「The ick」
私もけっこう年をとって、子供も成人してしまったので、だんだん若者文化に触れる機会が少なくなった。流行にも段々と疎くなってしまう。そんな折、米国で「The ick」(うげぇ)という言葉が話題になっていると聞いて、何だろうと興味を持った。どうやら恋愛にまつわる現象らしい。調べてみると、なんか変な話題だった。
「The ick」とは、恋愛対象に対して好意を持っていたにもかかわらず、突然その感情が冷めてしまう現象を指す言葉だ。昭和言葉で言えば「百年の恋も冷める」というやつだろう。相手の些細な行動や特徴が引き金となることが多い。きっかけは多様だ。食事中に口を開けたまま音を立てて食べる姿を見た瞬間や、公共の場での振る舞いが気になった時。また、「サンダルに靴下」や「デート中のデビットカード使用」といった状況がSNSでよく挙げられる例だという。この感覚が一度発生すると、もはや元には戻らない。まあ、戻らないのだろうな。「The ick」が生じた瞬間に恋愛感情は完全にシャットダウンされてしまうのだという。
「The ick」という言葉の起源を調べてみると、意外なところにたどり着いた。それは1990年代後半から2000年代初頭にかけて放送されたアメリカのテレビシリーズ「Ally McBeal」だ。日本では『アリーmyLove』というタイトルで放映され、多くの人に愛されたこのドラマの中で初めて「The ick」という言葉が使われたと言われている。
私もこのドラマを好きで見ていた一人だ。女性弁護士のアリーが仕事や恋愛に奮闘しながら日々を生き抜く姿には、ユーモアと感動というよりちょっと病的な面もあった。そんな彼女の恋愛エピソードには「The ick」に通じるエピソードがいくつもあったようにも思う。
完璧に見える相手でも、ある行動が突然「無理」と感じさせる瞬間がある。たとえば、アリーが付き合っていた恋人の些細な癖が気になり、急にその人が「合わない存在」と感じてしまうシーンが記憶に残っている。洗車中にたまたま出会った男性とやらかしたシーンも覚えている。こうした細かい感覚が恋愛のリアリティを引き立てるのだろうし、そうした感覚は今でいう「The ick」の感覚にもつながるのかもしれない。
「The ick」の具体例とかを見ていて興味を引いたのが「デート中にデビットカードを使った瞬間に冷めた」という話だ。正直、「そんなことで?」と驚いた。しかし、SNS上ではこうした意見に共感を寄せるコメントが多数寄せられているらしい。
考えてみると、この現象の背景には、打算的な恋愛の理想像が反映されている。デビットカードを使う行為は、「経済的な余裕がないのではないか」という疑念を引き起こすことがある。また、デートの場面では「クレジットカードをスマートに使う方が魅力的」という偏った価値観が共有されている。
私個人としては「デビットカードの使用を気にする側の態度こそ冷める」という感覚を持つ。そういったお金持ち志向や見栄の文化そのものが「The ick」を引き起こす側面もあると思うんだがな。とはいえ結局のところ、「何が冷めるか」は人によって異なるし、どちらが正しいという話ではないのだろう。
「The ick」は個人の感覚として語られるぶんにはどうでもいいけど、SNSとかで拡散される現代では、一種のいじめのような側面もある。特定の行動や癖を「冷める行動」として笑いの対象にする投稿が増えることで、それを経験した人たちが自分の行動を否定されたように感じてしまう場合があるだろう。誰しも自分では気づかない癖や行動を持っているものだ。それをSNSで取り上げられ、「これが原因で冷めた」という批判を受けることは、傷つく経験になるだろう。こうした文化がいじめや偏見の助長につながる。「The ick」の感覚そのものは自然なものであっても、それを大勢の前で晒し、同意を得ようとする行為には、ickだなあ、まったく。
そういえば、村上春樹の短編小説『回転木馬のデッド・ヒート』に出てくる「レーダーホーゼン」のエピソードを思い出した。レーダーホーゼンとは、ドイツの伝統的な吊りベルト付きの半ズボンだ。この作品の中で、30代独身女性の語り手が「母が父を捨てた理由はレーダーホーゼンにある」と告白する。若い人には活動的だったその服が、年老いた夫が履いているのを見て、妻である話者の母親はその姿を突然嫌だと思うようになったという。特に「老いたのに半ズボンではしゃぐ姿」が耐えられなくなったという。痛いなあ。いや、自分もその部類なんじゃないか。このエピソードも「The ick」の感覚に非常によく似ている。些細な行動や癖がきっかけで、長年の関係が揺らぐということも、ある。
| 固定リンク