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2024.12.31

ジミー・カーター第39代大統領

 米国のジミー・カーター元米大統領が12月29日、米ジョージア州プレーンズの自宅で死去した。100歳だった。彼は、ウォーターゲート事件で大統領を辞任したリチャード・ニクソン氏の副大統領から後任となったジェラルド・フォード大統領を破り、1977年に第39代大統領に就任した。私は当時を覚えている。気さくで潔白な人柄に大変な人気があった。そしてその高い期待は、じりじりと失望に変わっていったことも。
 ジミー・カーターの大統領在任中、アメリカは1970年代のオイルショックに端を発する深刻な経済問題に直面していた。1973年の第一次オイルショックを引き金に全世界的にエネルギー価格が急騰し、インフレーションが進行した。カーターが大統領に就任した1977年には、この影響が国民生活をすでに圧迫していたので、これに対応すべくエネルギー政策を優先課題として掲げ、「エネルギーは国家的課題」と宣言し、消費削減や再生可能エネルギーの開発を呼びかけた。が、結局は米国民に「犠牲」を求める姿勢として冷淡に受け取られた。カーターの施策はそうまずいものでもなかったが、結果を出すまで時間を要し、目に見える成果が乏しければ支持率が低下するのも当然だった。
 1979年の第二次オイルショックがこれに追い打ちをかけた。ガソリン価格の高騰と供給不足が深刻化し、米国民は長蛇の列を成して給油を待つ事態に陥り、政権への不満が一層高まった。危機への対応として、カーター大統領は連邦準備制度理事会(FRB)の新議長にポール・ボルカーを任命し、高金利政策を採用したが、インフレーション抑制に一定の効果を上げたものの、同時に失業率の悪化を招き、経済全体が停滞する結果を生むことになった。
 カーター大統領は議会との関係もうまく切り回せなかった。彼は「ワシントンの腐敗した構造」と戦うことを公言して大統領になったものの、同じ民主党の議員とですら協調性を欠いていた。西部地域の水利事業を「不要な公共事業」と名指しして削減を試みた際には、地元選出の議員たちを敵に回し、党内に亀裂を生じさせることもあった。こうした対立が1978年の中間選挙で民主党に壊滅的な敗北をもたらし、さらに議会での影響力を大きく失わせた。
 カーターの政治的失敗の根本には、彼の稚拙な理想主義がある。現実的な政治技術や戦略と結びつかなかったのだ。改革への熱意と正義感は賞賛されるべきものかもしれないが、実現のための柔軟性や交渉力を欠いていたため、逆に孤立を深める結果となった。彼の大統領在任期間は混乱と失望の象徴として特徴づけられている。

外交政策の挫折
 ジミー・カーター政権の外交政策も、手ひどい失敗で記憶されるものとなった。とはいえ、まったくの成功がなかったわけでもない。イスラエルとエジプト間の和平合意であるキャンプ・デービッド合意を実現したこともある。1978年、カーターはエジプトのサダト大統領とイスラエルのベギン首相を招き、13日間の交渉を通じて歴史的合意を達成した。この和平協定は中東地域での安定を目指した画期的な一歩であった。だが残念ながら、現在から振り返ればその成果が期待した未来を導いたとはいえない。
 彼の外交の最大の失敗はイラン危機を招いたことである。1979年のイラン革命では、長年米国の同盟国だったシャー政権が崩壊し、反米的なイスラム政権が樹立された。この経緯にカーター大統領がまぬけな印象で関わっている。彼がシャーの病気治療のために米国亡命を許可したことが引き金となり、イランの若者たちがテヘランの米国大使館を占拠する事件が発生したのだった。52人の米国人が444日間も人質に取られる事態となった。カーターは外交交渉や軍事作戦で解決を図ったが、これらの試みはことごとく失敗した。特に、1980年4月の救出作戦「イーグルクロー作戦」は、現場でのヘリコプターの衝突事故により失敗に終わり、国際的な恥辱を被った。
 ソ連のアフガニスタン侵攻への対応も議論を呼んだ。カーターはモスクワ五輪のボイコットを決定するなど大衆の好みそうな制裁を課したつもりだったが、これが米国国内外での支持を集めたとも言い難い。また、冷戦時代の軍拡競争の中で彼が推し進めた核軍縮交渉もたいした成果を挙げることができなかった。端的に言うなら、大統領に向かない人だった。基本的に米国の大統領というものは、フォード大統領のように玄人筋からの評価を除けば、二期努めて評価されるもので、一期のカーター大統領はそれだけで歴史から忌まわしさ以外では残るべくもなかった。ちなみに、この関連がトランプ次期大統領を必死にさせたものでもあった。

ポスト大統領
 ジミー・カーターの評価が高まった最大の要因は、皮肉にも大統領退任後の活動である。1981年にホワイトハウスを去って、ジョージア州プレーンズに帰った彼は、ポスト大統領としての模範的なキャリアを築き、その影響力を国際社会に広げた。ちなみに、米国大統領というのは職を辞したらワシントンを去るのが慣例なのだが、これをしゃらっと破ってのけたのがオバマ大統領だったりする。カーター大統領はその点、職を辞して活動の拠点を移し、カーターセンターを設立した。この非営利組織は、民主化支援、人権擁護、疫病撲滅といった国際的課題に取り組む拠点として機能し、カーター自身も精力的に関与した。また「ハビタット・フォー・ヒューマニティ(Habitat for Humanity)」にも関わった。これは、低所得者向けに適切な住宅を提供することを目的とした非営利団体であり、ボランティアや寄付を通じて住宅を建設し、支援を必要とする家族に販売する活動を行う。この際、住宅の提供は単なる施しではなく、居住者が可能な範囲で建設作業に参加し、自らの住まいに対する責任を持つ仕組みになっている。彼自身、単に資金提供や団体の顔となる役割に留まらず、実際に建設現場に足を運び、道具を手に取り作業に従事もした。大統領を辞してからようやく、「手を汚す」姿勢を獲得した。文字通り汗をかきながら釘を打つなどの肉体労働にも従事したという。
 ここまでは美談のレベルだが、ジミー・カーター元大統領の貢献はそれに留まらず、国際的な調停者としての活躍が際立っている。 カーターの調停活動は核戦争の回避に寄与した可能性がある。1994年には北朝鮮の核開発問題が緊迫化し、軍事的衝突の危機が高まる中で、カーターは再び北朝鮮を訪問。金日成主席との直接交渉により、核施設の凍結を含む基本合意を引き出した。この合意は、米朝間で軍事的緊張を一時的に緩和させ、潜在的な核戦争を回避する契機となったと評価されている。冷戦後の不安定な国際秩序の中で、カーターの調停は国際平和の維持に大きな貢献を果たしたと言える。 これらの活動は、2002年のノーベル平和賞受賞の主要な理由となった。
 彼のポスト大統領としての行動は、冷戦後の複雑な国際情勢の中で、紛争解決と平和構築を推進する重要な役割を果たしてきた。北朝鮮で拘束されていた米国市民の解放に尽力した事例である。2010年に北朝鮮で不法入国により拘束されていたアメリカ市民のアイジャロン・ゴメスの解放交渉を成功させた。この交渉においてカーターは、国家間の公式な外交ルートではなく、非公式な「市民外交」としてアプローチし、北朝鮮指導部との信頼関係を構築した。彼の行動は、国際的な人権問題に取り組むだけでなく、米朝間の緊張緩和にも一役買ったとされる。
 ジミー・カーター大統領は、大統領を辞してから歴史に残る人物となった。「ポスト大統領」の規範を築いたともいえるだろう。悲しむべきことはそこの部分で彼に匹敵する「ポスト大統領」が見当たらないことである。

 

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2024.12.30

学習障害をAIで支援する

 VOA(Voice of America)に「AI技術が障害を持つ学生の公平な学習環境を実現」(AI technology helps level playing field for students with disabilities)という記事があり、教育におけるAI技術の影響について興味深い内容だった。この記事では、障害を持つ学生がAI技術を活用して学びの壁を克服し、学びの場での公平性を実現している様子を描いていた。

を持つ学生への影響
 記事ではいくつかの事例が紹介されているが、ディスレクシア(読字障害)を持つ14歳の女子学生の実体験が興味深いものだった。彼女は幼い頃から文字を正確に読むことが難しく、また書字においても、”rhinoceros(サイ)”は "rineanswsaurs"、”sarcastic(皮肉な)”は”srkastik"と書いてしまうらしい。そこで彼女は「自分は愚かだ」と感じていたものだったが、AI技術による支援ツールとの出会いがその自己認識を変えた。彼女専用にカスタマイズされたAIチャットボットや音声読み上げツール、文章予測プログラムを活用することで、学習の負担が軽減され、彼女が学び続けることを可能にした。その結果、彼女は全国ジュニア名誉協会に選ばれるほどの成果を上げるに至ったという。彼女は「AIがなければ、きっと諦めていただろう」と語っている。
 この話題は私に刺さるものがあった。私も似たような傾向があるというか、誤字脱字である。ブロガーとして自分はあまり関心を持たれないのは話がつまらないというのが一番の原因だろうが、それにしても誤字脱字が多すぎる。そしてそれを気にすると書けないのでまあ、適当に割り切ってしまっている。ブログだし。という状態だが、これは自分の学習過程でも問題が生じたものだ。幸い日本の教育課程ではそれほど顕著に誤字脱字脳がバレることはない。そもそもあまり多くないが、どうやら私はもう67年も自分の能力を見つめてきたのだが、異様なほど速読ができる。自然にできる。記憶力はいわゆる二項記憶はそれほどでもないが、全体マップ的な記憶力はすぐれている。数学などもファインマンほどではないが視覚理解ができる。これは全体的な理解力につながる。計測したことはないが子供の頃のIQも高かったのではないかと思うし、それを示唆する思い出もある。まあ、こうして書くと自慢話だが、この高速脳はアウトプットに比例しない。テストだとケアレスミスが続出する。それとどうやら独創的に思考するので、学習過程を自分用に組み替える必要があるのだが、それがうまくいかないことがあり、端的に言って、東大とかに向いてない。友人が逆に東大向きの頭で東大にするっと入ったが、あれを見ていて向かないなあとは思った。幸いこうした脳に向いている大学に入れたが、それでよかったかはわからない。
 自分語りが多くなったが、技術が自分をサポートしてくれたらという思いは強かった。アウトプットがだめだめという話をしたのだが、こうしてたらたらと文章を産出しているように、どうやらアウトプットの産出能力も高く、そのために一種の知的刈り込みをしているらしく、誤字脱字を自然に無視しているようだ。ろくでもない。長く書いたが、たぶん、私のようなタイプの知性の人はいると思うので、これを見たら頑張れよと思うし、技術、とくにAIを活用するといいよと言いたい。
 話を戻して、AI技術は、障害を持つ学生が自分のペースで学びを進める機会を提供し、学習意欲や自己肯定感を高める効果をもたらすだろう。こうした技術は単なる学習補助具以上の存在となり、学生たちに新たな可能性の扉を開くだろう。

倫理的な課題
 VOAの記事の話題に戻る。興味深かったもう一つの焦点は、AI技術が抱える倫理的課題や教育的なリスクである。要するに学びと「チート」の境界線についての議論である。ニューヨーク州のある男子高校生の事例が興味深い(余談だが、この学生は名前からしてユダヤ人である。英文を読んでいて思うのだが、小説とかコラムとかで何気なくエスニックを暗喩したり歴史事象を暗喩することが多いがこうした解説書ってないもんだなあと思う)。彼は、AIを利用して本のレポートのアウトラインを短時間で完成させたのだが、彼自身、レポート全体をAIに作成させることは「不正行為だ」と考えていた。それなら使わければいいのではないかとも言えるが、いずれにせよ、学習におけるAIの利用方法には明確なルールやガイドラインが求められているのは確かだ。
 AIがもつ障害の特定能力がプライバシーの問題を引き起こす懸念もある。AIは学習者の行動パターンや学習履歴を分析する中で、意図せずにその人が抱える障害や学習の弱点を特定できる。たとえば、文章作成の速度や間違いの傾向などのデータを基に、ディスレクシアや注意欠陥多動性障害(ADHD)の可能性をAIは検出できる。これが本人や家族の意思に反して教師や関係者に知られる場合、プライバシー侵害となるだろう。この障害の開示が、学生にとって不利益や偏見を招く結果となる可能性も否定できない。記事では、このような状況が教育現場における倫理的ジレンマを深刻化させると指摘している。
 学習障害の克服という観点でAIの導入は一見魅力的に見えるが、技術への過剰な依存が教育そのものに与える影響も懸念される。特別支援教育において、AIが学生を支援する過程で、学習者が本来自力で磨くべき能力を十分に伸ばせなくなるリスクがある。たとえば、読解力や文章作成力を向上させるための特別プログラムが、AIによる文章生成ツールに取って代わられた場合、学生自身が努力してスキルを獲得する機会が減少する。先の学生の例でもそうだが、AIによる支援が「補助」ではなく「代替」となってしまうことで、長期的には学びの質が低下しかねない。AIの活用は慎重に進める必要があるが、具体的にどうしたらよいかが現状判然としない。

教育の未来
 当然だが、教育におけるAI技術の未来を考えざるをえない。この点、米国では、バッファロー大学を拠点とした「特別支援教育のための国家AI研究所(National AI Institute for Exceptional Education)」が、子どもの学習支援に特化した技術の開発を進めている。例えば、子どもの声は成長に伴って変化するため、大人の声と比較して音声認識が難しい。発音が未熟だったり、言葉の使い方が予測しにくかったりすることも、技術の精度向上を妨げる要因である。筆記認識においても、子ども特有の癖のある筆記や、学びの初期段階で書かれる不完全な文字をAIが正確に解釈するのは非常に難しい。子どもごとにAIをカスタマイズする必要があるが、それが適切な指導になるかも適時調整する必要がある。
 しかし、AIプログラムの多様性は学校にとっての負担となる。現状ですら、どのツールを選択するべきかという判断が難しく、非営利団体ISTE(非営利団体ISTE)の取り組みが紹介されている。彼らは学校が効果的にAIツールを活用できるよう、評価基準の整備を進めているが、AIの進歩に追いついているふうでもない。

 

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2024.12.29

偽レビュー問題

 インターネットのショッピングサイトでは、偽レビューが長年にわたり問題視されてきた。これらのレビューは商品の販売促進や評判操作を目的として作成され、多くの消費者を誤解させる原因となっている。特にAmazonなど主要プラットフォームでは、その影響がすでに深刻化している。偽レビューの手法は多岐にわたり、ソーシャルメディア上の非公開グループでの取引が一般的で、この取引では、偽レビュー仲介業者が企業に代わってレビューを作成し、対価として金銭や報酬を受け取る仕組みが構築されている。また、企業自らが消費者に対して、非公開でギフトカードや割引などの特典を提供し、好意的なレビューを誘発する手法も広く使われている。このような不正行為は、消費者の購買判断をゆがめるだけでなく、信頼性の高いレビュー環境の構築を妨げる要因となっている。
 偽レビューの問題は、特にセールのシーズンにおいて顕著だ。この時期、多くの消費者がギフト購入の参考としてレビューを活用するため、不正レビューの影響が広がりやすい。消費者はこうした誤った情報に基づいて購入を決定するリスクを負う。高評価レビューに基づき商品を購入した結果、期待を大きく裏切られるケースが増加し、その反動もショッピングサイトが受けている。
 偽レビューの背景には、企業間の競争の激化があり、オンラインショッピングやサービスプラットフォームの成長により、他社との差別化を図るためにレビュー操作が行われるケースが増えている。企業は売上拡大やブランド強化を目的に、不正な手段に頼ることを選択する一方で、消費者の信頼を損なう結果も招いている。
 こうした既存の偽レビュー問題だが、近年の生成AIの登場によって新たな局面を迎えている。OpenAIが提供するChatGPTのような生成AIツールは、少ない労力で膨大かつ精巧なレビューを短時間で生成することが可能なので、従来の手法に比べて格段に効率的かつ大量の偽レビュー作成ができる。

AIが加速させる偽レビューの課題
 AI生成レビューの最大の特徴は、意外にもその精巧さにある。従来の偽レビューは、単純でありふれた文言が多く、読み手が不自然さを感じることが多かった。しかし、生成AIによるレビューは、長文で構造化された内容を持ち、信頼できるように見える。例えば、製品の使用感を具体的に記述し、適切な形容詞や専門用語を用いることで、消費者に本物らしさを感じさせる。このようなAI生成レビューは、個別の製品ページやランキングの上位に表示されることが多く、消費者に誤解を蔓延させる要因となっている。
 とはいえ、AI生成レビューには共通するいくつかの特徴が存在する。例えば、ありきたりな表現や、空虚な形容詞を多用する点が挙げられる。だが、こうしたレビューは一般的なレビューとほとんど見分けがつかず、従来の手法では検出が困難だ。短文レビューでは、AI検出ツールも正確に判断できない。
 具体的な例として、「トランスペアレンシー・カンパニー」の調査が挙げられる。同社は、2023年に約7300万件のレビューを分析し、そのうち14%が偽レビューである可能性を示した。この中で、約230万件がAI生成レビューであると高い確度で推定されていた。アプリレビューにおいても、生成AIが利用される事例が増加している。特に、スマートフォンやスマートTVアプリのレビューでは、不正レビューがアプリインストールを促進し、その結果としてデバイスが乗っ取られる事態も報告されている。
 それでもAI生成レビューが全て不正とは限らない。非ネイティブスピーカーが正確な言語表現を用いるためにAIを活用する場合もあり、これが本物のレビューであるケースも存在する。AI生成であること自体を否定するのではなく、不正な意図が存在するかどうかを見極めることが課題となっている。

法的対応と企業の取り組み
 偽レビュー問題の深刻化に伴い、法的規制も進められている。これらの取り組みは、偽レビューを取り締まり、オンラインレビュー環境の健全化を目指すものだが、現状、課題も少なくない。
 まず、法的対応として、アメリカ連邦取引委員会(FTC)は2023年に偽レビューの販売や購入を禁止する新たな規則を施行した。この規則は、偽レビューを作成したり取引したりする個人や企業に対し罰金を課すことを可能にするものだ。また、FTCは生成AIを利用した偽レビューの問題にも注目しており、2024年にはAIツール「Rytr」の提供者に対して訴訟を起こした。この訴訟では、同ツールが偽レビューの大量生成を助長し、市場を混乱させるサービスを提供していると指摘されている。
 他方、プラットフォームそのものに対する直接的な罰則は課されていない。これは、アメリカの法律において、プラットフォームが外部投稿コンテンツに対して法的責任を負わないとされているためだ。このため、偽レビュー問題に関与する第三者を取り締まる法的手段が中心となっているが、プラットフォームの責任範囲については議論の余地がある。
 企業の取り組みとしては、主要なプラットフォームが独自の対策を講じている。Amazonは、アルゴリズムや調査チームを活用し、不正レビューの検出と削除を行っている。同社はまた、偽レビューを販売する仲介業者を相手取った訴訟も提起しており、問題の抑制に努めている。
 2023年には「信頼できるレビューのための連合」が設立された。この連合には、Amazon、Trustpilot、Yelp、Tripadvisorなどが参加しており、プラットフォーム間での情報共有やベストプラクティスの導入を進めている。この取り組みは、AIを活用して偽レビューを検出する技術の開発にも焦点を当てており、消費者保護を目的としている。連合は、レビューシステム全体の透明性と信頼性を向上させるための重要なステップと位置づけられている。
 しかし、企業の対応には限界もある。例えば、Amazonといった大手プラットフォームが自社の技術で偽レビューを削除しているにもかかわらず、一部の消費者団体はその取り組みが十分でないと批判している。特に、消費者の立場から見れば、依然として多くの偽レビューが残されており、その影響を受けるリスクは消えていない。法的対応と企業の取り組みを強化するためには、さらなる協力が必要だ。まず、規制当局と企業が共同でAI技術の悪用を防ぐ仕組みを構築することが求められる。また、消費者への教育も重要だ。消費者が偽レビューを見分ける能力を高めることで、問題の拡大を抑えることが可能となる。

消費者の対応
 生成AIの普及により、偽レビュー問題が複雑化する中で、消費者もそれなりの対応は可能だ。研究によると、AI生成レビューにはいくつかの共通する特徴が存在する。例えば、レビューが過度に熱狂的または否定的であったり、商品名やモデル番号が不自然に繰り返されている場合、それが偽レビューである可能性が高い。また、ありきたりな表現や、曖昧で具体性に欠ける形容詞が多用されているレビューも疑わしい。また、レビューを参考にする際には、複数の情報源を確認することが推奨される。一つのレビューだけに頼るのではなく、異なるプラットフォームや信頼できる第三者の意見も取り入れることで、より正確な判断が可能となる。

 

