメチルフマル酸(1日2回、44-53%減少)は効果が強いが、毎日飲む負担と副作用(紅潮、心拍低下)が気になる。
 私は42歳で発症し、25年経った今67歳。発作は、老化につれ、減りつつある。MSの経過は個人差が大きいが、一般的に発症後20-30年で再発が減り、二次進行型(SPMS)に移行する人も多いという。私はまだRRMSのままか、SPMSに移行しつつあるのか分からないが、加齢で免疫が弱まり、再発が減るのは自然な傾向ではあるだろう。統計では、60歳を超えると活動性が低下し、「燃え尽き」状態になる人もいる。私はこの経過に当てはまるのかもしれない。どんなに健康でも、人は死ぬ。どんなに健康でも、けっこうつらい病で死ぬ人も少なくない。そこまでなんとかたどり着くと、難病の意味も薄れはする。

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2025.03.12

ダライ・ラマ14世の新著

 2025年3月11日、チベット仏教の精神的指導者であるダライ・ラマ14世が新著『Voice for the Voiceless: Decades of Struggle with China for My Land and My People(「声なき者の声:私の土地と民のために中国と闘った数十年)』を発表した。米国や英国など多くの国で同時発売され、国際的には注目を集めているが、日本ではほとんど話題に上らない。この本の中で彼は、後継者が中国国外の「自由世界」で生まれると明言しているが、その意味も理解されにくい時代になったのかもしれない。
 活仏といわれるダライ・ラマだが、89歳という高齢からは、その死期が近づいていると見る人々がいても自然であり、これがチベット問題が再び大きな波紋を呼ぶ予兆となる。日本ではかつてチベット支援の声もあったが、今では関心が薄れているように感じられる。この問題は遠くの出来事と切り捨てるには、あまりにも深刻な影響を秘めている。チベットの危機は、アジア全体の安定や日本の安全保障にもつながる可能性があり、無視するには重すぎる現実がある。

ダライ・ラマ14世

 ダライ・ラマ14世についてはウィキペディアにも紹介があるだろうが、簡単に言及しておこう。本名テンジン・ギャツォは1935年7月6日生まれで、現在89歳になる。彼の人生は、チベットと中国の対立の歴史と切り離せない。1950年、中国がチベットを軍事的に占領し、自治を武力で奪った。当時15歳だった彼はチベット政府の指導者に立てられたが、実権は中国に握られていた。1959年、状況は緊迫の極みに達する。チベット人が中国共産党の支配に抵抗し、ラサで大規模な蜂起を起こした。しかし、毛沢東政権はこれを武力で鎮圧し、この際数千人のチベット人が死傷したとも言われる。この混乱の中、23歳のダライ・ラマは命の危険を感じ、インドへの亡命を決断した。映画『クンドゥン』(1997年)やドキュメンタリー『Never Forget Tibet』(2022年)で描かれたように、彼は一般兵士に変装し、夜間にノルブリンカ宮殿を脱出した。約2週間、ヒマラヤの過酷な山岳地帯を徒歩で進み、中国軍の追跡を逃れた。この逃亡劇では、彼の身代わりとして多くのチベット人が犠牲になった。ラサに残った民衆は彼の逃走を隠すため、あるいは彼を守るために中国軍と戦い、「弾除け」として命を落とした者もいる。彼らにとってはそれも活仏のための信仰でもあった。1959年3月31日、インドにたどり着いた彼は、以降ダラムシャーラを拠点に亡命政府を設立した。これには中国と対立するインドの思惑もある。彼はその後、チベットの自由と文化を守る活動を続け、1989年にはノーベル平和賞を受賞した。しかし、中国政府は彼を「分離主義者」とみなし、敵視し続けている。

新著にみる中国との対立

 新著『Voice for the Voiceless』では、ダライ・ラマが70年以上にわたり中国政府と繰り広げてきた交渉の内幕が明かされている。彼は現在の中国を「毛沢東時代に逆戻りした」と批判し、チベットへの抑圧が続いていると訴える。しかし、なにより注目されるのは後継者に関する発言である。チベット仏教では、高僧が死ぬとその魂が子どもの体に転生し、次の指導者となるのだが、これまで彼は「ダライ・ラマの伝統は私で終わるかもしれない」と曖昧に語ってきた。だが、今作では「次のダライ・ラマは自由世界で生まれ、チベットの志を継ぐ」と断言したのである。これは中国外、おそらく亡命先のインドでの転生を示唆し、チベット仏教の転生制度を中国の干渉から守ろうとしている。この発言は、チベットの存亡をかけた戦略ともいえる。日本ではこうした宗教的伝統が遠く感じられるかもしれないが、これは中国との対立が単なる過去の話ではなく、今も続く危機である。

「文化的ジェノサイド」

 ダライ・ラマが焦点となるのは、彼がチベット問題の象徴であり、中国との対立の中心にいるからだ。中国はチベットを自国の一部とみなし、1950年の占領以来、寺院の破壊、僧侶への弾圧、チベット語教育の制限、漢民族の大量移住を進めてきた。近年では、チベットの子どもを寄宿学校に強制収容し、中国語と共産主義思想を押し付ける政策も報告されている。これらは「文化的ジェノサイド」と批判され、チベット人の文化やアイデンティティを消し去る動きと見られている。さらに、2006年に開通した青蔵鉄道や建設中の四川チベット鉄道などの開発も問題を深刻化させている。中国はこれを「チベットの近代化」と主張するが、漢民族の流入を加速させ、チベット人の人口比率を減らし、文化を希釈している政策である。高原の凍土や生態系への環境破壊、インド国境近くでの軍事利用の懸念も指摘され、チベット人の自決権をさらに奪う手段と批判される。北京はチベットが繁栄していると主張するが、ダライ・ラマは「抑圧が続く限り安定はない」と反論する。

中国が掲げる後継者

 中国はダライ・ラマの後継者選定に介入する姿勢を崩さない。彼は「中国が選んだ後継者はチベット人から尊敬されない」と警告するが、中国は既に同様の介入を行っている。1995年、ダライ・ラマが6歳のゲドゥン・チョェキ・ニマを11世パンチェン・ラマ(ダライ・ラマに次ぐ重要人物)に認定した。しかし、中国はこれを認めず、彼を連れ去り、消息を絶たせた。代わりに別の少年、ギャンツェン・ノルブを「公式のパンチェン・ラマ」として指名し、国家の管理下で育て上げた。ギャンツェン・ノルブは中国共産党の意向を反映する存在で、チベット仏教の指導者層に組み込まれているが、チベット人や国際社会からは「偽のパンチェン・ラマ」と呼ばれ、支持されていない。この事例が問題なのは、中国が宗教を政治的道具として使い、チベット人の心を支配しようとしている点である。中国政府の意向で伝統的な転生制度が歪められ、チベット本来の精神的意義が失われることになる。ダライ・ラマが新著で「自由世界での転生」を訴えるのは、こうした中国の介入を阻止する最後の抵抗でもあるだろう。
 ダライ・ラマは昨年膝の手術を受けたが、「110歳まで生きるかもしれない」と語ってはいる。しかし、90歳の誕生日(2025年7月)頃に後継者に関する詳細を発表すると述べており、その時期が迫っている。彼が亡くなれば、中国が独自にダライ・ラマ15世を指名する可能性が高い。パンチェン・ラマの前例からすれば、転生制度を国家管理下に置き、対抗者を立てる戦略が続くだろう。そうなれば、チベット人の支持を得られない「偽のダライ・ラマ」と、亡命側が認定するダライ・ラマが並存する異常事態が生じるかもしれない。これは1959年、彼の亡命を助けたチベット人の犠牲、身代わりとして命を落とした民衆の想いを再び踏みにじるほどの危機だ。
 中国は「チベットと台湾が中国の一部と認める」ことを条件に交渉を示唆するが、亡命チベット議会は拒否している。中国の強硬姿勢が続けば、チベット問題はさらに深刻化し、アジア全体の緊張が高まる。日本では遠くの話に思えるかもしれないが、中国の拡張主義が隣国に及ぼす影響を考えると、無関係ではない。

 

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2025.03.11

「令和のコメ騒動」を考える

 2025年3月11日現在、日本のコメ市場は「令和のコメ騒動」と呼ばれるほどの事態に直面している。東京でのコシヒカリ小売価格は2024年1月の5キロ2440円から2025年1月の4185円へと急騰し、前年比71.5%の上昇である。政府は備蓄米21万トンを放出したが価格抑制は限定的で、流通現場は混乱を極める。一般に挙げられる原因として、「供給不足」「需要急増」「流通の混乱」「政策の失敗」があるが、これらをそのまま受け入れる前に、こう考えられないだろうか。真の要因は、日本農業協同組合(JA)の構造的欠陥が農家の離反を招き、それが小規模卸業者によるネットワーク的な流通混乱を誘発したことにあるのではないか。そして、それは単なる一過性の騒動ではなく、日本の農業構造そのものが抱える危機の顕在化を示しているのではないか。
 議論の出発点として、他の要因を検証したい。「供給不足の構造的問題」については、2013年から2022年まで生産量700万~800万トン、価格5キロ2000円台で安定していた事実から、主因とは言い難い。「需要急増」も、外食回復やインバウンド観光客増で消費が5~10%増えた程度では、90%の値上がりを説明する力がない。「政策の失敗」は事態を悪化させたが、発端ではない。
 さて、焦点を「流通の混乱」に絞ると、JAの影が見え隠れする。農水省の推計ではJAがコメ流通の7~8割を担うが、その仕組みが崩れ始めたとき、何が起きたのか。

買い取り価格の限界と農業構造の歪み

 JAの問題を考えるとき、まず買い取り価格に注目せざるを得ない。2024年産米の概算金(JAが農家に払う仮払い価格)は以下のように地域で記録されている:

  • 新潟県(JA全農にいがた):コシヒカリ60キロ1万7000円(2023年1万3000円、30%増)。
  • 岐阜県(JA全農岐阜):ハツシモ1万6600円(1万2000円前後、30~40%増)。
  • 福井県:ハナエチゼン1万6200円(4800円増、42%増)。
  • 愛知県:コシヒカリ1万7800円(5800円増、48%増)。

 概算金は前年比25~48%増と大幅に上昇したが、背景を検証すると問題が浮かぶ。2023~2024年の消費者物価指数は約4%上昇(総務省)、肥料・燃料などの資材費は20~30%増(農水省試算)。一方、小売価格は5キロ4000円、60キロ換算で約4万8000円だ。JAの1万7000円は市場価格の3分の1以下に過ぎない。生産コストが1俵(60キロ)1万5000円を超える(日本農業新聞推計)中、JAの価格では農家の収支が均衡するか赤字となる。
 この価格設定は、JAが安定供給を優先し、農家の利益を後回しにする構造に由来する。JA全農は全国のコメを集約し、価格統制を通じて市場に供給する役割を担うが、その過程で買い取り価格を低く抑える傾向があるからだ。農水省の「米穀データバンク」によると、JA経由の流通が7~8割を占める一方、農家への還元は市場価格と乖離している。2023年産の相対取引価格(農家と民間卸の直接取引)は60キロ1万8000~2万円だったが、JAは1万3000円前後で買い取っていた。2024年もこのギャップは埋まらず、諸物価が高騰していくなか、これが農家にとってJAは「安値買い叩き」の象徴となった。
 これは、戦後のコメ流通の歴史を背負いながらも、今となっては日本の農業構造全体の歪みだろう。農家数は2023年で約100万戸、平均年齢は67歳超(農林業センサス)である。後継者不足と耕作放棄地の増加(約42万ヘクタール、2020年)が進む中、JAは農家の経済的支柱となることが期待はされていた。しかし、旧来からの低価格政策は農家を圧迫し、離農や他ルートへの流出を助長した。JAが農協法に基づき政府と連携する仕組みは、戦後の食糧管理体制を引き継ぐものだが、現代の物価高騰や市場原理に対応できていない。この構造的限界が、2024年のコメ騒動の土壌を形成したのだのではないか。

