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2024.10.12

核兵器廃絶運動の課題

 2024年のノーベル平和賞は日本の核兵器廃絶運動に大きな希望の光を当てた。しかし、その栄誉が果たして現実に即したものであるかどうかについては、疑問の声も上がっている。核兵器廃絶は確かに人類の理想であり達成すべき目標であるが、その過程において様々な団体がそれぞれの立場を持ち、運動はしばしば分裂と対立に満ちた歴史があったことは、現在日本では忘却されやすい。この背景には、国際政治の複雑な駆け引きや核抑止力に対する日本国内の多様な見解が存在する。

核兵器廃絶運動の歴史
 核兵器廃絶運動は1954年の第五福竜丸事件を契機に始まった。米国のビキニ環礁での水爆実験により被曝したこの事件は、日本国内における反核の機運を高めうことになった。1955年には「原水爆禁止世界大会」が広島で開催され、翌年には「日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)」が結成された。被団協は、広島・長崎の被爆者を中心に結成され、核兵器廃絶を訴える運動を全国的に展開した。
 一方で、1955年に設立された「原水爆禁止日本協議会(原水協)」は、当初は超党派的な運動として始まったものの、冷戦の影響を受けて次第に日本共産党系の影響を強く受けるようになった。1961年、ソ連の核実験再開を巡って原水協内での対立が激化し、結果、1965年には「原水爆禁止日本国民会議(原水禁)」が原水協から分裂する形で設立された。
 1961年には「核兵器廃絶・平和建設国民会議(核禁会議)」が設立された。核禁会議は、民社党や自民党系の影響を受け、他の反核団体と異なり、原子力の平和利用を肯定する立場を取っている。この立場の違いが他の団体との対立を引き起こし、反核運動は一枚岩ではないことを示している。というか、自民党の政策のための支援的な組織でもあり、あたかも各種核廃絶運動のおける軋轢のため作り出された印象もある。
 これらの団体の設立と分裂は、日本の反核運動が単なる平和主義のスローガンにとどまらず、政治的・社会的な背景を持つことを示している。各団体は、それぞれの信念に基づいて核兵器廃絶を訴える一方で、冷戦下の国際政治の影響を受けて、核保有国との関係性や各政党の思惑に応じて立場を変えざるを得なかった。例えば、ソ連や中国に対して一定の理解を示す一方で、米国の核政策に対しては批判的な姿勢を取るなど、各団体は国際的な政治圧力に対応しながら複雑な立場を取っていた。冷戦構造の中で、各国の核政策に対する態度が団体間の対立を深め、日本国内での反核運動の統一を困難にした。そして、現在の日本の政治状況は、冷戦期の昭和の時代のような陳腐な対立構造に戻りつつある。

各団体の特性と分裂の背景
 被団協は超党派的な立場から核兵器廃絶を目指し、「いかなる国の核兵器にも反対」という一貫した立場を持つ団体である。その設立の背景には、被爆者自身が核兵器の非人道性を訴えることで、核兵器廃絶への国際的な理解を深めようとする意図があったが、原水協や原水禁などの他団体と異なり、被団協は特定の政党の影響を受けないことを強調しており、この点で他団体とに暗黙の距離があるようだ。
 原水協は、日本共産党系の影響を受け、冷戦期にはソ連や中国の核実験を「防衛的」として擁護する立場を取ったため、他の団体との対立が生まれた。特に1961年のソ連の核実験再開に際して、原水協内部での意見対立が顕著となり、結果的に原水禁の分裂を招いた。原水禁は核兵器反対立場を反安保・反米基地闘争とも結びつけた活動を展開していた。現在、当時の活動の中心にあった人々の後期高齢者になってからの運動の活発化にも目を見張るものがある。
 核禁会議は、原子力の平和利用を肯定する立場を取っており、これが原水禁や被団協との対立の原因となっている。また、核禁会議は米国の核抑止力を支持しており、日米安保条約の存在を容認している。

