[書評] ケマル・アタチュルク (小笠原弘幸)
中公新書の新刊とされている『ケマル・アタチュルク』の表紙を見たとき、ほんの数秒だが、私にはちょっとした混乱があった。「あれ?改版したのかな」と勘違いしたのである。「ケマル・アタチュルク」という表題のインパクトが強く、その上部に記されている著者の小笠原弘幸氏の名前にふとした失念があった。が、すぐに、「ああ、『オスマン帝国』の小笠原さんか」と思い出しつつ、本書を開いた。
冒頭、「トルコ共和国の首都、アンカラ。その丘のひとつに建立された、巨大な廟がある。」と読むや、私も見た、壮大なアタチュルク廟の思い出が蘇った。
本書を見たときの、この、自分の、わずかだが、混乱の理由は、「すでに中公新書には大島直政氏の『ケマル・パシャ伝』があるではないか?」と連想したからである。勘違いである。それは新潮選書であり、大島直政氏の中公新書の書籍は『遠くて近い国 トルコ』である。この新書は1968年の刊と古く、先の新潮選書は1984年の刊であり、こちらは初版で読んだことを思い出した。
私は少年時代からトルコが大好きでこの手の本があれば貪るように読んだ。そして、そうした少年らしいトルコへの憧れに対して、大島直政氏はそれを満たすようにトルコへの賛美とアタチュルクの賛美の書籍を著していた、ように思われた。そもそも「アタチュルク」という言葉自体に甘美な響きがある。本書にも記されているように「トルコの国父」である。
しかし、大島氏の著作への批判ではないが、今の時代は、もうアタチュルク幻想の時代ではないし、やや勇み足で言うことになるが、エルドアン時代の現代のトルコを理解するためには(アタチュルク像が現代トルコで大きなゆらぎがあるのだから)、学問的に裏付けられたアタチュルク像についての一般書は不可欠であろう。本書は、現代世界の状況の要であるトルコという国の原点を知るヒントになるはずである。そして読後、少なくとも私はそれに確信を持った。また、トルコという国を理解するうえでも読みやすい入門書になるだろうとも思った。
本書は、他の中公新書もそうであるが、いい意味での教養主義的な新書であり、その点で慣れた読者には比較的読みやすい。が、おそらく、高校の世界史の範囲の前提知識ではやや取り組みにくいかもしれない。完結にまとまった序章ではあるが、やや読みづらさを感じたら、第一章の「ケマルという少年」から読み始めるとよいだろう。ここは平明な伝記として描かれているからだ。とはいえ、序章は、第二章以降の歴史解説の前提になるので、本書に馴染んだら、序章もしっかり読んでおく必要はある。
さて、その第一章「ケマルという少年」の冒頭だが、私のような読者を酔わせる美文である。
《サロニカという町
エーゲ海北岸の港町、サロニカ。
現在はギリシア領であり、テッサロニキと呼ばれている。しかし歴史的には、長らくサロニカ(サローニク)の名前が用いられてきたため、本書でもそう呼ぶことにしよう。かつて世界を席巻したアレクサンドロス大王の生地は、この近郊である。》
私はここでサロニカ(聖書ではテサロニキ)のテルマイコス湾沿いの白い塔を思い出す。また「アレクサンドロス大王の生地」とされているペラの茫漠たる風景を思い出す。ギリシアやマケドニアといった雰囲気がそこには漂っていた。が、だからこそ、本書に説明されるように、ケマル・アタチュルクことムスタファ・ケマルがこの地で生まれたことには、当初、奇妙な印象をもっていた。そこはギリシアだろう、と。トルコの国父の生地は、今はギリシアなのである。しかし、この食い違いのような事態そのものが、ギリシアとトルコの歴史そのものの複雑さの一端でもある。余談だが、本書は、「イスタンブール」という表記ではなく、「イスタンブル」と記載されているのも心地よい。
本書のケマルの伝記は、若き頃の文才への言及も含め、過不足ない印象を受ける。歴史的には、第二章の青年トルコ革命がリビアとの関連から、興味深い。ケマルの活動は、第一次世界大戦とロシア革命を挟むが、とくに第一次世界大戦というものの内実は、トルコの側から見るとその詳細が見える。そもそも、セーブル条約に代表されるように第一次世界大戦とはトルコの崩壊でもあったと言えるだろう。これらは現代に各種の大きな傷跡のようなものを残している。例えば、本書のアルメニアの言及も興味深かったが、今日問題となっている当時の虐殺問題への具体的な言及がなかったように思われた。すべてを記すわけにもいかないし、しかたないかなとは思ったが。
トルコ建国後のケマルの話題は、第四章にまとめられているが、現代のトルコを理解する上では、ここにはもう少し厚みがあってもよかっただろう。ケマル主義(ケマリズム)や「公的歴史」やトルコ言語学会などへの言及はあるが、小島剛一氏が1991年刊行の中公新書『トルコのもう一つの顔』で衝撃的に報告した事態への、その後の歴史的な評価などもほしいところだった。この問題は極めて複雑に現在のクルド問題に関連しているからである。
終章は「アタチュルクの遺産」として簡素にその要点がまとめられているが、この部分では、なるほどアタチュルクの生涯を逸脱するものであるが、軍部と朝鮮戦争の関連などがどのようにトルコ内の西欧主義と土着主義の分断を招いていたか、さらにいえば、EUの矛盾したかつ陰湿な制作などについても、言及がほしいところだ。もちろん、それもまた別のテーマであるのかもしれない。
本書のアタチュルク像は、大島直政氏のそれとは異なり、日本の近代化との対比的な視点は除かれている。それは当然ともいえるのだが、トルコの近代化とはなにかという視点においては、広義に日本の近代化を包括する部分もあるだろう。「アジア」は単純に西欧化したわけではない。世界はどのように近代化するのか。そこにトルコの近代化と日本の近代化、そして両国の共通点から示唆される部分は大きい。さらに、その問いは、現時点では、ウクライナの戦争やガザでの紛争を、どちらかといえば冷ややかに見つめる非欧米諸国の生成とも関わりを持つものだろう。
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