JA外流通へのシフトとその波及

 JAの価格に不満を抱いた農家が取った行動は、JAを離れ、民間卸や直売ルートでコメを売ることだった。直接的な「JA離反率」の統計はないが、間接証拠からその規模と影響が見えてくる。
 農水省の「米の流通状況」(2024年10月推計)では、2024年産のJA経由集荷量が前年比5~10%減とされる。2023年産が約710万トンだったから、640万~670万トンに減少した。天候不順による減産(10%減、約70万トン減)と同程度だが、日本農業新聞(2024年9月)は「農家がJAを介さず民間に売るケースが増加」と指摘する。仮に集荷量が50万トン減ったとして、その一部(20万~30万トン)がJA外に流れたと推定できる。農家総数約100万戸中、数万戸が離反した可能性がある。
 SNSなどから垣間見る事例もこれを裏付ける。Xでは「JAより5000円高く売れるルートを選んだ」「地元卸に60キロ2万円で売れた」との投稿が2024年末から散見される。2020年代の「直売ブーム」やネット販売拡大が基盤となり、物価高騰が離反を加速させた。農水省の「米の相対取引価格・数量」では、民間取引価格がJAを上回る傾向が続いており、2024年は特にその差が顕著だった。
 この離反は、JA外流通の拡大を意味する。JAが統制する7~8割の枠が揺らぎ、残り2~3割が急増した。離反したコメは小規模卸や地域米穀店に流れ、かくして市場原理に基づく価格形成が始まった。ここで注目すべきは、離反が個別農家の経済的選択を超え、農業構造の変容を示す点だ。JA依存の流通が崩れると、コメの安定供給を支えた戦後農政の枠組みが動揺する。農家の離反は、JAの欠陥が単なる組織の問題ではなく、国家の食糧管理体制の限界を露呈する兆候でもある。

ネットワーク的異常拡大の連鎖

 離反したコメが市場に与えた影響は、「流通の混乱」として結実した。その核心は、小規模卸業者によるネットワーク的な異常拡大だ。JAを離れたコメは、地域の小規模卸に分散し、彼らが値上がりを見込んで備蓄を始めた。Xや地方報道では「小さな米屋が在庫を溜めて高値で売った」との情報が飛び交っている。
 この備蓄は1社あたりで見ると数百トン規模と小さいが、全国で連鎖すると影響は大きい。仮に1卸が500トンを備蓄し、100カ所で起きたとすれば5万トン、500カ所なら25万トンが市場から消える。2024年産が640万トン、在庫180万トン(2023年末、民間90万トン、政府90万トン)で需給がタイトな中、数万~十数万トンの消失は価格に直結する。小売価格が5キロ2440円から4185円(71.5%増)になった異常事態を、この規模なら説明可能だ。別の言い方をすれば、目に付く「巨悪」が潜んでいたわけではない。正常の市場取引でしかない。
 これに外食産業も関与した可能性もある。インバウンド急増(2024年予測3500万人)で需要が不透明な中、JA米が入手困難になると予想されるや、小規模卸から広範囲に高値で買い取ったのではないか。だが、政府予測(需要5~10%増)に織り込み済みなら、これは補助的要因に過ぎないはずだ。混乱の本質は、JA外での自由な価格運動が、全国規模で連鎖的に拡大したことにあるのだろう。小規模卸の備蓄がネットワーク的に広がり、市場からコメが消えた結果、価格は制御不能に跳ね上がった。
 この混乱は、農業構造の危機を映し出す。JAが流通を統制できなくなったとき、日本のコメ供給は分散化し、その脆弱性が露呈した。戦後、JAと政府が一体となって築いた「生産→集荷→供給」の仕組みは、農家の離反と市場原理の介入で崩壊の兆しを見せているというのが現在の光景なのだろう。政府の初期認識である「在庫180万トンあるから大丈夫」というのは、JA依存の前提が崩れる現実を見誤ったか、見たくなかったかだろう。備蓄米21万トンの放出が効果を上げそうにないのも、流通の混乱が農業構造の変容に根ざしているからだ。「JAの欠陥→離反→流通混乱」の因果は、一時的な騒動を超え、日本の食糧管理の基本政策の再考を要するだろう。





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2025.03.10

ラリー・サンガーの回心

 2025年3月、ラリー・サンガーの名が再び、というか久しぶりに現代的知識人の話題となっているように思われた。ウィキペディアの共同創設者であり、哲学の博士号保持者としても知られる彼が、2020年に彼のブログでエッセイ「How a Skeptical Philosopher Becomes a Christian」(参照)を書き、そこでキリスト教への回心を宣言したからだ。この41ページに及ぶ文章は、40年以上にわたる彼の懐疑主義から信仰に至る旅路を綴ったもので、現代西洋人らしい知的な厳密さと率直な内省が交錯している。彼は「聖書はかつて青銅器時代の神話にすぎないと思っていた」と振り返りながら、今やそれを神の啓示として受け入れ、「すべての被造物に福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16:15)との使命感を表明しているのだ。率直に言って、何があったのかと私は関心をもった。
 というのも、この回心は単なる個人的な告白ではない。哲学博士号を持ち、現代知識社会の象徴とも言えるウィキペディアを築いた人物が、理性と信仰の狭間で葛藤し、キリスト教を選択したプロセスは、現代の知性に波紋を投じて当然だろう。彼は、キリスト教回心とはいえ、特定の宗派に属さず、教会への参加も保留しているが、三位一体、キリストの救い、神の存在を信じると公言している。この信仰の証は、現代西洋型知識人の倫理に一つの問いを突きつける。どん詰まりの西洋型知識人にとって新たな可能性の開示なのか、それとも過去への退行なのか。

哲学とウィキペディアの交差点

 ラリー・サンガーは1968年、米国生まれ。哲学者と言ってよい。オハイオ州立大学で2000年に哲学博士号を取得し、専門は認識論だ。彼の博士論文「Epistemic Circularity: An Essay on the Problem of Meta-Justification」は、知識の正当性を巡る循環問題に挑んだもので、分析哲学への深い関与を示している。少年時代から「みんなの考え方を変えるのが哲学」と語り、知的好奇心に駆られていたサンガーは、リード大学で哲学を学び、方法論的懐疑主義を信条とした。確実性に基づく信念のみを持つべきとの姿勢は、彼の知的基盤を形作った。彼の名を世界に知らしめたのは、2001年にジミー・ウェールズとともに立ち上げたウィキペディアである。サンガーは、専門家による百科事典プロジェクト「ヌーピディア」の編集長を務めた後、誰でも編集可能なウィキ形式を提案した。ウィキペディアの初期運営を牽引し、「中立的観点」や「ルールを無視せよ」といった方針をも打ち立てた。彼のビジョンは、知識の民主化と共有であり、現代情報社会の礎を築いた。しかし、2002年にプロジェクトを離れ、その後はCitizendiumやKnowledge Standards Foundationなど、新たな教育・知識プラットフォームを模索している。
 哲学者としてのサンガーと、ウィキペディアの創設者としてのサンガーは、真理と知識への情熱で結ばれている。彼の回心は、この二つの側面が交錯する地点で起こった出来事であり、理性と信仰の融合を象徴するもののはずだ。

なぜサンガーは回心したのか?

 サンガーのキリスト教への回心は、サウロへの呼びかけのような、単一の劇的な瞬間ではなく、数十年にわたる思索と経験の積み重ねによるものだった。そのエッセイによれば、幼少期の疑問、哲学的探求、聖書の熟読、そしてエプスタイン事件に象徴される道徳的危機が絡み合って信仰に至った。
 そこにはまず、哲学的探求が基盤にある。サンガーは方法論的懐疑主義を実践し、「確実性に基づく信念のみを持つべき」と考えていた。大学時代にデカルトの方法的懐疑に傾倒し、認識論を深めた彼は、神の存在証明(第一原因論、設計論、宇宙の微調整論)には長年懐疑的だったという。しかし、2019年頃、これらを再検討し、「個別には弱いが総合すれば神の存在が最良の説明」と結論づけた。理性では「厳密な証明」に至らないと認めつつ、信仰を理性的な選択として受け入れたのだ。まあ、アイロニカルに言えば、そこはテンプレではある。
 次に、聖書の影響が決定的だったという。2019年末、サンガーは90日間で聖書を読み通す計画を立て、YouVersionアプリやESV Study Bibleを活用して深く研究した。そして、かつて「神話」と見なしていた聖書が、一貫性と知恵に満ちたテキストであることに衝撃を受け、神の啓示として受け止めたという。特に、キリストの十字架と復活が「罪からの救い」として心に響き、哲学的問いへの答えとなったのだそう。彼は「神と話す」実験を始め、それが祈りに発展し、信仰の確信を深めた。もっとも「神と話す」実験といっても、オカルト的なものではなく、祈りとも内省とも理解していいだろう。
 こうした彼のキリスト教傾倒に関連する契機として、最も注目すべきは、エプスタイン事件による道徳的危機の認識だ。2019年、ジェフリー・エプスタインの性的虐待事件が明るみに出た。億万長者であるエプスタインが、未成年者への組織的な性犯罪に関与し、権力者とのネットワークが暴露されたこの事件は、アメリカ社会に衝撃を与えた。FBIの捜査で、彼のプライベートジェット「ロリータ・エクスプレス」や私有島での犯罪が明らかになり、2019年7月に逮捕されたが、同年8月に獄中で不審死を遂げている。なお、日本ではあまり話題を見かけないが、2025年2月下旬にアメリカ司法省が「エプスタイン・ファイル」の第一弾を公開した。この公開は、トランプ政権下の司法長官パム・ボンディによって推進され、2025年2月28日に約200ページもの文書がリリースされ、新たな話題となっている。 サンガーはこの事件に強い関心を持ち、ブログで「エリートによる児童性犯罪」や「組織的悪」と向き合った。こうした悪の存在が、彼に「何かがおかしい」と感じさせ、聖書の「罪」や「救い」の概念に現実的な意味を与えた。彼は「この世界がどうなっているのか」と問い、信仰を通じて答えを見出したのだ。
 彼の個人的な経験も大きい。サンガーは、結婚や子育てを経験する中で、これまで重視していたアイン・ランド——個人の自由と自己利益を重視し、「利己主義こそ道徳」と説いたロシア生まれの作家・哲学者——の考えを捨てた。彼女の「自分の利益を最優先する」という思想に代わり、家族への愛こそが道徳の基礎だと気づいたのだ。この気づきが、彼の価値観を新しく作り直すきっかけともなった。これらの変化が重なり合って、長年の懐疑的な姿勢を乗り越え、キリスト教への信仰へと彼を導いた。

現代西洋型知性にとってのキリスト教

サンガーの回心は、現代西洋型知性——啓蒙主義以来の理性、科学、進歩を基盤とする倫理——にとって何を意味するのか。一見、彼の選択は伝統的な潮流への「退行」にも映る。ウィキペディアで知識の民主化を推進した彼が、中世的ともいえるキリスト教に回帰したとなると、現代の進歩的価値観とのギャップを感じさせる。哲学者として培った懐疑主義を捨て、聖書や三位一体に「暗唱」のような信仰を見出した彼は、理性の限界を認めたのか、それとも逃避したのか。
 しかし、この回心を単なる退行と見做すのは早計だろう。サンガーは、理性と信仰の統合を試みている。彼の回心は、科学的唯物論や新無神論の浅薄さに失望し、哲学的・神学的探求を通じて信仰に至ったプロセスを経由している。現代知識人が直面する倫理的危機——エプスタイン事件のような悪や、AI進化による実存的問い——に対し、彼はキリスト教を「最良の説明」として提示したともいえる。これは、理性の限界を認めつつ、スピリチュアルな次元を再評価する試みと言える。 とはいえ、サンガーの回心には限界も指摘される。彼の信仰が個人的な安寧感に終始し、現代のグローバルな課題——環境危機、技術倫理、文化的対立——への対話に寄与しないのではないか。また、その三位一体や聖書の受け入れが「理性的選択」に依存しすぎ、伝統的神学の神秘性を軽視しているとの批判も可能だろう。トマス・ジェファーソンのように、理性で聖書を取捨選択する姿勢は、信仰の深さよりも知的な構築に重きを置いているように見える。彼の回心は、現代知性に可能性を示しつつも、その視野の狭さや過去志向性が議論の余地を残している。私自身、彼の理性と信仰のバランスに当初は共感したものの、「文化的な退行」への落胆も感じている。余談だが、エマニュエル・トッドにも同種の退行を私は感じている。