核兵器廃絶の実現可能性
 被団協や原水禁が掲げる「いかなる国の核兵器にも反対」という立場は、高潔な理念であるが、国際的な安全保障体制の中でどのように実現可能なのだろうか。現実的には、核兵器を保有する国々が核抑止力を安全保障の柱としており、その放棄が国家安全保障に与えるリスクをどう克服するかが問題である。ウクライナのようにNATOによる核の傘を渇望している国もあり、これに対抗してロシアはベラルーシに明瞭な核の傘を提供するようになった。
 核拡散防止条約(NPT)の限界や、核保有国と非核保有国の間の信頼関係の欠如など、国際的な協力体制の不足も大きな障壁となっている。現実的には、日本が米国の核の傘から脱却するためには、国際的な合意形成や安全保障体制の再構築が必要であるが、そのための具体的な議論はほとんど進んでいない。たとえば、日本が核の傘を放棄した場合の防衛力強化の具体策や、周辺諸国との信頼醸成措置、核抑止力の代替となる非核安全保障体制の構築などについての議論は欠けている。核の傘をなくすことで日本の安全保障がどのように影響を受けるかについても、具体的な代替策が示されていない。単に理念を掲げるだけでは、現実対応においては不十分であると言わざるをえないが、厄介なことに、日本国民の多数の意思は米国の核の傘を是認しつつも、それを議論にすることを好まない現状にある。
 核兵器廃絶を実現するには、国際的な協力と信頼関係の構築が不可欠である。核兵器保有国が自国の安全保障を理由に核兵器を保持し続ける中で、どのようにして核廃絶に向けた具体的な行動を促すか。国際的な核軍縮条約の強化や、新たな枠組みの構築が求められているが、核保有国がこれに応じる可能性は低い。日本が米国の核の傘から脱却し、核兵器廃絶に向けたリーダーシップを発揮したいのなら、複合的に他国との協調と安全保障の再構築が不可欠であるが、日本は隣国のロシアとも平和条約が締結されていないし、その方向性が問われることもなさそうな空気である。

核兵器保有国の対応と国際的な圧力
 核兵器廃絶を目指す運動の中で、米国やロシア、中国といった核保有国に対する圧力の強化が求められているが、これらの国々は核兵器を国家の防衛手段として位置づけており、その放棄に向けた国際的な圧力はほとんど効果を上げていない。ウクライナ戦争やガザ紛争の激化においても、国際社会の声は核保有国に対して無力であり、ノーベル平和賞がそうした国々に対して影響力を発揮することも、ほとんどないかもしれない。むしろ、平和賞の授与は各団体の倫理的な優越感を支援するにとどまり、現実的な解決策を提示するには至っていないようにも見えるが、それこそが、核兵器廃絶運動の歴史的なある収束点なのかもしれない。
 核保有国に対する国際的な圧力を強化するのであれば、単なる道徳的な訴えにとどまらず、具体的な経済的・政治的手段が必要となる。たとえば、核保有国に対する経済制裁や外交的孤立化、国際的な軍事同盟の見直しなどが考えられる。しかし、これには多くの困難が伴う以前に、近年状況が大きく変化してしまった。核保有国に対する経済制裁や外交的孤立化を図ることで核兵器の削減を促すことは理論的には可能であるかのようだったが、現実には多くの国々が核保有国との経済的・軍事的な関係を維持しているため、こうした措置は実行に移されにくい。実際、ウクライナの戦争では、西側諸国が最大限の圧力をロシアにかけたものの実効性はないどころか、ロシアを実質支援する社会的な枠組みが形成されつつある。

米国の核の傘からの脱却は可能か
 各種の矛盾の根は、日本が米国の核抑止に依存している現状を脱却することは可能なのかという問題にある。これに対して反核団体の多くは核の傘からの脱却を主張しているが、それが現実的にどのように実現されるのかは不透明であるというか、そもそも、まとまってもいない。核の傘を失った場合、日本は防衛面で脆弱になる可能性があり、その代替手段として何を採用するのかという議論は、あたかも意図的に看過されているかのようだ。
 米国の核の傘から脱却することは、単に日本の防衛政策を変えるだけでなく、東アジア全体の安全保障バランスにも大きな影響を与えることになる。中国や北朝鮮といった近隣諸国が核兵器を保持している中で、日本が核抑止力を放棄することは、地域の安定にどのような影響を及ぼすのかについても慎重な検討が必要であるはずだ、多分。軍事的に空白が生じればそこに何が埋まるかについては、近年の経緯からも明らかである。

核兵器と原子力発電の関連
 核兵器廃絶の問題と原子力発電とに関連は理念的にはないはずであるが、原子力発電は核兵器開発に転用される可能性があるためか、現実には関連した問題として存在している。自民党系の核禁会議が原子力の平和利用を容認する立場を取っている一方で、脱原発を掲げる原水禁のような団体も存在する。この二極の立場の違いが、核兵器廃絶運動に対しても複雑な影響を与えている。エネルギー安全保障と核兵器廃絶のバランスをどのように取るべきかという議論はどのように推進したらよいのか。福島第一原発事故以降、原発に対する国民の不信感が高まる中で、原発の平和利用は重要な課題であるべきだった。

 

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