サンデル博士がトランプ勝利を読み解く
YouTubeのAmanpour and Companyのチャネルに、先日の米国大統領選挙ついて、特にそのリベラル派の敗北について、日本でも『これからの「正義」の話をしよう』で有名な政治哲学者マイケル・ジョゼフ・サンデル(Michael Joseph Sandel)のインタビューがあり、それなりに興味深いものだった。それなりにというのは、それほど想定外の話はないなと思えたからでもあった。
サンデル博士は、今回の大統領選挙でトランプ氏が勝利した理由を、米国民の不満から説明している。サンデル博士によれば、この不満の背後には二つの主要な要因がある。
第一に、米国市民は自分たちがどのように統治されているのかについて有意義な発言権を持っていないと感じていることだ。このことは本質的に自己統治ということ自体の危機である。米国では大多数の国民が自分たちの声が反映されていないと強く感じている。
第二に、米国民は、米国社会のあるべき道徳的な結びつきがもはや失われつつあると感じていることだ。家族から地域社会、そして国家に至るまで米国市民はそれぞれ、自分を超えるものに帰属しているという意識、メンバーであることの誇り、そしてなにより連帯感を求めていた。それがいつから久しく得られなくなっている。
この二つの不満が今回の選挙の中心にあり、トランプ氏はこれらに巧みに訴えかけることができたとサンデル博士は説いていた。特に、トランプ氏の主張は、米国において、特に大卒の学位を持たない労働者層に共鳴した。彼らはエリート層から見下されていると感じていたという。
ちなみに、大卒者の社会での比率は現在世界においてどのようになっているか、グローバル・ノートのサイトの最新情報を見て少し驚いた。上位から、1位・カナダの63.27%、2位・日本の55.99%、3位アイルランドの55.31%、4位・韓国の54.52%、そして、5位にようやくイギリスの52.70%、米国は8位で50.7%。大学の差異もあるだろうが、日本と米国では10%もの差があり、欧州がさらに低い。
サンデル博士の話に戻ろう。博士によれば、米国はこの何十年もの間、社会的地位、特に学歴差による勝者と敗者の間の溝が深まり、それが、政治を毒し、社会を分断してきたという。この先は、私がいつもお馬鹿な説と思っている「新自由主義論」がサンデル博士の見解にも登場する。曰く、民主党も共和党も新自由主義的で市場重視のグローバリゼーションを支持してきたが、それは上層部に大きな利益をもたらす一方で、国の下半分の人々には賃金の停滞と雇用の外部移転をもたらした。そして、経済的不平等が社会構造化し、統治エリートたちは暗黙に大卒以下への侮辱があった。それは、グローバル経済で成功したければ大学に行け。あなたの収入は学歴に依存するというものであり、経済的に成功できなければそれは自己責任だという含みがあり、結果、大卒ではない労働者層は経済的に困窮するだけでなく、侮辱され、見下されていると感じた。そして、この状況が頂点に達したのは、2016年のトランプ氏の大統領就任であったという。
そこが問題だろうかという感じもしたが、話を聞いていて私が思ったのは、日本でも似たようなことがあるとも感じるが、それは、東大を頂点としてそこからMARCHくらいが上位の大学でそこからFラン大学がありその中間層があるくらいなものだが、実際のところ、日本においては学歴差はさほど社会分断には関係していないように思われる。特に所得差に米国社会ほどの決定的な要因は与えていないだろう。面白いことに日本の場合、高級官僚も大卒程度であって、そこが微妙にシーリング感がある。ということは、日本を米国的な学歴社会にしていのは、東大と官僚の頭打ち効果によるのかもしれない。