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2024.12.28

パナマ運河とトランプ次期米大統領

 ドナルド・トランプ次期米大統領の話題はこれまでその選挙戦の言説を背景としてきたが、ここにきて、攻撃的な外交政策を示唆するようになった。最初はカナダを米国の51番目の州にするといった冗談だったが、グリーンランドの購入を望んでいると冗談は進展し、パナマ運河の支配権を取り戻すにいたって、これは冗談ではないのではないかという疑念がニュースとなりだした。
 パナマ運河に関する彼の主張は、運河の利用料金が米国に不公平であり、中国がこの地域で強い影響力を持つことに懸念を抱いているというものである。これらの背景には、実は彼の一貫した主張である、米国の経済的利益の保護と国家安全保障の確保、中国の影響力への対抗が存在している。
 トランプ氏の主張の基底は、米国の経済的利益の保護である。パナマ運河は大西洋と太平洋を結ぶ重要な物流拠点であり、米国の貿易にとって欠かせない存在であり、米国は運河の最大利用国であり、通行する貨物の大半が米国に関連している。しかし、運河の利用料金が年々引き上げられる中で、米国企業にとってコスト負担が増大している。トランプ氏は、米国がこれまでバナマに多大な支援を行ってきたにもかかわらず、不当な料金が課されていると批判し、これを「不公平な剥奪」と位置づけている。彼の発言は、経済的負担を軽減し、米国企業の競争力を守ろうとしている。
 加えて、トランプ氏が強調するのは国家安全保障上の懸念である。パナマ運河は、米国軍の迅速な配備や物流における重要な戦略拠点であり、その安定した運営が米国の安全保障に直結している。しかし、運河が現状、実質的には中国の影響下にあるという見方があり、これが米国の地政学的優位性を揺るがすものとされている。中国は「一帯一路」政策の一環として、バナマでのインフラ投資や港湾運営を拡大しており、運河周辺の戦略的拠点を着実に押さえつつあることを考慮すれば、不合理な主張とも言えない。このような状況は、米国の利益を侵害する可能性があるとトランプ氏は懸念しているわけである。運河を「奪回」する可能性を示唆することで、中国の影響力を牽制し、運河の安定した運営を確保しようとする主張には賛同者も多いだろう。
 これらの主張は、トランプ氏自身の国内政治的な地位確定の意図も含まれているのは当然だろう。「米国第一主義」を掲げる彼の政策は、支持者の愛国心を刺激し、国内での支持基盤を固める目的がある。パナマ運河問題は、単なる外交問題にとどまらず、米国の栄光や正義を象徴するものとして支持者に訴える力を持つ。彼が「奪回」という挑発的な表現を用いるのも、国内での注目を集めるための戦略であり、これによって支持者の結束を強化する狙いがあると考えられる。
背景の歴史
 この機会にパナマ運河問題をまとめておきたい。パナマ運河は、その地理的な位置から、地政学的、経済的に非常に重要な役割を果たしてきた。その歴史は、国際的な力の変遷を反映しており、現在の状況を理解する上で欠かせない。年代順にパナマ運河の歴史を振り返っておこう。
 パナマ運河の歴史原点は、1880年代、フランスがパナマ地峡を横断する運河の建設に着手したことである。当時、スエズ運河を成功させたフランスの技術力に期待が寄せられていた。しかし、熱帯の厳しい気候、マラリアや黄熱病などの伝染病の流行、高い死亡率が作業員を苦しめた。また、地形の複雑さや資金難も重なり、フランスのプロジェクトは1889年に失敗に終わった。
 フランスの失敗後は、米国がこのプロジェクトに関心を寄せた。1903年、米国はコロンビアから独立を目指していたパナマの分離運動を支援し、パナマの独立を実現させた。その直後、米国はパナマ政府と「パナマ運河条約」を締結し、運河地帯を半永久的に支配する権利を獲得して、1904年に運河の建設を再開し、1914年に完成させた。これにより、米国は太平洋と大西洋を結ぶ戦略的な航路を手に入れ、軍事的および経済的な優位性を確立した。
 第二次世界大戦後は、パナマ国内では、運河地帯の米国支配に対する不満が高まり始めた。1964年には暴動が発生し、多くの死傷者を出し、これら事件を契機に、米国とパナマは交渉を開始した。1977年、米国のジミー・カーター大統領とパナマのオマール・トリホス将軍は「パナマ運河条約」を締結し、1999年末までに運河の管理を完全にパナマに移管することが合意された。
 かくして1999年、運河は正式にパナマ運河管理局(ACP)の管理下に置かれた。これにより、パナマは運河の主権を取り戻し、その収益を享受できるようになった。しかし、同時に運河の運営と維持の責任も担うこととなり、新たな課題が生まれた。中国の台頭である。
 21世紀に入ると、中国がパナマにおける経済的影響力を急速に拡大させた。2017年には、バナマ政府が第二次世界大戦時の中国である中華民国である台湾と断交し、共産党中国との国交を樹立した。この動きに伴い、中国は港湾や物流インフラへの投資を強化し、「一帯一路」政策の一環としてパナマを重要な拠点とした。特に、中国企業は港湾施設の運営や運河周辺のインフラ整備に注力し、地政学的な影響力を拡大しつつある。
 トランプ次期大統領が、こうした中国の影響力を米国の利益を脅かすものと見なすのも当然だろう。パナマ運河の戦略的価値を再評価し、「奪回」という挑発的な表現を用いることも彼なりの歴史理解によっている。
 パナマ運河の歴史は、フランスの挫折、米国の建設と支配、パナマの独立運動、そして中国の進出という大きな変遷を経てきた。これらの出来事は、運河がいかに国際的な力関係の中心に位置してきたかを物語っているし、冗談とも本気とも取りかねるトランプ氏の言動だが、パナマ運河については歴史的な文脈の中でも理解されるべきであり、今後の国際的な動向に大きな影響を与えるだろう。

 

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2024.12.27

ダルフール危機とスーダンの問題

 このブログは20年以上にもわたり雑多な話題を扱ってきたが、それで一つの経糸として、まだ当時メディアが黙殺していたダルフール危機からスーダンの問題を扱ってきた。2024年の年末にあたり、その原点回帰としてまとめておきたい。ダルフール地域を含め、スーダンは、長い間、政治的不安定性や民族間の緊張、資源を巡る争いに悩まされてきたが、この国の現在の危機を理解するためには、歴史的な背景と最近の出来事を整理する必要があるからである。
 1989年、オマル・アル=バシールが軍事クーデターによって政権を掌握して以来、スーダンは独裁的な統治の下で大きな変動を経験した。バシール政権下では、南北スーダンの対立やダルフール紛争と呼ばれる虐殺が激化した。特にダルフールでは、民族間の対立が政府支援の民兵組織によってエスカレートし、重大な人道危機が発生したが国際社会は長く黙殺していた。この期間、国内の資源分配の不平等や経済的格差がさらに広がり、多くの国民が不満を募らせる結果となった。
 2019年にバシール政権が国民的な抗議運動の末に崩壊すると、スーダンは新たな民主化の道を模索することとなった。暫定政府は、軍と市民団体の協力を基盤に成立したが、この新体制は内部での権力闘争を抱えることにもなり、対立は、スーダン国軍(SAF)と迅速支援部隊(RSF)という二つの武装組織の間で次第に顕在化し、2023年4月、全面的な武力衝突に発展した。
 この紛争により、スーダン国内ではさらに深刻な人道危機が発生し、多くの市民が住む場所を失い、飢餓や病気、暴力の脅威に直面している。国連の報告によれば、530万人以上が避難を余儀なくされ、その多くが隣国のチャドや南スーダンに流入した。これらの避難民を受け入れる国々もまた経済的困難や社会的問題を抱えており、十分な支援を提供できない状況にある。一方で国内に留まった人々は、基本的な生活物資へのアクセスが限られ、極めて厳しい環境に置かれている。
 この紛争の原因には、単なる政治的権力闘争だけでなく、スーダンに特有の歴史的要因が存在する。民族や部族間の対立は、バシール政権以前から存在していたが、その後の独裁統治によって一層深刻化した。さらに、資源を巡る争いも紛争の一因となっており、石油や鉱物資源を含む国土の経済的価値が対立の火種となっている。
 スーダンの状況をさらに複雑にしているのが、国際社会の対応の遅れである。スーダンは資源の豊富な国であるにもかかわらず、地政学的には他国の直接的な利害関係に結びついておらず、国際的な注目度が低い傾向にある。

公に隠された「人種差別」
 スーダン危機が国際的な注目を十分に集めていない背景には、「人種差別」が深く根付いている現実がある。これは、単に無関心や忘却ではなく、特定の人種や地域が暗黙のうちに「重要でない」と見なされるという問題の核心を浮き彫りにしている。公に隠された「人種差別」と言うべきもんどえある。
 国際社会が紛争や危機に対処する際、実際にはその反応は被害者の人種や地域に著しく依存している。たとえば、2022年に起きたロシアのウクライナ侵攻では、西洋諸国を中心に迅速かつ大規模な支援が展開された。避難民は広く受け入れられ、各国政府やメディアはその窮状を積極的に取り上げた。しかし、スーダン危機に対する対応は、これと対照的に著しく消極的である。それを誰もが知識としては認識しているが、まるで催眠状態にあるかのように無関心化する。スーダンの紛争がもたらした深刻な人道的影響が国際的に軽視されている背景には、アフリカの被害者が持つ人種的な属性が影響していると見ておくべきかもしれない。
 こうした差異を際立たせるのは、いうまでもなくメディア報道である。ウクライナ危機では、被害者一人ひとりの物語や写真が共有され、彼らの苦しみが具体的かつ共感を呼び起こす形で報道された。一方で、スーダン危機は、しばしば「終わりのないアフリカの混乱」といったステレオタイプの枠組みで語られることが多い。このような描写は、被害者の具体的な人間性を覆い隠し、危機そのものを遠い場所での「恒常的な問題」として認識させてしまう。この報道の在り方が、国際社会の反応をさらに鈍化させている。
 避難民への対応もまた、人種差別の特異性を浮き彫りにしている。ウクライナからの避難民は、欧州諸国で比較的寛容に受け入れられた一方、スーダンからの避難民は国境での排除や支援不足に直面している。隣国チャドや南スーダンでは、既存の経済的困難の中で支援が限られているが、それだけでなく、避難民の受け入れをめぐる政治的・社会的な抵抗も大きい。この対応の違いは、単なる資源不足の問題ではなく、国際社会全体における「誰の命が重要と見なされるのか」という価値観の不平等を示している。
 さらに、スーダン危機に関して特異的なのは、国際社会がアフリカにおける危機を「当然のこと」として扱う風潮である。スーダンの紛争は、しばしば「アフリカ特有の問題」として分類され、その背景にある複雑な歴史や国際的な影響を無視する形で語られる。これにより、スーダンの人々の苦しみは一地域の特殊な問題として扱われ、普遍的な人道的課題として認識されることが少ない。この問題は、単に支援の優先順位の問題にとどまらず、国際社会がどのように人命を評価し、危機を捉えているかを反映するものである。

共感疲労
 スーダン危機が国際社会の関心を引きつけられないもう一つの理由の一つとして、「共感疲労(Compassion Fatigue)」が挙げられる。これは、世界中の絶え間ない危機や悲劇の報道にさらされ続けることで、人々が心理的に疲弊し、他者の苦しみに対する感情的な反応が鈍化してしまう現象を指す。特にスーダンのような危機の場合、この共感疲労は選択的に作用しており、他の危機と比較して深刻な関心の欠如を招いている。
 現代社会では、戦争、内戦、自然災害、そして人道危機のニュースが絶え間なく流れている。ウクライナ、シリア、アフガニスタン、イエメンといった地域での惨状が連日報じられる中、人々はこれらの悲劇に対して無力感を覚え、次第に感情的な反応を示すことが難しくなる。このような情報の過剰な供給による心理的疲労が、スーダン危機に対する関心を低下させている。
 しかし、この共感疲労は単純に悲惨の「飽和」の結果ではない。スーダン危機が特に注目を集めにくいのは、国際社会がアフリカにおける危機を日常化し、特別視しない傾向が人々の意識に構造化されつつあることだ。これは、共感疲労への心理的な防衛かもしれない。アフリカの紛争は「常に起きている問題」として受け止められがちで、緊急性がある危機として認識されにくい。しかし、この認識が逆に共感疲労をさらに強め、スーダンへの関心を抑え込んでいる。
 共感疲労はすべての危機に均等に作用するわけではなく、特定の地域や人々への関心を削ぐ方向に選択的に働く。例えば、ウクライナ侵攻の場合、ヨーロッパ諸国や西洋全体にとって地政学的、文化的に近しい問題であったため、共感疲労を超えて積極的な支援が行われた。一方で、スーダン危機は多くの西洋諸国にとって地理的・文化的に「遠い問題」として捉えられ、関心を持たれにくい。
 共感疲労の影響は、スーダン危機への資金提供の不足にも顕著に現れている。国連は2023年、スーダンでの人道援助として26億ドルの支援を呼びかけたが、その達成率は半分にも満たなかった。この不足は、スーダン危機が他の危機に比べて優先順位を下げられている現実を反映している。国際社会は、地政学的な利益や国際的な注目度に基づいて支援の資源を配分する傾向があり、スーダンのような危機は後回しにされやすい。おそらく政治化したNPOの相対的な不在による効果的な広報活動も欠如している。スーダンの状況は複雑であり、共感を喚起するような簡潔で感情に訴えるストーリーが伝えられにくい。支援者や寄付者の関心がさらに低下する悪循環が生じている。

多国間主義の弱体
 スーダン危機が解決への具体的な道筋を見出せない背景には、国際的な多国間主義の弱体化が大きな影響を与えている。この現象は、国際社会が集団として行動する能力を失いつつある現状を反映しており、特にスーダンのような地域ではその影響が顕著である。
 2000年代初頭に提唱された「保護する責任(Responsibility to Protect, R2P)」という国際的な規範は、ジェノサイドや戦争犯罪などの大規模な人権侵害を防ぐために設計された。しかし、スーダン危機のような事例では、この原則がほとんど機能していない。R2Pは、国連を含む多国間機関が効果的に協力することを前提としているが、地政学的な対立や利害の衝突がその実施を妨げている。
 国連安全保障理事会は、スーダン問題に関して決定的な行動を取る能力をもはや決定的に失っている。アメリカ、中国、ロシアといった主要国の間での対立が、制裁や平和維持活動などの実効的な措置を阻害している。中国とロシアは、スーダンの豊富な資源や地域的な影響力を考慮し、強硬な介入に反対する姿勢を見せており、国際社会が一致して行動することは極めて困難となっている。
 スーダン危機に対するアフリカの地域的な対応もまた機能していない。アフリカ連合(AU)は、スーダンの問題に取り組む主要な地域機関として期待されているが、内部の資源不足や調整力の欠如により、実効的な行動を取ることが難しい状況にある。また、AU加盟国自体が経済的不安や内部紛争に直面しており、スーダン問題に集中する余裕がないのも一因である。隣接する国々の反応も断片的であり、統一された地域的対応には至っていない。例えば、チャドや南スーダンはスーダンからの難民の大量流入に対処するだけで手一杯であり、それ以上の支援や仲介役を担う余力がない。エチオピアなどの他の国々も、国内での政治的不安定性や紛争を抱えており、スーダン危機への対応は後回しにされている。
 多国間主義の弱体はあたかも自然的な傾向から変化したかのようだが、実際にはウクライナ戦争の思わぬ影響もある。この戦争は当初、ウクライナとロシアの対立のように見せながら、実際には代理戦争とまではいえないまでも、NATO対ロシアの様相を見せた。しかも、旧来のNATOであればそれなりの歯止めがあり、イスタンブール合意が達成に見えたはずだが、新たな「西側」の強行で戦争が激化した。このため、「西側」に対するロシアもBRICSなどを通して、非西側の多国間主義を装ったが、これらの多国間主義に見えるものが、すっぽりとアフリカを除去してしまったのである。

 

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2024.12.26

EUのAI法の現状

2024年を振り返ると、人工知能(AI)の急速な発展が私たちの社会に大きな変革をもたらしている。特に2022年のChatGPTの登場以降、AIが創造する文章、音楽、画像の精度は飛躍的に向上し、時として人間の創作物と見分けがつかないレベルに達した。こうした生成AI(GenAI)の発展は、新たな価値を生み出す可能性を秘める一方で、著作権侵害、プライバシーの侵害、さらには民主主義の根幹を揺るがす偽情報の拡散といった深刻な課題も提起している。このような状況下で、世界初の包括的なAI規制に乗り出したEUの取り組みが、世界中から注目を集めている。

生成AIがもたらす変革の大きさは、デジタルアート市場における成功からも明らかである。2021年10月28日にローンチされた「Botto」は、人間の指示なしに自動でアート作品を生み出すAIシステムである。NFT(Non-Fungible Token)プラットフォーム「SuperRare」で販売されたBottoの作品は、わずか4ヶ月後の2022年2月までに約2.5百万ドル(約2億8,000万円)の売り上げを記録した。42点以上の作品をオークションで販売し、プラットフォーム内で第17位という高評価を得たこの成功は、生成AIの商業的な実用性を証明している。

しかし同時に、AIがもたらす課題も顕在化した。2023年には米国著作権局がAI生成作品の著作権登録を拒否する判断を下し、作品の権利をめぐる議論が世界的に広がった。また、ロシア・ウクライナ戦争ではゼレンスキー大統領の偽動画が作成され、2023年には著名人の偽音声や画像が拡散されるなど、生成AIの悪用による社会混乱も現実のものとなっている。

こうした課題に対応するため、EUは2021年4月に「AI法」を提案し、2023年12月に暫定合意に達した。この法律は、AIシステムをリスクレベルに応じて分類する。中国式の社会的スコアリングなど人権を著しく侵害するシステムは「許容できないリスク」として全面禁止され、自動運転車や医療機器などの「高リスク」システムには厳格な安全性と透明性が求められる。ChatGPTやBardのような「限定的リスク」技術には使用者への明確な説明義務が課され、日常生活で使用される「最小限リスク」の一般的なAI技術には特別な規制は設けられない。

AI法は2024年にEU官報で公布され、2026年初頭から適用が予定されている。これは2018年に施行された一般データ保護規則(GDPR)の経験を活かして設計されており、EU域外にも大きな影響を与えることが予想される。GDPRの場合、その厳格な規制基準がEU市場で事業を行う域外企業にも適用されたことで、多くの企業がEU基準に合わせて全世界の運用を統一する動きを見せた。この現象は「ブリュッセル効果」と呼ばれ、実質的にEUの規制が世界標準となっていった。実際に、GDPRの影響は2020年のカリフォルニア州消費者プライバシー法(CCPA)にも見られ、EU域外での法整備を促している。

GoogleやMetaなどの大手AI企業は2023年後半から警戒的な姿勢を強めている。特に高リスクAIへの透明性要件は、多額の投資を必要とし、小規模なスタートアップ企業の参入障壁となる可能性が指摘されている。米国とEUの規制アプローチの違いも課題となっている。2023年10月30日にバイデン大統領が署名したAIに関する大統領令は、問題発生後の対応を重視する市場主導型の規制を採用している一方、EUは問題を未然に防ぐ予防的なアプローチを取る。この規制哲学の違いは、国際的な協力を難しくする要因となっている。

現行のEUのAI法には更なる課題が残されている。特に、AIをリスクベースで分類する現在のアプローチは、主観的で解釈の余地が大きく、文脈によってリスクレベルが変動する。例えば、ディープフェイク技術は現行法では「限定的リスク」に分類されているが、ロシア・ウクライナ戦争での偽動画作成事例のように、状況によっては「高リスク」とみなすべき場合もある。さらに、知的財産権やデータの機密性に関する具体的な規制が不十分である点も指摘されている。

各国の対応能力の違いを考慮し、発展途上国への技術的・財政的支援を含めた段階的な実施の必要性も指摘されている。国連やITU(国際電気通信連合)、ENISA(欧州連合サイバーセキュリティ庁)などの国際機関との協力を通じて、AI法の重要性への理解を深め、その正統性を高めていくことも検討されている。

AI技術の進化は今後も加速を続けるだろう。その際、現行のEUのAI法が目指す「イノベーションと規制のバランス」は、私たちがAI時代をどう生きるかを問いかける重要な試金石となる。その実効性を高めるためには、表現の自由と法的・倫理的な規制のバランスを取る必要があるのだが、EUと米国の差異は埋め合わせ可能なものなのかという原点において疑問が残されている。

 

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2024.12.25

転換期を迎えるディズニー

 かつて、ウォルト・ディズニーは革新的なアニメーションと心温まる物語で世界中の人々に夢と感動を与えてきたものだった。『ビアンカの大冒険』のように。そのディズニーが、今、というか、ようやく大きな転換期を迎えているようだ。社会変革の旗手として多様性と包容性を謳い、積極的なメッセージ発信を行ってきたディズニーが姿勢を転換し、政治的メッセージを控え、純粋なエンターテインメントに焦点を当てるという方針転換を打ち出した背景には、過去の戦略が招いた批判、そして市場が求めるニーズへの屈服があるだろう。
 ディズニーの方針転換を象徴する出来事は、ピクサーの新作アニメーション『勝者と敗者(Win or Lose)』におけるトランスジェンダーのキャラクター描写の削除だ。この決定は、単に特定のイデオロギーに屈したのではなく、エンターテインメントの本質、すなわち「楽しさ」や「共感」を追求するという、より根本的な価値観への回帰を示すものということになっている。物語の中に政治的なメッセージを込めることを控え、観客が純粋に物語を楽しめる環境を提供するという、より成熟した姿勢の表れと言えるだろう。また、ヨーロッパ市場向けのアニメーションコンテンツについては、親が子供に特定のテーマを話すタイミングを自由に選べるように配慮するという方針も打ち出された。これは、作品の内容が、ヨーロッパ的な家庭における教育方針や価値観に影響を与える可能性を考慮した結果であり、政治的なメッセージの発信を避け、観客の自主性に委ねるという姿勢らしい。日本向けについては、特に情報が見当たらない。
 ディズニーはこれまで社会的な意識の高まりを背景に、多様性を前面に押し出した作品を多数展開してきたが、これらの作品は一部の観客層から、特に米国の右傾化回帰の流れで、「ウォークネス(wokeness)」と批判され、興行収入の低迷という結果を招いた。なお、ウォークネスは、英語の動詞「wake」(目を覚ます)の過去分詞形「woke」から派生した言葉で、アフリカ系アメリカ人の俗語として20世紀初頭から使われ、「社会的・政治的不正義に目覚めている」という比喩的な意味を持つようになった。この用法の端緒は古く、1938年に発表されたアメリカの民俗学者リード・ラヴィン(Lead Belly)の曲「Scottsboro Boys」で、「stay woke」(覚醒し続けろ)というフレーズが使われたことだが、近年ブラック・ライヴズ・マター(BLM)の活動で重要なスローガンとなり、多様な社会運動を象徴する言葉となった。
 ウォークネスを意識し、社会的不平等をテーマにすること自体は否定されるべきではないが、エンターテインメント作品においては、残念ながらというべきか、バランス感覚も必要になる。過剰なメッセージ性は、時に観客との間に隔たりを生み、結果として商業的な成功を遠ざけてしまう。対照的に、『デッドプール&ウルヴァリン(Deadpool & Wolverine)』や『モアナ2(Moana 2)』といった、政治的なメッセージを排した作品が商業的に成功を収めている事実は、観客がエンターテインメントに求めるものは、まずは「楽しさ」や「共感」であり、過剰なメッセージ性ではないことを示している。
 対して、制作過程における批判の集まった実写版『白雪姫(Snow White)』は、ディズニーが過去の戦略を反省するきっかけとなった象徴的な事例となってしまった。物語の再解釈やキャスティングをめぐっては、ファンや批評家から多くの意見が寄せられ、議論が白熱した。従来の物語の設定やキャラクター像からの逸脱は、多くの観客の期待を裏切る結果ともなり、作品公開前から観客の興味を失わせるという結果を招いた。ディズニーは、この苦い経験から、エンターテインメントの本質は、観客に「楽しさ」や「感動」を提供することであり、過剰なメッセージ性や特定の価値観の押し付けは、時に観客の期待を裏切るリスクを孕んでいることを痛感した、というかさせられた。
 ディズニーが、政治的な問題との関わりを避けようとする姿勢は、ABCニュースとトランプ前大統領の訴訟和解にも見て取れる。この訴訟は、ABCニュースがトランプ氏を「レイプで有罪」と報道したことが発端だが、実際には「性的虐待で有責」という判決であった。事実とは異なる報道が訴訟に発展し、多大な法的コストを負う可能性があったが、和解によってリスクを最小限に抑え、商業的安定を優先させるという判断を下した。また、元ディズニー取締役のチャールズ・エルソンが「ディズニーは製品を提供している。それはエンターテイメントだ。政治に関わるべきではない」と述べたが、これらの動きは、ディズニーが政治的な対立を避け、商業的安定を優先しようとしていることを示している。
 ディズニーのCEOであるボブ・アイガーは、かねてから「ディズニーの最大の使命は視聴者に娯楽を提供すること」と明言しており、エンターテインメント企業としての原点回帰を強調していた。彼はまた「私たちの第一の目標は、楽しませること」と発言し、過去の戦略を転換し、エンターテインメントの本質を追求する姿勢を明確にした。ディズニーは、ようするに、商業的な成功を収めることを目指しているということだ。

