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2024.12.26

EUのAI法の現状

2024年を振り返ると、人工知能(AI)の急速な発展が私たちの社会に大きな変革をもたらしている。特に2022年のChatGPTの登場以降、AIが創造する文章、音楽、画像の精度は飛躍的に向上し、時として人間の創作物と見分けがつかないレベルに達した。こうした生成AI(GenAI)の発展は、新たな価値を生み出す可能性を秘める一方で、著作権侵害、プライバシーの侵害、さらには民主主義の根幹を揺るがす偽情報の拡散といった深刻な課題も提起している。このような状況下で、世界初の包括的なAI規制に乗り出したEUの取り組みが、世界中から注目を集めている。

生成AIがもたらす変革の大きさは、デジタルアート市場における成功からも明らかである。2021年10月28日にローンチされた「Botto」は、人間の指示なしに自動でアート作品を生み出すAIシステムである。NFT(Non-Fungible Token)プラットフォーム「SuperRare」で販売されたBottoの作品は、わずか4ヶ月後の2022年2月までに約2.5百万ドル(約2億8,000万円)の売り上げを記録した。42点以上の作品をオークションで販売し、プラットフォーム内で第17位という高評価を得たこの成功は、生成AIの商業的な実用性を証明している。

しかし同時に、AIがもたらす課題も顕在化した。2023年には米国著作権局がAI生成作品の著作権登録を拒否する判断を下し、作品の権利をめぐる議論が世界的に広がった。また、ロシア・ウクライナ戦争ではゼレンスキー大統領の偽動画が作成され、2023年には著名人の偽音声や画像が拡散されるなど、生成AIの悪用による社会混乱も現実のものとなっている。

こうした課題に対応するため、EUは2021年4月に「AI法」を提案し、2023年12月に暫定合意に達した。この法律は、AIシステムをリスクレベルに応じて分類する。中国式の社会的スコアリングなど人権を著しく侵害するシステムは「許容できないリスク」として全面禁止され、自動運転車や医療機器などの「高リスク」システムには厳格な安全性と透明性が求められる。ChatGPTやBardのような「限定的リスク」技術には使用者への明確な説明義務が課され、日常生活で使用される「最小限リスク」の一般的なAI技術には特別な規制は設けられない。

AI法は2024年にEU官報で公布され、2026年初頭から適用が予定されている。これは2018年に施行された一般データ保護規則(GDPR)の経験を活かして設計されており、EU域外にも大きな影響を与えることが予想される。GDPRの場合、その厳格な規制基準がEU市場で事業を行う域外企業にも適用されたことで、多くの企業がEU基準に合わせて全世界の運用を統一する動きを見せた。この現象は「ブリュッセル効果」と呼ばれ、実質的にEUの規制が世界標準となっていった。実際に、GDPRの影響は2020年のカリフォルニア州消費者プライバシー法(CCPA)にも見られ、EU域外での法整備を促している。

GoogleやMetaなどの大手AI企業は2023年後半から警戒的な姿勢を強めている。特に高リスクAIへの透明性要件は、多額の投資を必要とし、小規模なスタートアップ企業の参入障壁となる可能性が指摘されている。米国とEUの規制アプローチの違いも課題となっている。2023年10月30日にバイデン大統領が署名したAIに関する大統領令は、問題発生後の対応を重視する市場主導型の規制を採用している一方、EUは問題を未然に防ぐ予防的なアプローチを取る。この規制哲学の違いは、国際的な協力を難しくする要因となっている。

現行のEUのAI法には更なる課題が残されている。特に、AIをリスクベースで分類する現在のアプローチは、主観的で解釈の余地が大きく、文脈によってリスクレベルが変動する。例えば、ディープフェイク技術は現行法では「限定的リスク」に分類されているが、ロシア・ウクライナ戦争での偽動画作成事例のように、状況によっては「高リスク」とみなすべき場合もある。さらに、知的財産権やデータの機密性に関する具体的な規制が不十分である点も指摘されている。

各国の対応能力の違いを考慮し、発展途上国への技術的・財政的支援を含めた段階的な実施の必要性も指摘されている。国連やITU(国際電気通信連合)、ENISA(欧州連合サイバーセキュリティ庁)などの国際機関との協力を通じて、AI法の重要性への理解を深め、その正統性を高めていくことも検討されている。

AI技術の進化は今後も加速を続けるだろう。その際、現行のEUのAI法が目指す「イノベーションと規制のバランス」は、私たちがAI時代をどう生きるかを問いかける重要な試金石となる。その実効性を高めるためには、表現の自由と法的・倫理的な規制のバランスを取る必要があるのだが、EUと米国の差異は埋め合わせ可能なものなのかという原点において疑問が残されている。

 

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