サンデル博士の話は、こうして聞くと、内田樹先生でも言いそうな話の類型のようでもあるが、なるほどと思えたのは、民主党は伝統的に既存権力に対抗する民衆の党であり、労働者を代表している党であるという見解だった。他方、裕福な有権者や大学の学位を持つ人々は共和党を支持する傾向にあったという。だが、このパターンは先の2016年に逆転したという。そして、トランプ氏は大学の学位を持たない有権者に支持された。ここで、サンデル博士は、米国人の約三分の二が四年制の学位を持っていないというののだが、全体としてはそうかもしれない。いずれにせよ、この数十年間、民主党は成功と尊敬を得るための主要な道として大学教育に焦点を当てるようになったが、皮肉にもその結果、大卒学位を持つ専門職層の価値観や利益により共鳴するようになり、かつてその基盤であった労働者階級の有権者とは乖離していったというのだ。
このあたりの話は現状説明としては日本人にもわかりやすいが、19世紀後半から20世紀初頭は共和党が労働者の代表と見なされた時代もあり、その後もいろいろややこしい経緯がある。むしろ、サンデル博士が意図的に言及していないのかもしないが、今回の大統領選挙で資金を積み上げていたのは、民主党であり、資金が独り歩きして身動きがとれなくなり、バイデン候補の交換が遅れてしまった。
サンデル博士は、ポスト・ロールズのコミュニタリアニズムを主張することもあり、論点がコミュニティに移っていく。が、それが果たして、大統領選挙との本当に関連するのかは、疑問が残る。
いずれにせよ、サンデル博士よれば、米国は、欧州ほど不平等が深刻ではないという慰めがあったという。アメリカン・ドリームという言葉のように上昇移動の約束があるとされてきた。しかし実態は、現在世界では、世代間の上昇移動は、より平等主義的と言われる欧州諸国の方が米国よりも高い。米国のほうが不平等の拡大と停滞した社会的移動が失望感を生み出している。もはや米国民は懸命に働いても上昇できないと感じ、経済的なフラストレーションと裏切られた感覚を抱くようになったという。
関連してここで興味深かったのは、欧州の多くの国では福祉制度や再分配政策が充実しているため、不平等が緩和され、その結果として、世代間の上昇移動性がアメリカよりも高い傾向があるということだ。そうなのか別データにあたってみると、概ねそのようだった。
米国民の「下層」に生じる不満は、米国市民として人々を結びつける共有スペースや公共機関の喪失に起因しているともサンデル博士は指摘する。例えば、スポーツスタジアムにおける「スカイボックス化」という現象により、裕福な人々はラグジュアリーボックスに座り、他の人々は下のスタンドに座るという分断が生じている。この数十年で広がった不平等は、かつて人々を集めていた公共空間や機関を腐食させ、民主主義に必要な共有された市民生活の感覚を損なっているという。
サンデル博士はここで例示はしていないが、共和党を支えるフンダメ派は巨大商業施設と一体化した巨大教会を持っているが、そうした現代的なコミュニティ再構築は保守派のリニューアルにあるようにも思える。他方、先日亡くなった谷川俊太郎が翻訳していた『ピーナッツ』には、サンデル博士の言う、共通の生活空間と市民が共に生きていることを思い出させるものであった。が、現在、裕福な人々と質素な生活を送る人々は、地域的にも別々の生活を送るようになり、彼らの子供たちは異なる学校に通い、異なる場所で買い物をし、異なる世界に住んでいる。この共通のスペースと交流の喪失が、市民的および国家的なコミュニティの結びつきの崩壊に寄与しているというのは頷ける。日本はどうだろうかとふと思って、いろいろ思うことがあるが、まあ、簡単に言及できそうにない。
隠して、サンデル博士の処方箋は、労働の尊厳に取り組むことであるという。高等教育を成功への唯一の道として強調することにより、「資格主義的な軽蔑」の感覚を生み出し、労働者たちを経済的にも文化的にも疎外してしまった。この動態が経済的および文化的な不満を生み出し、トランプ氏はそれをうまく利用したのに対し、民主党はまだ完全にそれに対処できていない。
リベラルは経済的正義と国家的なコミュニティや誇りの感覚を結びつけるビジョンを示す必要がある。なかなか話がうまいぞ、サンデル博士。とはいえ、それを行うのは、たぶん、共和党のほうだろう。
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