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2024.12.19

北九州マクドナルド殺傷事件の特異性(容疑者逮捕前執筆の記事)

2024年12月14日に発生した北九州マクドナルド殺傷事件の容疑者(43)が逮捕された。というわけで、その前に書いておいた記事をどうしたものかと思うが、まあ、これはこれとして、なんとなく公開しておく。


 2024年12月14日に発生した北九州マクドナルド殺傷事件は、従来の無差別殺傷事件と比較しても、その異質さが際立っている。この事件は、過去の類似事件と異なり、短時間の犯行と犯行後の逃走が計画に組み込まれており、動機の透明性が欠如している点で特筆される。また、犯行場所として選ばれたマクドナルドが、公共性の高い場でありながら特定の個人を標的としていないことも特徴的である。この事件を通じて見えてくるのは、単なる偶発的な通り魔事件ではなく、計画性と偶然性、そして動機の曖昧さが交錯した新しいタイプの犯罪(人命を軽視した愉快犯的な犯罪)だろう。

事件の特異性:過去の無差別殺傷事件との比較
 過去に記憶に残る無差別殺傷事件には、秋葉原事件、池田小学校事件、川崎登戸事件、相模原障害者施設殺傷事件などがある。これらの事件は、それぞれ動機や行動に特徴があり、犯人像が比較的明確に浮かび上がった。しかし、北九州事件はそれらと比較しても多くの相違点がある。
 秋葉原事件では、犯人が社会的不満や孤独感を背景に“自分の存在を示したい”という欲求を抱きながら犯行に及び、その場で逮捕された。川崎登戸事件では、犯人が絶望感に苛まれ、自殺することを前提に犯行を計画していた。一方、北九州事件では、犯行後の逃走が計画の重点として含まれており、犯人が“その場での承認”や“自らの終焉”は求めていなかった点でこれらの事件とは一線を画している。今後犯行声明が出たり、さらに同一犯らしい犯行が出れば様相は変わるだろうが、その気配は感じられない。
 また、池田小学校事件や相模原事件のように、特定の年齢層や障害者といった集団を狙った意図的なターゲティングも見られない。マクドナルドという公共の場が選ばれたことから、犯行の場が無作為に選ばれた可能性もあるが、まったくの無作為というというのではなく、おそらく一定期間刃物を持ち歩いて“最適な犯行の場とチャンスを待っていただろう”という点で、計画性と偶然性が交錯しているのが特徴的である。

犯行と犯人像の考察
 この事件を考察する上で注目すべきは、犯人の行動に見られる計画性とその限界である。犯行が短時間で終わり、その後の逃走が成功していることから、一定の計画性は認められる。しかし、それは完全に練り上げられたものではなく、刃物を所持しながら日常的に“機会”を伺っていた可能性が高い。また、計画の重点は逃げることに置かれていたのではないだろう。このような行動は殺人のプロのようでもあり、無差別殺人事件の中でも特異な形態を示している。
 しかし、殺害方法については“殺しのプロ”と呼べる精密さや効率性は見られない。刺した部位や攻撃の内容から、致死性を確実に狙ったものではなく、むしろ手近な刃物を使った“素人計画犯”としての特徴が強い。この点で、計画性を伴いながらも犯行の技術が未熟であるという矛盾が浮かび上がる。
 動機については、社会的不満や思想的背景、怨恨といった要素が明確に浮かび上がっておらず、犯人の心理を特定するのは難しい。しかし、犯行そのものよりも“計画を遂行し、逃走すること”が目的であった可能性が高い。例えば、犯人は防犯カメラの配置や逃走経路を事前に確認し、短時間で現場を離れることを優先したと考えられる。さらに、使用した刃物をいつでも取り出せるよう準備し、混雑した状況で実行しやすいタイミングを待っていた可能性もある。このような動機の透明性の欠如が、この事件を一層不可解で特異なものにしている。人命を軽視した愉快犯的な犯罪だろうか。

警察の思惑と対応の現状
 事件の解明を進める上で、警察は既に地域住民を中心に捜査を進め、特定の候補者を絞り込んでいる可能性がある。過去の重大事件では、社会的に孤立した人物や精神的に不安定な行動を取る人物が捜査の中心に置かれることが多かった。今回の事件でも、防犯カメラ映像や地域住民からの情報提供を基に、警察が特定の人物に注目している可能性は十分に考えられる。
 一方で、防犯カメラ映像や捜査の進展が公表されていない背景には、捜査の秘密を保持するだけでなく、過激なYouTuberやメディアが事件に介入し、捜査を混乱させるリスクを避ける意図も含まれている。例えば、過去には有名な事件現場に無許可で侵入し、再現動画を撮影するYouTuberや、未確認の情報を拡散して捜査に支障を来した事例があった。このような行動が繰り返されることで、捜査が遅延したり、不必要な混乱が生じる可能性があるため、慎重な対応が取られていると考えられる。このような情報統制が必要な一方で、市民への説明が不足していることが、大衆の苛立ちを助長している現状もある。
 また、犯人が地元住民であれば、土地勘を活かして潜伏している可能性が高く、地域社会の協力が鍵となる。例えば、防犯カメラの映像から特定の地域での行動パターンが浮かび上がったり、犯行後に不審な行動をとった人物に関する情報提供が寄せられている可能性もある。このような捜査の進展は、地元住民であることを示唆する手がかりとして重要視されるだろう。しかし、外部犯の可能性も排除できず、そうなると逃走ルートや潜伏先の特定には全国的な捜査が求められるうえ、迷宮入りになりかねない。(注:冒頭書いたようにすでに容疑者は逮捕された。)

 

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