 

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2024.12.24

RE: クリスマス・キャロル

 ロンドンの街は、煤煙と霧の中でぼんやりと輝いていた。クリスマスを控えた通りは賑やかで、子どもたちの笑い声や店主たちの威勢の良い呼び声が響いている。店頭には色とりどりのリボンが飾られ、パン屋からは温かいパイの香りが漂ってくる。しかし、そうした光景を窓越しに眺めながら、エベネーザ・スクルージは深い皺を寄せて唇を引き結んでいた。彼は細身で背が高いが、どこか猫背気味で、その姿は影のように薄暗い。薄い灰色の髪は乱れ、顔には永遠に消えそうもない憎々しげな表情が刻まれている。その目は冷たく鋭く光り、見る者を寄せ付けない。

 スクルージに笑顔は似合わなかった。笑う代わりに、自嘲こそが彼の得意技だったからだ。しかし、その自嘲の奥には、彼自身も気づいていない寂しさが潜んでいた。それは幼い頃、寄宿学校で一人取り残された記憶にまつわる、どこか遠い痛みだった。母の記憶は、これがあなたのお母さんなんだ、という厳しい女性の写真だけである。

 事務所の中は、彼と同じように寒々としていた。暖炉の火は消えかけ、隅では事務員ボブ・クラチットが震えながら手仕事をしている。薄暗い室内で、インクの染みついた彼の袖口が、かすかに揺れていた。

 スクルージは帳簿を睨みつけながら、ため息をついた。
「メリークリスマスだと? くだらん!」彼は誰にともなくつぶやいた。「クリスマスとは、借金で勘違いなプレゼントを買い、無駄に浪費するだけの行事だ」

 隅にいるクラチットがビクッと驚いたのを見て、スクルージは顔をしかめた。その笑顔に、かつての自分を見たような気がして、なおさら苛立った。
「クラチット! その報告書は三部写しておけ!」
 クラチットは急いで頭を下げた。背中には、幼い息子ティムの薬代を心配する影が貼り付いている。

 窓の外では、若いカップルが手を取り合い、笑顔でプレゼントを交換していた。スクルージは鼻を鳴らした。その光景は、彼の胸の奥で何かを掻き立てた。若き日の彼もまた、愛する人と手を取り合っていたことがある。しかし、結局、彼女を失った。理由は自分だ。それ以外ありえない。それ以来、スクルージは世界を違う目で見るようになった。自分には愛というものは得られない。

「愛だの感謝だのと言っているが、どうせ長くは続かない。世の中は不合理だ。もし神がいるなら、もっとまともな世界になっているはずだろう? 世の中というのは、たまたま運が良くて強欲な奴が勝つようにできている。それが現実だ」

 彼はペンを置き、指を組んで自分に言い聞かせるようにつぶやいた。窓ガラスに映る自分の姿が、夕暮れの中でますます薄くなっていく。
「俺が今多少なりとも金を持っているのは、運が良かっただけだな。俺が生まれた時、もっと貧乏人の家に生まれていたら、どうなっていたか? 何の保証もない。それでも人は努力だの誠実さだのと偽善を並べたがる。だがな、結局は運が全てだろう」

 その言葉は、彼の心の奥底で空しく響いた。そこには、自分自身のささやかな幸運らしきものへの言い訳めいたものが潜んでいることを、彼は薄々感じていた。

 その夜、冷え切った自宅に戻ったスクルージは、いつものように寝室の暗闇に身を沈めた。暖炉の火も消え、部屋には彼の吐く息だけが白く漂っていた。だが、その夜、いつもと違う出来事が彼を待っていた。

 寝室のドアが突然きしんで開き、冷たい風が吹き込む。振り返ると、そこには亡くなった仕事仲間、ジェイコブ・マーレイが立っていた。しかし、それは生前の彼とは似ても似つかぬ姿だった。透き通った体には重い鎖が巻き付き、その一つ一つの輪には「後悔」の文字が刻まれていた。

「ジェイコブ、死んでまで訪問とは熱心なことだな」とスクルージは冷たく言った。しかし、その声には僅かな震えが混じっていた。「何の用だ?」

 ジェイコブ・マーレイは顔を曇らせ、低い声で語り出した。その声は遠い記憶のように、どこか懐かしいものだった。
「スクルージ、私は生きている間、自分勝手で金のことばかり考えていた。その報いで、死後も後悔の鎖を引きずっているのだよ。私たちは同じ道を歩んでいる。君も気づいているはずだ」

 スクルージは腕を組み、眉を上げた。「ざまはないな。それで、俺に説教でもしに来たのか?」
 しかし、その言葉の底には、かつての友達とよべそうな者を失った痛みが潜んでいた。

「お前も同じ運命を辿るだろうよ。だが、まだ間に合う。今夜、三人の幽霊が訪れる。それが最後のチャンスだ」
 マーレイの姿は次第に薄れていったが、その目には深い悲しみが宿っていた。それは、スクルージの心に少し重みを残した。

「三人も? 非効率だな。一人にまとめてくれれば考えてやったかもしれない」
 スクルージはそう言ったが、その声には以前ほどの刺々しさはなかった。

 最初に訪れたのは、過去の幽霊だった。やわらかな光に包まれたその姿は、スクルージの心に忘れかけていた記憶を呼び覚ました。幽霊は彼を過去へと導いた。

 そこには若きスクルージがいた。貧しいながらも希望に満ちた瞳で、愛する人の手を取っている。しかし、その手は次第に離れていく。「私はなぜかわからないけど、あなたが怖いの」と彼女は言った。「あなたは誰も愛していないし、そのことに苦しみ続けている」
 「でも僕は君を愛しているよ」
 「本当?」
 若いスクルージは足元を見ていた。自分の言葉が嘘だとわかっていた。愛そのものがわからないのだ。

 次に現れたのは現在の幽霊。それは彼をクラチット家へと導いた。小さな暖炉の前で、家族が粗末だが心のこもった夕食を囲んでいた。ティム少年は杖に頼りながらも、明るい笑顔を絶やさない。母親は息子の具合を心配しながら、なけなしの食事を分け合っている。
「ボブ、私たちにはまだ希望があるわ」妻が言う。「スクルージさんが、もしかしたら…」
「そうだね」ボブは小さく頷いた。「彼だって、心の中にはきっと…」
 その言葉は途切れ、クラチット家は消えた。

 三人目に黒いフードを被った未来の幽霊が現れた。幽霊は何も言わず、彼にただ指し示した。その指が導いたのは荒れ果てた墓地だった。そこには「エベネーザ・スクルージ」と刻まれた墓石がぽつんと立っている。そこに訪れる者はいない。風が吹き、枯れ葉が舞う。その一枚一枚が、彼の人生の空しさを物語っているようだった。

「これが俺の未来か?」スクルージは笑った。「誰にも悲しまれず、誰も覚えていない。それで何が悪い? 今となんにも変わらないじゃないか」
 これでいいさ。天国なんてものがあっても、そこもまた不合理にできているに違いない。

 未来の幽霊は答えず、クラチット家の光景を見せた。今度は暖炉のそばに小さな杖が立てかけられている。ティム少年が亡くなり、家族が涙を流していた。
「ティムが……」ボブが声を震わせる。「誰かが助けてくれれば、きっと違ったのに」
 その言葉にスクルージはため息をついた。くだらない。実にくだらない。俺が助けろと。俺にできることなんて何もないよ。うぬぼれちゃいけない。人は定まった運命や突然の不運から結局逃れることなんかできないものなのだ。
 未来の幽霊は静かに語りかけはじめた。その声は風のように柔らかく、しかし心の奥まで染み入るものだった。「未来は変えられる。それは運命ではない。選択なのだ」
 スクルージは笑った。幽霊って馬鹿なのか。

 翌朝、スクルージは目を覚ました。窓から差し込む光が、彼の部屋に薄い影を落としていた。彼は深く息をつき、独り言をつぶやいた。
「幽露どもが何を見せても、俺は俺だ。人には運命というものがあるのだ。事故で死ぬこともある。病気で死ぬこともある。そんなものだ。それを不合理だと嘆いても、どうになるものでもない。世の中、不合理なんだよ。選択? それは紅茶に入れるミルクの順序のようなものだ。結局同じことなのに、とやかく言いまくる。馬鹿のすることだ。それに俺は俺の都合で手一杯だ……」
 彼は一瞬言葉を詰まらせた。窓の外では、雪が静かに降っていた。
「とはいえ、寝覚めの悪いのもなんだな。絵に描いたような偽善だが、善行の真似事でもしておくか。運良くティム少年が元気になったら、それも運というものだ。俺のせいじゃない。そうだ。俺なんかなにもできない。そうでなくても、あいつはこれから生きていても俺より不運な人生は確実だからな」
 彼はクラチット家を訪れ、ティムの治療費を肩代わりすると告げた。クラチット家の人々の目に涙が光るのを見て、スクルージは慌てて付け加えた。
「勘違いするなよ。これはとりあえず貸すだけだ。まあ、今は返さなくてもいい。それだけだ」
 そう言いながらも、彼は自嘲した。そういう自分が大嫌いだった。泣きたい思いが込み上げてきた。
 スクルージはこれを皮切りにやけになった。なぜだか理不尽にも自分を見失った。そのままの足で街の慈善団体に赴いて多少の寄付をした。「まあ、税金対策だ。国に取られるくらいなら、少しばかり名声くらい得た方がマシというものだろう」
 スクルージはそれが自分の声には聞こえなかった。どうしちゃったんだ。

 世の中は薄っぺらいものだな。スクルージは本当は良い人だという評判が立った。
 とんでもない。俺は本当は慈善家じゃない。良い人であるわけもない。困惑した。苦虫を噛み潰したような顔から、いつも自分に向ける自嘲の顔で人を見るようになった。彼はどうやったら笑顔ができるか、わからないのだ。それでますます混乱した。路上の乞食に硬貨を落とすこともあった。自分は少しづつ気が狂っているのだ。
 周囲はときおり感謝の言葉を述べたが、スクルージはどうしていいかわからなかった。また独り言を言う。「俺が善人だとでも思っているなら、それはお前らの勝手な妄想だな」
 それは、まるで自分自身を守るための鎧のようだった。

 翌年のクリスマス。ティム少年は健康を取り戻し、スクルージの事務所を訪れた。少年の頬は紅潮し、その目は生き生きと輝いている。
「スクルージさん、ようやく元気になりました。あなたが救ってくれたんです!」
 スクルージは驚いた。どう反応していいかわからない。とりあえず、いつものような皮肉な調子で言った。
「そりゃ良かったな、坊や」そして、彼に聞こえることも気にせず、いつもの独り言を呟いていた。どこか遠くを見つめるような調子を帯びていた。
「俺は偽善者なんだ。いい人間でもない。不運と幸運があって、少し幸運があって、事務所を回す金があって、狡猾で、それでたまたま生きているだけで…」
 彼は一瞬言葉を詰まらせ、窓の外に目をやった。雪が静かに舞い落ちている。彼は自分がまた何を言い出したかわからなくなっていた。
「こうして、だんだん残りの自分の命も少なくなってくると、生きている意味もまるでわからないんだよ。友人の幽霊がやってきて、お前は死後苦しむぞって言うけど、そんなの今と変わらんね。苦しむことに慣れてしまった。むしろ、そのほうが安心できる気がするんだよ」

 ティム少年はその言葉に首を傾げた。スクルージの目には、どこか遠い悲しみが宿っているように見えた。少年は、一歩だけスクルージの机に近づいて言った。
「スクルージさん」ティムは小さな声で言った。「僕、毎日お祈りしてるんです」
「祈り?」スクルージは眉をひそめた。「神なんていないさ。いたって、こんな不公平な世界はどうにもならん。天国なんてものもないさ。ないほうがいいくらいだ」
 スクルージは死後自分が苦しむものは当然だが、ふと、友人が苦しむのは理不尽だろうと、なぜか思った。そしてティムが理不尽に元気でいるのも奇妙に思った。自分は何もできない。とくに自分のためには何もできない。たまに、慈善の真似事をしているだけだ。
「違うんです」ティムは真っ直ぐな目でスクルージを見つめた。「僕はスクルージさんのために祈ってるんです」
 その言葉に、スクルージは言葉を失った。
「なぜだ?」彼は訝しげに尋ねた。「俺はお前に何もしていない。本当に何もしていないんだ。治療費とか言ったのだって、ただの…」
「気まぐれって言うんですよね」ティムは柔らかく笑った。「でも、スクルージさん。人は誰でも、自分で思っているより、ずっといい人なんです。母さんがそう言ってました」
 スクルージは震えていた。
「スクルージさん、クリスマスディナーに来ませんか? 父さんも、みんなも、待ってます」
 スクルージは低く唸るように言った。「出ていってくれ!」

 スクルージの事務所から、ティムは去った。ティムも悲しかった。伝わらなかった。感謝の気持ちも、スクルージさんへの思いも伝わらなかった。路上でうずくまって泣いてしまった。「なんて不幸なスクルージさん!」
 雪が降り出して、ティム少年は空を見上げた。真っ暗で、そこには、なるほど天国なんてありそうにもなかった。
「スクルージさんが言うように、天国なんてないんだろうな。でも、もしかりに、あるとしたら」ティム少年は立ち上がった。
 そうだ、司祭さまが言っていたっけ、この世で報われていたら、天国での報いはない、と。それなら、スクルージさんは、きっと天国で報われる。
 クリスマスの鐘が静かに鳴り響くなか、遠くで、クルージが小さくくしゃみをした。ティム少年にはそれが聞こえたような気がして笑った。

 

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2024.12.23

言葉の裏にある命令を見抜く

 「人の話を聞け」と言われたことがない人はほとんどいないだろう。何かを相談しているときや議論中に、突然こう言われると、困惑するものだ。反論したい気持ちをこらえ、適当に相槌を打った経験もあるかもしれない。一見アドバイスのように聞こえるこの言葉の裏には、「私の言うことを理解して、その通りに行動してほしい」という命令が隠れていることが多い。言った本人は「善意でアドバイスをしている」と思っていても、無意識のうちに相手を動かそうとしていることもある。
 このような言外の意味を読み取ることは、日本では「空気を読む」という言葉で表現される。「この部屋は寒いね」という何気ない一言に「暖房を入れてほしい」という期待や命令を感じ取り、適切に対応することが求められる。幼い頃から、直接的な表現を避けながら、相手の意図を察して行動することを学んできた私たちにとって、これは当たり前の文化となっているが、そんな文化に馴染めない人もいる。私とか。
 この「空気を読む」文化は、大きな負担を社会に強いていると思う。言い出す側は直接的な表現を避けねばならないストレスを抱え、言われる側は正しく「察する」ことへのプレッシャーに苦しむ。そして、この曖昧なコミュニケーションが最も深刻な問題を引き起こすのが、職場という場所だ。「締め切りが近いですね」という一言で残業を促されたり、「もう少し丁寧に仕事をしてほしいね」と言われても具体的に何をどう改善すればいいのかわからず、不安を抱えたまま仕事を続けることになる。表面的な和を保とうとする配慮が、かえって組織の生産性とメンバーの心理的安全性を損なっているのだ。
 このような言葉の働きを理解する上で、言語学者ジョン・L・オースチンの言語行為論が示唆に富んでいる。オースチンは、私たちが何気なく使う言葉には三つの異なる働きがあると指摘した。一つは言葉そのものの意味である「発話行為」、もう一つは話者の意図を含む「発語内行為」、そして最後に相手に与える影響である「発語媒介行為」だ。
 たとえば「この部屋は寒いね」という何気ない一言を考えてみよう。まず、室温が低いという事実を述べる「発話行為」がある。その裏には「暖房を入れてほしい」という話者の意図、つまり「発語内行為」が隠れている。そして最後に、誰かが立ち上がって暖房のスイッチを入れるという「発語媒介行為」が生じる。日本の「空気を読む」文化は、この三つの層の中でも特に「発語内行為」を重視する。相手が何を意図しているかを察することが、円滑なコミュニケーションの鍵とされているのだ。
 この理解を実際のコミュニケーションに活かしてみよう。たとえば、上司から「このプロジェクト、順調に進んでいますか?」と聞かれたときのことを考えてみる。多くの場合、私たちはこの問いかけを受ける前に、二つの反応のどちらかを選んでしまう。一つは「はい、予定通りです」と表面的に答えて話を終わらせること。もう一つは「実は少し遅れていて...」と言い訳を始めることだ。どちらも、上司の言葉の裏にある「何か問題があるのではないか」という懸念に、まともに向き合えていない。
 しかし、この言葉を三つの層に分けて考えてみよう。表面的な「進捗確認」という発話行為、その裏にある「問題がないか知りたい」という発語内行為、そして「必要なら対策を講じたい」という行動につながる発語媒介行為。これらを意識すれば、より的確な返答が見えてくる。「はい、現在の進捗状況をご説明させていただきます。気になる点があれば、ぜひアドバイスをいただけると助かります」。このように返すことで、上司の本当の関心に応え、建設的な対話を始めることができるのだ。
 この方法は、もっと身近な場面でも活かすことができる。同僚から「お茶でも飲みませんか」と声をかけられたときを想像してみよう。一見単純なこの誘いかけにも、三つの層が存在する。表面的には休憩のお誘いでありながら、その裏には「ちょっと話がしたい」という意図が隠れており、さらにその先には「問題を相談したい」という行動への期待があるかもしれない。
 普段なら「今は忙しいので」と言って断るところだが、そうすると相手の本当の意図に蓋をしてしまう。代わりに「今は締切の仕事を片付けたいのですが、明日の午後ならゆっくりお話できます」と返してみよう。これなら、相手の「話がしたい」という真意を受け止めながら、より確実な対話の機会を提案することができる。一見些細な言葉の使い方の違いだが、そこから生まれる関係性は大きく変わってくるのだ。
 言葉の三つの層を意識することは、私たちを「空気を読む」というあいまいな圧力から解放してくれる。相手の言葉に込められた意図を探りながら、それを明確な形で確認し、具体的な行動につなげていく。それは決して「空気が読めない」振る舞いではない。むしろ、言葉の働きをより深く理解した上で、相手との関係をより確かなものにしようとする積極的な姿勢だといえる。
 先ほどの「この部屋は寒いね」という言葉に戻ろう。この言葉を聞いたとき、あなたはもう「空気を読む」ことに過剰に悩む必要はない。「少し寒く感じますね。暖房の設定を上げた方がよろしいでしょうか?」と返せばいい。相手の意図を踏まえながら、具体的な行動について話し合う。この小さな実践の積み重ねが、より豊かなコミュニケーションを生み出していく。

 

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2024.12.22

スーダンの民兵組織

 スーダンは長年にわたり内戦と政情不安に苦しんできたが、2023年に勃発したスーダン軍と準軍事組織「迅速支援部隊(RSF)」の戦闘により、その混乱は新たな段階に突入している。

民兵組織の増加
 スーダンではこれまで、民族や部族ごとに形成された武装集団が存在し、中央政府に対する反抗や地域の権利擁護を掲げて活動してきた。例えば、ダーウィシュ部族に基づく「東部防衛軍」やヌバ山地の「スーダン人民解放運動(SPLM)」などがあり、それぞれが地域の自治権を求めて戦ってきた。これらの武装集団は、長らく政府に反発し、スーダン全土で軍事的対立を引き起こしてきた。
 2020年10月3日にはこれらの多くが和平合意を結び、一部のリーダーが政府高官として取り込まれた。しかし、2023年以降の新たな戦闘では、これらのグループが再び武器を取り、スーダン軍やRSFに加勢する動きを見せている。
 特に東部のカッサラ州やゲダレフ州では、戦闘自体は起こっていないものの、逃れてきた戦火の被害者が100万人以上を超える中、民兵組織の動きが活発化している。これらの被害者は、不十分な避難所や食糧不足、医療サービスの欠如に直面しており、過酷な環境での生活を強いられ、その結果、多くの避難民が病気や栄養失調に苦しみ、特に子供や高齢者が深刻な影響を受けている。これらの地域において、新たに形成された民兵は、エリトリア国境付近の訓練キャンプで武装を強化し、将来的な紛争に備えているという。目撃者によれば、エリトリア国内には少なくとも5つの訓練キャンプが存在し、これらのキャンプではスーダン軍やバシル政権に近い人物たちによって支援されているとされている。
 さらに、スーダンでは800万人以上が国内で移動を余儀なくされ、300万人以上が国外に逃れており、これは国連が「世界最悪の避難民危機」と評する状況である。

若者たちの民兵加入
 スーダンでは経済的に生活を向上させる機会が非常に限られており、若者たちは大学を卒業しても就職先を見つけるのが難しい。そのため、若者たちは民兵組織への加入を選択肢として考えるようになっている。仕事が見つからないなら、訓練キャンプに参加して国や家族を守りたいというのだ。民兵組織は、自身の部族や家族が基盤となっていることが多い。こうした若者たちは、自らの未来を戦争に奪われた世代であると同時に、新たな武装勢力を形作る原動力にもなっている。

中央政府の弱体化
 スーダンの政府は長らく民兵組織を利用し、内戦の火種を抑え込む戦略を取ってきた。このブログでも初期から扱ってきたが、2003年2月に始まったダルフール紛争では、バシル政権がジャンジャウィード民兵を利用し、人道危機を引き起こしたる。この時のジャンジャウィードが現在のRSFの前身である。2021年10月25日にはブルハン将軍がクーデターを主導し、バシルの退陣後の脆弱な民間移行を頓挫させた。そして2023年4月、ブルハンとRSF指揮官モハメド・ハムダン・ダグロの間の長年にわたる権力闘争が全面的な戦争に発展した。
 2024年5月に発表された国際危機グループ(ICG)の報告によれば、スーダン軍とRSFの双方が指揮系統の維持に苦労しており、戦争の主導権が多様な勢力に分散している。特に、ブルハン将軍がかつてのバシル政権の影響力を取り戻そうとする一方で、部族や民兵による独自の権力基盤が形成されていることが、この混乱をさらに深刻化させている。このような状況下で、政府の弱体化はますます深刻化している。
 また、スーダン東部ではエリトリア国内に複数の訓練キャンプが存在し、そこにスーダンの新たな戦闘員が集結しているという証言もある。これらの訓練キャンプは、スーダン軍やかつての独裁者オマル・アル=バシル政権に近い人物によって支援されているとの疑惑が浮上している。

悪循環
 スーダンの民兵問題は新しいものではないが、現在の状況では、民兵組織が国家の未来を左右する存在となりつつある。民族や部族を基盤とする民兵組織は一時的に政府や軍と連携することがあっても、基本的には独立性を保ってきた。だが、民兵の台頭が新たな権力闘争を生んでいる。こうした民兵が将来的に独自の権力基盤を築いては、中央政府に対抗する勢力になる。悪循環である。スーダン政府は弱体化し続け、再び民兵に依存せざるを得ない。
 理想を言うなら、スーダン国内外の関係者が一丸となり、包括的な和平プロセスを模索する必要がある。その実現には、各民兵組織が支配する現状を変革し、経済的・社会的な基盤を再構築する努力が求められるのだが。

 

