米国出生地主義市民権の終了
トランプ大統領は2025年1月20日の就任初日に、想定されたことではあったが、母親が米国に不法滞在し、かつ父親も出生時に米国市民または合法的な永住者ではない場合、米国で生まれた子供でも米国市民とは認めないとする大統領令に署名したと報じられた。
とはいえ、すでに多くの憲法学者が指摘しているように、この大統領令が法的に有効かどうか、あるいは実際に執行されるかどうかには深刻な疑問が残る。合衆国憲法第14修正条項は、「米国で生まれ、米国の管轄下にあるすべての人が市民権を持つ」と明記しており、連邦最高裁判所の判例(United States v. Wong Kim Ark, 1898年)によって「両親の国籍や滞在資格に関わらず、米国内で出生した子は市民権を有する」という原則が確立されている。この大統領令は、それらの判例や合衆国憲法の明文に対して大統領が単独で異なる解釈を打ち出そうとするものであるため、最終的には司法の判断を仰ぐことになるだろう。
この動きは、トランプ前大統領が掲げていた不法移民対策の延長線上にあり、移民政策の大幅な見直しの一環と位置づけられている。しかし、憲法第14修正条項は奴隷解放後に元奴隷とその子孫へ平等な市民権を保障する歴史的背景を持つため、その根幹を揺るがす試みに対しては法的・政治的・道徳的観点から強い反対意見も存在している。
ということでここで第14修正条項の歴史を簡単に振り返っておこう。これは1868年、南北戦争後の復興期に制定されたものだ。当時、南部諸州では元奴隷やその子孫の権利が認められにくい状況があり、連邦レベルで市民権を保障する必要があった。重要なのは、「米国の管轄下にある (subject to the jurisdiction thereof)」という文言の解釈である。長年にわたり議論されてきたが、1898年のUnited States v. Wong Kim Ark判決で「米国内で出生した子供は両親の国籍や滞在資格にかかわらず市民権を得る」とする解釈が確立され、以降この原則が事実上の判例となっている。
トランプ大統領は、この「管轄下にある」という文言を狭く解釈し、不法滞在者の子供は米国の完全な管轄下ではないと主張しているが、多数の憲法学者や法律専門家は「大統領令だけで憲法修正条項や判例の結論を覆すのは困難」との見解を示している。このため、今回の大統領令は、理論上は憲法の修正や新たな立法措置が必要になる可能性が高く、実際には連邦裁判所での争いが不可避とみられている。過去の判例や明文上の保証を覆すハードルは非常に高いため、この大統領令は「就任直後から強硬な姿勢を示す」という政治的アピールの側面が大きいとの見方もある。
仮に何らかの形で制限が導入された場合でも、「母親が不法滞在、かつ父親が市民または合法的な永住者でない」など特定条件の下で出生した子供への排除を狙うもので、制度の運用や救済措置の具体的設計を巡り、さらなる混乱が予想される。子供が無国籍になるリスク、人道的・社会的コストといった問題も大きくクローズアップされるだろう。
出生地主義市民権
米国における出生地主義市民権は、移民社会の基盤として長い歴史を持つ。米国内で生まれた子供は、両親がどのような移民ステータスであれ市民権を得られるという考え方だ。統計データを見ると、外国生まれの母親が出産するケースの割合は過去20年以上にわたり20〜25%程度の範囲で推移している。2006年に25%を記録したあと、2021年には21%まで一時的に減少し、2023年には24%まで再度上昇している。これらの数値は、アメリカ疾病予防管理センター(CDC)の統計や各種調査機関のデータが元になっているが、その内訳には不法移民のデータは当然区別されておらず、プエルトリコや米領バージン諸島など米国領土出身の母親も含まれているため、一概に「不法移民が増えている」ことの直接的根拠とは言い難い。
それでも、移民母の出産割合が一定水準を維持していることは、米国が移民大国である証左ともいえ、経済状況や移民政策の変化によって数値が上下し得る点を示唆している。過去にはリセッション時に不法移民の流入が減ったことで全体の出生率が下がり、景気回復とともに上昇に転じたという動きも見られた。
出生地主義市民権をめぐっては、かねてより「アンカーベビー」という差別的な呼称に象徴されるように、一部から「不法移民が米国に定着するための抜け道だ」との批判があった。しかしこれまでの司法判断や行政手続きは、おおむね憲法第14修正条項に照らして「米国内で生まれた子は米国市民である」という立場を貫いてきたのが現実だ。
他方、世界を見渡すと、出生地主義市民権は米国やカナダ、中南米の国々などが比較的無制限に採用している一方で、欧州諸国は移民受け入れ政策の違いや歴史的背景などから、血統主義と出生地主義を組み合わせたり、合法的な滞在資格を条件とするなど、さまざまな制限を設けているのが一般的だ。たとえばフランスでは、子供の出生に際して親が一定期間合法的に滞在していることなどを条件とする制度があり、ドイツでは血統主義を主体としながらも一定の条件下で出生地主義を併用している。これは、近年の移民増加に伴う社会的緊張や文化的衝突を考慮した結果とも言われ、各国は自国の歴史や社会状況に応じて国籍取得の基準を調整している。米国やカナダのように無制限の出生地主義を保っている国々には、移民が社会経済発展に寄与してきた歴史があり、国力や人口維持の観点からも受け入れを積極的に行ってきた経緯がある。これらが不法移民や社会保障費の増大、人権問題などと結びつくため、激しい議論が絶えないのが現在世界の現実である。
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