期待される新著『God Exists』

 サンガーの回心をさらに深く理解する鍵は、彼の新著『God Exists: A Philosophical Case for the Christian God』だろう2025年3月現在、この本は未出版だが、約20万語(550ページ)を超える原稿として進行中だ。サンガーは週5日、30分の執筆を続け、2度の大幅改訂を経ており、神学教授からの好意的なフィードバックを受けながら完成を目指している。「ほとんどの出版社にとって長すぎる」と認め、2巻構成や短縮版を検討中だが、完成は数年後になる可能性もある。
 この著作は、自然神学(哲学的議論)と啓示神学(聖書)を統合し、キリスト教の神の存在を擁護するものだ。伝統的な議論——第一原因論、設計論、微調整論——を再評価しつつ、三位一体やキリストの救いに焦点を当てる。サンガーは「説教者ではなく擁護者」として、現代の懐疑的な知識人に訴えたいと語る。彼の哲学的洞察が、エプスタイン事件のような悪への応答や、現代知性の危機にどう答えるかに注目が集まる。期待されるのは、この本がサンガーの回心を理論的に裏付け、現代知性との対話をどう開くかだ。単なる信仰の弁明を超え、人類の未来に寄与する視点を示せるか。読者としては、彼の理性と信仰が、個人的な救いを超えて、グローバルな倫理や文化にどう響くかを楽しみにしたい。
 サンガーの回心は、現代西洋型知性に一つの鏡を差し出すとも言える。理性と信仰の狭間で葛藤し、キリスト教を選択した彼の旅路は、知識人の限界と可能性を映し出す。しかし、それが「退行」か「進歩」か。私は彼の回心に当初共感しつつも、その枠組みの狭さや過去への安寧感に落胆した。『God Exists』がこの問いを超える答えを示すのか。また時期を改めて考察したい。




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2025.03.09

ジーン・ハックマン夫妻の死

 ジーン・ハックマンというと、ハリウッドのタフな男役で有名だった。『フレンチ・コネクション』(1971)で麻薬組織を追い詰める刑事ポパイを演じアカデミー賞を獲得、『許されざる者』(1992)では老いた悪役としてクリント・イーストウッドと火花を散らした。スクリーンでは強さと知恵を兼ね備えた彼だが、2025年2月、95歳で逝った。95歳なら長生きで天寿の部類となりそうなものだが、それとは正反対のような事件となった。妻ベッツィ・アラカワ(65歳)とニューメキシコ州サンタフェの自宅で、愛犬と共に遺体として発見されたのだ。全米が騒然となった。
 CNNは「巨星が静かに消えた」と速報し、𝕏(Twitter)では「こんな最期なんて信じられない」と往年のファンは呟いた。しかし、話題はむしろこの異様な事態に集まった。彼ら、30歳の年の差、二人の病、孤立した暮らし、この死が注目されたのは、ハックマンがスターだったせいもあるが、高齢化社会で増える年の差夫婦や、痴呆症を抱えたパートナーとの生活の現実もまたが、そこに映し出されていたからだ。
 さて、とはいえ、現代、ジーン・ハックマンを知らない人もいるかもしれない。彼は16歳で海兵隊に入り、30歳を過ぎて俳優を志した遅咲きの才能である。2004年に俳優業を引退した。妻、ベッツィはハワイ出身のピアニストで、1991年に結婚。名前から察するに日系ではないだろうか。ハックマン引退後、夫妻はサンタフェの静かな土地で犬たちと暮らした。インタビューを拒み、公の場から遠ざかる彼の選択は、映画の喧騒からの逃避だったのかもしれない。だが、その静けさが、最終的にこの事態を整えたのかもしれない。

痴呆症と重病の連鎖

 2025年2月26日午後、サンタフェの自宅に異変を感じた近隣住民が緊急通報番号911に通報した。警察が到着すると、玄関は開け放たれ、暖房がフル稼働する家の中は異様な静寂に包まれていた。ジーン・ハックマンは玄関近くの床に倒れ、グレーのジャージ姿で杖とサングラスがそばに落ちていた。95歳の彼は、まるで外に出ようとしたまま力尽きたようだ。そして、浴室ではベッツィ・アラカワが横たわり、周囲に錠剤が散乱し、小型暖房機が転がっていた。3匹の愛犬のうち1匹は死に、2匹は衰弱しながら生き延びていた。暖房の熱と、誰もいない家の重い空気が、不気味に混じり合っていた。世間が騒然とするのも理解できる。
 当初、メディアは「一酸化炭素中毒か」「ガス漏れか」と報じ、𝕏では「妻が夫を毒殺?」「薬物絡み?」と各種の憶測が飛び交った。だが、3月7日の検視当局の会見で、静かで残酷な真相が明らかになった。ベッツィはハンタウイルス肺症候群(ネズミの排泄物から感染する稀で致死的な病気)で2月11日頃に亡くなったと見られる。サンタフェのような田舎ではリスクがある病気だが、彼女の遺体はミイラ化が進み、死後時間が経過していた。そしてジーン・ハックマンはすでに重度のアルツハイマー病を患っていたためだろう、妻が浴室で倒れた時、彼にはそれが理解できなかった。彼女の異変に気づかず、助けを呼ぶことも、食事や水を取ることも忘れ、ただ家の中を彷徨ったものと思われる。ペースメーカーの記録は2月17日で止まり、彼もその頃に衰弱死したと推定された。発見までの9日間、誰も彼らを訪ねなかった。
 痴呆症がこの悲劇を複雑にしたのだろう。ベッツィが死に、ジーン・ハックマンは妻のいない家で何を思っただろうか。そもそも「妻がいない」と気づけたのかすら怪しい。アルツハイマーは記憶だけでなく、現実を把握する力を奪う。彼にとって、ベッツィの死は「起こった出来事」ではなく、ただの空白だったのかもしれない。杖とサングラスを手に玄関に倒れていたのは、助けを求めようとしたのではなく、毎日の習慣で外に出ようとしたのか、わからない。だが、その無力さが、痴呆症のパートナーを持つ現実とも言える。

痴呆症の重荷

 ジーン・ハックマン夫妻の事件を知るほどに、その経緯は、年の差夫婦や高齢夫婦の脆さ、そして痴呆症のパートナーがいることの重荷を浮き彫りにする。ジーン95歳、ベッツィ65歳。30年の年の差は、若い頃はロマンチックかもしれないが、老いて病が重なれば致命的な溝になる。ベッツィはまだ「若く」、何かあれば助けを呼べるはずだったが、ハンタウイルスという予想外の重病が彼女を先に奪い、ジーンはアルツハイマーで現実を見失っていた。二人暮らしが安全だという幻想は、ここで崩れる。痴呆症のパートナーがいる生活は、想像以上に過酷なのだ。アルツハイマーは単に「物忘れが多い」病気ではなく、パートナーが倒れても、それが異常だと認識できないことがある。電話の使い方を忘れ、近所に助けを求める発想すら浮かばない。ハックマンはかつて、スクリーンで機転を利かせて危機を切り抜けた男だった。だが、現実の彼は、妻の死を前にただ立ち尽くすしかなかったのだろう。パートナーが痴呆症なら、もう一人が健康でも、その負担は計り知れない。ベッツィが生きていれば、ジーンの世話をしながら生活を回せたかもしれないが、彼女が先に倒れた。
 日本でも、状況は似ている。厚生労働省によると、2025年の65歳以上夫婦世帯は約600万で、年の差10歳以上のカップルも少ないとは言えない。米国では、アルツハイマー協会のデータで2025年に約700万人がこの病気を抱えると予測される。パートナーの一人が痴呆症なら、もう一人が介護者になることが多い。そして、その介護者が病気になったらどうなるか。ハックマン夫妻のように、近隣との交流が薄く、子供もいないとなると、助けはどこにもない。都会なら近所付き合いが希薄だし、田舎なら病院が遠い。二人だけの老後の世界は、一見穏やかに見えて、実は脆い綱渡りだ。
 ハックマン夫妻の死は、高齢夫婦が二人だけで生き抜く限界、そして痴呆症のパートナーがいる現実を知らせる。全米が騒いだこの事件は、ゴシップで終わる話ではなく、私たちへの警鐘でもある。年の差があろうと、アルツハイマーと重病が重なれば、支え合いは絵空事に終わる。20年以上、公の場から退いたハックマンは、静けさを求めた。だが、その静けさが二人を孤立させ、病と痴呆症に飲み込まれる隙を作った。彼らの家に近隣の目が届かず、家族の声が聞こえず、犬たちしか寄り添えなかった。ハックマンのように、妻の死に気づけないまま衰弱するケースは極端かもしれないが、いや、今後はありがちな事例となっていくだろう。
 今回の事態、サンタフェの近隣住民は「彼らがそんな状態とは知らなかった」と語ったが、普段から顔を合わせていれば、異変に気づけたかもしれない。日本では「地域包括ケア」が進むが、実態を知る人はそれが不十分であることも知っている。テクノロジーも頼りになるとされるがどうか。センサーで異変を検知し、家族や自治体に通知するシステム、遠隔で健康をチェックするアプリがある。そうした仕組みに依存するしかないのだろうか。





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2025.03.08

チャス・フリーマン大使の講演

YouTubeの『ニュートラリティ・スタディ』に、アイルランドの市民社会組織「シンキング・センター」のエディ・オブライエン氏が主催した、2025年2月20日のZoomイベントの一部にチャス・フリーマン大使の講演が収録されていた。(参照)。彼は、米国国防次官補、サウジアラビア駐在大使などの役職を歴任し、リチャード・ニクソン大統領の1972年の中国訪問時には首席通訳を務め、米中関係の正常化に貢献した人物である。

以下は、講演を日本語でまとめてみたものである。2月28日に、ゼレンスキー宇大統領とトランプ米大統領の交渉決裂前の講演であることを留意していただきたい。[注] は私が加えたものである。


ロシアの侵攻は挑発されていなかったのですか?

ロシアがウクライナに侵攻したことが挑発によるものかどうかは、長年にわたる問題です。1994年、ウラジーミル・プーチン氏が権力を握る前から、ボリス・エリツィン氏はNATOの拡大やロシア国境付近に敵対勢力が配置されることは受け入れられないと警告し、それが軍事的な反応を引き起こすと述べていました。この反応は、2008年のグルジアとロシア間の短い戦争でもさらに示されました。ですから、ウクライナ紛争がエスカレートしたとき、驚くべきことではなかったはずです。この戦争は、2014年のキエフでのクーデター後に内戦として始まり、ロシア語を話すウクライナ人とウクライナ語を話すウクライナ人が対立しました。新たに成立したキエフの超国家主義政府は、ロシア語やハンガリー語、ルーマニア語、その他の少数言語の地方レベルでの使用を禁止しました。東部ウクライナで優勢なロシア語話者——クリミアでは75%、一部の東部州では最大90%——は反発し、ロシア語を使い、子供たちをその言語で教育し、地方行政とコミュニケーションする権利を求めました。ロシアは当然、彼らを支援しました。[注: 現ウクライナ地域には歴史的な経緯から少数民族としてハンガリー民族が住んでいる。]

これが交渉につながり、フランスとドイツが主催した2つのミンスク合意が結ばれ、ロシアもこれに同意しました。これにより、ドンバス地域——ルハンスクとドネツク——がウクライナの一部として残るものの、カナダのケベック州に似た自治権を持ち、ロシア語を公用語として教育や行政に使用することが認められました。ウォロディミル・ゼレンスキー氏は大統領選ではこれを強く支持しましたが、就任後には撤回しました。その時点で、ドイツのアンゲラ・メルケル氏とフランスの指導者たちは、この合意を本気で意図していなかったと言いだしました——それはロシアに対してウクライナ軍を武装し訓練する時間を稼ぐ手段に過ぎなかったのです。挑発は、超国家主義的なウクライナ人が東部のロシア語を話す同胞ウクライナ人を攻撃することから始まり、これがロシアの介入に発展しました。この紛争は8年間続き、ロシア語地域への砲撃で1万5千人が亡くなりました。2021年12月、プーチン氏は3つの議題で交渉を要求しました。1つ目は、ウクライナのNATO加盟やロシア国境への米国および反ロシア勢力の配置に関する議論の停止、2つ目はミンスク合意とロシア語話者(およびハンガリー人やルーマニア人)の自治の再確認、3つ目は、1955年のオーストリア国家条約をモデルにしたウクライナを中立国とするヨーロッパの安全保障構造についての広範な議論です。この条約は、冷戦時にオーストリアの独立、民主主義、少数民族の権利を保証したものです。

これら3つの項目は今も交渉の基礎ですが、大きな違いがあります。ロシアは戦争を始め、東部のロシア語を話す4つの州の全部または一部を占領した今、それらを保持することを求めています。ウクライナがミンスクのような合意を実行するとはもはや信頼していないのです。これは簡単な歴史ですが、多くの紆余曲折があります。

米国と西ヨーロッパは挑発の一部だったのですか?

