スーダンの民兵組織
スーダンは長年にわたり内戦と政情不安に苦しんできたが、2023年に勃発したスーダン軍と準軍事組織「迅速支援部隊(RSF)」の戦闘により、その混乱は新たな段階に突入している。
民兵組織の増加
スーダンではこれまで、民族や部族ごとに形成された武装集団が存在し、中央政府に対する反抗や地域の権利擁護を掲げて活動してきた。例えば、ダーウィシュ部族に基づく「東部防衛軍」やヌバ山地の「スーダン人民解放運動(SPLM)」などがあり、それぞれが地域の自治権を求めて戦ってきた。これらの武装集団は、長らく政府に反発し、スーダン全土で軍事的対立を引き起こしてきた。
2020年10月3日にはこれらの多くが和平合意を結び、一部のリーダーが政府高官として取り込まれた。しかし、2023年以降の新たな戦闘では、これらのグループが再び武器を取り、スーダン軍やRSFに加勢する動きを見せている。
特に東部のカッサラ州やゲダレフ州では、戦闘自体は起こっていないものの、逃れてきた戦火の被害者が100万人以上を超える中、民兵組織の動きが活発化している。これらの被害者は、不十分な避難所や食糧不足、医療サービスの欠如に直面しており、過酷な環境での生活を強いられ、その結果、多くの避難民が病気や栄養失調に苦しみ、特に子供や高齢者が深刻な影響を受けている。これらの地域において、新たに形成された民兵は、エリトリア国境付近の訓練キャンプで武装を強化し、将来的な紛争に備えているという。目撃者によれば、エリトリア国内には少なくとも5つの訓練キャンプが存在し、これらのキャンプではスーダン軍やバシル政権に近い人物たちによって支援されているとされている。
さらに、スーダンでは800万人以上が国内で移動を余儀なくされ、300万人以上が国外に逃れており、これは国連が「世界最悪の避難民危機」と評する状況である。
若者たちの民兵加入
スーダンでは経済的に生活を向上させる機会が非常に限られており、若者たちは大学を卒業しても就職先を見つけるのが難しい。そのため、若者たちは民兵組織への加入を選択肢として考えるようになっている。仕事が見つからないなら、訓練キャンプに参加して国や家族を守りたいというのだ。民兵組織は、自身の部族や家族が基盤となっていることが多い。こうした若者たちは、自らの未来を戦争に奪われた世代であると同時に、新たな武装勢力を形作る原動力にもなっている。
中央政府の弱体化
スーダンの政府は長らく民兵組織を利用し、内戦の火種を抑え込む戦略を取ってきた。このブログでも初期から扱ってきたが、2003年2月に始まったダルフール紛争では、バシル政権がジャンジャウィード民兵を利用し、人道危機を引き起こしたる。この時のジャンジャウィードが現在のRSFの前身である。2021年10月25日にはブルハン将軍がクーデターを主導し、バシルの退陣後の脆弱な民間移行を頓挫させた。そして2023年4月、ブルハンとRSF指揮官モハメド・ハムダン・ダグロの間の長年にわたる権力闘争が全面的な戦争に発展した。
2024年5月に発表された国際危機グループ(ICG)の報告によれば、スーダン軍とRSFの双方が指揮系統の維持に苦労しており、戦争の主導権が多様な勢力に分散している。特に、ブルハン将軍がかつてのバシル政権の影響力を取り戻そうとする一方で、部族や民兵による独自の権力基盤が形成されていることが、この混乱をさらに深刻化させている。このような状況下で、政府の弱体化はますます深刻化している。
また、スーダン東部ではエリトリア国内に複数の訓練キャンプが存在し、そこにスーダンの新たな戦闘員が集結しているという証言もある。これらの訓練キャンプは、スーダン軍やかつての独裁者オマル・アル=バシル政権に近い人物によって支援されているとの疑惑が浮上している。
悪循環
スーダンの民兵問題は新しいものではないが、現在の状況では、民兵組織が国家の未来を左右する存在となりつつある。民族や部族を基盤とする民兵組織は一時的に政府や軍と連携することがあっても、基本的には独立性を保ってきた。だが、民兵の台頭が新たな権力闘争を生んでいる。こうした民兵が将来的に独自の権力基盤を築いては、中央政府に対抗する勢力になる。悪循環である。スーダン政府は弱体化し続け、再び民兵に依存せざるを得ない。
理想を言うなら、スーダン国内外の関係者が一丸となり、包括的な和平プロセスを模索する必要がある。その実現には、各民兵組織が支配する現状を変革し、経済的・社会的な基盤を再構築する努力が求められるのだが。
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