« 偽レビュー問題 | トップページ | ジミー・カーター第39代大統領 »

2024.12.30

学習障害をAIで支援する

 VOA(Voice of America)に「AI技術が障害を持つ学生の公平な学習環境を実現」(AI technology helps level playing field for students with disabilities)という記事があり、教育におけるAI技術の影響について興味深い内容だった。この記事では、障害を持つ学生がAI技術を活用して学びの壁を克服し、学びの場での公平性を実現している様子を描いていた。

を持つ学生への影響
 記事ではいくつかの事例が紹介されているが、ディスレクシア(読字障害)を持つ14歳の女子学生の実体験が興味深いものだった。彼女は幼い頃から文字を正確に読むことが難しく、また書字においても、”rhinoceros(サイ)”は "rineanswsaurs"、”sarcastic(皮肉な)”は”srkastik"と書いてしまうらしい。そこで彼女は「自分は愚かだ」と感じていたものだったが、AI技術による支援ツールとの出会いがその自己認識を変えた。彼女専用にカスタマイズされたAIチャットボットや音声読み上げツール、文章予測プログラムを活用することで、学習の負担が軽減され、彼女が学び続けることを可能にした。その結果、彼女は全国ジュニア名誉協会に選ばれるほどの成果を上げるに至ったという。彼女は「AIがなければ、きっと諦めていただろう」と語っている。
 この話題は私に刺さるものがあった。私も似たような傾向があるというか、誤字脱字である。ブロガーとして自分はあまり関心を持たれないのは話がつまらないというのが一番の原因だろうが、それにしても誤字脱字が多すぎる。そしてそれを気にすると書けないのでまあ、適当に割り切ってしまっている。ブログだし。という状態だが、これは自分の学習過程でも問題が生じたものだ。幸い日本の教育課程ではそれほど顕著に誤字脱字脳がバレることはない。そもそもあまり多くないが、どうやら私はもう67年も自分の能力を見つめてきたのだが、異様なほど速読ができる。自然にできる。記憶力はいわゆる二項記憶はそれほどでもないが、全体マップ的な記憶力はすぐれている。数学などもファインマンほどではないが視覚理解ができる。これは全体的な理解力につながる。計測したことはないが子供の頃のIQも高かったのではないかと思うし、それを示唆する思い出もある。まあ、こうして書くと自慢話だが、この高速脳はアウトプットに比例しない。テストだとケアレスミスが続出する。それとどうやら独創的に思考するので、学習過程を自分用に組み替える必要があるのだが、それがうまくいかないことがあり、端的に言って、東大とかに向いてない。友人が逆に東大向きの頭で東大にするっと入ったが、あれを見ていて向かないなあとは思った。幸いこうした脳に向いている大学に入れたが、それでよかったかはわからない。
 自分語りが多くなったが、技術が自分をサポートしてくれたらという思いは強かった。アウトプットがだめだめという話をしたのだが、こうしてたらたらと文章を産出しているように、どうやらアウトプットの産出能力も高く、そのために一種の知的刈り込みをしているらしく、誤字脱字を自然に無視しているようだ。ろくでもない。長く書いたが、たぶん、私のようなタイプの知性の人はいると思うので、これを見たら頑張れよと思うし、技術、とくにAIを活用するといいよと言いたい。
 話を戻して、AI技術は、障害を持つ学生が自分のペースで学びを進める機会を提供し、学習意欲や自己肯定感を高める効果をもたらすだろう。こうした技術は単なる学習補助具以上の存在となり、学生たちに新たな可能性の扉を開くだろう。

倫理的な課題
 VOAの記事の話題に戻る。興味深かったもう一つの焦点は、AI技術が抱える倫理的課題や教育的なリスクである。要するに学びと「チート」の境界線についての議論である。ニューヨーク州のある男子高校生の事例が興味深い(余談だが、この学生は名前からしてユダヤ人である。英文を読んでいて思うのだが、小説とかコラムとかで何気なくエスニックを暗喩したり歴史事象を暗喩することが多いがこうした解説書ってないもんだなあと思う)。彼は、AIを利用して本のレポートのアウトラインを短時間で完成させたのだが、彼自身、レポート全体をAIに作成させることは「不正行為だ」と考えていた。それなら使わければいいのではないかとも言えるが、いずれにせよ、学習におけるAIの利用方法には明確なルールやガイドラインが求められているのは確かだ。
 AIがもつ障害の特定能力がプライバシーの問題を引き起こす懸念もある。AIは学習者の行動パターンや学習履歴を分析する中で、意図せずにその人が抱える障害や学習の弱点を特定できる。たとえば、文章作成の速度や間違いの傾向などのデータを基に、ディスレクシアや注意欠陥多動性障害(ADHD)の可能性をAIは検出できる。これが本人や家族の意思に反して教師や関係者に知られる場合、プライバシー侵害となるだろう。この障害の開示が、学生にとって不利益や偏見を招く結果となる可能性も否定できない。記事では、このような状況が教育現場における倫理的ジレンマを深刻化させると指摘している。
 学習障害の克服という観点でAIの導入は一見魅力的に見えるが、技術への過剰な依存が教育そのものに与える影響も懸念される。特別支援教育において、AIが学生を支援する過程で、学習者が本来自力で磨くべき能力を十分に伸ばせなくなるリスクがある。たとえば、読解力や文章作成力を向上させるための特別プログラムが、AIによる文章生成ツールに取って代わられた場合、学生自身が努力してスキルを獲得する機会が減少する。先の学生の例でもそうだが、AIによる支援が「補助」ではなく「代替」となってしまうことで、長期的には学びの質が低下しかねない。AIの活用は慎重に進める必要があるが、具体的にどうしたらよいかが現状判然としない。

教育の未来
 当然だが、教育におけるAI技術の未来を考えざるをえない。この点、米国では、バッファロー大学を拠点とした「特別支援教育のための国家AI研究所(National AI Institute for Exceptional Education)」が、子どもの学習支援に特化した技術の開発を進めている。例えば、子どもの声は成長に伴って変化するため、大人の声と比較して音声認識が難しい。発音が未熟だったり、言葉の使い方が予測しにくかったりすることも、技術の精度向上を妨げる要因である。筆記認識においても、子ども特有の癖のある筆記や、学びの初期段階で書かれる不完全な文字をAIが正確に解釈するのは非常に難しい。子どもごとにAIをカスタマイズする必要があるが、それが適切な指導になるかも適時調整する必要がある。
 しかし、AIプログラムの多様性は学校にとっての負担となる。現状ですら、どのツールを選択するべきかという判断が難しく、非営利団体ISTE(非営利団体ISTE)の取り組みが紹介されている。彼らは学校が効果的にAIツールを活用できるよう、評価基準の整備を進めているが、AIの進歩に追いついているふうでもない。

 

|

« 偽レビュー問題 | トップページ | ジミー・カーター第39代大統領 »