はい、そうです。プーチン氏と彼の政府は交渉を求めましたが、米国とNATOのイェンス・ストルテンベルグ事務総長からこれらの議題を一切議論しないという明確な拒否を受けました。西側が話し合う用意があった唯一の問題は、ウクライナへのミサイルや軍備の配備制限だけでした。国家運営では、平和的手段で国益が満たされない場合、武力を使うしかなく、ロシアはそれを選びました。挑発は、物事を話し合うことを拒んだことでした。この姿勢は3年間続き、最近リヤドで変化が見られました。そこで、米国とロシアの外相会談が4つの点で合意しました。1つ目は、報復的な追放を経てモスクワの米国大使館とワシントンのロシア大使館を完全に機能させること、2つ目は外相レベルでの対話を続け、交渉チームを任命してウクライナの平和の枠組みを定めること、3つ目は米ロ関係の正常化、4つ目はヨーロッパ全体の平和へのアプローチです。当初はウクライナと欧州を除外していますが、枠組みが決まれば参加します。この突然の一方的展開には大きな不和と怒りがあり、EU、NATO、ウクライナとの事前相談は実質的にありませんでした。

一方で、トランプ氏は当初からこれが意図だと公言しており、彼は選挙に勝ちました [注 直前のリヤド会談や交渉プロセス]。問題は、なぜウクライナや欧州のNATOメンバーがこの意味について相談を始めなかったかです。答えは、彼らがどうすべきか分からないからだと思われます。パリでの少数のEU諸国の小規模な会合に、EU非加盟の英国も参加しましたが、3時間半議論しても「ばかばかしいネズミ」——実質的な成果はほとんど出ませんでした。[注「ばかばかしいネズミ(ridiculous mouse)」という表現は、ラテン語の諺「Parturient montes, nascetur ridiculus mus(山々が産気づき、笑いものネズミが生まれた)」による。これは、ホラティウスに由来し、大きな期待や労力に対して結果があまりにも些細で失望に値するものを風刺する。]

今、米国の大統領とゼレンスキー氏の間で、罵り合いや非難の応酬が起きています。私には、ゼレンスキー氏は誤った道に導かれて災難に直面し、今の状況を嫌がっているように見えます。次に何が起きるかは交渉チームにかかっていますが、EU、NATO、特に英国の衝撃は、世界がこれまでに見た最も激しい情報戦争の中で生きてきた結果なのです。バイデン政権は、戦場での敵と何も話し合うべきでないと考えました——それが何を達成するのかは不明です。外交はなく、戦闘だけが続き、エスカレートしました。ウクライナが勝っている、ロシアの死傷者がウクライナを大きく上回っている、新兵器が戦場で全てを解決するといった偽りの主張の中でです。これらは真実ではなく、それを信じた人々——欧米の大多数ですが、世界の他の地域では大きな懐疑がありました——は、3年間言われてきたことと全く異なる現実に直面しています。

外交の欠如はあなたのような人にとって驚くべきことだったのですか?

それは驚くべき過ちでした。軍事には「敵との接触を失うな」という格言があります。そうしないと、側面を突かれたり不意を突かれたりするからです。国際関係でも同じで、敵との接触を失うべきではありません。中国がその例です。1962年の中国・インド国境戦争ではデリーの大使館を維持し、1979年の中国・ベトナム国境での戦闘でもハノイの大使館を閉じませんでした。戦争中こそ外交接触が最も必要です。しかし、ブリンケン氏は4年間モスクワを訪れませんでした。ロシアの非常に有能な外相セルゲイ・ラブロフ氏は、魅力的にも必要なら不快にもなれる人物ですが、5年間ワシントンを訪れませんでした。ブリンケン氏とラブロフ氏は国際会議で顔を合わせましたが、10分以上話さず、見たりした楽しいことについてのみ表面的な会話を交わしました——嫌いな親戚とディナーテーブルで話すようなものです。これは大きな過失で、米国の外交官として私を驚かせました。

西側は外交の価値を理解していないのですか?

私たちは3つのことが重なった時代に生きています。まず、民主主義国家は戦争中に敵を激しく悪魔化します。プーチン氏は悪の化身とされ、彼の声を聞くのは難しいのです——情報戦争のためにメディアが遮断され、検閲されているからです——が、彼はしばしば筋の通った話をし、戦略的思考とロシア視点の歴史の理解を示します。それに同意するかどうかは別としてです。次に、政治的コミュニケーションはオンラインで、メディア寡占に支配され、政府が利用者の発信を検閲するよう促しています。これはどこでも大きな問題です——JDバンス氏がヨーロッパを非難したのは不当で、米国でも第一修正条項があるのにやっています。3つ目は、政治的正しさです。群れの精神に従わず、反対意見を述べたり、物語に合わない事実を導入したりすると、ロバートソン教授に起きたように非難されます。これら3つは精神を麻痺させます。心理学者は、虚偽を長く繰り返せば疑われない公理になると知っています。それがこの戦争の記述で起きています。

ロシアのプロパガンダもあります——誰もがそれを行います——が、特に効果的とは言えません。良いプロパガンダは真実と固定された関係が必要です。今や全てがもっともらしく、何も真実でない世界に生きており、正誤が分かりません。私たちはソーシャルメディアの犠牲になっています。それは陰謀論の培養皿です。橋の下にトロール[注 小人の姿をした怪物]がいると信じ、フェイスブックにいれば、同じ信念を持つ人とつながり、反対する人なしで会話します。トロールに実証的証拠はないのにです。それがここや他の文脈——パレスチナのジェノサイド隠し、イランの悪魔化、米国での中国の悪魔化——で起きています。多くの非真実が公理とされ、事実を導入しようとすると深刻な問題になります。最初のトランプ政権の「代替的事実」とは、事実ではなく事実を装った発言です。

外交における共感と同情の役割は何ですか?

共感は外交の基礎です。外交の目的は、相手にあなたの視点が彼らの利益だと受け入れさせ、相手にとって有益だと納得させることです——つまり、あなたが望むことを彼ら自身の利益だと確信させるのです。それには、彼らがどう見ているか、なぜそう見るかを理解する必要があります——それが共感で、同意を意味する同情とは異なります。共感は理解だけを意味します。この区別の欠如は、異議を唱える者への政治的正しさの非難に明らかです。何かを理解して説明すると、同情していると非難されます。ウクライナを例にしましょう。ロシアの侵攻は国際法上完全に違法で、起こるべきではありませんでした。興味深いことに、ゼレンスキー氏とウクライナ指導部は当初それを理解しており、2022年3月、侵攻からわずか1か月で、トルコと当時のイスラエル首相ナフタリ・ベネット氏の仲介でイスタンブールで協定案に達しました。それは署名され、国民投票とプーチン氏とゼレンスキー氏の会談で批准される予定でした。するとボリス・ジョンソン氏がキエフに飛び、「あなたは和平の準備ができているかもしれないが、我々はそうではない」とメッセージを伝えたようです。これは戦争の目的が——もし目的があったなら——ウクライナを助けることではなく、ロイド・オースティン国防長官の言葉で、ロシアを弱め孤立させることだったことを示します。それは戦略的動きで、最後のウクライナ人まで戦う覚悟でした。今、その最後のウクライナ人に近づいています。だから、新たな素晴らしい兵器がロシアに打撃を与えないのです。ウクライナの問題は、あまりに多くの男女を失い、攻勢を続けられないことです。ロシアのクルスクへの侵攻は災害です——最良の生き残った部隊を送り、交渉での領土交換を準備したのでしょうが、彼らは壊滅し、防衛線が縮小しています。北朝鮮人がいるかどうかは不明です。彼らが戦い、捕まるより自殺すると言われますが、北朝鮮人捕虜へのインタビューはありません。キム・ジョンウン氏は部隊を戦闘で鍛えたいかもしれませんが、本当にいるか分かりません——何も絶対に真実ではなく、全てがもっともらしいのです。

戦場で失ったものは交渉テーブルで取り戻せません。戦場の結果が戦後和解の可能性を決めます——アイルランドはこれをよく理解していると思います。「全てをプーチンに譲っている」と不満を言う人がいますが、彼が奪ったものを私たちは取り戻せません。地理を見れば、モスクワとピレネー山脈の間は平坦な平原だけで、ナポレオンやヒトラーが示したように軍が簡単に通れます。モスクワの東からカムチャツカ半島までは凍ったツンドラで、モンゴルが証明したようにこれも通過可能です。モスクワから見ると、東や西からの侵攻に敏感で、中立の緩衝地帯が必要です。ウクライナはそんな場所であるべきで、ロシアと欧州の間の緩衝と橋になるはずです。事がうまく進めば、そうなるでしょう。その間、おそらく100万人のウクライナ人が死にました。ウクライナは独立時に5200万人でしたが、2022年の侵攻時——戦争は2014年に始まりました——にはヨーロッパ最低の出生率と移民で3200万人に減り、今は約2000万人です。250万から300万人がロシアに、残りは欧州に亡命しました——ポーランドに150万人、ドイツにほぼ100万人——米国にはほとんどいません。これは避難所の歴史に反し、トランプ政権が大量国外追放で悪化させています。

イスラエルはなぜ米国政府に強い影響力を持つのですか?

これの多くはホロコーストの恐怖で説明されます——ヨーロッパで起きた現象で、米国ではありませんが、私たちは一部の収容所を解放しました(ソ連がもっと貢献したことは認めません)。人々は罪悪感を感じ、または感じさせられます——ユダヤ人だけでなく、ロマ人、リベラル派、共産主義者など、彼らが誰かで何を信じるかだけで大規模な虐殺が行われたからです。今またそれが見られます。米国では、アブダビかドバイ——正確には覚えていませんが——でアラビア語の夕方ニュースを見たことを覚えています。ガザからのホームビデオで、当時まだイスラエル人が住んでいて集中キャンプになる前でした。2人の私服のイスラエル警察か情報機関員が17歳の少年を家から連れ出し、殴り、頭を蹴り、撃ち、笑いながら去りました。これが本国で報道されれば大騒ぎになると思いましたが、現れませんでした。私たちのメディアは自己検閲し、政府や利益団体に都合の悪い意見を防ぎます。私たちは民主主義を名乗りますが、多くの点で富裕層支配です。その多くはユダヤ系で、イスラエルに関連し、私が述べた意味で同情的です。

今、南アフリカのアパルトヘイト下で育った人々が権威ある地位にいて、人種差別的政策を我々に押し付けています。イスラエルと南アフリカはアパルトヘイト時代に親密で、両国が持つ核兵器を一緒に作り、テストしました——私はアパルトヘイト下の南アフリカと関わり、魅力的でしたが喜びとは程遠かったです。トランプ氏は白人南アフリカ人、アフリカーナーが迫害の危険にあり、他の誰をも除外して難民として優先的に受け入れると宣言しました。南アフリカでは人口の7%——白人——が土地の70%を所有し、これはアパルトヘイトの結果です。政府は未使用の土地を収用し黒人農民に再分配する法律を可決しましたが、まだそのような収用は行われていません。これがイーロン・マスク、ピーター・ティール、デビッド・サックスといった南アフリカ出身者の不満を煽っています。彼らはアパルトヘイトの解体というトラウマを経験し、USAIDが深く関与していました——マスク氏のUSAIDへの敵意の理由かもしれません。間違った移民を得たのかもしれません。私たちの富裕層は選挙を操作します——前回の選挙では60%しか投票せず、100万人の以前の投票者が現れませんでした。トランプ氏は投票者の49.8%を得て、強力な少数派で過半数ではありません。カマラ・ハリス氏は約47%、残りは抗議票でした。彼は成人米国人の30%未満からの委任を主張し、政府サービスを壊し、混乱を生み、全てを中断させています。ノーベル賞経済学者のジョセフ・スティグリッツ氏は、米国はもはや投資に値しない——外国人は投資せず、米国人は埃が落ち着くまで待つべきだと述べています。私たちは無力な状態にあり、多くの異常行動を説明しています。

パレスチナでジェノサイドが起きているのですか?

TikTokに敬意を表します。若者にフィルターなしで現実を示し、それがイスラエルロビーが米国でそれを禁止しようとする理由です——中国のスパイ行為ではなく、米国の若者、特にユダヤ人若者の意見をイスラエルの行動に反対に変え、私たちの共犯を認識させたからです。イスラエルは我々の資金と武器なしでは戦争を1分も続けられません。ジェノサイドがあるかどうか、ガザはこの殲滅戦争の開始時に230万人でした。トランプ氏はガザをトランプタワーと国際ホテルがあるリゾートに再開発し、パレスチナ人が泊まる必要はないと述べ、今は170万人を民族浄化すると言います。別のイスラエル推定では190万人——40万か60万はどこへ?国際司法裁判所、国際刑事裁判所、ヒューマン・ライツ・ウォッチ、アムネスティ・インターナショナル、イスラエルのB’Tselemが証拠を慎重に調べ、ジェノサイドと結論づけました。シオニズムの真の信者でない限り、疑問の余地はありません。多くがそうですが。[注: ビツェレム B’Tselem – The Israeli Information Center for Human Rights in the Occupied Territories(ビツェレム – 占領地における人権のためのイスラエル情報センター)はイスラエルを拠点とする人権団体である。]

我々はどこへ向かっているのですか?