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2024.12.21

ウクライナへの資金調達

2024年12月、アメリカ財務長官ジャネット・イエレンはウクライナへの200億ドルの融資実施を発表した。これは、G7が2024年6月にイタリア・プーリアで開催したサミットで合意した500億ドルの“特別収益加速”(ERA)ローンの一環である。このうち、アメリカとEUがそれぞれ200億ドルを提供し、残りの100億ドルはイギリス、カナダ、日本が分担した。

特筆すべき点は、この融資が新たな資金の提供ではなく、G7内で既に合意された枠組み内のものである点である。仮にアメリカがこの支援を提供しなかったとしても、EUはその穴を埋める準備が整っていた。そのため、この融資の実施はアメリカが国際的な約束を遵守したことを示すものだ。

一方で、この融資はウクライナの戦争遂行資金には使用されない。資金は世界銀行を通じて運用されるが、同銀行の規定により軍事目的での使用は認められていない。特筆すべきは、アメリカが当初、この融資の一部をウクライナの軍事目的に充てることを期待していたが、世界銀行の規定により断念された点である。この期待は、ウクライナ軍の装備や防衛力向上を早急に支援する必要性を感じていたアメリカ国内での議論を反映していた。しかし、国際社会では、軍事目的への資金転用は支援の信頼性を損ねるとの批判が強く、透明性と適正利用を確保するため、この方針が採用された。この背景には、援助が戦争の激化を招かないようにするための配慮も含まれている。

凍結されたロシア資産とEUのメカニズム

今回の融資の返済計画は、EUの“ウクライナ融資協力メカニズム”(ULCM)に大きく依存している。この仕組みでは、EUがベルギーに凍結したロシアの資産(約2700億ドル)の運用益を活用し、ウクライナがG7諸国への返済を行う。具体的には、凍結資産は金融市場に投資され、その投資から得られる運用益が融資返済に充てられる形となる。この方法は資産そのものを直接消費せず、利益部分のみを活用することで、法的な問題を回避する意図がある。ただし、この計画にはいくつかの不確定要素が存在する。

例えば、EUによるロシア資産の凍結がいつまで続けられるかは不明だ。アメリカ政府は凍結期間を6か月更新から3年更新へと延長するよう求めたが、ハンガリーの拒否によりこの提案は実現しなかった。資産凍結が解除されると、ULCMによる返済も停止し、アメリカの融資は事実上未回収となるリスクがある。

さらに、EUの200億ドルの融資には“ロシア資産の運用益や戦争賠償が得られなかった場合、ウクライナが元本を返済する”という条件が含まれている。このため、アメリカの納税者が最終的に負担を負わないとするイエレン長官の主張には疑念が残る。特に、アメリカの納税者が融資負担を負わないとする見解は、制裁延長がEU内の意見不一致に左右される点で非常に不確実性が高い。

ウクライナ経済の窮状

ウクライナの財政状況は極めて厳しい。国際通貨基金(IMF)の試算によれば、2023年から2027年にかけて、同国は1,220億—1,410億ドルの外部資金が必要とされている。ウクライナの国家予算は主に税収と輸出収入に依存しているが、戦争の影響でこれらの収入が激減している。例えば、2024年の税収は戦前の水準の約60%にまで低下しており、輸出品目である農産物や金属資源の取引も大幅に減少している。今回のG7融資500億ドルはその41%程度に過ぎず、抜本的な解決策とは言えない。

さらに、戦争がもたらした経済的打撃は甚大である。世界銀行の報告によれば、ウクライナの成人の約20%が職を失い、家庭の3分の2が貯蓄や労働収入を持たない状況にある。また、家族の3割が食事を抜いたり減らしたりしている。全人口の3割が貧困に陥り、経済復興の道筋は遠い。

加えて、ウクライナはこれまでの融資返済実績にも問題があった。2024年7月、ゼレンスキー大統領は外国債務の支払い延期を表明し、再編交渉を進める中で、債権者が元本の37%を放棄する事態となった。このような背景を考慮すると、新たな融資が長期的に回収可能かどうかは不透明である。また、ウクライナは国際的な信用評価がデフォルト状態に格下げされており、新たな融資獲得の難しさも懸念されている。

ロシアの国際的な法的闘争

融資返済の資金源として期待されるロシア資産の活用にも課題がある。ロシアは、これらの資産をウクライナ支援に充てることに強く反対している。特に、2013年にヤヌコビッチ政権が受け取った30億ドルのユーロ債に関する返済を英国裁判所に求めるなど、法的措置を進めている。

また、ロシアは戦争賠償の支払い義務を否定しており、戦争の責任が西側諸国にあると主張している。このような状況下で、ウクライナの財政問題をロシアの責任で解決することは難しい。さらに、ロシアが凍結資産を放棄する可能性は低い理由として、これらの資産はロシア政府にとって重要な外交カードであり、ウクライナ支援に充てられることに法的にも政治的にも強く反発している点が挙げられる。また、英国裁判所において、ロシアは2013年のユーロ債の返済問題を含む法的措置を活用して、自国資産の凍結解除を目指している。この資産を返済に充てる計画が実現する保証もなく、長期的な不確実性が続いている。

今後はどうなるか?

ウクライナへのG7の支援は重要であるが、現状は根本的な問題解決には程遠い。特に、2025年の予算の61%を防衛費に充てるウクライナの財政状況を考えると、戦争の早期終結こそが最も効果的な解決策である。

それまでの間、国際社会はウクライナ経済を支えるための新たな資金調達手段を模索する必要がある。具体的には、国際通貨基金(IMF)による追加融資の検討や、ウクライナ政府が再建債を発行して民間投資家から資金を調達する方法が挙げられる。また、欧州復興開発銀行(EBRD)を通じたインフラ投資支援や、戦争終結後の再建を見越した国際的な基金設立も有力な選択肢として考えられる。同時に、融資の透明性と返済可能性を確保する仕組みを構築することが求められる。また、アメリカ財務省が融資の詳細を公開していない点や、ロシア資産が世界銀行によって管理されない点も、透明性向上の課題として挙げられる。

参考:Resposible Statecraft: West confirms Ukraine billions funded by Russian assets

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2024.12.20

ワーテルゾーイ!

「タラと野菜を使ったクリーム煮込みの料理なんだが...」
 友人がもどかしそうに言葉を探している。名前は思い出せないものの、料理の具体的な内容は覚えているという。タラにカボチャ、そしてクリーム系の煮込み。これは簡単だろう。

「タラのクリーム煮では?」
「いえ、もっとカタカナの変わった名前で...」

 こうして始まった料理名探しの旅は、思いがけない方向へと私たちを連れて行った。
 最初に浮かんだのは「チャウダー」。たしかにチャウダーと言ってよいらしい。が、違う。「じゃあ、タラのブイヤベース」「違うよ」「タラのフリカッセ」「まあ、フリカッセといえばそうなんだが」
 次々と候補を出すたびに首を横に振られる。やがて「グイーゾ」という音の記憶が友人の中でよみがえってきた。
 スペイン語なら「ギソ」(Guiso)、ポルトガル語なら「グイザート」(Guisado)。イベリア半島の伝統的な煮込み料理の数々が、私たちの会話に姿を現す。「どうなの?」 いや、どれも違うという。
 そして突然、記憶が蘇った。

「ワーテルゾーイ! だ、ぞーい!」

Dish

 思いがけない、くだらない展開に、私は笑った。タラ料理を探して南欧を彷徨っていたのに、答えは意外にも北の国、ベルギーにあった。しかも、必ずしもタラを使う料理ではなかったのだ。
 ワーテルゾーイ。ゲントの伝統料理だ。言葉の原義を探れば、「水で煮る」。その名の通り、野菜でとった出汁に魚や鶏肉を煮込み、最後に卵黄とクリームでとろみを付ける。かつては川魚を使うのが一般的だったが、都市化とともに海の魚を使うようになっていった。
 料理の記憶をたどる旅は、思いがけない発見に満ちている。フランス、ドイツ、オランダという強大な食文化に囲まれたベルギー。
 一つの料理名を探す過程で、ヨーロッパの食文化の地図が私たちの目の前に広がっていった。フランスのブイヤベースやコックオーヴァン、ドイツのアイントプフ、イギリスのスチュー。それぞれの国に、それぞれの煮込み料理がある。その中で、なるほどワーテルゾーイは、独特の位置を占めている。フランスのクリーム煮ほど濃厚でなく、ドイツの煮込みほど素朴でもない。まさにベルギーらしい、絶妙なバランスの取れた一皿だ。
 「タラのクリーム煮」から始まって「ワーテルゾーイ」にたどり着くまで、私たちは想像上のヨーロッパ食紀行を楽しんだ。料理名を探す旅は、時に目的地以外の景色の方が印象に残るものだ。イベリア半島の塩ダラ料理や、北ドイツの魚料理との出会いは、この迷い道あってこその収穫だった。
 料理とは、そういうものかもしれないな。レシピ通りに作っても、その土地や時代によって少しずつ姿を変える。ワーテルゾーイが川魚から海の魚へと材料を変えていったように、料理は生き物のように進化していく。その変化の過程にこそ、その土地の歴史や文化が刻まれている。
 気になる料理名は見つかった。そして、それ以上に私たちは、一つの料理をめぐる豊かな物語を手に入れた。それはきっと、次に口にするワーテルゾーイの味を、より深いものにしてくれる。まずは、作ってみるかな。

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2024.12.19

北九州マクドナルド殺傷事件の特異性(容疑者逮捕前執筆の記事)

2024年12月14日に発生した北九州マクドナルド殺傷事件の容疑者(43)が逮捕された。というわけで、その前に書いておいた記事をどうしたものかと思うが、まあ、これはこれとして、なんとなく公開しておく。


 2024年12月14日に発生した北九州マクドナルド殺傷事件は、従来の無差別殺傷事件と比較しても、その異質さが際立っている。この事件は、過去の類似事件と異なり、短時間の犯行と犯行後の逃走が計画に組み込まれており、動機の透明性が欠如している点で特筆される。また、犯行場所として選ばれたマクドナルドが、公共性の高い場でありながら特定の個人を標的としていないことも特徴的である。この事件を通じて見えてくるのは、単なる偶発的な通り魔事件ではなく、計画性と偶然性、そして動機の曖昧さが交錯した新しいタイプの犯罪(人命を軽視した愉快犯的な犯罪)だろう。

事件の特異性:過去の無差別殺傷事件との比較
 過去に記憶に残る無差別殺傷事件には、秋葉原事件、池田小学校事件、川崎登戸事件、相模原障害者施設殺傷事件などがある。これらの事件は、それぞれ動機や行動に特徴があり、犯人像が比較的明確に浮かび上がった。しかし、北九州事件はそれらと比較しても多くの相違点がある。
 秋葉原事件では、犯人が社会的不満や孤独感を背景に“自分の存在を示したい”という欲求を抱きながら犯行に及び、その場で逮捕された。川崎登戸事件では、犯人が絶望感に苛まれ、自殺することを前提に犯行を計画していた。一方、北九州事件では、犯行後の逃走が計画の重点として含まれており、犯人が“その場での承認”や“自らの終焉”は求めていなかった点でこれらの事件とは一線を画している。今後犯行声明が出たり、さらに同一犯らしい犯行が出れば様相は変わるだろうが、その気配は感じられない。
 また、池田小学校事件や相模原事件のように、特定の年齢層や障害者といった集団を狙った意図的なターゲティングも見られない。マクドナルドという公共の場が選ばれたことから、犯行の場が無作為に選ばれた可能性もあるが、まったくの無作為というというのではなく、おそらく一定期間刃物を持ち歩いて“最適な犯行の場とチャンスを待っていただろう”という点で、計画性と偶然性が交錯しているのが特徴的である。

犯行と犯人像の考察
 この事件を考察する上で注目すべきは、犯人の行動に見られる計画性とその限界である。犯行が短時間で終わり、その後の逃走が成功していることから、一定の計画性は認められる。しかし、それは完全に練り上げられたものではなく、刃物を所持しながら日常的に“機会”を伺っていた可能性が高い。また、計画の重点は逃げることに置かれていたのではないだろう。このような行動は殺人のプロのようでもあり、無差別殺人事件の中でも特異な形態を示している。
 しかし、殺害方法については“殺しのプロ”と呼べる精密さや効率性は見られない。刺した部位や攻撃の内容から、致死性を確実に狙ったものではなく、むしろ手近な刃物を使った“素人計画犯”としての特徴が強い。この点で、計画性を伴いながらも犯行の技術が未熟であるという矛盾が浮かび上がる。
 動機については、社会的不満や思想的背景、怨恨といった要素が明確に浮かび上がっておらず、犯人の心理を特定するのは難しい。しかし、犯行そのものよりも“計画を遂行し、逃走すること”が目的であった可能性が高い。例えば、犯人は防犯カメラの配置や逃走経路を事前に確認し、短時間で現場を離れることを優先したと考えられる。さらに、使用した刃物をいつでも取り出せるよう準備し、混雑した状況で実行しやすいタイミングを待っていた可能性もある。このような動機の透明性の欠如が、この事件を一層不可解で特異なものにしている。人命を軽視した愉快犯的な犯罪だろうか。

警察の思惑と対応の現状
 事件の解明を進める上で、警察は既に地域住民を中心に捜査を進め、特定の候補者を絞り込んでいる可能性がある。過去の重大事件では、社会的に孤立した人物や精神的に不安定な行動を取る人物が捜査の中心に置かれることが多かった。今回の事件でも、防犯カメラ映像や地域住民からの情報提供を基に、警察が特定の人物に注目している可能性は十分に考えられる。
 一方で、防犯カメラ映像や捜査の進展が公表されていない背景には、捜査の秘密を保持するだけでなく、過激なYouTuberやメディアが事件に介入し、捜査を混乱させるリスクを避ける意図も含まれている。例えば、過去には有名な事件現場に無許可で侵入し、再現動画を撮影するYouTuberや、未確認の情報を拡散して捜査に支障を来した事例があった。このような行動が繰り返されることで、捜査が遅延したり、不必要な混乱が生じる可能性があるため、慎重な対応が取られていると考えられる。このような情報統制が必要な一方で、市民への説明が不足していることが、大衆の苛立ちを助長している現状もある。
 また、犯人が地元住民であれば、土地勘を活かして潜伏している可能性が高く、地域社会の協力が鍵となる。例えば、防犯カメラの映像から特定の地域での行動パターンが浮かび上がったり、犯行後に不審な行動をとった人物に関する情報提供が寄せられている可能性もある。このような捜査の進展は、地元住民であることを示唆する手がかりとして重要視されるだろう。しかし、外部犯の可能性も排除できず、そうなると逃走ルートや潜伏先の特定には全国的な捜査が求められるうえ、迷宮入りになりかねない。(注:冒頭書いたようにすでに容疑者は逮捕された。)

 

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2024.12.18

間接民主主義制度の限界

 現代の間接民主主義制度において、選挙は市民の政治参加の中核を担う。しかし、投票行動について議論を深めると、一つの根本的な矛盾が浮かび上がる。それは、「一票が無意味である」という愕然たる事実である。大規模な選挙では、個人の一票が結果を左右する確率は極めて低く、合理的に考えれば、投票行動そのものが「無駄」である。
 この問題を数理的に説明したのがアンソニー・ダウンズの合理的選択理論である。この理論は、一票の影響力を統計的に極小化し、投票行動が合理的でないことを示した。一方で、現実には多くの人々が投票を行い続けている。その理由を説明するため、心理的・社会的要因を取り入れた補完的なモデルが提案されてきた。さらに近年では、SNSの普及に伴い、若年層の投票行動が大きな変化を遂げている。従来の「投票をしよう」という倫理的な呼びかけが持つ期待とは異なる結果が生まれ、政治的な結果に予測不能な影響を及ぼす現象が顕著になっている。
 「一票が無意味である」という構造的事実をアンソニー・ダウンズの合理的選択理論は、投票行動の期待効用を次のように数式化した:

 期待効用=B×P−C
  B: 候補者が当選した場合に得られる利益。
  P: 自分の一票が選挙結果を左右する確率。
  C: 投票にかかるコスト。

 ここで重要なのは P、すなわち「自分の一票が結果を左右する確率」である。特に大規模な国政選挙では、P は統計的に無視できるほど小さい。例えば、数千万票が集まる選挙では、一票が決定的な影響を与える確率は天文学的に小さくなる。米国大統領選挙では数千万人以上の有権者が投票するため、個人の一票が結果を左右する確率は極めて低い。例えば、選挙人団システムでは全体の得票率ではなく州ごとの結果が鍵となり、一票の影響力はさらに希薄になる。日本の衆議院選挙においても、2017年の総選挙では投票総数が約5,600万票に上り、個々の一票が議席配分に与える影響は統計的にほぼゼロであった。このため、小選挙区制が提案されたが結果的に政治的選択を排除することになった。
 従来、投票率の低迷に対して「投票をしよう」という倫理的な呼びかけが行われてきた。この呼びかけには暗黙裡に次の期待が含まれていた。一つは、民意の反映である。投票者が増えれば、より多くの民意が政治に反映される、と。もう一つは、理念の実現である。呼びかけを行う者の期待する価値観や理念に沿った投票行動が増加する、と。しかし、近年ではこの期待が爽快なまでに裏切られる事例が増えている。特にSNSの普及により、情報の流通経路が多様化し、従来投票に参加しなかった無党派層や無投票層が、SNSの影響で突発的に投票行動を起こすようになったためだ。
 これはどういうことなのか。一票が無価値であると感じる、あるいは政治そのものを重視しない人々が、SNSを通じて動員される現象が顕著になっているが、この背景には、次のような要素が挙げられるだろう。まず、脱理念性のニヒリズムである。投票行動が政治的信念や理念に基づくのではなく、SNS上で話題となった情報やムーブメントに依存している。次に、想定外の多数票である。従来は「無党派層」や「無投票層」とされてきた人々が、SNSの影響を受けた結果、意図せず大きな票数を生み出し、選挙結果を予測不能なものにしている。2021年の広島県知事選挙では、SNSを通じた若者向けキャンペーンが活発化した。その結果、従来の有力候補ではなく、突発的に注目された候補が多数票を得る形となり、選挙結果に大きな影響を与えた。そして見事なまでにマスメディアが崩壊したことを露呈した。このような現象は、旧来の構造化された理念を持たない投票行動が集積した結果として現れた一例である。
 SNSでカオスとなった民主主義の投票制度を顧みると、従来の無党派層や無投票層といった一見政治に無関心であった層が、実は民主主義制度の選挙における根本的な矛盾、すなわち「一票の無価値」という深淵を露呈させないために有益に機能していたことがわかる。
 これまで、無党派層や無投票層が選挙に不参加であったことは、一見民主主義の欠陥に見えるかもしれない。しかし、彼らが政治に参加しないことで、選挙制度の表面的な安定性が保たれていた側面があったのだ。彼らがSNSを通じて突発的に投票行動を起こし、無価値と思われていた一票が集積されることで、予測不能な結果が生まれ、民主主義の根本的な矛盾が明るみに出たのである。
 この状況は、民主主義制度の持つ脆弱性を露呈するとともに、従来の選挙制度がもつ前提そのものを揺るがし、新たな課題を生んでいる。アンソニー・ダウンズの理論が示す「一票の無意味さ」は、個人の一票が統計的に結果に影響を与えないことを指摘している。一方で、SNSの普及により「掘り起こされた多数票」が結果を左右する事態が生じている。この矛盾は次のように整理できるだろう。個人の一票の無価値: 選挙規模が大きくなるほど、Pの値は限りなくゼロに近づく。だが、SNSが引き出す脱理念的な投票行動が集積し、結果として従来の予測を覆す選挙結果を生む。このように、SNSが生む新たな投票行動の様相は、従来の選挙制度や倫理的呼びかけの枠組みを超え、民主主義の新たな課題を提示している。
 一定規模のある間接民主主義において、「一票が無意味である」という現象は、選挙の構造的制約に由来し、数理モデルをいかに拡張しても覆ることはない。しかし、これは、暗黙裡に、政治的無関心層によって民主主義的な健全さが維持されてきたことを示していた。一票が無価値だからこそ、間接民主主義が維持されてきたのである。ところが、この無価値それ自体が、SNSの普及によって投票行動が変容し、この無党派層や無投票層が突発的に動員される結果、予測不能な「多数票の力」が結果を左右する事態が生じた。この新たな現象は、従来の「投票をしよう」という倫理的な呼びかけの暗黙の期待を裏切る形で現れたものであり、その方向では解決の見込みないだろう。

 

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2024.12.17

古臭い未来と『未来の衝撃』

かつて私には「未来」と呼んでいた時代があった。1960年とか1970年ころだ。イメージとしては『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』だろう。まあ、あれは未来でもないか。雰囲気があんな感じというか。なんというか、「未来」が今から見るととてもレトロなのだ。スーパージェッターの「流星号」みたいな感じだ。

そんな、1970年。一人の作家が私たちに未来について警告を発した。「未来はやがて狙いかかってくる。それは早すぎるので、私たちは適当に生きることができなくなるだろう。」それが、アルビン・トフラーの著書『未来の衝撃』だった。あれから半世紀。私はここにいる。私は「未来」に到達した。13歳の私は67歳になったのだ。

スマートフォンの通知音が鳴り止まない日々。なにが大切なのかよくわからないメール、リンクを選ぶと後悔するニュースの更新、Twitterに流れる正義と正義の戦い。私たちの一日はこんなものに支配されている。電車に乗ってるだけで電子広告が視界に押し込まれる(あれ、人権侵害だと思うぜ)、人々はスマホの画面を見つめたまま現実を置き去りにしている。13歳の私が想像していた未来とはこんなものだったか。

それでも、この未来はトフラーが語った未来かもしれないと思った。一部は実現し、一部はまだ未完成のまま。いや、完成なんてないだろうな。

アルビン・トフラー(1928-2016)は20世紀を代表する未来学者であり、まあ、悪口みたいに言うけど彼より知的な嫁さんが頑張っていた。ポーランド系のユダヤ人だった。今でいうとユヴァル・ノア・ハラリみたいなポジションかな。その彼の名を最初に広めたのが1970年出版の『未来の衝撃』だった。トフラーは急速に進む技術革新と社会の変化が、人間の心理や文化に与える影響を予見した。

当時、米国や西側諸国など西側諸国は高度経済成長の真っ只中で、一面では技術革新は未来を能天気い明るく照らしているかに見えた。が、他面では『サイボーグ009』みたいにくらい未来もあって、トフラーは警告はそっちに近かったが、どっちかというよと、先進国の人の精神にフォーカスされていた。技術の変化の速度は加速し、人々はその波に飲み込まれ、「心理的ショック」を受けるだろうというのだ。彼の予測は単なる未来予想ではなく、加速度的な変化に対する「適応力」の欠如が社会を混乱させることへの警鐘だった。

