エマニュエル・トッドの最新刊『西洋の敗北』
エマニュエル・トッドは、フランスの著名な人類学者であり、歴史学者でもある。現代社会の構造や変化を批評し、西洋社会の未来について深い洞察を提供する、とする彼の著作は、その逆張り的な修辞芸もあって世界各国で常に特定の知的階層において注目と議論を集めてきた。そうした彼の最新著作『西洋の敗北』(ガリマール)が2024年11月8日に文藝春秋から『西洋の敗北 日本と世界に何が起きるのか』として日本でも出版されると聞いた。この作品は、ウクライナ戦争を背景に、西洋諸国の問題点を鋭く指摘しているとのことだ。
当然、『西洋の敗北』の日本語版は未読だが、内容はすでに、ウクライナ戦争とそれに伴う西側諸国の状況について深く考察した作品として紹介され、特に、米国や欧州の外交政策に対する批判は一定層の読者の関心を引いている。オリジナルのフランス国のみならず他の国でも、イタリアでも注目を集めている。
イタリア語版出版を記念したインタビュー
というわけで、エマニュエル・トッドのこの作品のイタリア語版の出版を記念して、ボローニャとその周辺地域に特化したニュースを提供するローカル紙 Corriere di Bologna に彼のインタビュー記事が掲載されていた。このインタビューは、トッドの最新刊のプロモーションを兼ねて行われたものであり、彼の考えを広く紹介する興味深い内容となっているので、ようするに手っ取り早く、新刊『西洋の敗北』の内容を知るのに簡便だろうとブロガーは目星をつけてみたわけである。
このインタビューでトッドは、ウクライナ戦争と西側諸国の状況について議論し、米国や欧州の外交政策の問題点を、いつもながらではあるが、新たな古典芸能のような修辞で指摘している。彼は、自らの立場を「親露」とみなす批判に反論しながら、自身の考えに基づく多くの主張を展開している。とま、私は、実は、エマニュエル・トッドの論調は好きではないのだが、今回のこの貴重には同意し、ゆえに関心をもっているのである。「もしロシアがウクライナで敗北すれば、ヨーロッパのアメリカに対する従属は一世紀にわたって続くことになるだろう。私が信じているように、米国が敗北すれば、NATOは崩壊し、ヨーロッパは自由になるだろう」というのも、洒落た皮肉以上のものがある。また、「プーチン政権は西欧をまで軍事攻撃することには消極的である」という指摘も同意できる。「ロシア国家は、すでに領土を占領するのに苦労している。共産主義以前のロシアの国境が再構築されれば、ロシアには拡大する手段も意欲もなくなるだろう」というのもそのとおりだろう。日本のNHKはウクライナの戦争ついて、その領土変化的な表示によって、さもウクライナの防衛を評価しているように見せかけているが、そもそもロシアがノヴォロシアを超える気はなく、むしろ、ウクライナはNATOを引きずり込むために、ロシアを引き込もうとしているかにも見える。
インタビューでトッドはまず、米国の軍事産業がウクライナに対して必要な装備を十分に供給できていない現状に触れ、これが欧米諸国の政策の欠陥を象徴していると述べている。ウクライナ軍が現状、兵力(特に兵士補充)を維持するのに苦労しているのは、米国からの支援が十分でないためであり、こうしたことで、ウクライナ戦争は西側諸国の外交および軍事的失敗を露呈させたというのだ。この点について私は異論があるが、先に進もう。彼は経済制裁の影響についても言及し、ロシアに対する制裁が逆効果となり、結果的に欧州経済の方がより大きな打撃を受けたことを強調している。この点は、私も同意できる。というか、ドルを抱え込んでいる日本にとって厄介な世界になったなと危惧している。
ニヒリズムと宗教的衰退の問題
トッドによれば、ウクライナ戦争支援のための西側の経済制裁によって、まず彼の自国であるフランスの政治的安定がロシアよりも脅かされていると述べ、さらに経済制裁は欧州全体に不利益をもたらしたと主張している。他方、ロシア経済の再構築が成功している理由として、ロシアには多くの技術者が存在し、米国の同盟国でない国々がロシアとの取引を続けた点を挙げている。このため、ロシアは経済的な回復を遂げることができ、西洋の制裁政策が効果を上げていないとトッドは分析している。まあ、この点も私には異論があり、西側経済制裁がロシアに効かない最大の理由は、通過とエネルギーのブロック経済化にあると見ている。まあ、いいや、先。
