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2024.12.27

ダルフール危機とスーダンの問題

 このブログは20年以上にもわたり雑多な話題を扱ってきたが、それで一つの経糸として、まだ当時メディアが黙殺していたダルフール危機からスーダンの問題を扱ってきた。2024年の年末にあたり、その原点回帰としてまとめておきたい。ダルフール地域を含め、スーダンは、長い間、政治的不安定性や民族間の緊張、資源を巡る争いに悩まされてきたが、この国の現在の危機を理解するためには、歴史的な背景と最近の出来事を整理する必要があるからである。
 1989年、オマル・アル=バシールが軍事クーデターによって政権を掌握して以来、スーダンは独裁的な統治の下で大きな変動を経験した。バシール政権下では、南北スーダンの対立やダルフール紛争と呼ばれる虐殺が激化した。特にダルフールでは、民族間の対立が政府支援の民兵組織によってエスカレートし、重大な人道危機が発生したが国際社会は長く黙殺していた。この期間、国内の資源分配の不平等や経済的格差がさらに広がり、多くの国民が不満を募らせる結果となった。
 2019年にバシール政権が国民的な抗議運動の末に崩壊すると、スーダンは新たな民主化の道を模索することとなった。暫定政府は、軍と市民団体の協力を基盤に成立したが、この新体制は内部での権力闘争を抱えることにもなり、対立は、スーダン国軍(SAF)と迅速支援部隊(RSF)という二つの武装組織の間で次第に顕在化し、2023年4月、全面的な武力衝突に発展した。
 この紛争により、スーダン国内ではさらに深刻な人道危機が発生し、多くの市民が住む場所を失い、飢餓や病気、暴力の脅威に直面している。国連の報告によれば、530万人以上が避難を余儀なくされ、その多くが隣国のチャドや南スーダンに流入した。これらの避難民を受け入れる国々もまた経済的困難や社会的問題を抱えており、十分な支援を提供できない状況にある。一方で国内に留まった人々は、基本的な生活物資へのアクセスが限られ、極めて厳しい環境に置かれている。
 この紛争の原因には、単なる政治的権力闘争だけでなく、スーダンに特有の歴史的要因が存在する。民族や部族間の対立は、バシール政権以前から存在していたが、その後の独裁統治によって一層深刻化した。さらに、資源を巡る争いも紛争の一因となっており、石油や鉱物資源を含む国土の経済的価値が対立の火種となっている。
 スーダンの状況をさらに複雑にしているのが、国際社会の対応の遅れである。スーダンは資源の豊富な国であるにもかかわらず、地政学的には他国の直接的な利害関係に結びついておらず、国際的な注目度が低い傾向にある。

公に隠された「人種差別」
 スーダン危機が国際的な注目を十分に集めていない背景には、「人種差別」が深く根付いている現実がある。これは、単に無関心や忘却ではなく、特定の人種や地域が暗黙のうちに「重要でない」と見なされるという問題の核心を浮き彫りにしている。公に隠された「人種差別」と言うべきもんどえある。
 国際社会が紛争や危機に対処する際、実際にはその反応は被害者の人種や地域に著しく依存している。たとえば、2022年に起きたロシアのウクライナ侵攻では、西洋諸国を中心に迅速かつ大規模な支援が展開された。避難民は広く受け入れられ、各国政府やメディアはその窮状を積極的に取り上げた。しかし、スーダン危機に対する対応は、これと対照的に著しく消極的である。それを誰もが知識としては認識しているが、まるで催眠状態にあるかのように無関心化する。スーダンの紛争がもたらした深刻な人道的影響が国際的に軽視されている背景には、アフリカの被害者が持つ人種的な属性が影響していると見ておくべきかもしれない。
 こうした差異を際立たせるのは、いうまでもなくメディア報道である。ウクライナ危機では、被害者一人ひとりの物語や写真が共有され、彼らの苦しみが具体的かつ共感を呼び起こす形で報道された。一方で、スーダン危機は、しばしば「終わりのないアフリカの混乱」といったステレオタイプの枠組みで語られることが多い。このような描写は、被害者の具体的な人間性を覆い隠し、危機そのものを遠い場所での「恒常的な問題」として認識させてしまう。この報道の在り方が、国際社会の反応をさらに鈍化させている。
 避難民への対応もまた、人種差別の特異性を浮き彫りにしている。ウクライナからの避難民は、欧州諸国で比較的寛容に受け入れられた一方、スーダンからの避難民は国境での排除や支援不足に直面している。隣国チャドや南スーダンでは、既存の経済的困難の中で支援が限られているが、それだけでなく、避難民の受け入れをめぐる政治的・社会的な抵抗も大きい。この対応の違いは、単なる資源不足の問題ではなく、国際社会全体における「誰の命が重要と見なされるのか」という価値観の不平等を示している。
 さらに、スーダン危機に関して特異的なのは、国際社会がアフリカにおける危機を「当然のこと」として扱う風潮である。スーダンの紛争は、しばしば「アフリカ特有の問題」として分類され、その背景にある複雑な歴史や国際的な影響を無視する形で語られる。これにより、スーダンの人々の苦しみは一地域の特殊な問題として扱われ、普遍的な人道的課題として認識されることが少ない。この問題は、単に支援の優先順位の問題にとどまらず、国際社会がどのように人命を評価し、危機を捉えているかを反映するものである。

