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2025.02.03

動く耳は進化の忘れ物

 最近、Twitter(X)で「自分は耳が動かせるが、特に人生で得をしたことはない」というくだらない話をしたところ、意外にも耳を動かせる人がそれなりにいるという反応があった。そんなこともあって、NPRで人間の耳が動く話題を見かけて興味深く思ったので紹介しよう。
 動物が耳をピンと立てる様子はよく見られる。犬や猫、馬など、多くの哺乳類は耳の向きを変えて音の方向を探る。これは外敵の接近を察知したり、獲物の動きを捉えたりするために極めて重要な能力である。しかし、人間にはその能力がない。もうないと言うべきだろう。進化の過程で耳を自在に動かす能力を失ってしまったからだ。だが、最近の研究(参照)によると、完全に失われたわけではないらしい。耳の周囲にある小さな筋肉が、「聞こうとする努力」に応じてわずかに反応することがわかった。
 この研究では、耳の動きを制御する2種類の筋肉に注目している。一つは耳を持ち上げる筋肉、もう一つは耳を後ろに引く筋肉である。研究チームは被験者に電極を装着し、特定のオーディオブックに集中するよう求めた。最初は普通に聞いてもらい、途中で邪魔な音を混ぜた。すると、音の聞き取りが難しくなるにつれ、耳の筋肉がより活発に動くことが確認されたという。この発見は、人間が進化の過程で耳を動かす能力をほぼ失ったにもかかわらず、その名残が今なお「聞く努力」に応じて機能していることを示していると研究チームは想定した。だとすると、これは単なる生理学的な面白さにとどまらず、リスニングの負担を客観的に測定する新たな手法となる可能性がある。

聞く努力を測定する

 聞き取りが難しいと感じる経験は、多くの人にとって身近なものだろう。外国語の聞き取りというだけではない。例えば、騒がしいカフェで会話をする際、耳を傾けるだけで疲れを感じることがある。こうした状況は、補聴器を使用している人にとっては、単に音を増幅するだけではなく、聞き取る努力をかなり要することになる。できたら軽減させることが重要だ。しかし、これまでの聴覚補助では「聞く努力」を科学的に測定する方法が確立されていなかった。
 聞き取り負担を計測するために、これまでは瞳孔の拡張が利用されてきた。人間は何かに注意を払うと瞳孔が拡がるため、それを観察することで注意による負担が推測できる。しかし、この方法は実験室内での測定に限られ、日常生活では活用が難しいものだ。これが、耳の筋肉の活動を測定する手法でわかるのであれば、より現実的な環境でリスニングの負担を把握できる可能性がある。
 とはいえ、このような手法に対して一部の専門家は、耳の筋肉の活動が「聞く努力」を反映しているのではなく、単に音の大きさの変化に対する反応ではないかと疑念を寄せている。たしかに、大きな音に驚くと体が反応することはよくある。しかし、今回の研究では、被験者が「聞き取るのが難しくなった」と主観的に報告したタイミングと筋肉の活動が一致していたので、耳の使われざる筋肉がリスニングの負担を反映している可能性は高いだろう。

補聴器の未来

 耳を動かそうとしても動かないという研究に何の意味があるのか。大きな意味がありそうだ。補聴器や聴覚支援技術の進展にも影響を与えるかもしれない。現在の補聴器は音を増幅することに重点を置いているが、それだけでは「聞く努力」そのものを軽減することは難しい。高齢者の中には、補聴器をつけても会話に疲れてしまい、結果的に使用を避ける人も少なくない。だが、補聴器が耳の筋肉の活動をリアルタイムで感知し、リスニングの負担が大きくなったときに自動で音量やノイズキャンセリングを調整できるとしたらどうだろうか。聞く努力が最小限で済むように補助できる補聴器が開発されれば、多くの人にとって会話の負担が軽減され、より快適なリスニング環境を実現できるだろう。
 使われざる耳の筋肉の活動を活用した聴覚支援技術はまだ研究段階にあるが、将来的には「聞く努力」をリアルタイムで解析し、環境に応じて最適な音の調整を行うインテリジェント補聴器の登場も期待される。



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