台湾をめぐる有益な膠着維持
台湾海峡を取り巻く緊張は、単なる地域紛争の枠を超えて、日本を含むグローバルな地政学的・経済的影響を持つ重大な国際問題へと発展している。特に注目すべきは、関係国による「曖昧戦略」が織りなす複雑な力学的均衡である。この戦略的曖昧性は、各国が直接的な軍事衝突を回避しながら、自国の利益を最大限確保しようとする現代の安全保障政策の縮図とも言える。
中国の習近平国家主席は、台湾統一を中国共産党の憲法に明記し、2049年までの達成を目標として掲げている。しかし、2024年10月、台湾の頼総統は建国記念日の演説で、台湾は「主権国家」であり、中国が「母国」となることは「絶対に不可能」と明確に述べた。これに対し中国は「Joint Sword-2024B」などの軍事演習で圧力をかけているものの、全面的な軍事行動には踏み切れていない現状がある。その背景を現時点で再考する必要がある。
習近平政権の多重ジレンマ
習近平国家主席は台湾統一を「国家の再興」の本質と位置づけている。しかし、武力による統一は、軍事的、経済的、そして政治的な観点から、予想以上の高いコストを中国に強いる可能性が高い。特に軍事的な観点では、台湾侵攻は第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦を上回る規模の水陸両用作戦を要する。しかも、現代の戦場の透明性の下では、中国軍の現在の水陸両用能力では不十分とされている。台湾の地形は70%が山岳地帯で、限られた上陸適地しかない。また、上陸可能な深水港も限られており、これらの地点は機雷や障害物、対艦砲台によって強固に防御されている。
中国にとって悪夢ともいえる、1979年の中越戦争の教訓がある。この戦争で中国軍は、地形を熟知する決意の固まったベトナム軍との戦いで苦戦を強いられた。台湾も同様に、地形を活かした「ポーキュパイン」あるいは「ハニーバジャー防衛構想」を採用している。これは都市部での持久戦や非対称戦を前提とした抵抗態勢であり、米国から供与された最新鋭のF-16 Block 70戦闘機66機(総額76.9億ドル)や先進的な防空システムによって、その実効性は高まっている。
経済的なリスクも深刻である。2024年の統計によれば、台湾の対中輸出依存度は30.7%に達し、台湾は中国との貿易で817億ドルの黒字を計上している。特に半導体産業では、台湾は世界の先端半導体生産の90%以上を占めており、この供給網の混乱は中国自身の産業発展に致命的な打撃を与えかねない。さらに、中国がロシアがウクライナにおいて仕掛けたような武力侵攻を行った場合、ウクライナに対するロシアへの制裁を上回る厳しい経済制裁に直面する可能性が高い。グローバル経済に深く統合された中国経済は、金融システム、技術輸出、主要産業への制裁によって深刻な打撃を受けることが予想され、現状では、ロシアのプーチン大統領がこの戦争に準備していたような準備が中国ではまた整備されないうえに、新生BRICSのとの高度のな外交戦略も必要になるが、中国はロシアの後塵を拝する状態にあり、「中華民族の偉大な復興」を掲げる習近平としては内政的な威厳が保てない。
中国は台湾に対する軍事的圧力を維持しながらも、実際の武力行使は控えるという微妙なバランスを取らざるを得ない。習近平政権にとって、現在の経済的課題(不動産危機、国内債務問題、一帯一路の停滞)に直面する中で、台湾侵攻による追加的なリスクは避けたいシナリオとなっている。
「戦わずして勝つ」戦略
このような状況下で、中国は伝統的に「戦わずして勝つ」という「三戦」戦略(世論戦、心理戦、法律戦)を展開するほかはない。これは、グレーゾーン作戦を通じて台湾に圧力をかけながら、実際の軍事衝突を避ける戦略である。この戦略の背景には、全面的な軍事衝突のリスクが中国にとって「受け入れがたい」レベルにあるという現実的な判断がある。
米国のシンクタンク戦略国際問題研究所(CSIS)は、台湾侵攻のシナリオを24回にわたってウォーゲーミングで検証したが、その結果、ほとんどのケースで米国、台湾、日本の連合が中国の侵攻を阻止できるという結論に現状、達している。ただし、その代償は全ての当事者たちにとって極めて高いものとなる。中国の軍事戦略家である喬良退役空軍少将も、1999年に発表した著書『超限戦』によるものだが、武力による台湾統一は「コストが高すぎる」と警告している。ただ、現状はそれから四半世紀を経過しており、中国での認識が変化する可能性はある。
曖昧戦略がもたらす有利な膠着状態
このような状況においては、自然的に各国の「曖昧戦略」が意図せざる安定をもたらしている。特に米国の対応は現状では評価できる。米国は台湾関係法、TAIPEI法、国防権限法という重層的な法的フレームワークを基盤に、戦略的曖昧性を進展させつつも維持している。2024年には台湾への11億ドルの防衛支援パッケージを承認し、さらに2025年予算では5億ドルの軍事支援を計画している。これにはHIMAR、ATACM、先進的な防空システム、対艦ミサイル等、台湾の防衛能力を実質的に強化する装備が含まれる。
さらに米国は、フィリピンとの強化防衛協力協定(EDCA)に基づき、既存の5カ所に加えて4カ所の新たな軍事基地の使用権を獲得。これにより、台湾有事の際により迅速な対応が可能となっている。また、東南アジアでの海兵隊のローテーション配備(MRF-SEA)を2025年3月まで延長し、地域での演習と安全保障協力を強化している。
日米豪印の4カ国による「クアッド」や、米英豪の安全保障協定「AUKUS」など、多国間の安全保障協力を強化しつつ、現代の「アナコンダ戦略」も可能であるかもしれない。この戦略は、サイバー戦、非軍事的な情報戦、経済的強制、そして軍事的封鎖などを組み合わせて中国を封じ込めることは有益である。マラッカ海峡など、中国の海上交通路(SLOC)の脆弱性を突く戦略は、中国側の軍事行動を抑制しうる。
かくして中国を含め、各国の「曖昧戦略」は単なる現状維持政策ではなく、積極的な安定化メカニズムとして機能している。中国は軍事的圧力を維持しつつも実際の武力行使は控え、米国は防衛支援と同盟強化を進めながら直接的な軍事介入の可能性は明言しない。台湾は「ハニーバジャー防衛」を整備しながら、独立宣言は避ける。この三すくみの状態は、各国にとってリスクを最小化しながら利益を確保する最適解となっている。習近平政権が「2049年までの統一」を掲げる中で、この戦略的均衡を慎重に維持しつづけることが、中期的には日本を含め地域の平和と安定にとって極めて重要な意義を持っている。
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