トッドの議論は、この先、「ニヒリズム」と「宗教的な衰退」に及ぶ。彼によれば、欧州における宗教的な信念や社会的・道徳的規範が失われた結果、「ニヒリズム」が広がり、人間の存在意義に対する不安が増大していると述べている。この「ニヒリズム」の広がりが、空虚さを神聖視し、破壊衝動を引き起こす傾向に繋がっていると彼は警告している。その一例としてトランスジェンダーに関するイデオロギーを挙げ、トッドはこれを「虚偽の宣言」と位置づけている。まいどながら大げさな話だなと私は思うが、このインタビューであれれ?と思ったのは、彼は、生物学的な性の変化は不可能であり、科学と教会がこの点で一致していると述べている点だ。イタリアの文化風土にリップサービスでもしたのだろうか。もっtも、彼はトランスジェンダーの人々を保護する必要があるとも主張しており、性的嗜好に関する問題に関しては理解と支持を示している。
文明論大好きのトッドはまた、欧州が米国に西洋の代表を委ねてしまった結果、米国への依存が深まり、その代償を欧州が払う羽目になっていると言う。特に、ウクライナ紛争において米国がロシアとドイツの接近を阻止するために積極的に介入したことが、欧州の分裂を招いたと分析している。彼は、米国がノルドストリームのガスパイプラインを破壊を許し、これによってドイツとロシアの経済的連携を妨げた点を強調する。これが米国の欧州に対する影響力を維持するための重要な行動であったとも見ている。それはそうかもしれない。
ウクライナ戦争の歴史的背景と社会的影響
トッドは歴史家の看板も掲げていることもあり、ウクライナ戦争の背景にある歴史的要因についても言及している。彼によれば、ウクライナとロシアの関係は歴史的に深く結びついており、その複雑な関係が今回の紛争の根本的な原因であると、まあ、誰が考えてもそうだろうというのを真顔で分析している。トッドは、ウクライナの地政学的重要性が米国にとっての戦略的価値を高めており、それがこの地域における対立を激化させた要因の一つであると指摘している。が、どうだろうか。米国がウクライナをNATOに引き込もうとする動きがロシアにとっての脅威と受け取られたことが、今回の紛争を避けられないものにしたと述べているのは、日本のノータリン系YouTuberっぽい印象があるな。
トッドは欧州人でもあり、同書が基本的に欧州向けに書かれているせいだろうが、フランスやドイツなどの欧州諸国が米国の対ロシア政策に従うことで、自国の利益を損なっている点について強調している。欧州諸国が独自の外交路線を失い、米国の利益に従属している現状をことさらにトッドは嘆き、これが欧州全体の政治的・経済的な安定を脅かしていると嘆いてみせる。フランスの政治的不安定が経済制裁の影響によって悪化していることに触れ、欧州のリーダーシップが問われているもと述べている。なんか、日本の野党受けみたいなこうした議論が、私があまりエマニュエル・トッドが好きでない理由だなと思い出す。
トッドによれば、ウクライナ戦争は欧州社会における分断と不信を助長していると警告し、特に中産階級の間での不満が高めている。経済的な困難が拡大する中で、欧州の政治的極端化やポピュリズムの台頭が今後ますます深刻になる可能性を示唆している。が、それはすでに顕在化していわけで、執筆時間を現実がさらっと追い越したのだろう。
欧州における宗教の役割
トッドは欧州における宗教の役割についても再評価を求めているが、こうした宗教の視点は日本人には、多少意外感がある。彼は、宗教的な価値観の喪失が社会の結束力を弱め、ニヒリズムの蔓延を招いていると述べ、彼は宗教が持つ社会的・文化的な役割を見直し、社会の再生における重要な要素として再評価する必要があると主張している。そこはどうなんだろうと思うが、つまるところ西側民主党社会というのは、独自の市民宗教が基底にあると考えれば、整合的であり、頷けるところでもある。
ロシアの政治体制ついて、トッドは「権威主義的な民主主義」と呼び、対して欧州の多くの国々を「自由主義的寡頭制」と位置づけている。彼はこの点正直で、フランスで生まれ育った知識階級の一員として、自由主義的寡頭制の中で生活することに特に問題を感じていないと述べているが、米国については、「ニヒリズム」の道を進んでいる指摘する。彼がもし政治的難民になった場合、米国ではなく「すべてが美しいイタリアに行くか、国の一部でフランス語が話されるスイスに行く」と語り、文化的な保守性とフランスへの愛情を強調している。まあ、それ以前に文化的な志向は生活様式にも及ぶものだ。
トッドは、自身の立場を問われ、ロシアを支持する立場ではなく、西洋諸国がどのようにしてウクライナ戦争を引き起こし、最終的にその戦争に敗北したのかを理解しようとしているのだと言う。ロシアの指導者たちの論理を理解しているとも主張する。曰く「私はプーチン大統領とラブロフ氏の文書を読み、彼らの目標と論理を理解していると思う」と。西洋のリーダーたちがもっと研究者の意見に耳を傾けていれば、今日のような事態には至らなかったのではないか、と。それはそうだろう。『進撃の巨人』のコミックやアニメの理解者も、当然、そう思うだろうと思っていたんだがな。
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