混乱に向かっています。ミュンヘン安全保障会議で、トランプ政権のメッセージは太平洋への再編成、大西洋からの離脱で、80年間我々に依存してきた欧州に独自の秩序維持を求めました。欧州理事会のアントニオ・コスタ氏は、欧州はロシアと新たな安全保障構造を交渉する必要があると言います。情報戦争で現実を誤解した衝撃から、欧州が合意するには時間がかかります。アイルランドはEUの一部として、妄想があったところに現実主義を促す理性的な声かもしれません。27カ国は27人と同じで合意が難しく、欧州は決定を下せません——パリの短縮会合で、イタリアは黙り、ドイツはウクライナへの派兵に反対、英国は米国が参加すれば派兵すると言い、我々は行きません。ウクライナへのNATO軍がロシアを戦争に駆り立てたのです。

他にも要素があります。トランプ氏は関税を外国人が払うと信じています——錯覚で、それは我々に課税され、輸入に依存しています。我々は過度な制裁でドルの強さを乱用し、普遍的な貿易決済手段としての役割を危うくしました。これがBRICSを生み、当初は米国覇権への抗議でしたが、今はルール設定機関で、新開発銀行のような機関を作り、世界銀行の停滞を是正しています。中国のアジアインフラ投資銀行は我々がボイコットしますが、世界銀行のルールに従い、融資に会員制を求めません。新たな機関と安全保障の枠組みが生まれています。バイデン政権の見解——世界が民主主義対独裁と大国間競争で組織されている——は誤りでした。中級勢力が再浮上しています。サウジアラビアが最近の米露会合を主催し、トルコ、ブラジルも同様です。これは多極的世界秩序で、冷戦の双極ではありません——ノードは3次元で、進化し、変化し、太い細いつながりを収容できます。だから、フランスのようないまだに世界大国を装うがアフリカで帝国を維持できない国や、日本のように殻から出てくる国が、中級勢力として力を持っています。

冷戦の外交は塹壕戦のようで、時折偵察し、拡大は期待せず、第三世界で代理戦争を戦い、直接戦争を避けました。今は核戦争の危険に直面しています。中国は最小限の打撃力では済まないと認識し、相互確証破壊(MAD)を採用しています。数年で1500発の中国核搭載ICBMが米国を狙い、我々を完全に破壊し余りあります——19世紀ヨーロッパに似た世界です。ウィーン会議や欧州協調が多国間の力の均衡を管理し、普仏戦争のような中断はあれど1914年まで平和を保ったように、学べることを願います。誰も全体の覇権を握らない包括的秩序が必要です。第一次世界大戦後にドイツとロシアを排除したのは大きな過ちで、第二次世界大戦と冷戦を招きました。それは再びできません——1815年のメッテルニヒを模倣し、敵を含める必要があります。フランスは欧州秩序を乱したにもかかわらず、引き戻されました。

 

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2025.03.07

CNNのファクトチェック修正騒動

 2025年3月4日、ドナルド・トランプ大統領は議会での演説で、政府効率化省(DOGE)が「マウスをトランスジェンダーにする」実験に800万ドルもの連邦資金が使われたと主張した。この発言は、保守派支持者に向けた「無駄遣い削減」のアピールとして飛び出したものである。そして翌5日、CNNは記者デイアドレ・マクフィリップスのファクトチェック記事で、この主張を「虚偽」と断定した。記事では、トランプの言う「マウス」ではなく、サルにホルモン療法を施してHIV治療を研究する助成金(2021~2022年度で47万7121ドル)が存在すると指摘し、「マウスをトランスジェンダーにする」などあり得ないと論じた。
 さて、ここから問題。事態は急展開を迎えた。ホワイトハウスがマウスを使った性別移行関連研究のリストを公開したのだ。そこには、例えば「テストステロン治療の影響を調べるマウスモデル」に53万2000ドル、「女性化ホルモン療法のテスト」に3万3000ドルといった助成金が含まれていた。すると、CNNは慌てて記事を修正し、「虚偽」を「文脈が必要」に変更した。「研究はマウスをトランスジェンダーにするためではなく、人間の健康への影響を調べるものだった」と説明を加えた。訂正文も掲載され、「以前のバージョンでは誤って虚偽と特徴づけていた」と認めた。この経緯は、Fox Newsなどの競合メディアに「CNNのミス」として取り上げられ、波紋を広げたのである。
 この事態は、単なる事実誤認を超えて、メディアの信頼性や政治的意図をめぐる議論を呼び起こしている。特に、CNNが当初選んだ言葉とトーンに注目すると、その背後に何が潜んでいたのかが見えてくる。

「虚偽」という言葉の重み
 CNNが初期のファクトチェックで「falsely claimed(虚偽の主張をした)」と断言したことは、単なる誤りとは言い切れないニュアンスを含む。「誤解を招く」や「不正確」ではなく、「虚偽」という強い言葉を選んだ点は注目に値する。この選択は、トランプの発言を単に訂正するだけでなく、根底から否定し、彼の信頼性を傷つける効果を持つからだ。トランプが「マウスをトランスジェンダーにする」という奇抜な表現を使ったのは事実だが、研究の存在自体は後で裏付けられた。にもかかわらず、CNNは当初、その可能性を一切考慮せず、サルの研究だけを根拠に全否定に走った。
 このトーンは、トランプを嘲笑的に描く意図も暗示する。記事では「800万ドル」の出所が不明と強調しつつ、彼の発言を誇張的で荒唐無稽なものとして切り取った。しかし、トランプの主張はDOGEの政策アピールの一環であり、保守派が性別移行関連研究を「無駄遣い」と批判する文脈があった。CNNがこうした政治的背景を省いたことも、彼を貶める意図があったと解釈される要因である。こうした言葉とトーンの選択は、CNNとトランプの長年の敵対関係を反映している可能性が高い。トランプが「フェイクニュース」と非難してきたCNNにとって、彼の発言を迅速に否定することは、政治的対抗意識の表れとも取れるのは当然だろう。
 とはいえ、CNNの意図を証明する直接的な証拠はない。訂正後の軟化したトーンや、調査不足による誤解の可能性も否定できない。だが、「虚偽」という言葉が持つ攻撃性は、単なるミスを超えた何かを示唆していると言わざるを得ない。まあ、端的にいえば、リベラル・メディアの胡散臭さを煮詰めたようなものだ。

メディアの信頼性とファクトチェックの難しさ
 この騒動は視野を広げれば、メディアがファクトチェックに挑む際の難しさを浮き彫りにする。科学的な研究内容を短時間で正確に評価するのは容易ではない。トランプの発言は誇張的で曖昧だったが、マウスを使った性別移行関連研究が存在した事実は動かしがたい。CNNが当初それを否定したのは、情報の不足に加え、トランプへの先入観が影響した可能性があるだろうが、修正後の説明で「研究の目的は人間の健康への影響を調べるもの」と正しく文脈を補ったのに対し、初期記事はそうした視点をそもそも欠いていたからだ。
 今回の事例が注目されるには、米国の、特にリベラル・メディアは視聴者からの現在、信頼低下に直面している背景がある。CNNが訂正を余儀なくされたことで、Fox Newsは「ネットワークの失態」として攻撃される隙を与えた。ファクトチェックは客観性を示す手段であるはずが、誤れば逆に偏りを疑われるリスクを負う。このケースでは、「虚偽」という言葉の選択が、政治的意図を疑う声を増幅させた。もしCNNが中立的なトーンで「文脈を確認中」として、手順的に留保していれば、こうした批判は避けられた。
 結論として、CNNのファクトチェック修正は、言葉とトーンが単なる事実報道を超えて意図を暗示する事例である。トランプを迅速に否定しようとした可能性は、選ばれた「虚偽」という言葉に色濃く表れている。厳密には、それが意図的だったか、単なる性急な判断だったかは依然として推測の域を出ないが、それ自体が胡散臭い防衛的な煙幕として機能していた。メディアが信頼を取り戻すには、言葉の重みを再考し、政治的対立の中で客観性を保つ手順的な努力が求められる。この騒動は、その課題を突きつける、と理解しなければ、救いようがないだろう。



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2025.03.06

耐性菌への新兵器となるか?

 20世紀後半に医学のシーンを変革した抗生物質だが、もはや万能ではない。薬剤耐性菌、通称「スーパーバグ」が世界中で猛威を振るい、年間100万人以上がその犠牲となっている。緑膿菌(Pseudomonas aeruginosa)は、重篤な肺炎や敗血症を引き起こし、多くの抗生物質を無力化する。こうした、抗生物質が逆説的に生み出した脅威に、私たちの身体が自然に秘めた防御策が応えるかもしれない。イスラエルのワイツマン科学研究所が『Nature』で発表した研究によれば(参照)、細胞内の「プロテアソーム」が、耐性菌と戦う新たな武器を生み出していることがわかった。

プロテアソームの隠された力

 プロテアソームは、細胞内で古くなったタンパク質を分解し、再利用可能な断片に変える、いわば「リサイクル工場」であり、これまで、その断片(ペプチド)は主に免疫システムに危険を知らせる役割を担うとされてきた。しかし、この研究は、プロテアソームがもう一つの顔を持つことを明らかにした。それは、耐性菌の膜を直接破壊する「プロテアソーム由来防御ペプチド(PDDP)」を生み出す力である。
 PDDPは、プラス電荷を持つ小さな分子で、細菌のマイナス電荷の膜に引き寄せられ、細胞に穴を開けて殺す。実験では、緑膿菌のような強力な耐性菌に対しても、マウスの感染モデルでは顕著な効果を示した。肺や脾臓での細菌数を減らし、組織のダメージを抑えるその力は、既存の抗生物質トブラマイシンに匹敵するようだ。プロテアソームが、単なる掃除役を超えて、危機に立ち向かう戦士となる仕組みである。

感染に反応する知的なスイッチ

 興味深いのは、PDDPが普段から微量に存在しつつ、細菌の侵入を感知すると急激に増えている点だ。この切り替えを司るのが「PSME3」というプロテアソームの補助部品である。細菌が細胞に近づくと、PSME3がプロテアソームに結合し、分解のパターンを変える。すると、抗菌効果の高いプラス電荷のペプチドが優先的に作られるようになる。
 研究者たちはこれを確かめるために、PSME3を取り除いた細胞で実験を行った。結果は、想定通りだった。サルモネラ菌のような細菌が容易に増殖し、防御が破られたが、PSME3が機能する細胞では、細菌の侵入を効果的に抑えた。この反応は、耐性菌が猛威を振るう前に、体内で迅速に立ち上がる防御線と言えるだろう。危機に適応するこの知的な仕組みは、私たちの身体の驚くべき柔軟性を示している。
 この発見は、他面、免疫学の常識を覆す一歩ともいえる。プロテアソームは、これまで「適応免疫」の支援役と見なされてきたが、「自然免疫」の主役としての役割も担うことがわかったからだ。進化という観点からも興味深い。PSME3は、適応免疫が発達する以前の古い仕組みに由来し、耐性菌との戦いが人類の歴史に刻まれた原始的な防御策である可能性を示唆している。

耐性菌との戦いに光明を

 耐性菌が現代の医療を脅かす背景には、いたちごっこのように抗生物質の開発が追いつかない現実がある。緑膿菌だけでなく、MRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)や多剤耐性結核菌など、治療が困難な細菌が次々と現れている。そんな中で、PDDPは新たな可能性として期待される。研究チームは、人間の全タンパク質を解析し、プロテアソームが数十万ものPDDPを生み出せることを予測した。その中には、緑膿菌を退治した実績を持つペプチドも含まれている。
 さらに、PDDPが体内で自然に生成される物質である点は大きい。合成抗生物質と異なり、免疫系が過剰反応するリスクが低い可能性がある(過剰反応は危険である)。マウス実験では、肺炎や敗血症の症状が軽減し、生存率が向上した。しかし、当然ともいえるが、医薬品としての実用化にはまだ課題が残る。ペプチドの安定性や生産コスト、他の耐性菌への効果検証など、乗り越えるべき壁は多い。そもそも抗生物質活用のきっかけとなったペニシリンもその発見の製造とでのは時間の遅れがあったものだ。基礎研究と応用の壁は厚い。PDDPが薬剤として薬局に並ぶには、さらなる研究と時間が必要だ。どの耐性菌に効くのか、体内でどれだけ持続するのか、答えを待つべき問いも多い。
 しかし、この研究は、私たちの体が秘めた可能性を教えてくれる。耐性菌という現代の敵に対し、細胞一つ一つが小さな戦場となり得るのだ。次に病院を訪れるとき、プロテアソームが静かに戦っている姿を思い浮かべると、少し心強く感じられるかもしれない。