共感疲労
 スーダン危機が国際社会の関心を引きつけられないもう一つの理由の一つとして、「共感疲労(Compassion Fatigue)」が挙げられる。これは、世界中の絶え間ない危機や悲劇の報道にさらされ続けることで、人々が心理的に疲弊し、他者の苦しみに対する感情的な反応が鈍化してしまう現象を指す。特にスーダンのような危機の場合、この共感疲労は選択的に作用しており、他の危機と比較して深刻な関心の欠如を招いている。
 現代社会では、戦争、内戦、自然災害、そして人道危機のニュースが絶え間なく流れている。ウクライナ、シリア、アフガニスタン、イエメンといった地域での惨状が連日報じられる中、人々はこれらの悲劇に対して無力感を覚え、次第に感情的な反応を示すことが難しくなる。このような情報の過剰な供給による心理的疲労が、スーダン危機に対する関心を低下させている。
 しかし、この共感疲労は単純に悲惨の「飽和」の結果ではない。スーダン危機が特に注目を集めにくいのは、国際社会がアフリカにおける危機を日常化し、特別視しない傾向が人々の意識に構造化されつつあることだ。これは、共感疲労への心理的な防衛かもしれない。アフリカの紛争は「常に起きている問題」として受け止められがちで、緊急性がある危機として認識されにくい。しかし、この認識が逆に共感疲労をさらに強め、スーダンへの関心を抑え込んでいる。
 共感疲労はすべての危機に均等に作用するわけではなく、特定の地域や人々への関心を削ぐ方向に選択的に働く。例えば、ウクライナ侵攻の場合、ヨーロッパ諸国や西洋全体にとって地政学的、文化的に近しい問題であったため、共感疲労を超えて積極的な支援が行われた。一方で、スーダン危機は多くの西洋諸国にとって地理的・文化的に「遠い問題」として捉えられ、関心を持たれにくい。
 共感疲労の影響は、スーダン危機への資金提供の不足にも顕著に現れている。国連は2023年、スーダンでの人道援助として26億ドルの支援を呼びかけたが、その達成率は半分にも満たなかった。この不足は、スーダン危機が他の危機に比べて優先順位を下げられている現実を反映している。国際社会は、地政学的な利益や国際的な注目度に基づいて支援の資源を配分する傾向があり、スーダンのような危機は後回しにされやすい。おそらく政治化したNPOの相対的な不在による効果的な広報活動も欠如している。スーダンの状況は複雑であり、共感を喚起するような簡潔で感情に訴えるストーリーが伝えられにくい。支援者や寄付者の関心がさらに低下する悪循環が生じている。

多国間主義の弱体
 スーダン危機が解決への具体的な道筋を見出せない背景には、国際的な多国間主義の弱体化が大きな影響を与えている。この現象は、国際社会が集団として行動する能力を失いつつある現状を反映しており、特にスーダンのような地域ではその影響が顕著である。
 2000年代初頭に提唱された「保護する責任(Responsibility to Protect, R2P)」という国際的な規範は、ジェノサイドや戦争犯罪などの大規模な人権侵害を防ぐために設計された。しかし、スーダン危機のような事例では、この原則がほとんど機能していない。R2Pは、国連を含む多国間機関が効果的に協力することを前提としているが、地政学的な対立や利害の衝突がその実施を妨げている。
 国連安全保障理事会は、スーダン問題に関して決定的な行動を取る能力をもはや決定的に失っている。アメリカ、中国、ロシアといった主要国の間での対立が、制裁や平和維持活動などの実効的な措置を阻害している。中国とロシアは、スーダンの豊富な資源や地域的な影響力を考慮し、強硬な介入に反対する姿勢を見せており、国際社会が一致して行動することは極めて困難となっている。
 スーダン危機に対するアフリカの地域的な対応もまた機能していない。アフリカ連合(AU)は、スーダンの問題に取り組む主要な地域機関として期待されているが、内部の資源不足や調整力の欠如により、実効的な行動を取ることが難しい状況にある。また、AU加盟国自体が経済的不安や内部紛争に直面しており、スーダン問題に集中する余裕がないのも一因である。隣接する国々の反応も断片的であり、統一された地域的対応には至っていない。例えば、チャドや南スーダンはスーダンからの難民の大量流入に対処するだけで手一杯であり、それ以上の支援や仲介役を担う余力がない。エチオピアなどの他の国々も、国内での政治的不安定性や紛争を抱えており、スーダン危機への対応は後回しにされている。
 多国間主義の弱体はあたかも自然的な傾向から変化したかのようだが、実際にはウクライナ戦争の思わぬ影響もある。この戦争は当初、ウクライナとロシアの対立のように見せながら、実際には代理戦争とまではいえないまでも、NATO対ロシアの様相を見せた。しかも、旧来のNATOであればそれなりの歯止めがあり、イスタンブール合意が達成に見えたはずだが、新たな「西側」の強行で戦争が激化した。このため、「西側」に対するロシアもBRICSなどを通して、非西側の多国間主義を装ったが、これらの多国間主義に見えるものが、すっぽりとアフリカを除去してしまったのである。

 

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