『未来の衝撃』が描いたものは、今にして思うと単純だった。未来技術革新が急速に進み、数世代かけて起こる変化が数年、数ヶ月で訪れるようになるとか。彼はインターネットを予見はしなかったが、たとえば、ざっくり見れば、当たった。トフラーが「知識の爆発」と呼んだ現象は現実のものとなった。インターネットやスマートフォンは、コミュニケーション、働き方、文化を劇的に変えた。そして今、AI(人工知能)が日常に浸透し、自動運転やロボティクスが労働の現場を変えつつある。これらの変化は私たちに効率をもたらすが、一方で職業の再定義やスキルの陳腐化をもたらす。まあ、こんな感じで描く未来という概念は、意外とトフラーに由来するんじゃないか。で、技術の変化の速度に適応できない人々は、トフラーが言うのは、「未来の衝撃」に直面し、心理的なストレスに晒されることになる。

微妙な未来もある。使い捨てについてだ。トフラーは、製品、価値観、人間関係、あらゆるものが「使い捨て」になるとした。確かに、家電やファッションは短期間で廃棄され、スマートフォンや家電製品の電子廃棄物(E-waste)は増加の一途をたどっている。国際連合の報告によれば、年間5000万トンの電子廃棄物が発生し、そのうちリサイクルされるのはわずか20%だという。さらに、プラスチックごみは海洋汚染を引き起こし、生態系にも大きな影響を与えている。「使い捨て文化」は利便性の裏で環境問題という代償を生んでおり、私たちの持続可能な未来を危機に晒している。のだが、さて、この「使い捨て」なのだが、未来に到達した自分としては、あまりピンとこない。なんだろ、この感じは。ただ、過去の感覚からすると、みんなものを修理・修繕しなくなったなという感じがする。修繕しないといけないのは、マンションとか都市インフラとかそんな感じで、なんか意味がシフトしている。

トフラーの描いた未来では人々の選択肢が増える一方で、「選択のストレス」が新たな課題となるということだった。働き方、結婚、住む場所、かつての安定した枠組みは崩れ、無限の可能性が提示されるとかね。選択肢が多すぎることで決断が困難になり、「自由」がかえって重荷になるとか彼は言っていた。それもどうだろうか。私たちは、選択肢が多くて困っているだろうか。感覚としては全然違うよな。なんだろ、これ。現代社会において、「選択の自由」は幸福をもたらすとは限らないとか、トフラーの言う「未来の衝撃」は、なんか違う現実がある。たとえば、自分なんかびっくりするけど、現代の若い人って恋人とか結婚相手とか、マッチングサービスが普及しているけど、これって、選択肢っていう感じではないよね。

半世紀が経った今、私たちはトフラーの予見した未来に立っているはずだが、ハズレも多い。情報は爆発的に増えたが、それが知識や理解の向上に直結していない。逆に、真偽を見極める困難さと情報過多が、私たちの思考を混乱させている。SNSによって人々はつながりやすくなったが、関係性は表面的になり、孤独感が増している。便利さと引き換えに「深い絆」は失われつつある。変化に追いつくために学び続ける必要があるが、その速度は限界を超えつつあるというか超えている。トフラーは未来への適応力を失い、ストレスに苛まれる人々が増えるとしていたが、なんだろか、「ストレス」って今、言わないよね。

なんだろ、とここで思うのだけど、なんというか、やはり「未来」って古臭いという感じがする。「ディストピア」も古臭い感じがする。最近、攻殻機動隊のアニメを見るけど、たまらくレトロだよね。描きかたというより、そこで問われているテーマが古臭い。



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2024.12.16

トランプ次期米国大統領はウクライナ戦争を終結させないだろう

ジョン・ミアシャイマー教授が、12月12日、「グローバルピースTV」(参照)でウクライナで進行中の戦争を終わらせるトランプ大統領の可能性について分析していた。私はトランプ次期米国大統領がこの戦争を終結してくれるのではないかと期待していたが考えを改めるべきだろうと思った。以下、ミアシャイマーの見解をまとめておく。


トランプ大統領が、ウクライナという問題領域が米国の外交政策を根本的に変えることになるだろうと発言したことは間違いない。彼はすぐに紛争を終わらせると言っているが、すぐに終わらせるとは思えない。彼は善意を持っているかもしれないが、それは起こらない。その理由は、彼がプーチンが示したこの紛争を解決するための条件を受け入れなければならないからであり、どの米国大統領もそれを決して受け入れないだろうと思っている。

具体的には、プーチンは交渉を始める前に、これは和平合意をまとめるための交渉を始めることだと言っている。ここでは主に米国の話をしているが、米国とウクライナは2つの条件を受け入れなければならない。1つは、ウクライナがNATOに加盟しないこと、つまりNATOに加盟しないこと。ウクライナが中立国、真の中立国になること。そして、西側とウクライナはクリミア半島がロシアの領土であるという事実を受け入れなければならないということ。さらに、ロシアが併合した4つの州は永久に失われ、永久にロシアの一部となる。プーチンは再び、この問題を解決して和平協定を結ぶための交渉を始める前に、これら2つの条件を受け入れなければならないと言っている。

米国が、トランプ大統領でさえ、これら2つの条件を受け入れるとは想像しがたい。ウクライナ人がこれら2つの条件を受け入れるとも想像しがたい。トランプ大統領は非常に特別な人物であると主張する人もいるだろう。彼は主流から外れた見解を持っているが、何と言っても米国大統領だ。しかし問題は、彼の周囲には極度のロシア嫌いの人々がいて、何年もウクライナに対して超強硬派だったということだ。トランプはウクライナ戦争を終わらせるという彼の見解に賛同する大勢の人々を政権に引き入れるわけではない。彼が権力を握るのは、非常に明らかなようにタカ派の集団であり、したがってトランプはプーチンが提示した条件を受け入れたくない人々に囲まれることになる。

私の見解では、ここで何が起こるかというと、これは戦場で決着がつくだろう。ロシアは醜い勝利を収めるだろう。彼らは勝利の過程にあり、ある時点で紛争は凍結されるか、休戦協定が結ばれるだろう。そして最終的には、一方のロシアともう一方の西側とウクライナとの関係が長期にわたって悪化することになる。目に見える限り、これはひどい状況だと思うが、トランプが意味のある方法で状況を変え、意味のある和平協定を結ぶことができるとは思わない。

私は長い間、西側の観点から、ウクライナをNATOに加盟させることはロシアの観点から生存的脅威であることを理解することが不可欠だと主張してきた。ロシアがNATOのウクライナを生存的脅威と見なしているという事実を受け入れれば、状況がいかに危険であるかがわかり、ウクライナがNATOに加盟するのを阻止するためにロシアは死ぬまで戦うだろうとわかる。なぜなら、NATOは生存的脅威であり、ロシアの生存を脅かすからだ。

西側が直面している問題は、その議論をほとんど誰も受け入れず、NATOの拡大はロシアにとって生存的脅威ではないと言うことだ。彼らは、ここで起こっていることはプーチンが単なる帝国主義者であり、昔ながらの侵略者であり、ウクライナを組み込むことでより大きなロシアを作りたいと思っていることだと信じている。これはロシアとは何の関係もない。

私の主張は、西側諸国の皆さんは、これが生存的脅威だとは思っていないかもしれないが、あなたや西側諸国がどう考えるかは関係なく、重要なのはロシアがどう考えるか、特にプーチン大統領がどう考えるかだ。ロシアは最初から、ウクライナがNATOに加盟することは受け入れられないと明確にしてきた。これは生存的脅威だ。それにもかかわらず、我々はウクライナをNATOに加盟させることについて議論を続けている。

第一に、ウクライナを正式にNATOに加盟させることについて話し合わなければ、ウクライナがNATOの事実上の加盟国となり、西側諸国、特に米国とウクライナの間に強い安全保障関係が築かれる状況を作り出すことになる。これはロシアを激怒させ、彼らはこれを生存的脅威と見なしているが、我々はそれを受け入れることを拒否している。ウクライナをNATOから外せば、合意は得られないだろう。この点については、デュガン教授も私も同意すると思う。

第二に、西側諸国とウクライナの緊密な安全保障関係を維持しようと努力すればするほど、ロシアがウクライナの領土をさらに奪取し、ウクライナを破壊する動機が強まる。ウクライナの観点からすると、これは完全に逆効果だ。ウクライナがNATOに加盟できないという事実を受け入れ、真の平和協定を結ぶためにあらゆる努力を払うことは、西側諸国とウクライナの利益になる。しかし西側諸国は、ロシアがウクライナとNATOは存亡の危機だと主張していることを受け入れようとしない。その結果、紛争は続き、最終的にはウクライナは破壊され、領土の多くをロシアに奪われるだろう。さらに、これはNATOだけでなく西側諸国自体にとっても屈辱的な敗北となるだろう。

ロシアがNATOのウクライナへの拡大を生存的脅威と見なしているという事実を受け入れないことで、西側諸国は基本的に自ら問題を悪化させ、その過程でウクライナを破壊したといえる。ウクライナ紛争に関する私の見解を受け入れる米国人はほとんどいないだろう。

ここで実際に起こっていることは、デュガン教授が使っていたレトリックを借りれば、ほとんどの米国人が相手の立場に立つことがほとんど不可能であるということだ。言い換えれば、米国の政策立案者や外交政策エリートは、NATOにおけるロシアがウクライナをどう見ているかを考えることが苦手だ。彼らは自分たちの見解を持ち、それを支配的だと信じている。この傾向は、1990年代後半のマデレーン・オルブライトの非常に有名な発言に表れている。「私たちはなくてはならない国だ。私たちはより高く立ち、より遠くを見る」という彼女の言葉は、米国が例外的で特別であるという考え方を象徴している。

冷戦後、米国は地政学的にもイデオロギー的にも勝利したと信じ、世界中に自由主義を広めることができると考えていた。この態度は、ロシアや中国といった他国の視点を真剣に受け止めることを難しくした。特に1991年のソ連崩壊以降、米国は戦略的思考の基本を失った。戦略とは、相手が何を考え、どう行動するかを予測することだが、その能力が低下している。

プーチンは何度も「ウクライナのNATO加盟は生存的脅威である」と述べてきたが、西側諸国はそれを受け止めようとしていない。これにより、米国は多くの問題に巻き込まれている。それはウクライナだけでなく、中東においても同様だ。

現在の世界は、冷戦後の一極世界とは異なり、多極世界に移行している。米国は依然として最も強力な国だが、中国やロシアという他の大国と慎重に向き合う必要がある。しかし多くの米国の指導者は、依然として一極世界にいるかのように行動しており、この現実を受け入れるのに苦労している。

デュガン教授が指摘するように、ウクライナ国内にもNATOの拡大や西側政策とは無関係な内部の緊張が存在する。ソ連崩壊以降、ウクライナ国内で内戦の可能性が常に指摘されてきた。1990年代初頭には、バルカン半島で起きたようなことがウクライナで起こる可能性も高いと考えられていた。

しかし、NATO拡大、EU拡大、カラー革命という三つの政策が、ウクライナ内部の緊張をさらに悪化させた。その結果、2014年にウクライナでクーデターが発生し、米国がそこで重要な役割を果たした。オレンジ革命はウクライナ国内で社会工学的な介入を行うものだった。西側は、ウクライナをNATOに加盟させるだけでなくEUにも加盟させたかった。この革命がウクライナ国内ですでに存在していた異質な勢力を巻き込み、緊張を激化させた。これがウクライナ国内での問題を爆発させ、ロシアとの対立も悪化させた原因だ。

ロシアとウクライナ、そして西側諸国との緊張は、ウクライナ国内の問題を悪化させただけでなく、地政学的な対立を激化させた。2014年以降、紛争の根本的な解決は見えておらず、むしろ双方の立場がさらに硬化している。この状況において、西側諸国は、ロシアがウクライナのNATO加盟を生存的脅威と見なしている事実を受け入れず、強硬な姿勢を続けている。

また、中国に対する米国の政策とも関連して、米国がロシアとどのような関係を構築すべきかについても議論がある。米国がロシアと良好な関係を築き、中国とロシアの間に亀裂を生じさせるべきだという意見は戦略的に意味がある。しかし現実には、米国とロシアの関係がすぐに変わる可能性はほとんどない。

米国の政策は、ロシアを中国に近づける結果を招き、現在ではロシアと中国が非常に緊密な関係を持つようになっている。これは正式な同盟ではないかもしれないが、実質的には強力な同盟に近い状態だ。米国がロシアを中国から引き離すことは戦略的に重要だが、米国はその可能性を自ら閉ざしている。

このような状況下で、米国はロシアとの対立を深めながら中国とも競争を続けている。これにより、米国は同時に二つの大国と対峙するという困難な状況に直面している。戦略的に意味のある政策を追求すべきだが、米国の最近の政策はその点で効果的とはいえない。

さらに、ウクライナ問題の根本には、NATOや西側諸国の政策がウクライナ国内の緊張を悪化させたという側面がある。ウクライナ国内には長年にわたる地域的な対立や民族的な緊張が存在していたが、NATO拡大やEU加盟推進、そしてカラー革命がそれをさらに激化させた。

ウクライナ問題は、米国とロシア、中国の大国間の関係が複雑に絡み合っているだけでなく、ウクライナ自身の内部的な問題にも起因している。これらの要因が重なり合い、紛争が長期化し、状況がより複雑になっている。

米国と西側諸国が行ったNATOの拡大やカラー革命への支援は、ウクライナの緊張を高めただけでなく、ロシアにとって直接的な挑発として受け取られた。このような政策はロシアをますます強硬にさせ、プーチン政権がウクライナ問題を生存的脅威として位置づけるきっかけとなった。特に、クリミア併合やドンバス地域の紛争は、西側諸国の政策がロシアの行動を誘発した面もある。

2014年以前、ウクライナ国内には深刻な戦闘はなかったが、クーデターを契機に状況は急激に悪化した。このクーデターにおいて米国が果たした役割も、ロシアとの対立を一層激化させた原因といえる。オレンジ革命をはじめとする西側諸国の干渉は、ウクライナ内部の対立を煽る形となり、紛争の火種を作り出した。

現在、ウクライナは紛争によって領土の一部を失い、経済的・政治的にも困難な状況に直面している。ロシアとの戦争状態が続く中で、西側諸国の支援を受けながらも長期的な解決の見通しは立っていない。和平交渉の可能性が模索されるべきだが、ロシアが提示する条件を西側諸国やウクライナが受け入れることは極めて難しい状況だ。

一方で、米国の外交政策は、依然として冷戦後の一極支配の幻想に基づいているように見える。多極化した現在の国際情勢において、米国がロシアや中国とどのように向き合うかは、世界の安定にとって極めて重要だ。しかし、米国はロシアと中国の両国を同時に敵視し続けており、戦略的柔軟性を欠いている。

ロシアと中国の関係は、このような米国の政策によってさらに強固なものとなった。両国は正式な同盟関係にないものの、戦略的な協力関係を深めており、特に米国との対立において利害を共有している。この状況は、米国にとって不利であり、ロシアを中国から引き離す戦略的機会を失いつつある。

これらの問題を解決するためには、米国が他国の視点を真剣に受け入れることが必要だ。特にロシアに対して、NATOの拡大がもたらす生存的脅威を理解し、これを考慮に入れた外交政策を取るべきだろう。しかし、現在の米国の政策立案者は、このような視点を欠いており、むしろ一方的な価値観に基づいた行動を続けている。

多極化する国際社会の中で、米国が引き続き覇権を維持しようとするならば、柔軟な戦略と他国との協調が欠かせない。しかし、現在の米国の外交姿勢は、そのような方向性を欠き、結果としてウクライナやその他の地域での紛争を長引かせている。

 

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2024.12.15

在沖縄米海兵隊のグアムへの部分移転開始

 米海兵隊が2024年12月14日、沖縄から米領グアムへの部分移転を開始した。これは、日米両政府が2012年4月に合意した「在日米軍再編計画」の一環であり、沖縄に集中する米軍駐留の負担軽減を目的としている。

移転計画の概要と進捗
 今回の移転は、沖縄に駐留する米海兵隊のうち第3海兵遠征軍の一部隊員100人がグアムへ派遣されるところから始まった。この初期段階では、兵站支援や現地準備作業が主な目的である。移転計画全体では、沖縄に駐留する約1万9000人の海兵隊員のうち約9000人が沖縄から他地域へ移動する予定となっている。その中で、約4000人がグアムに段階的に移転する見通しである。
 移転先となるグアムの主要施設「キャンプ・ブラズ」の整備には、日本が最大28億ドル(約3000億円)を拠出し、米国と費用を分担している。これにより、日米両政府はインフラ開発や海兵隊駐留における協力を強化している。さらに、移転後の海兵隊と自衛隊による合同訓練がグアムで行われる計画も明らかにされている。
 ただし、次の大規模な移転がいつ行われるか、その具体的な時期や規模については現時点では発表されていない。また、今回の移転準備に先立つ2023年8月には、嘉手納基地で米空軍のKC-135空中給油機が訓練を行う様子も報告されており、米軍の継続的な活動が続いている。

沖縄の負担と住民の不満
 沖縄は、戦後1972年まで米国の占領下にあり、その後も日米安全保障条約に基づく米軍駐留が続いてきた。現在、沖縄には日本国内の米軍施設の約70%が集中しており、日本全土の面積のわずか0.6%しか占めないこの地域に5万人以上の米軍兵士が駐留している。
 沖縄の住民は、基地に起因する騒音や環境汚染、航空機事故、さらには米軍兵士による犯罪など、長年にわたり大きな負担を抱えてきた。特に性的暴行事件や暴力事件などは反米軍感情を高める要因となっている。たとえば、今回の移転直前には、嘉手納基地に所属する米軍空軍隊員が十代の少女を誘拐し性的暴行を加えた罪で「懲役5年」の有罪判決を受け、島内で激しい怒りが巻き起こったばかりである。

東アジア安全保障環境
 今回の米海兵隊の移転は、沖縄の負担軽減を目的としつつも、東アジアの安全保障環境に対応するための戦略的な意味合いが強い。米軍は、「自由で開かれたインド太平洋」の維持を掲げ、中国の軍事的台頭や北朝鮮のミサイル開発といった課題に対応するため、地域全体での戦略的配置を進めている。
 沖縄からグアムへの移転は、米軍のプレゼンスを分散させる動きの一環であり、有事の際にはグアムを拠点に即応性を高める狙いがある。グアムは地理的にアジア太平洋地域の中心に位置し、中国や北朝鮮からの脅威に対する中継拠点として機能する重要な戦略拠点である。
 一方で、日本政府も中国の軍事的圧力への抑止力を強化するため、南西諸島への防衛力増強を進めている。沖縄周辺では陸上自衛隊のミサイル部隊や部隊基地が新設されるなど、日本国内での防衛力の再編も行われている。これにより、日米の防衛協力がより緊密になりつつある一方で、沖縄住民にとっての新たな負担や懸念も浮き彫りになっている。

 

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2024.12.14

「The ick」

 私もけっこう年をとって、子供も成人してしまったので、だんだん若者文化に触れる機会が少なくなった。流行にも段々と疎くなってしまう。そんな折、米国で「The ick」(うげぇ)という言葉が話題になっていると聞いて、何だろうと興味を持った。どうやら恋愛にまつわる現象らしい。調べてみると、なんか変な話題だった。
 「The ick」とは、恋愛対象に対して好意を持っていたにもかかわらず、突然その感情が冷めてしまう現象を指す言葉だ。昭和言葉で言えば「百年の恋も冷める」というやつだろう。相手の些細な行動や特徴が引き金となることが多い。きっかけは多様だ。食事中に口を開けたまま音を立てて食べる姿を見た瞬間や、公共の場での振る舞いが気になった時。また、「サンダルに靴下」や「デート中のデビットカード使用」といった状況がSNSでよく挙げられる例だという。この感覚が一度発生すると、もはや元には戻らない。まあ、戻らないのだろうな。「The ick」が生じた瞬間に恋愛感情は完全にシャットダウンされてしまうのだという。
 「The ick」という言葉の起源を調べてみると、意外なところにたどり着いた。それは1990年代後半から2000年代初頭にかけて放送されたアメリカのテレビシリーズ「Ally McBeal」だ。日本では『アリーmyLove』というタイトルで放映され、多くの人に愛されたこのドラマの中で初めて「The ick」という言葉が使われたと言われている。
 私もこのドラマを好きで見ていた一人だ。女性弁護士のアリーが仕事や恋愛に奮闘しながら日々を生き抜く姿には、ユーモアと感動というよりちょっと病的な面もあった。そんな彼女の恋愛エピソードには「The ick」に通じるエピソードがいくつもあったようにも思う。
 完璧に見える相手でも、ある行動が突然「無理」と感じさせる瞬間がある。たとえば、アリーが付き合っていた恋人の些細な癖が気になり、急にその人が「合わない存在」と感じてしまうシーンが記憶に残っている。洗車中にたまたま出会った男性とやらかしたシーンも覚えている。こうした細かい感覚が恋愛のリアリティを引き立てるのだろうし、そうした感覚は今でいう「The ick」の感覚にもつながるのかもしれない。
 「The ick」の具体例とかを見ていて興味を引いたのが「デート中にデビットカードを使った瞬間に冷めた」という話だ。正直、「そんなことで?」と驚いた。しかし、SNS上ではこうした意見に共感を寄せるコメントが多数寄せられているらしい。
 考えてみると、この現象の背景には、打算的な恋愛の理想像が反映されている。デビットカードを使う行為は、「経済的な余裕がないのではないか」という疑念を引き起こすことがある。また、デートの場面では「クレジットカードをスマートに使う方が魅力的」という偏った価値観が共有されている。
 私個人としては「デビットカードの使用を気にする側の態度こそ冷める」という感覚を持つ。そういったお金持ち志向や見栄の文化そのものが「The ick」を引き起こす側面もあると思うんだがな。とはいえ結局のところ、「何が冷めるか」は人によって異なるし、どちらが正しいという話ではないのだろう。
 「The ick」は個人の感覚として語られるぶんにはどうでもいいけど、SNSとかで拡散される現代では、一種のいじめのような側面もある。特定の行動や癖を「冷める行動」として笑いの対象にする投稿が増えることで、それを経験した人たちが自分の行動を否定されたように感じてしまう場合があるだろう。誰しも自分では気づかない癖や行動を持っているものだ。それをSNSで取り上げられ、「これが原因で冷めた」という批判を受けることは、傷つく経験になるだろう。こうした文化がいじめや偏見の助長につながる。「The ick」の感覚そのものは自然なものであっても、それを大勢の前で晒し、同意を得ようとする行為には、ickだなあ、まったく。
 そういえば、村上春樹の短編小説『回転木馬のデッド・ヒート』に出てくる「レーダーホーゼン」のエピソードを思い出した。レーダーホーゼンとは、ドイツの伝統的な吊りベルト付きの半ズボンだ。この作品の中で、30代独身女性の語り手が「母が父を捨てた理由はレーダーホーゼンにある」と告白する。若い人には活動的だったその服が、年老いた夫が履いているのを見て、妻である話者の母親はその姿を突然嫌だと思うようになったという。特に「老いたのに半ズボンではしゃぐ姿」が耐えられなくなったという。痛いなあ。いや、自分もその部類なんじゃないか。このエピソードも「The ick」の感覚に非常によく似ている。些細な行動や癖がきっかけで、長年の関係が揺らぐということも、ある。

 