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2025.03.05

トランプ政権の中国観変更

 トランプ米政権が中国を「中華人民共和国」と呼ばず、「中国共産党(CCP)」を前面に押し出す動きを見せている。米国務省が2025年3月に打ち出した新指針では、さらに習近平を「国家主席」ではなく「共産党総書記」と位置づけ、CCPと中国人民を明確に区別するものとなった。表面的には言葉の変更に過ぎないが、その裏には米国の対中戦略の変化が潜む。この動きは何か、そしてなぜ今なのか。

中国関連の名称変更

 2025年3月3日、米国政府系メディアVOAが報じた内部文書によると、米国務省は中国関連の用語について新たな指針を打ち出した(参照)。これまで「中華人民共和国(PRC)」と呼ばれていた中国は、公式ウェブサイトのファクトシートで単に「中国(China)」と記載され、政府の行動については「中国共産党(CCP)」が使われる。また、これと同時に、習近平は「国家主席(President)」ではなく「共産党総書記(General Secretary)」と呼ばれることになる。この変更は、トランプ大統領が第2期政権として2025年1月20日に就任し、対中強硬派のマルコ・ルビオ国務長官が主導する中で進められた。

CCPと中国人民の区別

 米国務省の指針は、CCPと中国人民を分けて扱うことを明確にしている。VOA報道によれば、「中国(Chinese)」という形容詞を否定的な文脈で使わず、例えば「中国の悪意ある行動」を「CCPの悪意ある行動」と表現するよう指示されている。これは、米国が中国人民やその文化への敵意を避け、責任をCCPに集中させる意図を示している。背景には、トランプ第1期(2017~2021年)後期から続く戦略がある。当時、マイク・ポンペオ元国務長官は「CCPは中国人民を代表しない」と繰り返し、対中政策が人民への攻撃ではないと強調していた。
 関連情報として、米国は近年、中国内部の不満を意識した発信を増やしている。2020年代の香港デモや新疆ウイグル問題では、米国務省がCCPの抑圧を批判しつつ、現地住民への支持を表明。新指針はこの路線を公式化し、CCPへの圧力を強めつつ、中国人民との対話を維持する姿勢を明確にした。さらに、この分離戦略は中国国内の分断を意識している可能性もある。経済成長の鈍化や若者の失業率上昇(2024年時点で約20%)が続く中、米国が「CCPが問題」と訴えることで、国民の不満を党に向けさせる狙いも考えられる。

習近平の扱いの変化

 特に注目すべきは、習近平の呼称の変化だ。新指針では、習を「国家主席」ではなく「共産党総書記」と呼ぶよう定められている。これは、CCPが国家の上に立つ構造を強調し、習の権力が党に由来することを示す。VOA記事は、これがポンペオ時代の慣行を踏襲すると指摘するが、第2期トランプ政権では公式指針として全大使館・領事館に適用される点で異なる。 事実として、バイデン政権(2021~2025年)では習を「国家主席」と呼び、中国との「責任ある関係管理」を優先していた。これに対し、2025年3月時点の米国務省は、習を党の指導者に限定し、国家のリーダーとしての正当性を認めない立場を鮮明にしている。例えば、2月13日のファクトシート更新では、「CCPが国際機関を操る」と記述され、習はその執行者として「総書記」扱いだ。この変化は、習への個人的批判を強め、彼の国際的地位に挑戦する意図を持つ。米国が習を「国家元首」と見なすのを避ける姿勢は、公式にその地位を否定する段階にはないが、今後の外交実務でさらに明確になる可能性がある。中国外務省はこれを「冷戦思考」と非難し、3月3日に抗議を表明した。
 中国側では、この米側の呼称変更が国内統治に微妙な影響を及ぼす可能性もある。習は2012年以来、国家主席としてではなく党総書記として権力を集中させてきたが、国際社会で「総書記」と強調されると、党内の権力争いや国民の反発を刺激するリスクがある。

米中対立の新段階

 この名称変更の指針は、トランプ第2期政権の対中戦略の一部でもある。就任初日に26件、1か月で約70件の大統領令を発令し、中国製品への10%追加関税や投資制限を導入した。また、日本(石破茂首相の2月訪米)やインドとの首脳会談で同盟強化を進め、中国包囲網を再構築している。米国務省の呼称変更は、これらと連動し、CCPを経済・外交両面で孤立化させる動きと一致する。背景には、米国の対中認識の変化がある。バイデン時代は「投資・連携・競争」の枠組みで競争を管理したが、トランプ政権は対立を前提にCCPを「敵」と定義した。CSISのブライアン・ハート氏はVOA報道で「新政権のトーン設定」と述べたが、関税や技術規制(例: 半導体輸出制限の強化)と合わせ、対中圧力が加速している。さらに、ロシアとの関係改善も中露分断を狙った地政学的戦略の兆候とも考えられる。
 今後この動向は、国際社会に影響するだろう。この指針が同盟国に波及すれば、中国の国連での発言力やWTOでの貿易交渉に影を落とす可能性がある。例えば、日本や欧州が同様に「CCP」を強調し始めれば、中国の国際的孤立が深まる。一方で、中国は「一帯一路」参加国との結束を強め、対抗軸を構築する動きを加速させるだろう。
 中国側では、CCPへの敵視が国民の愛国心を刺激する一方、習の権威に微妙な圧力を加えるかもしれない。長期的に見れば、台湾問題や南シナ海での緊張、技術競争の激化がこの戦略でどう展開するかが焦点となる。例えば、米国が台湾への支援を「CCPへの対抗」と位置づければ、軍事的衝突リスクも高まる。この変化は、米中関係が新たな段階に入ったことを示す。ウクライナに「マイダン革命」を仕込んだヴィクトリア・ヌーランドなどのネオコンはトランプ政権で一旦影を潜めたふうでもあるが、彼らはロシアだけでなく中国も敵視して「代理戦争」の種を仕込む懸念もあり、操作された反中ムードは日本の安全保障上も留意が必要になる。



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2025.03.04

時速30キロ規制

 まあ来年の話だ。2026年9月から始まる「センターラインのない道路の最高速度30キロ規制」だが、どうもしっくりこない。歩行者安全のため、と言われれば「まあ、いいことだよね」と頷きたくなる。でも、腑に落ちない。千葉県八街市の飲酒運転事故をきっかけに挙げるけど、逆に、それ(飲酒運転問題)が速度30キロ規制と何の関係あるのか、疑問だ。しかも、なぜ今このタイミングで? しかも国会議論ではなくて、閣議決定でサクッと決めたのか?
 探りをいれると、「国際基準」の影がちらつく。EUでは30キロ推奨があり、これが日本に影響したのか。調べてみると、何か変だ。思ったほど単純ではない。

EUの30キロ旋風の影響?
 EUでは「Vision Zero」(2050年までに交通事故死ゼロ)という壮大な目標のもと、都市部での30キロ規制が、なんというか花盛りといういう感じだ。European Transport Safety Council(ETSC)の2024年10月25日記事によると、イタリアのボローニャは今年初めに全市で30キロを導入し、たった6ヶ月で事故11%減、死亡者33%減とのこと。すばらしい。ウェールズも20マイル/h(約32キロ)で事故25%減と、目に見える成果を上げてる。ETSCは「欧州委員会も30キロの効果を認めてる」と胸を張る。確かに説得力はある。
 で、日本はどうか。警察庁の「令和6年版交通安全白書」(2024年6月)を見てみると、「諸外国の速度管理事例を参考に」としっかり書いてある。特に「欧州の都市部での30キロ制限が事故減少に効果的」と紹介。2020年の「Stockholm Declaration」も絡んでくる。これは国連主催の道路安全閣僚会議で採択された文書で、「都市部の速度を30キロにすれば歩行者死亡リスクが減る」と各国に呼びかけたものだ。日本は警察庁幹部を送り込んで宣言を支持してる。つまり、EUの成功事例や国際的な「30キロ推奨」の影響が今回の30キロ規制だと言える。

「だから一律規制」には飛躍がある
 とはいえ、さて、日本が「EUを見習って30キロにした」と直結するかというと、そこが微妙な感じだ。白書では「ゾーン30の拡大や速度見直しを進める」とは書いてるけど、「だから全国一律にしろ」とは誰も言ってない。NHKの2024年7月23日報道でも「国際安全基準への対応が背景」と一文あるけど、具体的に「EUがこう言ったから」は出てこない。朝日新聞(2023年5月31日)では警察庁が「海外事例を参考に」とポロッと言ってるだけ。影響はあっただろうけど、「EUの命令で!」みたいな強い圧力の証拠はゼロだ。なぜなんだろう? 書けばいいのに(ユーベルの声で)。
 そもそも、EUの30キロは都市部が中心だ。ボローニャみたいに歩行者優先の街づくりとセットでやってる。で、日本ではどうだろう? 全国87万キロの「小さな道」を一律30キロにするって言うけど、農村の田んぼ道と東京の住宅街じゃ事情が違いすぎる。EUでの規制の成功は歩道整備や自転車レーンがあってこそなのに、日本の生活道路は狭くてそんなインフラもない場所ばかりが実態だ。これは、「国際基準に合わせた」っていうより、「形だけ真似した」感が否めない。

八街市事故と国際潮流は見せかけ?
 この改正のきっかけとして挙げられる八街市の飲酒運転事故(2021年)で、確かに痛ましい事件だけど、原因は飲酒運転で、そもそも速度の話題ではない。警察庁が「歩行者安全のため」と言うなら、アルコール検知義務化や通学路のガードレールの方が筋なのに、なぜか「速度30キロ」が解決策として出てくる。というか、これがあまりにシュールなんでこの話題に私が関心を持ったという「効果」はあるのだけど。
 そして、ここに国際基準が絡む。「交通安全をアピールしつつ、EUのトレンドに乗っかる」っていう二兎を追ったシナリオなのだろうか、警視庁は。考えてみれば、2020年のストックホルム宣言で「30キロがいいよ」と言われ、EU都市で成果が上がり続けてるタイミングで、八街市事故から3年後の2024年に閣議決定した。なんだろう、この流れ。「国際的なお墨付き」を借りて、手っ取り早く規制を押し込んだ感がある。財政的に標識を全国に立てられないから「一律でいいよね」と政令で済ませたのも、妙に都合がいい。そして、ジャーナリズム的に疑問の声が出てこない?

誰かが得するか
 この規制、ちょっと陰謀論めくけど、誰が喜ぶか考えてみよう。ETSCが推す速度監視装置や、カーナビの警告機能が導入されれば、ハイテク企業は儲かる。物流やバスは遅延で困るだろうけど、警察庁は「安全のため」と予算増が狙える。政府は「SDGsに貢献してるよ」と国際舞台で胸張れる。野党も「交通安全反対」とは言えないから黙ってる。国会を通さず閣議決定で済ませたのも、「議論すると面倒だから」で片付けられる。なんですか、これ(滝昇の声で)。

この違和感
 EUの30キロ推奨が日本に影響を与えたのはわかるが、それが「全国一律規制」の理由かと聞かれれば、わからない。というか、日本の道路のことなんも考えてない感が漂う。警察庁は「国際潮流に合わせる」と言いつつ、地域の実情より手軽さを優先したか。EU規制の成功は素晴らしいかもしれないが、日本の生活道路にそのまま当てはめるのは、どうなんだ。というか、議論の形跡みたいのが見つからない。市民としては、「本当に安全になるの?」「誰が決めたの?」モヤモヤが残るんじゃないのか。
 ETSCの報告書や警察庁の資料をさらに漁れば何か出てくるかもしれない。が、今のところは、国際基準は参考にしただろうけど、このやり方は「見せかけの適応」に近い。なんか問題が出てから、どうしてこうなるの?(欣ちゃんの声で)とかなりそう。

 

