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2025.01.29

4000本目の記事

 自分を紹介するとき、「ブロガー」と書くことがあった。「アルファブロガー」というのもあった。まあ、それなりに、そう言ってもいいかもしれないとは思ったが、嘘くささは感じていた。いったい何本のブログ記事を書いたら、一人前のブロガーと名乗れるのだろうかね。そんなことを考えながらブログの投稿画面を開いていたら、ふと気がついた。この記事が4000本目になる。単純計算で、1日1本書いたとして11年くらいになるはずだが、私の場合は20年以上の歳月をかけての到達だ。たいしたことないじゃないか。そうか? まあ、その間、4人の子どもたちは成長し、全員が成人して親離れもした。時の流れとはなんと不思議なものだな。
 よく「継続は力なり」と言うが、というか、これは赤尾好夫の言葉なんだけど、この4000本に特別な継続という実感はない。そもそも人に何かを伝えることの困難さは、ブログを始める前から知っていた。それでも書き続けてきたのは、きっと書くこと自体が私の呼吸のような行為だったからだろう。なんか言ってないと息苦しくなるような、そんな人間なんだろう。これで才能があったらよかったのだけど。
 思えば、ブログというメディアに惹かれたのは、書いたものを公開するという、その「地下出版」的な性質だった。かつて沖縄ぐらしのおり、作家の池澤夏樹先生に伺った話を思い出す。先生はワープロが登場した時、「これで誰でも地下出版ができる」と感じたそうだ。90年代のパソコン通信を経て、ブログという新しいプラットフォームに出会った時、私も同じような高揚感を覚えたものだ。まさに「個人の声」を世界に届けられる革命的なツールの誕生だった。「地下出版」というのは、ある時代、魅惑の言葉でもあった。
 さてまた、「なぜそんなに長くブログを続けられたのか」と聞かれるなら、正直なところ、私にもよくわからない。ただ、世の中の「わからないこと」「気になること」への好奇心が、いつも私を書く行為に向かわせるというのはある。ブログは私の「知的探求の記録」とかなればいいのかもしないけど、そんな感じでもないなあ。
 この20年で、ブログを通じて予想もしなかった出会いもあった。本の出版も実現した。それなりにいろいろあったのだから、それを書けばいいのだろうけど、なんか気が乗らない。面白いことに、大学まで進学した4人の子どもたちは誰も私のブログを読んでいないという。親の書くものなど読みたくないのだろう。そんなものなんだね。まあ、こんな親は持ちたくないよね。
 この数年に限れば、あまり書かなくなってきた。その印象に残っているのは、コロナ禍とウクライナ戦争の時期だ。メディアの主流とは異なる視点を書くことの難しさを痛感した。メディア的に「正しい」とされる意見に逆らうことへのプレッシャーは、想像以上に重かったなあ。しかし、その苦しい時期に、思い切って大学院に進学し、修士号を取得した。青春のやりっぱなしにひとまず、蹴りを入れた。違う。けりをつけた。その後、学会発表も2回経験、とりあえず研究者と言っていいかな。さらに今では芸大の院生として、新たな芸術研究者としての道も歩んでいる、はずだ。人生に遅すぎることなどないと、身をもって実感していると言いたいところだが、なんか道標がないと不安なんだ。もう死んでもおかしくない年齢にもなっちゃったし。
 うーん、ブログを続けて得たものは何かな。意外かもしれないが「何も得られなかった」というのもあるか。正確に言えば、4000本もの記事を無料で書き続けられる自分への信頼は確実に育まれた。先日開催したネットの読書会では、画面の向こうの読者との温かな交流に心がなごんだ。年を重ねるごとに、こうしたリアルなつながりの大切さを痛感している。そうしないと、老化して社会的に孤立していくからなあ。それはよくないんじゃないか、自分。
 これからのブログについては特別な意気込みはない。むしろ、意気込まないことが継続の秘訣かもしれない。ぷっつり辞めるかもしれない。「毎日書かなければ」という強迫観念から解放された感はある。当面の目標は、ブロガーというより、芸術修士の取得と中世英語研究の発表である。学問の世界に飛び込んでみて、いろいろ知りたいことも増えた。源氏物語なんかも、断然面白く感じられるしね。
 そんなわけで、20年を振り返って最も強く感じるのは、ブログを通じて世界の見方が変わったことだ。特に初期に取り組んだダルフール問題の発信は、私の視野を大きく広げてくれたものだった。一見遠い世界の出来事が、潜在的に私たちの日常と地続きであることを知った。世界は、今も、地獄みたいなものだ。
 終わりにしよう。読者の方々への感謝は、言葉では言い表せない。今年は、以前Cakesで連載した内容の書籍化も予定している。変化し続ける世界の中で、私たちは何を見て、何を考え、何を伝えていけばいいのか。5000本目の記事を書くころ、私はどんな景色を見ているのだろう。そもそも自分、いないんじゃないか。音楽学者の礒山雅先生は、初期のブロガーというか、ホームページに私的な感想を書かれていた。思い出すのだ。先生は、ああ、なんということか50歳になってしまったと書かれていた。それから60歳のときも同じように。そして71歳で亡くなられた。

 

 

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