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2024.12.13

第二期トランプ政権下での日本

 まず問われるのは、日米同盟の質的変化だろう。トランプ政権の「アメリカファースト」政策は、基本路線は第一期と同様ではあるがさらに戦後築かれてきた日米同盟の根本的な再定義を迫るものとなるだろう。選挙期間中の単なるスローガンではなく、メルケルの自伝にもあるように、同盟国との関係を取引的なものとして捉え直す実質的な政策転換を意味するはずだ。顕著なのは、安全保障上の利益供与に対する明示的な対価の要求、二国間での利害調整の重視、多国間協調枠組みの軽視という三点である。
 全体的な見取り図からすると、日米同盟の非対称性は新しい時代を迎えることになる。日本が専守防衛を採用し、米国が攻撃的抑止力を提供するという基本的な役割分担は冷戦期に確立された構造であるが、もはや現代の安全保障の状況に適合的していない。グレーゾーン事態や経済安全保障上の脅威に対しては従来の役割分担では十分に対応できない。石破政権は、この構造的な課題に対して、新たな役割分担の枠組みを提示する必要に迫られる。
 在日米軍駐留経費の増額要求は、それが政治的な劇としてどのように表現されるかにかかわらず、具体的な表現となるだろう。2019年7月に当時のジョン・ボルトン大統領補佐官が打診した現行の2000億円から8000億円規模への増額は予想される。駐留経費に加えて、米軍の活動範囲拡大に伴う追加的なインフラ整備費用、訓練移転費用、さらには在日米軍の装備更新費用の一部負担にまで及ぶ。これは日本の防衛予算全体から日本政府の予算の枠組み全体に大きな影響を与えることになる。
 費用増大は単なる財政負担の問題を超え、「統合抑止力」の観点から見ると、日本の防衛力整備の優先順位、すなわち日本主導の防衛戦略に直接的な影響を及ぼす。統合抑止力は、従来の物理的な軍事力に加えて、サイバー空間、宇宙空間、電磁波領域における能力を統合的に運用することを意味するが、米軍駐留経費の大幅増額は、これらの新領域における日本独自の能力構築のための予算を圧迫する。軍事を背景としたバランス外交は理念だけとなるだろう。すでに日本のウクライナ全振りはその前兆である。
 些細に思えるかもしれないが、石破政権と第二期トランプ政権の対応において、大枠が決定されているがゆえに、指導者の個人的な信頼関係の構築の重要性は増す。単なる首脳間の相性の問題ではなく、制度化された協議の枠組みの不在という構造的な問題を内包しているなかで、日米安全保障協議委員会(2+2)や日米防衛協力のための指針(ガイドライン)といった既存の制度的枠組みは、トランプ流の取引的アプローチの下では十分に機能しない可能性が高い。指導者がどのように実務方との信頼性を誘導するかがポイントになる。

経済安全保障
 経済安全保障においても新展開が予想される。経済安全保障とは、経済活動を通じた国家の安全保障上のリスクを管理し、戦略的な優位性を確保することだが、第二期トランプ政権下が、どちらかといえば平穏であれば、同盟関係よりも二国間での経済的利益が優先される。日本にとって、同盟国としての立場と、アジアの主要経済国としての立場の両立という複雑な要請を突きつけられる。米中対立が深刻化する中で、日本は両国との経済関係のバランスを取る必要に迫られる。なおこの際、日本側のカードとして、米国債市場における日本の地位(最大の外国保有国)は重要な意味を持つかが暗黙に問われる。年間約1.2兆ドルという保有規模は、米国の国債発行残高の約4.8%を占める。それなりにトランプ政権の対日要求に対する一定の抑制要因となりうる。
 戦略的産業、特に半導体産業における日米協力は、経済安全保障政策の核心となる。TSMCの熊本工場設立は、単なる投資案件ではなく、先端半導体のサプライチェーン再編という戦略的意味を持つ。だが、台湾との関係において、この投資は経済的な意味を超えて、安全保障上の重要性も持つ。台湾有事の際のサプライチェーン維持という観点からも、日本国内での生産能力確保は死活的に重要であり、3ナノメートル以下の先端半導体製造能力の確保、研究開発拠点の整備、人材育成システムの構築という三つの要素を含む総合的な取り組みとして、経済産業省は多額の投資を試算しているが、このシナリオ自体に日本官僚の昭和ノスタルジーと平和ボケが滲んでいる。
 自動車産業への影響も深刻になりうる。トランプ政権による10~20%の追加関税導入は、日本の自動車メーカーに年間約1兆円の追加コスト負担を強いる懸念がある。直接的な関税負担に加えて、メキシコやカナダの生産拠点の再編コスト、サプライチェーンの見直しに伴う支出を含む。GDP比で約1.2%の経済損失という試算は、これらの複合的な影響を反映したものである。
 戦略的デカップリング、つまり、安全保障上重要な分野における対中依存度の選択的な低減は、重要鉱物の分野で課題となり、レアアースについては、中国への依存度を減少させてきたが、さらに代替供給源の開発、リサイクル技術の向上、備蓄体制の強化が求められる。この転換には移行計画と政府支援が必要となる。
 技術安全保障の観点からは、量子コンピューティングや人工知能分野での新たな日米協力の枠組みが必要となるが、ここでも経済産業省が検討する「重要技術管理法制」は、技術情報の管理と研究開発の自由のバランスという課題を演出しているにすぎない。重要インフラの防護、データの越境移転規制、暗号技術の管理といったサイバーセキュリティといったお題目ではなく、優先順位と何を切り捨てるかの局面になるだろう。
 対する石破政権の政策決定プロセスは、「ネオ・コーポラティズム」と見られ、政府、経済界、労働界の三者協調による政策形成の枠組みの中で展開される。が、端的に言ってその機能の実態は存在しないに等しい。経済安全保障政策と財政再建という二つの要請の間で、明確な優先順位付けさえできていない。

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2024.12.12

ロシア外相セルゲイ・ラブロフの視点

 ウクライナ危機をめぐる国際的な議論は、複雑な歴史的背景と各国の利害が絡み合う中で展開されている。その渦中、12月4日に行われた、ジャーナリストであるタッカー・カールソンとの対談を通じて語られたロシア外相セルゲイ・ラブロフの視点を基に、ウクライナ危機の本質とその背景をまとめておこう。具体的には、2014年のクーデターから始まるウクライナ政府の正統性の問題、米国を中心とする西側諸国の軍事的・政治的関与、ロシアが訴える国際法と国連憲章に基づく正当性の主張となる。また、核戦争のリスクや文化的抑圧、西側諸国の二重基準といった重要な論点についても触れながら、紛争解決のための条件を検討する。本記事が示すラブロフ氏の視点は、ロシアの立場を理解する上での参考となるだろう。

ウクライナ危機の背景
 2014年にウクライナで発生したクーデターは、同国の政治的分裂と地域間の対立を引き起こす決定的な出来事となった。クーデター直前には、国内の混乱を収束させるために、「国民統一政府の設立」と「早期選挙の実施」を柱とする合意が成立していた。この合意は、欧州連合(EU)を含む西側諸国の仲介で調印された。しかし、翌日には合意が反故にされ、当時のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領が追放された。ロシア外相セルゲイ・ラブロフは、この合意が履行されていれば、ウクライナは統一を維持し、クリミアや東部地域との対立は回避できた可能性が高いと指摘している。
 クーデター後に成立した新政府は、「国民統一政府」ではなく、事実上「勝者の政府」として機能することとなった。この政府はクーデターを支持した勢力を中心に構成され、ウクライナ全土の住民を代表する正統性を欠いていた。特に、ロシア語話者が多い東部や南部地域では、新政府に対する不満が強まり、深刻な対立が生じた。ラブロフは、この新政府が住民全体を代表していないことが、国内の緊張をさらに高めた要因であると批判する。
 クーデターに対する最も顕著な反応はクリミアで見られた。住民は新政府の正当性を認めず、自らの将来を決定する方法を模索した。その結果、住民投票が実施され、クリミアはロシアへの統合を選択した。ラブロフは、これが住民の自決権に基づく合法的なものであり、国際法に違反していないと主張している。一方、西側諸国は、この住民投票をロシアの不当な圧力の下で行われたものであるとして非難している。この対立した解釈は、クリミア問題の国際的な論争の中心にある。
 また、クリミアに加え、東部や南部の住民も新政府に強く反発した。特にドンバス地域では、住民がウクライナ政府の統治を拒否し、自治を求める運動を展開した。これに対し、新政府はドンバスの反政府勢力を「テロリスト」とみなし、軍事行動を開始した。この対立はエスカレートし、ウクライナ国内の内戦状態を引き起こした。ラブロフによれば、こうした軍事行動が地域間の対立をさらに深刻化させ、現在に至る紛争の端緒となった。

ウクライナ紛争の性質
 ロシア外相セルゲイ・ラブロフは、ウクライナ紛争を「ハイブリッド戦争」と呼び、従来の戦争とは異なる多面的な要素が絡み合った新しい戦争形態であると位置づけている。この戦争には、軍事行動のみならず、情報戦、経済制裁、外部からの技術や兵器の供与といった非軍事的手段が大きく関与している。ラブロフは特に、西側諸国、とりわけ米国からの支援がウクライナ軍の作戦遂行能力を決定的に高めている点を指摘している。
 米国が供与する長距離兵器は、ウクライナ軍によるロシア本土への攻撃を可能にし、紛争をさらにエスカレートさせている。ラブロフは、米国の軍事顧問や特殊部隊が現地でウクライナ軍を直接支援しているとも述べ、この支援が単なる武器供与の域を超え、紛争に直接的な関与を含むものと見なしている。これにより、紛争はウクライナの領域内にとどまらず、ロシア本土を巻き込む形で拡大している。
 こうした外国支援が危険視される理由の一つは、ロシアが明瞭に提示する「レッドライン」を度々超えているとラブロフが考えている点である。これは、ロシアが自国の安全保障において許容できる限界を指すが、西側諸国の長距離兵器供与やその使用が、この限界を無視し続けている。これに対し、ロシアとしては自国の防衛とさらなる挑発抑止を目的に、新兵器「オレシュニク」を投入し、警告のシグナルを発信した。しかし、ラブロフによれば、西側がこの警告をどの程度真剣に受け止めているかは依然として不明確である。
 紛争の激化は、単なる地域的な問題を超え、国際的なリスクを生む結果となっている。ラブロフは、外国支援の継続によって紛争が制御不能な形で拡大する可能性を懸念している。

国際法の視点
 ラブロフは外相らしく、ウクライナ紛争における国際法と国連憲章の解釈について、ロシアの立場を強調している。特に、「領土一体性」と「自決権」という二つの原則が互いに補完的であるべきだという彼の主張は、クリミアとドンバスの状況を理解する上で重要なポイントとなる。
 国連憲章では、すべての加盟国が他国の領土一体性を尊重する義務を負う一方で、民族や地域が自らの将来を決定する権利、すなわち「自決権」も認められている。しかし、ラブロフは、領土一体性が保護されるのは、その国の政府が正統性を持ち、住民全体を代表している場合に限られると述べる。2014年のクーデターによって成立したウクライナ政府は、一部の地域、特にクリミアやドンバスの住民にとって正統性を欠いているとされる。このため、ロシアはウクライナの領土一体性を無条件に認めることは難しいと主張している。
 クリミア問題については、ラブロフは住民投票によるロシア統合を正当化している。この住民投票は、2014年のクーデター後にクリミア住民が新政府を受け入れられないと判断し、自決権を行使した結果だとされる。ラブロフによれば、この行為は国際法に則ったものであり、歴史的にもクリミアがロシアの一部であった事実を踏まえると、特に不自然なものではないという。一方、西側諸国は、この住民投票をロシアの不当な圧力のもとで実施されたものであるとして非難している。この対立は、領土一体性と自決権の解釈に関する根本的な違いを浮き彫りにしている。
 ドンバス地域についても、ラブロフは自決権の観点から正当化を試みている。ドンバスでは、住民がウクライナ政府の統治を拒否し、自治を求める動きが強まった背景には、2014年のクーデターとその後の新政府の対応がある。特に、ミンスク合意が履行されなかったことが紛争の深化を招き、住民が自決を求める根拠を強化したとされる。ミンスク合意は、ウクライナ東部の紛争を解決するための外交的取り決めであり、ウクライナ政府がドンバス住民と直接対話を行うことや自治権を尊重することが求められていた。しかし、ウクライナ政府がこれらを実行しなかったため、ラブロフはドンバス住民の反発が必然的であったと論じている。
 さらに、ラブロフは国際社会の対応にも問題を提起している。彼は、アフリカの脱植民地化の過程で自決権が積極的に支持された一方で、ウクライナ東部や南部の住民に対してはその権利が否定されていることを矛盾と見ている。この点について、西側諸国が自国の利益に応じて原則を使い分けているとして、ダブルスタンダード(二重基準)を批判している。なお、その典型例としてよく挙げられるコソボについては彼は言及はしていないが、外交上の配慮であろうか。
 国連の役割についてもラブロフは疑問を呈している。彼は、国連総会で採択された反ロシア決議が公平性を欠いていると指摘し、ウクライナ紛争をめぐる国連安全保障理事会の対応が不十分であったと批判している。特に、ミンスク合意履行における安保理の責任が果たされなかったことを挙げ、その機能不全を問題視している。
 ラブロフのこうした主張を通じて浮かび上がるのは、ウクライナ紛争を巡る国際法の解釈や適用が現実の世界において、一貫していないという事実である。領土一体性と自決権のどちらを優先すべきかという問題に対し、国際社会が一致した基準を持たないことが、紛争解決の妨げとなっていると考えられるだろう。

ロシア文化保護
 ラブロフは、ウクライナにおけるロシア語話者やロシア文化に対する抑圧も、紛争の重要な背景要因として強調している。彼は、文化的・言語的抑圧が単なる国内政策の問題ではなく、ウクライナ東部や南部での反政府運動や分離運動を加速させる直接的な原因となったと主張している。ラブロフの視点では、これらの政策が人権侵害であるだけでなく、ロシアとウクライナの関係悪化を深めた根本的な要因だとされる。
 ウクライナには歴史的に多くのロシア語話者が居住しており、特に東部と南部ではその比率が高い。ロシア語はソビエト時代から広く使用されてきた言語であり、ウクライナ国内でも公的・私的な場面で頻繁に使われている。しかし、2014年のクーデター後、新政府が採用した政策は、ロシア語話者やロシア文化を排除する方向に向かい始めた。ラブロフはこれを「文化的ジェノサイド」に等しいものだと批判している。
 具体的には、ウクライナ政府は教育制度におけるロシア語使用を制限し、公立学校でのロシア語教育を縮小する政策を推進した。さらに、ロシア語メディアや出版物の規制が強化され、ロシア語話者の情報へのアクセスが制約された。また、宗教面でもロシア正教会を狙った制約が増え、信仰の自由を侵害する行為として批判されている。これらの政策は、ロシア語話者のアイデンティティを直接的に否定するものであるとラブロフは述べている。
 これにより、特に東部や南部地域では住民の間で深い不満が生まれた。これらの地域は歴史的にもロシアとの結びつきが強く、文化的・言語的抑圧が地域住民の反発を招き、分離運動を加速させる結果となった。ラブロフは、この状況がドンバス地域の紛争を決定的に悪化させた要因の一つであると指摘する。
 ラブロフはまた、西側諸国がこの問題に対して沈黙していることを強く批判している。彼によれば、ロシア語話者の人権侵害は明確であるにもかかわらず、欧米諸国や国際人権団体はこれを問題視していない。これは、西側が自ら掲げる「人権保護」の原則を一貫して適用していない証拠だと主張する。

核戦争のリスク
 ラブロフは、ウクライナ紛争が核戦争のリスクを高めていることについて、繰り返し深刻な懸念を表明している。特に米国やNATOの一部関係者が「限定的核攻撃」の可能性を議論している点を、ラブロフは極めて危険な兆候と見なしている。特に、STRATCOM(米戦略軍)の代表者による「限定的核攻撃」に関する発言は、核使用を含む紛争のエスカレーションを正当化するものとして懸念を引き起こしている。
 ラブロフはまた、西側諸国の行動によってレッドラインが何度も無視されているとし、これに対抗するため、ロシアは新兵器「オレシュニク」を投入したと述べている。この兵器はロシアの警告を明確に示すためのものであり、さらなる挑発行為を抑制する意図があった。しかし、ラブロフによれば、西側諸国がこのシグナルをどの程度真剣に受け止めているかは依然として不明確である​。
 核戦争のリスクが現実味を帯びる中、ラブロフは、核不拡散体制への影響にも懸念を示している。核不拡散条約(NPT)を含む国際的な枠組みが、ウクライナ紛争によって損なわれる可能性があると指摘している。この状況が他の地域でも核使用を正当化する議論を招く危険性を警告している​。
 ラブロフはこの問題についての言及の最後に、国際社会が核リスクに対する対応を十分に行っていない点も批判している。彼は、核戦争の可能性が高まる中で、各国政府や国際機関が後手に回っていると述べ、より効果的な行動を求めている。紛争のエスカレーションが地域的な問題にとどまらず、国際社会全体に影響を及ぼす重大なリスクであるとラブロフは強調している。

展望
 ラブロフは、ウクライナ紛争の解決に向けていくつかの基本的な原則を強調している。その主張は、国際法の遵守と直接対話の必要性に重点を置いたものであり、国際社会に向けた具体的な行動の呼びかけと結びついている。
 ラブロフが最も強調しているのは、国連憲章の原則に基づいた紛争解決の必要性である。彼は、領土一体性と自決権が国連憲章において相互補完的なものであると述べており、ウクライナ紛争においてもこの原則が適用されるべきだと主張している。特に、2014年のクーデター後に成立したウクライナ政府の正統性の欠如が紛争の根本原因であるとし、その解決には全住民を代表する政府による調整が不可欠であると指摘している。
 また、ラブロフは、ミンスク合意の失敗から学ぶべき教訓についても言及している。この合意は、ウクライナ東部のドンバス地域での紛争を解決するための枠組みとして2015年に策定された。ミンスク合意には、停戦、重火器の撤退、捕虜交換、ウクライナの領土一体性の尊重を前提とした自治権の付与などが盛り込まれていた。また、ウクライナ政府がドンバス住民との直接対話を行い、同地域に特別な自治権を付与することも条件とされていた。この合意は、ロシア、ウクライナ、ドイツ、フランスの4カ国による「ノルマンディー・フォーマット」の下で策定され、国連安全保障理事会でも承認された。しかし、ラブロフによれば、ウクライナ政府が合意内容を履行しなかったために、実現には至らなかった。特に、ドンバス地域の住民とウクライナ政府との対話が行われず、地域の自治権付与が拒否されたことが、紛争の深化を招いた一因であるとされる。
 ラブロフは、紛争解決には、ミンスク合意で求められたような住民の声を反映する仕組みが必要であると述べている。これは単なる停戦合意ではなく、ウクライナの統一国家としての存続を前提に、全住民の利益を調整するための包括的な枠組みであったと彼は評価している。
 国際社会に向けては、ラブロフは一方的なウクライナ支援の見直しを呼びかけている。西側諸国による武器供与や軍事的支援が、紛争のエスカレーションを助長しているとし、これをやめることが平和への第一歩であると主張している。さらに、国連が公正な仲介者としての役割を果たし、多国間主義に基づく持続可能な解決策を追求するべきだという見解を示している。

 

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2024.12.11

シリア崩壊とイスラエル

 2024年12月9日、バシャール・アル・アサド政権が崩壊し、イスラム主義勢力「ハヤート・タハリール・アル・シャーム」(HTS)がダマスカスを掌握した。この出来事は、シリア内戦の終局を象徴するとともに、中東地域全体の地政学を根本的に変える転機となった。
 シリア内戦は2011年3月、アラブの春の影響を受けて始まった。アラブの春とは、2010年末に北アフリカや中東諸国で発生した民主化を求める抗議運動であり、シリアでは反政府デモの拡大につながった。この内戦は、アサド政権と反政府勢力の間で長期にわたる戦闘を引き起こし、ロシアやイランなどの勢力が介入する複雑な争いに発展した。
 当時のオバマ政権は、シリア内戦初期に慎重な姿勢を取った。2013年、アサド政権による化学兵器使用が発覚した際、「レッドライン」発言で軍事介入を示唆したが、実行には至らなかった。この決定はアメリカの信頼性を損ね、ロシアとイランがアサド政権を支援する余地を与えたとされる。また、反政府勢力への支援が限定的だったことも内戦長期化の一因となった。

ゴラン高原
 興味深いことに、HTSのリーダーであるアブ・ムハンマド・アル・ジュラーニはゴラン高原出身であり、HTSはこれまでのイスラム主義勢力とは異なる柔軟な外交方針を取っている。具体的には、イスラエルとの対立を避け、地域安定のための協力を模索する動きが見られる。また、人道支援ルートの確保を優先するなど、実利的な外交を展開している。
 ゴラン高原は1967年の第三次中東戦争でイスラエルが占領し、1981年には一方的に併合を宣言した地域である。この地域は、シリアとの間で長年にわたる領有権争いの中心となっており、国際社会は依然としてイスラエルの併合を認めていない。
 アサド政権崩壊後、イスラエルは混乱を利用してゴラン高原の軍事的支配を強化した。2024年12月以降、非武装地帯を事実上占領し、安全保障上の優位性をさらに拡大している。この行動に対し、国連は慎重な姿勢を示しているが、具体的な制裁や対応には至っていない。一部のアラブ諸国や人権団体が批判を表明しているものの、地域的安定を優先する立場が反発を限定的にしている。

対イラン戦略
 イスラエルのメリットはイランのデメリットである。イランは長年、シリアをヒズボラ支援の拠点として利用してきた。特に、武器や物資をレバノンに輸送する補給ルートとして戦略的に重要だった。しかし、アサド政権崩壊によりこのルートは遮断され、ヒズボラの軍事力は大きく削がれた。
 さらに、シリアの喪失によってイランは地理的および戦略的に孤立する状況に陥った。2015年の核合意(JCPOA)は、イランの核開発を制限する一方で経済制裁を緩和するものであったが、2018年にアメリカが一方的に離脱したことで、イランは再び核開発を加速させた。現在、国際社会はイランへの外交的圧力を強めているが、具体的な成果は見られない。この状況は、イスラエルが地域的影響力を拡大する好機となっている。

イスラエルの軍事的優位性
 イスラエルは長年にわたり中東地域での軍事的優位性を維持してきた。アサド政権崩壊は、北部国境における安全保障を強化する機会を提供し、他の地域課題への集中を可能にした。また、ゴラン高原の支配を進めるとともに、イランやヒズボラに対する抑止力を強化する戦略的基盤を整えた。
 外交面では、HTSとの関係構築を通じてシリア内の安定を主導し、アサド政権崩壊を「中東のテロとの戦いにおける進展」として国際社会にアピールしている。このような取り組みは、国際的な支持を得るための重要な手段となっている。
 とはいえ、イスラエルが得た戦略的メリットにはリスクも伴う。HTSが統治能力を発揮できない場合、シリア全土が無政府状態に陥り、新たな過激派勢力が台頭する可能性がある。また、孤立を深めたイランが核開発を加速させることで、イスラエルに対する長期的脅威が増大する懸念もある。