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2025.03.03

欧州からの米軍撤退の可能性

 ドナルド・トランプが再びアメリカ合衆国の大統領に就任して以来、特に、2月28日のトランプ米大統領とゼレンスキー宇大統領の口論による関係の齟齬の後、欧州指導者たちは神経を尖らせている。Fox Newsが3月2日に報じたように(参照)、バイデン政権下でロシアのウクライナ侵攻(2022年)に対応して増派された約2万人の米軍が撤退する可能性が浮上し、NATOの安全保障体制がかつてない試練に直面している。
 現在の米軍駐留数は、Center for Strategic and International Studies(CSIS)のデータによれば7.5万~10.5万人と変動しており、この2万人の撤退は全体の20%近くを占める規模である。欧州の指導者たちは、トランプの「米国第一主義」やロシアへの友好的な姿勢を警戒し、彼が予測不能な形で軍事プレゼンスを縮小するのではないかと恐れている。
 この問題は単なるトランプ個人の気まぐれや政治的レトリックに留まるものではない。米国の戦略的優先順位がインド太平洋、とりわけ中国対抗へと移行する中で、欧州の防衛依存が見直されつつあるからだ。さらに、トランプがウクライナ戦争を巡って、プーチン露大統領と一定の合意を結べば、欧州からの米軍撤退のハードルはさらに下がる。と同時に、ロシアに隣接する東欧諸国では不安が急上昇するだろうし、その反動としてNATOの結束と欧州の軍事的な自立が喫緊の課題として浮上する。

米軍の欧州撤退の影響

 トランプ政権が米軍の欧州駐留を縮小すれば、NATOと欧州諸国に多大な影響が及ぶ。
  欧州での防衛力の即時的空白とNATOの脆弱性が問われる。冷戦期の1950~60年代、米軍は欧州に約50万人を駐留させ、ソ連への抑止力を担っていた。冷戦終結時の1990年には約35万人、2000年代初頭には10万人強に減少したとCSISが示すように、駐留規模は歴史的に縮小傾向にある。2022年のウクライナ危機でバイデンが増派した2万人は、この流れの中での一時的な例外だったにすぎない。Fox Newsに登場するNATO外交官は、これが撤退すれば「平常への回帰」と述べるが、問題は欧州の準備不足である。
 NATO諸国はそれなりに軍備増強を進めているものの、即応性のある戦力を短期間で整えるのは困難である。例えば、ドイツは国防費をGDPの2%超に引き上げる方針を2022年に発表したが、2025年時点でも実戦部隊の配備や装備の更新は遅れている。この空白は、ロシアが東欧で軍事的圧力を強める格好の機会となる。
 NATO内部の結束揺らぎと欧州の自己負担配分の軋轢も問題となる。第一期のトランプ政権は2018年と2020年の在任中、ドイツからの米軍撤退を計画し、NATO加盟国に防衛費増額を強く求めた。先のFox Newsが報じるように、彼の副大統領JD・ヴァンスは2025年2月のミュンヘン安全保障会議で、欧州指導者に「言論の自由などの共有価値観からの逸脱」を批判し、トランプの対欧州冷淡姿勢を補強した。これに対し欧州側は「アメリカ依存からの脱却」を模索しているが、現実は厳しい。
 元NATO当局者カミーユ・グランはWashington Postで、「欧州の準備不足を解消するには時間がかかる」と警告しており、フランスはEU独自の防衛戦略を主張し、ドイツも軍事投資を増やすとしているが、NATO28カ国の足並みは揃っていない。トランプが「貿易不均衡への不満」を理由に撤退を強行すれば、NATO内の負担配分を巡る軋轢がさらに深まる。
 ロシア隣接国では不安がさらに増大する。ロシアのプーチン大統領は西側の分裂を戦略的に利用してきた。Fox Newsも、欧州指導者がトランプの「モスクワ寄り姿勢」を懸念し、ロシアがNATOの弱体化を歓迎すると報じている。特に、バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)やポーランドなど、ロシアに隣接する国々は危機感を強めている。これらの国々は、米軍の駐留が抑止力の要と認識しており、撤退は即座に安全保障の不安定化を招く。しかし、トランプがプーチンと何らかの合意(例えば、ウクライナ戦争の妥協や経済的取引)を結べば、彼の米軍撤退意欲はさらに高まる。これは、2016年選挙での「ロシアとの関係改善」発言や、2024年選挙戦での対話重視の姿勢とも符合する。しかし、その代償として、東欧諸国はロシアの軍事的威圧やハイブリッド戦争(サイバー攻撃や情報操作)の標的となりかねない。

トランプの撤退は現実

 トランプの軍縮方針を単なる政治的パフォーマンスと見做す論評もあるかもしれないが、その背景は、トランプ個人の外交スタイルに加え、米国の戦略的再配置が絡み合っている。
 まずインド太平洋シフトという長期的傾向がある。米国の軍事戦略は冷戦後、インド太平洋へのシフトを加速させてきた。オバマ、トランプ、バイデンと、歴代政権は中国の台頭を最大の脅威と位置づけ、ヨーロッパへの関与を相対的に後退させてきた。Fox Newsも、両党の大統領が10年以上にわたり「欧州は自力で安全保障を担え」と警告してきたと指摘する。
 トランプ政権下では、この傾向がより顕著になるだけとも言える。2025年時点で、インド太平洋での中国軍事力(特に海軍拡張)に対抗するため、米軍資源の再配分が急務とされている。欧州からの米軍撤退は、この文脈で合理的な選択と映る。問題はタイミングだ。欧州が自立する準備が整う前に撤退が実行されれば、防衛の空白が生じる。
 トランプの行動に加えて予測不能性とプーチンとの関係も予測しにくい。元英国外交官ナイジェル・グールド=デービースはFox Newsで、「トランプの気まぐれな性格」を懸念し、「アメリカの防衛への信頼がどれだけ持てるのか」と疑問を投げかけるが、トランプは過去にも貿易問題(ドイツとの自動車貿易赤字など)を安全保障政策に結びつけ、突発的な決定を下してきた。しかも彼は大統領選中、「プーチンと話せばウクライナ問題は解決する」と繰り返し、対話を重視する姿勢を示してきたが、仮に両者が合意に至れば、トランプは「ロシアの脅威は誇張されている」と主張し、撤退を正当化する可能性がある。

今後の展開とヨーロッパの課題

 米軍撤退が現実化した場合、ヨーロッパとNATOにはいつくかのシナリオが待ち受けている。
 まず、段階的米軍撤退とNATOの混乱である。トランプが即時全面撤退を避けたとしても、数年内に2万人の削減が実行される可能性は高いので、NATOはこれに対応し、緊急の軍事再編を迫られる。だが、加盟国間の意見対立(例えば、フランスのEU優先主義と東欧のNATO依存)が障害となる。
 これは、欧州自立強化に向ける時間との戦いでもある。フランスやドイツが主導し、EU独自の防衛体制構築が加速する。結果「米国頼みの安全保障からの脱却」が進むだろうが、2025年時点では、圧倒的な戦力不足は否めない。即応部隊の整備や共同演習の強化には、最低でも3~5年を要する。
 東欧の不安定化とロシアの機会主義の問題が浮上する。ロシアに隣接する国々は、米軍撤退後もNATOの支援を強く求め続けるだろう。トランプとプーチンの合意が現実となれば、ロシアはウクライナ戦争の戦術を変更し、東欧での影響力拡大を狙うかもしれない。バルト三国へのサイバー攻撃や、ポーランド国境での軍事挑発が次に現実的な脅威となる。



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2025.03.02

トランプのゼレンスキー不信の背景

 2025年2月28日、ホワイトハウスでドナルド・トランプはウクライナの大統領ウォロディミル・ゼレンスキーと激しく言い争い、会談は決裂した。その場で飛び出したトランプの言葉、「プーチン氏は私と一緒に多くの苦難を経験した」「詐欺師のハンター・バイデン」「民主党のぺてん」は、一見すると脈絡のない怒りの爆発に聞こえる。NHKが全文報道しているので、そこから該当部分を再録する。

トランプ大統領
「どうするも何も、今あなたの頭に爆弾が落ちたらどうするのか。彼ら(ロシア)が破ったらどうなるのかなど、知ったことではない。バイデンと(の合意)なら破るだろう。バイデンへの敬意はなかった。オバマにも敬意はなかった。
 私のことは尊敬している。プーチン氏は私と一緒に多くの苦難を経験した。うそっぱちの魔女狩りに遭って、彼とロシアは利用された。ロシア、ロシアと。聞いたことがあるか。詐欺師のハンター・バイデン、ジョー・バイデンのぺてんだった。ヒラリー・クリントン、ずるいアダム・シフ、民主党のぺてんだった。彼(プーチン氏)はそんな目に遭った。われわれは戦争に至らなかった。彼はそんな目に遭った。彼はそんなことで非難を受けた。彼は関係なかった。
 ハンター・バイデンのトイレから出てきた。ハンター・バイデンの寝室から出てきた。不愉快だった。後になって『この最悪なノートパソコンはロシア製だった』などと言うんだ。51人のエージェントも出てきた。すべてがぺてんだった。彼はそれに耐えねばならかった。こうしたことで非難されていた。
 私が言えるのは、彼はオバマやブッシュとの取り決めなら破っていたかもしれないということだ。バイデンとの合意でも破っていたかもしれない。破らなかったかもしれない。どうなったかはわからない。だが、私との間では破らなかった。彼は取り決めをしたがっている。できるかはわからない。問題は、私があなたを強くしたということだ。アメリカがいなければあなたは強くなれないと思う。ウクライナの人々はとても勇敢だ」(参照

 背景が理解されなければ、トランプは何を言いたいのかわからないだろう。だが、その背景の核心にあるのは、「自分が正しいのに、裏切られ続けた」という信念だろう。そこで、トランプのその内側から事態を解いてみたい。
 トランプの物語は、2016年に始まる。この年、彼は大統領選で、民主党オバマの後継としてヒラリー・クリントンを破った。ところが、勝利の喜びも束の間、民主党全国委員会(DNC)のメールがハッキングされ、ネットに流出し、「ロシアがトランプを助けた」と騒ぎ立てられた。
 トランプはこれを「でっち上げ」と呼んだ。「ロシア、ロシアと、うるさいんだよ」と彼が今でも言うのは、この時の怒りである。
 そして2017年、特別検察官ロバート・モラーが「トランプとロシアが結託したかどうか」を調べ始めた。トランプは「うそっぱちの魔女狩り」と繰り返し叫んだ。結果はというと、 2019年3月、モラーは「結託の証拠はない」と結論づけた。トランプは無罪だったのである。
 彼は「プーチンも同じ目に遭った」と感じ、二人で「苦難を経験した」と信じている。この「無罪」が、トランプの誇りの土台だ。

ゼレンスキーの裏切りと新たな攻撃

 ところが、この無罪を喜ぶ間もなく、トランプに新たな攻撃が来た。それが2019年、ゼレンスキーとの出会いに関わる。
 トランプは2019年7月25日を、自分を貶めようとした民主党に復讐しようとして、ゼレンスキーに電話をかけ、「ハンター・バイデンの怪しい仕事を調べてくれ」と頼んだ。
 ハンターはジョー・バイデンの息子で、ウクライナのガス会社ブリスマ・ホールディングスで働いていた。この会社は、ロシアからエネルギーを独立させようとするウクライナの動きの中で、2014年のマイダン革命後に脚光を浴びた。マイダン革命は、親ロシア政権を倒し、親欧米派、つまりアメリカのネオコンと呼ばれる強硬派が後押しした政変である。そのネオコンには、オバマ政権のビクトリア・ヌーランドのような人物が深く関与していた。彼らはウクライナをロシアへの対抗拠点に変えようとしていた。
 その流れでハンターがブリスマの取締役に就任していた。エネルギー専門家でもないのに、月5万ドルもの報酬をもらっていた。ハンターには汚職疑惑もあった。そのいかがわしさは、トランプの目には明らかに見えた。ブリスマという天然ガス会社の存在自体が、そもそも奇妙だった。ウクライナはロシアから安いガスを買えるのに、自前で高コストなガス会社を持つのは経済的に非合理的である。
 2015年12月、バイデン副大統領がウクライナを訪れ、検察総長ヴィクトル・ショーキンの解任を迫り、2016年3月にそれが実現すると、ブリスマへの汚職捜査が消えた。バイデンは「汚職対策」と言うが、ショーキンがブリスマを追っていたタイミングだけに、トランプには「息子のハンターを守るための汚い裏工作」としか見えない。「これはバイデンの汚い秘密だ」と彼が確信したとしても不思議ではない。
 だからトランプは、ゼレンスキーに期待した。ゼレンスキーはマイダン派の流れを引き継ぐリーダーで、アメリカの支援が欲しければ、「ハンターのいかがわしさを暴いて、私を助けてくれ」と頼むのは当然だったといえるだろう。
 だが、ゼレンスキーの答えは曖昧だった。「問題は重要だ」と口では言ったが、結局何もしなかったのである。それどころか、この電話の内容が匿名者によって漏れ、トランプの敵がまた動き出した。民主党の議員アダム・シフが「トランプがウクライナに圧力をかけた」と大騒ぎし、2019年12月、トランプを弾劾裁判に持ち込んだ。
 ここに至ってもゼレンスキーはトランプに協力しないことで、結果的にバイデン側、つまりマイダン革命を支えたネオコンとつながる勢力に寄り添っていた。これではトランプはゼレンスキーに裏切られたと感じるのも当然だろう。しかし、2020年2月、彼はまた無罪になった。トランプは正しかったのである。
 トランプのゼレンスキーへの怒りは消えない。「ハンターのぺてん」「ずるいアダム・シフ」「民主党のぺてん」は、この裏切りへの怨念だ。トランプは「ゼレンスキーは、ネオコンとバイデンの手先となって、私を貶めた」と思うのは特段不自然でもない。

