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2024.04.01

現代に蘇る『源氏物語』

 久しぶりのブログという感じになってしまい、近況というのもなんだが、今年のNHK大河ドラマ『光る君へ』を楽しく見ている。藤原道長と紫式部の若き日の秘められた恋といった、ラノベ(ライトノベル)のような展開も面白いが、そこここに『大鏡』や『小右記』などからの史実に『蜻蛉日記』をまぜたりするのも楽しい。これからは『御堂関白記』や『枕草子』もまぜていくだろうと期待が高まる。『源氏物語』を仄めかす趣向も楽しい。『光る君へ』というタイトル自体この趣きもある。今回の大河ドラマを好むのは私だけではなく、令和六年の『源氏物語』ブームといった印象も受ける。が、この『源氏物語』、一千年も昔の物語の反面、現代の反映もあることも興味深い。連想される一番大きな話題は、五年ほど前に発見された写本である。この後続の話はなお興味深い。
 発端は五年前、三河吉田藩主・大河内松平家の子孫の実家に源氏物語を書写した写本があるとして、同家の茶道具鑑定のついで鑑定したことだった。結果、どうやら藤原定家自身による写本の可能性があり、定家の子孫でもあり膨大な古典を蔵し守っている冷泉家に鑑定を依頼したところ、真正ということがわかり、大発見のニュースになった。
 源氏物語は60帖(従来は54説が主流だった)からなるが、紫式部の自筆によるものは存在していない。書写された写本があるだけで、そのなかで、藤原定家によるものが最古と見なされている。青みがった表紙から青表紙本と呼ばれ、今回の大発見までに4帖の写本が確認され、国の重要文化財に指定されている。これに今回の写本「若紫」が加わる。なお、定家の青表紙本が源氏物語の主流となったのは昭和に入ってからで、それ以前は、河内本という写本が主流だった。写本の発見によって古典というものはまた変わっていくものであり、また新しい変化を遂げることになるだろう。
 その意味で、『源氏物語』は常に新しくなるために、古い写本が探索されているのだが、この松平家の第発見の陰で茶道具を包んでいた反故紙や裏白紙に何か書写されていたことは話題にならなかった。この時点では、『松浦宮物語』(まつらのみやものがたり)の断片ではないかという疑いは持たれてはいた。同物語は、『無名草子』に「定家少将の作りたるとてあまた侍るめるは、ましてただ気色ばかりにて、むげにまことなきものどもに侍るなるべし。松浦の宮とかや」と記されているように、若い時代の定家が源氏物語に影響された創作とも見られている。また同様に源氏物語の原形と言われる『宇津保物語』の断片と思われる紙片もあったが、いずれも現存しない部分でもあり、書写された年代も不明であった。しかし、今年に入って、源氏物語研究者の杉安佐子教授(京都先端人文科学)は『源氏物語』の未伝承の『輝く日の宮』の断片ではないかと、現状は口頭ではあるが(学会後の談話)、示唆していた。源氏物語を通読した人であれば誰でも関心を持つだろう。
 そもそも、「桐壺」から「帚木」を読むに際し、どうにも物語がつながっていないような違和感を誰もが感じる。明治時代の哲学者・和辻哲郎はこの素朴な疑問が重要だとして、源氏物語は二系統の物語が合成されているのではないかという仮説を出し、また「桐壺」と「帚木」の間に別の巻があっただろうと想定した。現在では、この二系統の考えかたは、a系、b系として源氏物語学の定説となっている。a系では「桐壺」が最初に来てこれに、今回新写本も見つかった「若紫」が続き、これに「紅葉賀」が続く。他方、b系では「帚木」「空蝉」「夕顔」「末摘花」と続く。
 それでもa系の「桐壺」はおそらく後から前日譚として追加されたものだろうから、実際には「若紫」が物語の始まりということになるのだが、そう考えるとなおさら、「若紫」以前の物語の存在を仮定しないと物語として不合理になる。この疑問は、a系、b系という仮説以前に古来からあり、巻も想定されていた。この未発見の巻の話題には、光源氏が最初の女性として六条御息所と関係を持つこと、そしてその延長として、藤壺の関係があるはずだ。この二人との関係の順序は逆であるかもしれないが、さらに朝顔の斎院の話題も含まれているだろう。b系についても、御息所と藤壺の関係は「上品」であり、ゆえに「中品」を扱う「帚木」ともつながりがよくなる。
 この未伝承巻の巻名は「輝く日の宮」と伝承されて、定家自身も「一説に巻第二、かかやく日の宮」と『奥入』の「空蝉」の巻で注記している。これにさらに、「このまきもとよりなし」とも記され、従来の源氏物語研究家は、「もとより」を「元来存在していない」か「定家が未入手であったか」のいずれかと考察してきた。こうしたことからわかるように、定家自身が「輝く日の宮」の遡及を試みていたとも考えられる。大発見の裏で見つかった断片は、定家による遡及過程あるいは遡及的創作の一部であるかもしれない。なかでも、断片中の「恋わびて恨む涙は荒波の袖打ち振りし心しきりや、うちずんじつつ、入たもうに、女、嗄れたる声に、御物忌にはべれば、この二十日の夜深く渡り給へ」については、光源氏と藤壺の出会いを示しているだろうと杉安教授は想定している。
 それにしてもなぜ「輝く日の宮」の巻はこれまで未伝承だったのだろうか。少なくとも定家の時代ですらまとまった形では未伝承であったようだ。このことについて、杉安教授は、「道長が、一度公開はされたものの破棄を命じたのかもしない」と述べていた。「輝く日の宮」の巻の全貌はまだ再現されていないが、もし道長の思惑が反映しているなら、紫式部と道長の関係にも関係しているに違いなく、今回のNHK『光る君へ』でのそのシーンが含まれるかもしれない。

 

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