 

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2024.12.10

バイデン大統領にまつわる疑惑

ジョー・バイデン米大統領が家族のビジネス活動に関連して行ったとされる発言や行動について、議会やメディアによる調査が進む中、真実性に疑問が投げかけられている。右派系のメディアとされるFOXが面白い報道をしていたので紹介したい。まあ、一応FOXも報道機関ではあるので、全文が全部まったくの嘘というものでもないし、ただのデマというものでもないだろうというか、経緯を見てきた自分も、あれこれ、どうなったんだという疑問が残っているのでまとめ代わりにした。

背景:バイデン大統領と家族ビジネスを巡る疑惑

ジョー・バイデン氏は長年にわたりアメリカ政界で活動し、2020年に第46代大統領に就任した。しかし、彼の政治経歴において、息子ハンター・バイデン氏を中心とする家族ビジネスがたびたび注目を集めてきた。特に、ハンター氏の海外ビジネス活動やそれに関連する資金の流れについては、共和党議員や保守系メディアから厳しい批判が寄せられている。

これらの疑惑が本格的に浮上したのは、2020年大統領選挙の直前にハンター氏のラップトップが報道されたことが契機である。この報道は当初、民主党側からは「ロシアによる偽情報」と否定されたが、後の捜査によりラップトップの内容が本物であることが確認された。びっくりだよ。

さらに、バイデン家は20以上のシェル企業を通じて外国からの資金を隠していたとされており、その詳細な資金流れも議会の調査で明らかにされた。

虚偽1:ハンター・バイデンのラップトップを「ロシアの偽情報」と主張

何が起きたか

2020年10月、ハンター・バイデン氏が修理店に預けたまま放置したラップトップの中身が報じられた。そこには、ハンター氏が外国企業とのビジネスに関与し、バイデン家がその影響力を利用して利益を得ていた可能性を示すメールや書類が含まれていた。

バイデン陣営の対応

ジョー・バイデン氏の陣営は、この報道を「ロシアの偽情報」として否定し、アントニー・ブリンケン現国務長官を含む51名の元情報当局者がこの主張を支持する声明を発表した。しかし、その後の捜査で、FBIが2019年の時点でラップトップの信憑性を確認していたことが判明している。

問題点

これにより、バイデン陣営の対応が情報操作の一環であった可能性が浮上し、メディアやSNSプラットフォームが当初この報道を抑制した背景にも疑念が生じている。

虚偽2:「息子のビジネスには一切関与していない」

バイデン氏の発言

ジョー・バイデン氏は、副大統領時代から「息子のビジネスに関与したことはない」と繰り返し述べてきた。

証拠と証言

しかし、議会の調査やハンター氏の元ビジネスパートナーであるデボン・アーチャー氏の証言によれば、バイデン氏はハンター氏のビジネスパートナーと複数回会合を持ち、これらの活動に積極的に関与していたことが明らかになった。例えば、バイデン氏は中国のビジネスパートナーに推薦状を書いたほか、カザフスタン、ロシア、ウクライナのビジネス関係者とも会食を行っていた。

具体例

さらに、ハンター氏のビジネス関係者との通話において、バイデン氏がスピーカーフォンを通じて直接参加していた証言も得られている。このような行動は、形式的な関与を超えて積極的な支援を示唆している。

虚偽3:「中国からの収益は一切ない」との発言

バイデン氏の主張

2020年の選挙期間中、バイデン氏は「息子が中国企業から収益を得たことはない」と発言した。

調査結果

しかし、調査によれば、ハンター・バイデン氏は中国企業との取引を通じて数百万ドルを得ており、その一部がジョー・バイデン氏の口座に送金された形跡も指摘されている。また、IRS(米国内国歳入庁)の告発者の証言では、司法省がバイデン氏に対する調査を妨害した可能性があると述べられている。

金額の詳細

調査では、中国企業から得た収益の一部が40,000ドルとしてバイデン氏個人の銀行口座に入金された事例が確認されている。これらの資金の性質や目的についてはさらなる調査が求められている。

恩赦の影響と政治的意図

ジョー・バイデン氏がハンター氏に対して行った恩赦は、過去10年以上にわたる汚職行為をカバーする極めて包括的なものであった。この恩赦は、ジョー・バイデン氏自身を含む家族の責任追及を避けるための意図的な行動であるとの批判がある。一部では、この恩赦が大統領としての権威を利用した自己保護の象徴とみなされている。

虚偽の影響:バイデン氏の信頼性と政治遺産

ジョー・バイデン氏のこれらの虚偽の発言は、彼の政治的信頼性を深刻に損なう結果となっている。特に、誠実さや正直さを強調してきた彼のイメージに対し、これらの疑惑は大きな打撃を与えている。支持者の中には、恩赦が家族を守るための行動だったと擁護する声もあるが、議会の調査が進む中で、彼の行動は疑念とともに歴史に刻まれる可能性が高い。

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2024.12.09

シリア政権崩壊

 2024年12月8日、シリアの首都ダマスカスが反政府勢力によって制圧され、13年にわたるアサド政権が崩壊した。反政府勢力は国営テレビ局を制圧し、「ダマスカス解放」を宣言。アサド大統領はロシアへの亡命を余儀なくされた。この出来事は単なる一国の政権交代を超えて、中東全域の勢力図を塗り替える歴史的な転換点となる。
 アサド政権崩壊の直接的な契機となったのは、最大の支援国であるロシアの軍事的・経済的支援の縮小である。ウクライナ侵攻に軍事資源を集中せざるを得ない状況下で、ロシアはシリアへの空爆や補給支援を大幅に削減した。また、レバノンのヒズボラがイスラエルとの衝突で勢力を弱体化させたことにより、シリアへの重要な補給ルートが事実上途絶したことも転機となった。国際的な経済制裁による財政基盤の崩壊と相まって、政権の存続基盤は急速に脆弱化していった。
 11月27日から開始された反政府勢力の攻勢は、驚くべき速さで展開した。北部アレッポ、中部ホムス、南部ダラアの戦略拠点を次々と制圧し、わずか10日でダマスカスを包囲するに至った。この急速な進撃の背後には、長年にわたる国際的な支援体制の存在があった。トルコは、シリア北部のクルド勢力を牽制する目的から、反政府勢力への武器供給を積極的に展開してきた。トルコにとって、クルド人の自治権拡大は自国の領土保全に対する脅威となりうる。そのため、反政府勢力を支援することで、クルド人勢力の影響力を抑制しようとしたのである。さらに注目すべきは、アメリカによる反政府勢力への支援である。一見すると、テロとの戦いを掲げるアメリカが反政府勢力を支援することは矛盾しているように思える。しかし、この支援には明確な戦略的意図があった。アメリカは、シリアにおけるロシアの影響力を削ぐため、穏健な反政府勢力に限定して支援を行ってきた。特に、対戦車ミサイルや防空システムといった防衛的な装備の提供を通じて、アサド政権の軍事的優位性を相対化させることを目指した。この支援は、シリアを舞台とした米露の代理戦争的な様相を帯びていたのである。
 カタールとサウジアラビアによる資金援助も、反政府勢力の軍事力強化に大きく貢献していた。両国の支援の背景には、イランの影響力拡大への危機感があった。アサド政権はイランの重要な同盟国であり、その存続はイランの地域的影響力の維持につながる。そのため、湾岸諸国はアサド政権の打倒を通じて、イランの影響力を抑制しようとしたのである。しかし、この武器供給の増大は、同時に深刻な問題も引き起こしている。供給された武器の一部が過激派組織の手に渡るリスクが指摘され、シリアの不安定化をさらに助長する要因となっているのだ。
 いずれにしても、このタイミングの良さや反乱軍間の調整にはなんらかの指導的な要因があったようにも思われる。

エネルギー問題
 シリアの地政学的重要性は、特に天然ガスのパイプライン計画を巡る国際的な利害関係において顕著に表れている。アサド政権は在任中、カタールが提案した欧州向け天然ガスパイプライン計画を拒否し、代わりにイラン主導の計画を支持してきた。この判断の背景には、同盟国イランとロシアへの配慮があった。カタールのパイプライン計画が実現すれば、ロシアの対欧州ガス輸出における優位性が脅かされることになる。アサド政権の決定は、湾岸諸国との対立を深める一因となり、内戦の複雑化を招いた。一方、イランが推進してきたイラン-イラク-シリアパイプライン計画も、アサド政権崩壊により新たな局面を迎えている。このパイプラインは、イランから地中海沿岸を経由して欧州に天然ガスを供給する構想だった。しかし、政権崩壊によって計画の実現性は極めて不透明となった。この状況は、中東のエネルギー地政学に大きな影響を及ぼす可能性がある。意外なのは、ロシアは、シリアの混乱をむしろ好機と捉えている節があることだ。シリアを経由する新たなガス供給ルートの形成が阻害されることで、欧州市場におけるロシアの影響力が相対的に維持される。
 シリア北東部の石油資源を巡る争いも、複雑な様相を呈している。この地域はクルド勢力が実効支配しているが、トルコはこれを自国の安全保障上の脅威と見なしている。アメリカは、イスラム国の復活を防ぐためにクルド勢力への支援を継続しているが、このことがNATO同盟国であるトルコとの関係を複雑にしている。石油資源の管理権を巡るこうした対立は、シリアの将来的な統治構造を考える上で避けて通れない問題となっている。実質的には平和的にこの地域を安定させる統治機構の可能性は低いだろう。

軍事的問題
 アサド政権崩壊後、ロシアが直面する最大の課題の一つが、タルトゥース海軍基地の維持である。この基地はロシアにとって唯一の地中海拠点であり、黒海艦隊の活動範囲を拡大する上で極めて重要な戦略的価値を持つ。しかし、反政府勢力の影響力が拡大する中、基地の安全な運用が危ぶまれることになった。ウクライナ戦争による軍事資源の分散も、ロシアの対応をより困難なものにしている。
 この基地維持の困難さは、単にロシアの軍事的プレゼンスの問題にとどまらない。タルトゥース基地は、ロシアの中東政策全体を支える重要な基盤であり、その喪失はロシアの地域的影響力を大きく損なう可能性がある。また、地中海におけるNATOとの軍事的バランスにも影響を与えかねない。ロシアは基地維持のために追加の海軍資源投入を検討しているが、ウクライナ情勢との兼ね合いで、その実現は容易ではないだろう。

 

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2024.12.08

「97問題」という高齢化社会の現実

 日本における高齢化が進む中、介護問題は家族だけで解決できない段階に達している。「86問題」として80代の親を60代の子が介護する状況が提唱されてから10年以上が経過し、現在では「97問題」として90代の親を70代の子が介護する現実が浮上している。

97問題の現実
 「老老介護」は、高齢者同士が介護を支え合う現象であり、日本の介護世帯において珍しくない状況となっている。高齢者世帯の約半数が配偶者や同世代の家族による介護を受けている現実がある。特に深刻なのは「97問題」と呼べそうな90代の親を70代の子が介護するケースである。この場合、介護を行う子自身も老齢に達しており、健康や体力の低下が著しいため、介護の負担が過重になりやすい。
 70代の息子が90代の母親を介護する場合、息子自身も高血圧や腰痛などの健康問題を抱えていることが多い。親の介護に時間とエネルギーを費やすことで、息子自身の健康管理がおろそかになり、さらなる体調悪化を招く負のスパイラルが発生している。また、90代の親の介護期間が10年以上に及ぶことも少なくなく、介護者が定年後の時間と老後資金をほぼすべて費やしてしまう例も多い。
 「97問題」は家庭内にとどまらず、地域社会にも影響を及ぼしている。高齢者世帯が多い地方では、親子が孤立し、外部からの支援を受けられないまま介護が続く状況が増加している。このようなケースでは、地域コミュニティの崩壊や社会的孤立の拡大が顕著である。

ブラックボックス化する介護現場
 介護施設や在宅介護を支える現場では、慢性的な人手不足が課題となっている。特に特別養護老人ホーム(特養)は需要が高いにもかかわらず、職員不足によって受け入れが制限されている。2023年度には全国の特養施設の約7割が職員不足に直面し、そのうち1割以上がベッドの稼働停止やショートステイ事業の休止に追い込まれている。そしてどうなったか。わからない。ブラックボックス化している。
 特養の入居待機者は多いものの、申し込んでも実際には入居待ちが終わる見込みはないことが多い。また、ようやく順番が回ってきても、介護側の都合で「利用拒否」に近い状況にされる事例が広がっているようだ。職員が足りないため、要介護度が高い人や医療的ケアを必要とする人の受け入れが断られることが多い。ここもブラックボックス化している。このような現状では、特養が本来果たすべき「地域の要介護者の支援」という役割が十分に機能していない。具体的には、要介護度が高い利用者の受け入れが難しく、必要なケアを提供できないケースが多発している。
 在宅介護を支える訪問介護の現場も同様に厳しい状況にある。ヘルパーの人手不足が深刻化し、ケアプラン通りの支援が行えないケースが多発している。訪問介護は高齢者が自宅で生活を続けるための重要なサービスであるが、ヘルパー不足により、その役割を十分に果たせない現状がある。特に地方では訪問介護を利用できる高齢者が限定的であり、介護負担がすべて家族に集中し、そのことで社会から暗渠化される。

資産による介護格差
 現在の介護問題を考える上で避けて通れないのが、資産による格差の問題である。経済的に余裕のある家庭では、高額な民間施設やプライベートケアサービスを利用できるが、資産が少ない家庭では公的サービスへの依存度が高くなる。しかし、公的サービスは人手不足や予算不足により利用が制限されるため、実質的な支援が行き届かない。
 特に地方では、民間施設の選択肢が都市部に比べて大幅に少ないため、資産格差が地域間格差と結びついて問題を複雑化させている。高齢者が介護サービスを利用できない状況は、家族介護者の負担増加や地域コミュニティの崩壊を招く原因となっている。
 介護問題の解決に向けて、多くの政策提言がなされてきた。特養の増設や介護職員の公務員化、ICTや介護ロボットの導入などがその一例である。しかし、これらの提言の多くは実現に至らず、理想論の域を出ていない。
 

 

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2024.12.07

フランスの政治危機

 フランスのミシェル・バルニエ首相が2024年12月7日に辞任する。理由は、議会における不信任投票に敗北し、政権を維持できなくなったためである。彼の政府は、議会における不信任投票によって60年以上ぶりに政府が倒れるという、フランスにとって異例の事態となり、国内で大きな波紋を広げている。

不信任投票の背景
 フランスは深刻な経済問題を抱えていた。失業率は高く、財政赤字も増え続けていた。これに対し政府は、公務員給与の引き下げ、年金支給額の減額、社会福祉サービスの縮小など、厳しい支出削減策を実施したが、この措置により、特に一般の労働者層の生活は大きな打撃を受けることになった。
 こうした状況でありながら、マクロン大統領は更なる改革を進めようとしたが、その手法は急進的すぎ、国民の声に耳を傾けていないという批判が強まった。政府の強硬な姿勢に対し、左右両派の反対勢力が強く反発し、社会全体の不満が高まり、この対立は最終的に、議会での不信任投票という政治危機にまで発展することとなった。
 今回の不信任投票は、通常は対立する極右と左派勢力が一時的に協力して成立させた奇妙なしろものであるが、バルニエ政権は歴史的敗北を喫し、辞任を余儀なくされた。問題の発端は、バルニエ政権が議会での正式な投票を省略し、強行的に予算案を採決したことが原因である。この予算案は、国の財政赤字を抑えるための600億ユーロ(約9兆円)の大幅な財政削減を目指していたが、特に労働者層への負担が大きく、国民から厳しい批判を受けていた。また、マリーヌ・ルペン率いる極右「国民連合」や左派勢力が強く反発し、不信任投票の結果、バルニエ首相は現代フランス史上最も短命の首相として記録されることとなり、議会の不安定さが一層深まった。
 フランスでは、1962年のジョルジュ・ポンピドゥー政権以来、このような不信任投票による政府崩壊は例がない。ポンピドゥー政権時にはド・ゴール大統領が強権を発動し議会を解散したが、今回の危機はその時以上に深刻であるとの指摘もある。

マクロン大統領の責任
 フランスの政治が不安定になった主な要因は、マクロン大統領の政策運営と解散総選挙の失敗にある。マクロン大統領は労働法改革、年金制度改革、税制改革といった急進的な改革を矢継ぎ早に進めたが、その手法は「エリート寄り」で一般市民の声を軽視しているという批判を招き、多くの国民の理解と支持を得られなかった。事態は極右政党「国民連合」の欧州議会選挙での大勝により一層悪化し、これを受けてマクロン大統領は、議会の不安定さを解消し、明確な多数与党を形成するため、2024年6月末から7月初めにかけて解散総選挙を実施した。しかしこの決断は、パリ五輪開幕直前という微妙な時期での選挙実施となっただけでなく、議会内の勢力図をさらに複雑化させる結果となった。多数派の形成が一層困難となり、政治的混迷は一段と深まった。
 マクロン大統領は早期に新たな首相を任命し、混乱収拾を図る意向を示しているが、現在の議会構成では、新首相もバルニエ政権が直面したのと同様の困難を抱えることが予想される。フランスの憲法上、新たな議会選挙は2025年7月まで実施できないため、短期的な解決策が模索されている。

EUへの影響
 フランス国内の政治危機は、欧州連合(EU)全体にも広範な影響を与える。フランスはEUの経済と政策形成において重要な役割を果たしているため、フランスの政治不安定はEUの意思決定プロセスを遅らせ、他の加盟国との協力に支障をきたすことになる。また、EUの財政的安定性にも影響を及ぼし、EU内での成長戦略や財政政策の調整が難航する。
 特に、2025年度(2025年1月から12月)の予算が承認されない可能性が、すでに市場に不安を与えている。一時的にではあるが、フランスの国債利回りがギリシャを上回る事態となったことは、投資家心理の悪化を象徴している。さらにドイツでは連立政権が崩壊しており、EU全体で政治的な不安定感が広がっている。

 

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2024.12.06

OSCEマルタ会議

 2024年12月5日、マルタのタカリにおいて第31回欧州安全保障協力機構(OSCE)閣僚会議が開催された。メディアではあまり注目されなかったものの、ウクライナ侵攻を背景とするこの会議は、国際的な対話の試みと、対立と調停を巡る国際社会の努力を象徴する重要な場となった。マルタという開催地の選定は、地中海の中立国としての立場を活かし、深刻化する東西対立の中で対話の機会を提供するという意義も感じられた。
 欧州安全保障の要としてのOSCEは、近年その機能不全が顕著となっている。特にウクライナ侵攻以降、ロシアによるOSCEの意思決定に対する度重なる拒否権の行使により、予算の合意が成立せず、事務総長を含む幹部ポストが空席のままという異常事態が続いている。これは、全加盟国の合意を必要とするOSCEの意思決定プロセスが、現在の国際情勢下で深刻な制約となっていることを示している。一方で、OSCEはこれまで東欧諸国の選挙監視や人権保護の分野で多くの重要な成果を上げ、特にウクライナやグルジアなどの紛争地域での和平プロセス支援を通じて、地域の安定化に大きく貢献してきた実績がある。今回の会議では、トルコの外交官フェリドゥン・シニルリオール氏が新たな事務総長に承認される見込みとなり、組織の機能回復への期待が高まっている。
 とはいえ、今回の会議における対立は、予想通り熾烈なものとなった。ウクライナのアンドリー・シビハ外務大臣は、初っ端からロシアのセルゲイ・ラブロフ外相を「戦争犯罪人」と強く非難し、ロシアの行動を欧州安全保障への最大の脅威と位置付けた。これに対しラブロフ氏は、OSCEを「NATOとEUの付属機関」と批判し、西側諸国による冷戦の再来を糾弾。さらに、アメリカのアジア太平洋地域での軍事演習を「ユーラシア全域の不安定化を目的としている」と非難し、西側に対する根深い不信感を露わにした。アメリカのアンソニー・ブリンケン国務長官も会議に出席したが、ラブロフ氏との個別会談は行わず、代わりにウクライナへの継続的な支援の必要性を強調した。
 ラブロフ氏のEU加盟国訪問は、2022年のウクライナ侵攻以来初めてのことであり、対ロシア制裁下での特異な出来事として注目を集めた。マルタ政府は対話のチャネル維持を理由に招待を説明したが、これに対してブリンケン氏は、ラブロフ氏が「誤報の津波を広めている」と強く批判し、モスクワこそが現在の危機的状況の主たる要因であると指摘した。この応酬は、現在の東西対立の深刻さを如実に示すものとなった。
 OSCEの機能回復に向けた課題は山積している。世界中の紛争監視、選挙監視、人身売買対策、メディアの自由確保など、OSCEは幅広い活動を展開しているが、予算合意の不在がその取り組みを大きく制約している。さらに、2026年と2027年のOSCE議長国選定においても、ロシアがNATO加盟国エストニアの就任を阻止するなど、組織運営を巡る対立は続いている。2025年には新たにNATOに加盟したフィンランドが議長国候補として取り上げられているが、この選定プロセスも新たな対立の火種となる可能性がある。
 こうした状況に加え、米国の次期大統領選挙の結果は、ウクライナ戦争とOSCEの活動に大きな影響を与える可能性がある。共和党候補者の一部が「ウクライナ戦争の迅速な終結」を主張し、NATO諸国への防衛費増額要求を示唆していることから、西側諸国は支援強化と戦争終結への準備を急いでいる。
 国際社会における安全保障と平和維持の重要な枠組みとしてのOSCEの役割は、今後ますます重要性を増すと考えられる。今回のマルタ会議は、ウクライナ侵攻という厳しい現実に対して、対話と協力を通じた平和追求の必要性を再確認する機会となった。OSCEが本来の機能を取り戻し、より効果的な国際協力の場として再生するためには、加盟国間の信頼醸成と組織改革の両面からのアプローチが不可欠であり、特に、意思決定プロセスの効率化や、危機時における組織の対応能力強化など、具体的な改革への取り組みが期待されている。だが、現状を見る限り、その顔合わせの場としての存在の必要性の意義が増しているとしても、解決の方向にないことは明らかとなった。

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2024.12.05

米国コロナウイルス感染症に関する特別委員会報告書について

 米国のコロナウイルス感染症に関する特別委員会は、2024年12月4日に2年間の調査を完了し、詳細な最終報告書「COVID-19パンデミックの後期評価:学んだ教訓と未来への道筋」を発表した。この520ページの報告書は、今後のパンデミック対応のための指針を示しているとされるが、全文は一般には公開されていない。そこで特設ページからの情報を以下にまとめた。

調査の背景と意義
 最終報告書は、COVID-19パンデミックにおける米国の公衆衛生システムの問題点を明らかにし、将来のパンデミックへの備えを目的として作成されたものである。特別委員会は2023年2月以降、100以上の調査書類を送付し、30以上のインタビューや証言聴取を行い、25回の公聴会や会合を開催した。さらに、100万ページ以上の文書を精査し、重大な不正行為や問題点を明らかにするなど、大規模な調査を実施した。この調査は、これまでのパンデミックに関する調査の中でも最も徹底したものである。
 調査範囲はパンデミックの起源からワクチンの承認プロセス、経済対策の透明性、そして政府機関の対応まで多岐に渡り、これらの問題を分析し、将来に向けた対策を示している。特に、公衆衛生システムに対する信頼の回復と、「全国一体となった取り組み」の必要性が強調されている。

