シリア政権崩壊
2024年12月8日、シリアの首都ダマスカスが反政府勢力によって制圧され、13年にわたるアサド政権が崩壊した。反政府勢力は国営テレビ局を制圧し、「ダマスカス解放」を宣言。アサド大統領はロシアへの亡命を余儀なくされた。この出来事は単なる一国の政権交代を超えて、中東全域の勢力図を塗り替える歴史的な転換点となる。
アサド政権崩壊の直接的な契機となったのは、最大の支援国であるロシアの軍事的・経済的支援の縮小である。ウクライナ侵攻に軍事資源を集中せざるを得ない状況下で、ロシアはシリアへの空爆や補給支援を大幅に削減した。また、レバノンのヒズボラがイスラエルとの衝突で勢力を弱体化させたことにより、シリアへの重要な補給ルートが事実上途絶したことも転機となった。国際的な経済制裁による財政基盤の崩壊と相まって、政権の存続基盤は急速に脆弱化していった。
11月27日から開始された反政府勢力の攻勢は、驚くべき速さで展開した。北部アレッポ、中部ホムス、南部ダラアの戦略拠点を次々と制圧し、わずか10日でダマスカスを包囲するに至った。この急速な進撃の背後には、長年にわたる国際的な支援体制の存在があった。トルコは、シリア北部のクルド勢力を牽制する目的から、反政府勢力への武器供給を積極的に展開してきた。トルコにとって、クルド人の自治権拡大は自国の領土保全に対する脅威となりうる。そのため、反政府勢力を支援することで、クルド人勢力の影響力を抑制しようとしたのである。さらに注目すべきは、アメリカによる反政府勢力への支援である。一見すると、テロとの戦いを掲げるアメリカが反政府勢力を支援することは矛盾しているように思える。しかし、この支援には明確な戦略的意図があった。アメリカは、シリアにおけるロシアの影響力を削ぐため、穏健な反政府勢力に限定して支援を行ってきた。特に、対戦車ミサイルや防空システムといった防衛的な装備の提供を通じて、アサド政権の軍事的優位性を相対化させることを目指した。この支援は、シリアを舞台とした米露の代理戦争的な様相を帯びていたのである。
カタールとサウジアラビアによる資金援助も、反政府勢力の軍事力強化に大きく貢献していた。両国の支援の背景には、イランの影響力拡大への危機感があった。アサド政権はイランの重要な同盟国であり、その存続はイランの地域的影響力の維持につながる。そのため、湾岸諸国はアサド政権の打倒を通じて、イランの影響力を抑制しようとしたのである。しかし、この武器供給の増大は、同時に深刻な問題も引き起こしている。供給された武器の一部が過激派組織の手に渡るリスクが指摘され、シリアの不安定化をさらに助長する要因となっているのだ。
いずれにしても、このタイミングの良さや反乱軍間の調整にはなんらかの指導的な要因があったようにも思われる。
エネルギー問題
シリアの地政学的重要性は、特に天然ガスのパイプライン計画を巡る国際的な利害関係において顕著に表れている。アサド政権は在任中、カタールが提案した欧州向け天然ガスパイプライン計画を拒否し、代わりにイラン主導の計画を支持してきた。この判断の背景には、同盟国イランとロシアへの配慮があった。カタールのパイプライン計画が実現すれば、ロシアの対欧州ガス輸出における優位性が脅かされることになる。アサド政権の決定は、湾岸諸国との対立を深める一因となり、内戦の複雑化を招いた。一方、イランが推進してきたイラン-イラク-シリアパイプライン計画も、アサド政権崩壊により新たな局面を迎えている。このパイプラインは、イランから地中海沿岸を経由して欧州に天然ガスを供給する構想だった。しかし、政権崩壊によって計画の実現性は極めて不透明となった。この状況は、中東のエネルギー地政学に大きな影響を及ぼす可能性がある。意外なのは、ロシアは、シリアの混乱をむしろ好機と捉えている節があることだ。シリアを経由する新たなガス供給ルートの形成が阻害されることで、欧州市場におけるロシアの影響力が相対的に維持される。
シリア北東部の石油資源を巡る争いも、複雑な様相を呈している。この地域はクルド勢力が実効支配しているが、トルコはこれを自国の安全保障上の脅威と見なしている。アメリカは、イスラム国の復活を防ぐためにクルド勢力への支援を継続しているが、このことがNATO同盟国であるトルコとの関係を複雑にしている。石油資源の管理権を巡るこうした対立は、シリアの将来的な統治構造を考える上で避けて通れない問題となっている。実質的には平和的にこの地域を安定させる統治機構の可能性は低いだろう。
軍事的問題
アサド政権崩壊後、ロシアが直面する最大の課題の一つが、タルトゥース海軍基地の維持である。この基地はロシアにとって唯一の地中海拠点であり、黒海艦隊の活動範囲を拡大する上で極めて重要な戦略的価値を持つ。しかし、反政府勢力の影響力が拡大する中、基地の安全な運用が危ぶまれることになった。ウクライナ戦争による軍事資源の分散も、ロシアの対応をより困難なものにしている。
この基地維持の困難さは、単にロシアの軍事的プレゼンスの問題にとどまらない。タルトゥース基地は、ロシアの中東政策全体を支える重要な基盤であり、その喪失はロシアの地域的影響力を大きく損なう可能性がある。また、地中海におけるNATOとの軍事的バランスにも影響を与えかねない。ロシアは基地維持のために追加の海軍資源投入を検討しているが、ウクライナ情勢との兼ね合いで、その実現は容易ではないだろう。
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