ハンターの疑惑とゼレンスキーの沈黙

 トランプの怒りはさらに燃え上がる。2020年10月、ハンター・バイデンのノートパソコンから怪しいメールが暴露され、ウクライナでのビジネスが明るみに出た。
 トランプは当然「これが証拠だ!」と叫んだ。しかし、51人の元情報専門家が「これはロシアの偽物だ」と声明を出し、メディアはトランプを笑いものにした。このおりも、ゼレンスキーは何も言わず、黙って見ていた。
 トランプは「ハンターのトイレから出てきた」「51人のエージェント」と今でも言うが、それは「またしてもバイデン側が私を貶めた」と感じた瞬間だ。そしてゼレンスキーの沈黙は、彼にとって「敵への協力」の証だった。なお、実際に「トイレ」から出てきたわけではないが、これは「怪しげなところ」という比喩として理解してよいだろう。
 こうしたトランプに対するネガティブ・キャンペーンが功を奏した面もあり、トランプは大統領選挙でバイデンに敗れた。
 2021年、バイデンが大統領になり、ゼレンスキーは2022年のロシア侵攻でバイデンから莫大な支援を受けた。トランプは「私がいたら戦争は起きなかった」と信じている。彼にとって、ゼレンスキーは「感謝が足りない」だけでなく、「私を貶めた勢力」の一員に見えるだろう。

2025年、怒りの爆発

 2024年、トランプは再び大統領に返り咲いた。そして2025年2月28日、ゼレンスキーと向き合った。内心の感情は当初は抑え、取引を優先させていた。だが、ゼレンスキーはバイデンの路線を崩さないかのような主張を強行し、トランプの提案を拒んだ。
 そこでトランプの我慢の限界が来たことを示すのが、冒頭の、奇妙な発言だった。
 彼の経緯と心情を補えば特段奇妙なものでもなかった。もちろん、こんな話をあの場でぶちまけるのも、さすがにどうかとは思うが。

 

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2025.03.01

米国とウクライナの決裂

 トランプ米大統領は米国時間の2月28日、ウクライナのゼレンスキー大統領とホワイトハウスで会談し、ウクライナの鉱物資源の権益に関する合意文書に署名する予定だったが、渦中で厳しい口論となり、会談は決裂した。合意文書には署名されず、共同記者会見も中止となり、ゼレンスキー大統領はホワイトハウスから追い出された。
 まず、口論の流れをまとめておこう。

  1. 発端:バンス副大統領とゼレンスキー氏の対立
    • 状況: 記者からの質問でトランプ氏がロシアとの関係性について問われた後、バンス副大統領がバイデン政権の対ロ政策を批判し、「平和への道は外交かもしれない」と発言。
    • ゼレンスキー氏の発言:
      「感謝はしています。しかし、あなたが話す『外交』とは何ですか? プーチンはミンスク合意を破り、2014年に我々の東部とクリミアを占領しました。オバマ、トランプ、バイデン、そして今またトランプ大統領と、アメリカの大統領は変わりましたが、誰も彼を止められませんでした。私は戦時中の大統領です。トランプ(カードゲーム)をしているのではありません。」
      (“I’m grateful. But what ‘diplomacy’ are you talking about? Putin broke the Minsk agreements, took our east and Crimea in 2014. Obama, Trump, Biden, and now Trump again—presidents changed, but no one stopped him. I’m a wartime president. I’m not playing trump cards.”)
    • バンス副大統領の応答:
      「失礼ながら、あなたがここ、大統領執務室に来て、アメリカのメディアの前で我々の姿勢を批判するのは無礼です。トランプ大統領への感謝が足りません。」
      (“With all due respect, it’s rude for you to come here, to the Oval Office, and plead this case in front of American media. You’re not showing gratitude to President Trump.”)
  2. トランプ大統領の介入と「第三次世界大戦」の言及
    • トランプ氏の発言:
      「君はもう十分話した。君は有利な立場にいない。切り札を持っていない。我々がいなければ、君には何もないんだ。君は第三次世界大戦を賭けてギャンブルしている。何百万もの命を賭けているんだ。この国、アメリカに対して敬意を欠いている。我々はこれほど支援してきた。多くの人が『もう支援するな』と言っていた中でだ。」
      (“You’ve talked enough. You’re not in a good position. You don’t have the cards. Without us, you’ve got nothing. You’re gambling with World War Three. You’re betting with millions of lives. You’re disrespecting this country, America, which has supported you so much when plenty of people said we shouldn’t.”)
    • ゼレンスキー氏の反論:
      「我々は自国に留まり、強くあり続けます。アメリカにも問題はあります。第三次世界大戦がウクライナで始まり、中東やアジアに広がる可能性だってある。我々はそれを防ごうとしているのです。」
      (“We stay in our country and remain strong. America has its own problems. World War Three could start in Ukraine and spread to the Middle East or Asia. We’re trying to prevent that.”)
  3. 感情的なピークと「感謝」の応酬
    • トランプ氏の発言:
      「君が第三次世界大戦に賭けるなら、我々は巻き込まれない。君は勝てない。戦争を止めたいなら合意しなさい。武器がなければこの戦争はすぐに終わる。だが我々のおかげでまだ戦えている可能性がある。それを認めないのは、この国への侮辱だ。」
      (“If you’re gambling with World War Three, we won’t be dragged in. You can’t win. If you want to stop the war, make a deal. Without weapons, this war ends fast. But you’ve got a chance because of us, and you won’t acknowledge it—it’s an insult to this country.”)
    • バンス副大統領の追撃:
      「この会談で一度でも『ありがとう』と言いましたか? 言ってないでしょう。」
      (“Have you said ‘thank you’ even once in this meeting? You haven’t, have you?”)
    • ゼレンスキー氏の応答:
      「私は感謝しています。しかし、我々は戦っています。ゲームではない。我々の国は血を流しているのです。」
      (“I am grateful. But we are fighting. This isn’t a game. Our country is bleeding.”)
  4. 会談の終結
    • トランプ氏の締め言葉:
      「君はもう出て行っていい。和平の準備ができたら戻ってくればいい。我々はこれ以上、君のギャンブルに付き合わない。」
      (“You can leave now. Come back when you’re ready for peace. We’re not playing your gamble anymore.”)
    • 状況: この後、トランプ氏がゼレンスキー氏に退出を促し、予定されていた共同記者会見と協定調印式は中止に。ゼレンスキー氏はホワイトハウスを去った。

補足

  • 「第三次世界大戦」の言及: トランプ氏は「You’re gambling with World War Three」を複数回使用した。ここに力点があった。
  • 感情のトーン: バンス氏は冷ややかに追撃。ゼレンスキー氏は英語(非母語)で応じつつ、時に感情的な口調になった。トランプ氏は、話題を勝手に仕切ろうとするゼレンスキー氏に対して声を荒げる場面もあった。
  • その後の反応:
    • トランプ氏(トゥルース・ソーシャル)「ゼレンスキーは和平の準備ができていない。彼は大統領執務室で我々に失礼だった。」
    • ゼレンスキー氏「私は平和を求めて訪れた。謝罪はしない。」
    • 欧州諸国からはゼレンスキー支援の声が上がった。米国民主党からも同様。
    • ウォルツ大統領補佐官(国家安全保障担当)「トランプ氏は和平を実現しようとしており、この経済取引もその一環だった。ところが、ゼレンスキー氏は米大統領執務室にやってきて、ウクライナ防衛への米国の貢献を軽視し、わが国を軽んじることを選んだ。要求を突きつける間に、あまりにも多くの人々が亡くなっている。
    • マッコール下院外交委員会名誉委員長「私は、ウクライナがロシアのさらなる侵略から解放されることを保証する、ウクライナにおける真の永続的な和平を達成できることに、依然として希望を抱いている。ゼレンスキー氏に鉱物資源取引に直ちに署名するよう求める。これは、米国とウクライナの経済的パートナーシップを構築するもので、この取引を成立させることは双方の利益になる。」
    • グラハム上院議員「米大統領執務室で見たことは無礼であり、二度とゼレンスキー氏とビジネスができるかどうか分からない。彼は辞任して、われわれがビジネスができる誰か別の人物を送り込むか、彼自身が変わる必要がある。」

 報道であまり語られていないいくつかの点を補っておきたい。まず、今回の合意は政策合意であるがゆえに両国とも議会承認を必要としていない。このことは、米国にとっては、端からウクライナの安全保障に関与するマターではないことを示している。また、ウクライナ議会からも議会が無視されたことに対する異論が生じている。

 合意されるべき内容の「投資基金」の実態は不明であり、また契約の終わりが想定されてない契約だった。合意されれば明らかにウクライナにとって不利になるもので、当初この話を昨年の「勝利の計画」で持ち出したウクライナ政府およびゼレンスキー氏は反対だったと思われる。当初のウクライナ政府の想定では、今後の資金援助のための担保だが、トランプ政権は基本的にこれまでの援助費とみなした。

 今回の会談だが、ゼレンスキー氏もトランプ氏も乗り気ではなかったする不確か情報があるが、流れ的に見るなら、英国スターマー首相、仏国マクロンマクロン大統領の御膳だてから、彼らつまり欧州側からのゼレンスキー氏への圧力があったとかなり明瞭に推察できるだろう。この時点で、問題構図はウクライナ対米国ではなく、欧州対米国であり、ゼレンスキー氏はこの会談についてはだしに使われただけだろう。

 会談の全体構図は口論報道と異なっていたようだ。記者会見を全部見ていたリチャード・ハナニア氏の証言では、口論に至るまで40分間の議論があり穏やかな会話だったとのこと。ヴァンス氏はゼレンスキー氏を攻撃するものではなく、ゼレンスキー氏に向けたものでもない主張をしていた。しかし、議論を始めたのは明らかにゼレンスキー氏であり、最初の40分間、ゼレンスキー氏は合意内容以上のことを言おうとし続け、トランプ氏から質問が出ると、いつも「様子を見よう」と答えた。ゼレンスキー氏は、プーチン氏と交渉するつもりはなく、戦争費用はロシアが負担すると全面的に主張したが、トランプ氏が、双方の人々が死んでいるのは悲劇だと言うと、ゼレンスキー氏はロシアが侵略者だと口を挟んだ。ここまでは、トランプ氏は米国が軍事援助を継続することを明らかにしていた。その意味で、ゼレンスキー氏はあと数分間冷静さを保っていれば合意に署名できたはずだった。口論化するきっかけは、トランプ氏に振られてヴァンス氏が話し始めたとき、ゼレンスキー氏が彼を尋問し始めたことによる。ゼレンスキー氏はヴァンス氏に挑み、敵対的な質問をすることにした。彼は、プーチン氏が停戦を決して守らないという主張に戻り、交渉は無意味であると再びほのめかした。ヴァンス氏の指摘はバイデン氏とメディアに向けられたものだったが、ゼレンスキー氏の気分を害し、口論が始まった。

 リチャード・ハナニア氏は「私はこれまでゼレンスキー氏のファンだったが、今回の件は感情の不安定さではないにしても、あまりにも無能すぎるため、彼がこれから立ち直れるとは思えない。政権との関係は破綻している。ウクライナはこの時点で新しい指導者を迎えるべきだろう」(I've been a fan of Zelensky up to this point, but this showed so much incompetence, if not emotional instability, that I don't see how he recovers from this. The relationship with the administration is broken. Ukraine should probably go with new leadership at this point.)と締めていたが、これがおそらく欧州側やこれまでゼレンスキーを支援してきた人々の率直な心情であろう。

 私の意見は、率直に言えば、今回の事態を肯定的に捉えたい。トランプ米大統領が、ウクライナ戦争のエスカレーションには第三次世界大戦の懸念があると明瞭に認識した点でである。私は、ウクライナ政権は破れかぶれになって、核戦争を含めた世界を第三次世界大戦に巻き込もうとする動きが生じるのではないかと疑っている。しかし、トランプ米大統領は少なくともそれに加担しない意思を今回の騒動で明確にした。



 




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