パンデミックの起源と発見
 最終報告書は、COVID-19の起源について「武漢の研究所からの漏洩の可能性が最も高い」と結論づけている。その根拠として以下の5点を挙げている。

  • ウイルスに自然界では見られない生物学的特徴が存在すること
  • 全てのCOVID-19症例が単一の感染源から始まっていること(これは、複数の感染経路が見られた過去のパンデミックとは対照的である)
  • 武漢が中国の主要なSARS研究所の所在地であり、不十分な安全管理の下で機能獲得研究が行われていたこと
  • 2019年秋に武漢ウイルス研究所の研究者がCOVID-19類似の症状を発症したこと
  • 自然発生に関する証拠が提示されていないこと

 さらに、COVID-19の自然発生説を支持するために「プロキシマル・オリジン」論文が公衆衛生関係者やメディアによって繰り返し利用されたことが明らかになり、そのプロセスの不透明さが批判されている。この論文は、ファウチ博士の意向を受けて、COVID-19の自然発生説を支持するよう促されたものであると指摘されている。

政府の資金提供と研究管理の問題
 最終報告書では、アメリカ国立衛生研究所(NIH)を含む連邦政府が、危険な研究への資金提供と監督を怠ったことが大きな問題として指摘されている。「エコヘルス・アライアンス」が武漢での機能獲得研究を促進するために米国の税金を支出していたことが問題視され、研究助成金の条件違反が判明したため、アメリカ保健福祉省(HHS)は資金提供の停止と公式な除外手続きを開始した。
 さらに、米国司法省(DOJ)がパンデミック期間中のエコヘルスの活動について調査を開始したことも報告されている。NIHの監督体制の不備、連邦記録保持法の回避行為、そして機能獲得研究の監督メカニズムの不備、グローバルな適用性の欠如も問題視されている。
 COVID-19パンデミックに対する救済プログラムにおいても、巨額の資金が不正に流用されたことが明らかになっている。給付金詐欺や中小企業庁(SBA)の不備により、数十億ドルの税金が国内外の犯罪者に奪われた。特に、給与保護プログラムでは640億ドル以上、失業給付では1,910億ドルの詐欺被害が報告されている。

公衆衛生措置の効果と信頼の回復
 最終報告書は、パンデミック時の公衆衛生措置についても評価している。具体的には、「6フィートルール」やマスクの効果に関する指導が科学的根拠に乏しかったことなど、これらの不確実な指導が国民の不信感を増幅させ、特に連邦政府への信頼を損ねたとしている。なかでも、マスクの有効性に関する結論が二転三転したこと、科学的データの提示がないままの措置変更による混乱、ロックダウンの長期化による経済的損失と国民の精神的・身体的健康への悪影響も指摘されている。特に若年層への影響が深刻であったとされている。
 さらにニューヨーク州における高齢者施設へのCOVID-19陽性患者の強制収容による医療過誤も大きな問題として取り上げられている。クオモ前知事による虚偽証言も問題視され、司法省への刑事告発が検討されている。

ワクチン接種に関する問題点
 最終報告書において、COVID-19用ワクチンについては、バイデン政権の圧力による承認プロセスの早期化と自然免疫の軽視が問題視されている。このワクチンの副作用に関する報告システムの不透明さにより、国民の懸念が招かれ、ワクチン全体の安全性に対する信頼が低下した。
 また、COVID-19用ワクチンは当初期待されたようにウイルスの拡散を防ぐ効果はなかったことも指摘されている。ワクチン義務化は科学的根拠に欠け、個人の自由を侵害し、軍の戦備に悪影響を与え、医療の自由を無視したと批判されている。

学校閉鎖とその社会的影響
 最終報告書では、COVID-19による学校閉鎖は、深刻な学業成績の低下や心理的影響をもたらしたとしている。科学的根拠がないにもかかわらず長期にわたった学校閉鎖の結果、子供たちが歴史的な学習損失を被り、心理的ストレスが増加したことが記されている。この結果、標準化テストのスコアの低下、精神的・身体的健康問題の増加が報告されており、特に12~17歳の女子における自殺未遂の増加が顕著であるとされている。
 学校再開に関するガイドライン策定過程においては、政治団体がCDCに影響を与えたことも明らかになり、問題視されている。特に、アメリカ教師連盟(AFT)がCDCの学校再開ガイドラインに対して特定の表現を提案し、それが受け入れられたことは問題である。

政府機関の対応と情報操作
 最終報告書では、保健福祉省による特別委員会の調査妨害、エコヘルス・アライアンスによる情報隠蔽、モーレンス博士による証拠改ざん・虚偽証言といった政府機関の不適切な対応が批判されている。
 また、公衆衛生当局による矛盾するメッセージや、透明性のない対応による情報拡散、ソーシャルメディア企業への圧力による検閲なども問題視されている。トランプ政権による渡航制限は人命を救ったと評価されているが、ファウチ博士による初期の対応は批判されている。

今後の課題と道筋
 特別委員会の最終報告書は、将来のパンデミックへの備えのための教訓として、「透明性、説明責任、誠実さ」が公衆の信頼回復に不可欠であり、パンデミック対策は「個人的な利益や偏見を持たない者」によって管理されるべきだと強調している。
 WHOの対応についても、中国共産党への屈服と国際的義務の軽視が批判されている。そして、パンデミック条約についても懸念が示されている。
 次回のパンデミックに備えるには、公正で全国一体となった対応が求められる。今回の教訓を生かし、次世代のためにより良い準備を進めていくことが重要であるとしてその意義をまとめている。

 

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2024.12.04

韓国戒厳令騒動

 2024年12月3日、韓国で尹錫悦大統領が戒厳令を宣布し、数時間後に解除されるという出来事が生じた。この戒厳令の宣布は、韓国国内だけでなく国際社会にも衝撃を与え、その背景には複雑な政治的対立と深い不信感がある。

大統領の意図
 3日夜、尹錫悦大統領は緊急会見を開き、非常戒厳を宣布した。戒厳令は憲法第77条に基づき、国家非常事態において発動が可能である。この条文は、行政機能と司法機能が著しく困難な状況で、公共の安寧秩序の維持のために必要な場合に戒厳を宣布できると定めている。
 尹大統領は会見で、政府機関や国家予算の妨害行為によって韓国が危機的な状況にあると訴えた。野党「共に民主党」が行った政府幹部の弾劾や予算の削減が行政と司法の機能を麻痺させているとし、これを「反国家行為」と断じた。また、大統領は、これ以上の国家の混乱を防ぐためには戒厳令が必要であり、国政の麻痺を解消し自由と安全を守るための「避けられない措置」であると訴えた。

野党の反応
 戒厳令に対する反発は直ちに広がった。韓国国会では与野党の議員が団結し、戒厳令の解除を求める動きが活発化した。特に「共に民主党」の李在明代表は、以前から戒厳令発動の可能性について警告しており、尹政権が弾劾される状況になれば戒厳令の発動に踏み切ると危惧していた。
 戒厳令の噂は9月初めに李代表が与党「国民の力」の韓東勲代表との会談で戒厳令の話が頻繁に出ていると述べたことに端を発する。この発言を受け、尹政権が戒厳令を準備しているのではないかという疑念が広がった。
 李代表の発言に対し、韓代表は「事実なら深刻だが、根拠を示すべきだ」と冷淡に反応し、共同対処には応じなかった。この対応も戒厳令に対する疑念を深める要因となった。また、金炳周議員が8月19日に国会国防委員会で「尹大統領は弾劾されそうになれば戒厳令を宣布するのではないか」と警告したことも布石となり、李代表の発言に繋がった。
 国防長官の人事交代についても、尹大統領に近しい人物が次々と要職に登用されたことが不信感を助長した。特に朴槿恵政権時代に戒厳令が検討された過去があることから、戒厳令の布告は単なる噂では済まされないという見方が広がっていた。

戒厳令の法的基盤
 戒厳令の布告は憲法第77条に基づき、国家非常事態において発動が可能であるが、戒厳施行中の国会議員は現行犯を除いて逮捕および拘禁されないとの規定があるため、国会の解除要求を阻止するには現実的に困難が伴う状況であった。
 非常戒厳は行政機能と司法機能の遂行が著しく困難な場合にのみ発動可能であり、警備戒厳は一般行政機関で治安を確保できない場合に発動される。また、国会在籍議員の過半数の賛成で戒厳令の解除を要求できるため、尹政権が戒厳令を維持するには多くの議員を逮捕・拘禁する必要があり、実行には限界があった。
 金龍顯次期国防長官の任命が北朝鮮との局地戦や「北風」造成を念頭に置いた作戦と見なされている点も、戒厳令準備との関係で注目されていた。

戒厳令の影響
 戒厳令の宣布後、国会は迅速に対応し、190名の議員が戒厳令の解除に賛成票を投じた。韓国国会議長である禹元植は、大統領の行為を「無効だ」とし、即刻解除を求めた。与党「国民の力」も尹大統領に対して戒厳令の取り下げを要請し、結果的に戒厳令は数時間後に解除されることとなった。
 戒厳令の発動とその解除は、韓国の政治情勢における深刻な不安定さと与野党間の激しい対立を浮き彫りにした。国民の多くは、この短期間の戒厳令に対し、過去の独裁政治の記憶が蘇る恐怖を抱いたとされている。戒厳令は国内の政治的対立を一層深め、韓国の自由民主主義の未来に不安を残した。

米国の反応
 VOAが伝えるところでは、米国の外交専門家らは、韓国の尹錫悦大統領が戒厳令を宣言したことにより、北朝鮮の誤判断のリスクが高まっている警告した。この出来事は北朝鮮にとって尹政権の弱さを見せる機会となる可能性があり、挑発行動を起こすリスクがあると、米国元国家情報会議の北朝鮮担当者シドニー・セイラー氏は指摘している。さらに、北朝鮮の金正恩総書記が米韓関係を弱体化させようとする動きが強まる可能性もあると述べた。
 米国政府としては、尹大統領の戒厳令宣言後、数時間以内に韓国との同盟を再確認し、情勢を注視していると述べた。国務省のカート・キャンベル副長官も「米韓同盟は揺るぎないものであり、政治的な紛争は法の支配に則って平和的に解決されることを期待している」と強調した。

 

 

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2024.12.03

若年層のSNS規制

 先進国では今年に入って特に、若年層による携帯電話やソーシャルメディアの使用に対する規制が注目を集めている。なかでも、アメリカとオーストラリアの最近の動向は、教育現場や公共政策におけるテクノロジー利用の在り方を見直す契機となっている。

オーストラリアによるSNS使用年齢制限法案
 オーストラリアでは、2024年11月21日に、16歳未満の子供によるソーシャルメディア利用を禁止する法案が議会に提出された。この法案は、若者の健康と安全を守る目的で導入されたものであり、TikTokやInstagramなどの主要プラットフォームが対象となり、違反した場合には最大3200万ドルの罰金が課される可能性がある。特に女子に対する身体イメージの有害な描写や男子へのミソジニー的コンテンツが懸念されている。
 この法案の特徴は、親の同意を考慮しない点にある。導入に際しては、年齢確認には生体認証や政府発行のIDが利用される可能性があり、従来の方法よりも厳格な年齢確認が期待されている。収集された情報の削除を義務付けるプライバシー保護条項も盛り込まれている。とはいえ、青少年が健康・教育関連のサービス(例:「ヘッドスペース」やGoogleクラスルーム、YouTubeなど)にアクセスできるようにする配慮もなされている。
 オーストラリア政府は、14歳から17歳の若者の約3分の2が薬物乱用や自殺、自傷行為などの有害なコンテンツを目にした経験があることを背景に、ソーシャルメディアの使用に対する厳しい制限の導入が緊急であると訴えている。

米国におけるSNS利用制限
 米国では、教育現場でのスマートフォンの使用に関する制限が広がりつつある。ピューの調査(2024年9月30日から10月6日に実施)によれば、授業中の携帯電話使用禁止に68%の成人が支持を示している。しかし、終日禁止には賛否が分かれ、36%が支持する一方、53%が反対している。世代間や親の有無による意見の違いも明確で、18歳から29歳の若年層では授業中の携帯電話使用禁止を支持する割合が45%にとどまっている一方、50歳以上では80%が支持している。さらに、K-12の子供を持つ親の65%が授業中のスマホ使用禁止を支持しており、子供がいない成人とほぼ同様の割合である。
 スマホ使用禁止に対する支持者の理由として、98%が「学生の注意を引きつけ、授業中の集中力を高めるため」としており、そのうち91%がこれを主要な理由と挙げている。また、70%は「学生の社会性の向上」、50%は「カンニングの防止」、39%は「いじめの減少」が理由であるとしている。
 他方、規制に反対する人々のうち60%は、親が緊急時に子供と連絡を取る必要性を主な理由として挙げており、他には「教師にとって規制の実行が困難である」(37%)や、「携帯電話が教育ツールとして有用である」(31%)という理由もある。

先進諸国における動向
 同種の動向は他の先進諸国でも見られる。フランスでは2023年に15歳未満の子供に対するソーシャルメディア使用を制限する法案が提出されたが、親の同意があれば利用が可能とされている。イギリスでは、若年層のメンタルヘルスへの悪影響を懸念し、ソーシャルメディアプラットフォームに対する厳しい規制を導入する動きが進んでおり、特に企業に対してユーザー保護対策を義務付けている。ドイツでも青少年保護の観点から、オンラインコンテンツのアクセスに対する年齢制限を強化する施策が取られており、法的な罰則も導入されている。これらの国々では、若者の健康と安全を守るために、各国の文化や法的背景に応じた独自のアプローチが見られる。当然ながら、こうした動向は日本にも波及するだろうし、すでにしているかもしれない。

 

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2024.12.02

ハンター・バイデン氏への恩赦

 バイデン米大統領は12月1日、次男ハンター・バイデン氏に恩赦を与えたと発表した。この恩赦は、バイデン大統領の退任前に行われたものであり、家族の関与を含む問題が複雑に絡んでいることから、すでに大きな議論を引き起こしている。ハンター氏は銃の不正な購入や所持、脱税をめぐり、今月、量刑の言い渡しが予定されていたが、父であるバイデン大統領の退任を控える中で前言を撤回した形だ。
 ジョー・バイデン大統領が決定した息子ハンター・バイデン氏への恩赦は、米国政治における倫理と司法の問題を深刻化させるだろう。恩赦が司法の独立性を脅かし、特定の個人に対する優遇措置と見なされることで、公平性への信頼が損なわれる。さらに、大統領が家族の利益を優先したとされることで、利益相反の疑念が高まり、米国の政治倫理に大きな影響を与える。この恩赦はハンター氏にかけられた多岐にわたる罪状を事実上免責するものだが、特にウクライナでのビジネス取引に関連する疑惑が再び注目されている。

恩赦の背景と法的問題
 ハンター・バイデン氏は、2018年に薬物依存を隠して銃を不法に購入し、虚偽申告の罪で2024年6月に有罪判決を受けた。また、2016年から2019年にかけて140万ドル以上の税金を未納とし、脱税罪でも起訴されている。このような法的問題に直面する中、2024年12月1日にはバイデン大統領がこれらの罪を対象に恩赦を与えることを決定した。
 ハンター氏の法的問題は、単なる銃や税金にとどまらない。彼はウクライナのエネルギー企業「ブリスマ・ホールディングス」の役員を務めていた2014年から2019年の間、同企業が関与した疑惑の中心人物の一人とされている。この期間中、ハンター氏は毎月最大5万ドルの報酬を受け取り、父親が副大統領としてウクライナ政策を監督する立場にあったことから利益相反の疑念が指摘されていた。特に、2015年にジョー・バイデン氏がウクライナ政府に対し、ブリスマを捜査していたヴィクトル・ショーキン検事総長の解任を要求したとされる出来事があったが、この行為は、バイデン氏に対する疑惑を深める結果となっている。もちろん、2020年6月、ウクライナのルスラン・リャボシャプカ前検事総長は、ブリスマ社に関連する捜査の結果、ハンター・バイデン氏による違法行為の証拠は見つからなかったと述べてはいるが。

ウクライナ疑惑と恩赦
 ブリスマでの役員としての活動は、ハンター氏のビジネス上の行動が父親の影響力を利用していた可能性を示唆している。2014年から2016年にかけて、副大統領だったバイデン氏は米国政府のウクライナ政策の要となる役割を果たしており、ウクライナ政府に対する多額の財政支援を主導した。この状況下で、息子のハンター氏が同国のエネルギー企業から多額の報酬を受け取っていたことは、利益相反の典型例として批判されている。
 2020年に公開されたハンター氏のラップトップに保存されていた電子メールには、ブリスマ関係者がジョー・バイデン氏と直接面会した可能性を示唆する内容が含まれていた。これにより、大統領が副大統領時代にハンター氏のビジネスに関与していた疑惑が一層強まり、共和党議員は事態を「家族ぐるみの汚職」と批判を強めていた。
 今回の恩赦の決定は、このような疑惑を実質的に無効化するものであり、ハンター氏が銃の不正な購入や虚偽申告、脱税に関する司法の追及を免れる結果となった。これにより、特定の罪状に対する責任が問われないこととなり、司法制度の公正性に対する懸念が生じている。法曹関係者からは、この恩赦は司法制度の公正性に対する重大な挑戦との非難も出てくるだろう。特に、ウクライナに関連する汚職の疑いを不問に付す形となり、国際社会からも疑念の目を向けられる原因となっている。

政治的反応と影響
 恩赦の決定に対して、共和党からは強い批判が上がっている。多くの共和党議員は「法の下の平等が損なわれた」としてバイデン大統領を非難し、司法制度への信頼を揺るがしかねない行為であると訴えている。一方、民主党内でも一部からは批判の声が上がっており、党内の意見の分裂を示している。バイデン大統領に近い関係者は、この恩赦が家族を守るための個人的な決断であったと擁護する一方で、他の民主党員は司法制度への悪影響を懸念している。
 バイデン大統領がなぜこの恩赦を決断したのかについて、さまざまな憶測が飛び交っている。大統領は公式声明で「ハンター氏が過去に犯した過ちを悔い改め、更生の道を歩んでいる」と述べ、家族を支援する立場を強調しているが、退任前の政治的遺産だとも指摘されており、この恩赦が果たして公正な判断であったのかについては議論が続くだろう。なにより、バイデン大統領によるこの恩赦は、過去の大統領による恩赦と比較しても異例である。ニクソン大統領へのフォード大統領の恩赦などは、政治的な和解や特別な事情に基づいて行われてきたが、今回の恩赦は家族への恩赦である。クリントン大統領による自身の弟・ロジャー・クリントン氏に対し、1985年のコカイン密売に関する有罪判決を帳消しにする恩赦のときも、家族や近親者への恩赦は常に議論を呼んできたが、今回の決定も同様に、司法制度の独立性や公平性を損なうものとして広く非難されることだろう。

 

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2024.12.01

ウクライナ軍の脱走問題

 11月29日付けのAP通信報道(参照)によると、ロシアとの戦争を続けるウクライナ軍において、最前線での兵力不足が深刻な問題となっているとのことだ。主要因の一つには、脱走の急増が挙げられる。これにより、ウクライナの戦闘計画遂行が著しく阻害されている。兵士、弁護士、そして軍関係者の証言に基づくAP通信の報道は、この問題が戦争3年目に入り、さらに深刻化していることを伝えている。

増加する脱走兵
 AP通信の報道によれば、2022年の開戦以来、10万人以上の兵士が脱走関連の罪で起訴されているとされている。注目すべきことは、2023年以降のその急激な増加で、脱走者数の約半分が過去1年間に発生している。この急増は、ウクライナ政府による関係者も認める「失敗に終わった」とされる積極的な動員政策と関連している。政府当局者や軍司令官の証言によれば、ウクライナ軍は人員確保のために18歳以上の若者の徴兵を推進したが、その結果、経験不足の兵士たちが多く前線に送り込まれていることになった。また、バイデン政権がウクライナに対し、さらなる徴兵を行うよう圧力をかけており、18歳からの徴兵を推奨している点も、動員政策の問題を複雑化させている。
 脱走者の多くは、医療休暇後に復帰しない者や、戦闘の激しさに耐えられず部隊を離れる者たちである。AP通信は、脱走兵へのインタビューも行っており、戦場で仲間の死を目の当たりにした恐怖、戦争の長期化による希望喪失、そして不十分な心理的支援といった要因が脱走の背景にあるとしている。ある脱走兵は「無期限の兵役は心理的に監獄と同じだ」と証言しており、この証言は多くの兵士が抱える精神的負担の大きさを物語っている。

ヴフレダル陥落の教訓
 AP通信は、脱走が前線の防衛能力に与える直接的な影響についても報じている。特に、ウクライナが2年間守り続けてきた要衝ヴフレダルの10月陥落は、脱走が大きな要因の一つだと複数の軍関係者が語っている。第72旅団の現地指揮官によると、一部部隊の防衛線放棄が敵軍の突破を招き、多くの兵士が孤立し犠牲となった。その終盤には、一つの中隊に定員120名が必要なところ、戦死や脱走により10名程度しか残っておらず、事実上の壊滅状態に陥っていた。
 脱走によって防衛線が崩壊し、他の部隊が孤立して敵に突破される場面が複数あったことも報告されている。兵士たちは弾薬不足の中で敵の砲撃に晒され、援護がない状況で前進を命じられるなど、士気が低下する要因が多数存在していたようだ。
 このように最前線の維持が困難となることで、キエフの戦略的な計画が次々と頓挫している。しかし、現場の指揮官たちは兵士たちの疲弊も理解しており、現状を非難するのではなく、精神的・肉体的な負担の限界を認めている。第72旅団の指揮官は「この段階では、誰も責めることはできない。みんな本当に疲れ切っているのだ」と語り、兵士たちへの共感を示している。

法的措置と限界
 ウクライナにおける脱走者に対する法的措置についてもAP通信は報じている。検察や軍関係者は、可能な限り脱走兵を説得して復帰を促し、それが失敗した場合にのみ起訴する方針を取っているが、復帰後も再び脱走するケースが多い。ウクライナの総司令部は兵士に対して心理的支援を提供していると述べているが、その効果や実態については不明であり、適切な支援が十分でないとの指摘もある。2024年9月には、前線で4,000人の兵士不足が記録されており、その多くが戦死、負傷、そして脱走によるものであった。
 ウクライナ兵士たちは、自身の脱走が戦争全体に悪影響を与えていることを自覚しながらも、精神的な負担に耐えられず、戦争の勝利に希望を見出せない。弁護士の一人は「人々は心理的に現状に耐えられない状況にあり、適切な支援が提供されていない」と指摘している。心理的理由で無罪となった兵士が増えることで、他の兵士たちも同様の行動を取る可能性があることが懸念されている。

 

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