書評: オペラ入門(許 光俊)
講談社現代新書「オペラ入門」は、独特なオペラ愛あふれる許氏の個性的なというか許節の評価が盛り込まれたオペラ入門書である。本書は、入門書よろしく、一般的なオペラの歴史をたどることに加え、オペラと聞けば思い浮かぶ数多くの作曲家に触れることで、オペラの世界の広さを示す方向性で書かれている。叙述も、オーソドックスに歴史的な時系列をたどっているため、オペラ発祥のモンテベルディから現代に至るまでのオペラの歴史を学ぶことができるし、このあたりの説明はさすがに音楽の専門家だという知識から学ぶことは多い。
歴史学的な視点も取られ、音楽、オペラの貴族階級の玩具から新興ブルジョア階級へのアクセサリーへの変質がたどられ、オペラがどのようにして現代に至ったかも理解することができる。オペラは、時代の移り変わりに合わせて変化した。18世紀にはオペラが貴族階級の娯楽として愛され、19世紀にはブルジョア階級にも広がった。20世紀には新しい音楽ジャンルであるかのように批評を内包するように変化した。
本書はオペラの魅力について詳しく、その魅力強調ゆえの主観的修辞に溢れて、解説している。オペラは、その豊かな音楽、壮大な舞台装置、豪華な衣装、そして感情的な物語によって、観客は没入感を得ることができるものだ。また、オペラには様々なジャンルがあり、喜劇的な作品から悲劇的な作品まで、多様な魅力がある。
本書は、グランドオペラ、オペレッタなど各種の様式に加え、教科書などよく知らえたブリテンの重要な側面や、『浜辺のアインシュタイン』のグラス、『中国のニクソン』のジョン・アダムスまでも様々な作曲家が取り上げられている。これらの多様な作品に触れることで、オペラの世界の、やや意外な広がりも感じることができる。また、許氏の個人的な思い入れが書き込まれている部分も多く、一般的に知られる古典的なオペラ作品に対する評価が辛辣な一方で、現代オペラに対する深い理解も示している。
本書には、まあ、当然といえば当然だろうが、日本におけるオペラ受容の局面は省かれているため、それについての議論が欠けていると感じるかもしれない。草の根のオペラ活動や、各種の日本語の『源氏物語』オペラなど。これらを論じる許氏の修辞も楽しみたいものではあるが、それでもせめて、新国立劇場の紹介など、少しでも補足してほしかった。頑張ってるしな。
本書は入門書として企画されたせいか、許氏特有の悪の強さはだいぶ緩和され、微妙なオブラートにつつまれている。とはいえ、後半には「許」節が色濃くなる。つまるところ、「最後に」はその許節の凝縮された部分でもあり、本書の核心であると言える。この許節が日本の一部のクラシックファンには癇に障るのかもしれないが、彼の個性的な評価は彼のオペラ愛から生まれているものであり、彼ならではの芸風だろう。個人的には、ロマン志向の中二病的なものかもしれないなあ、とも思うが、それこそまさにオペラ愛であろう。
現代オペラへの洞察が優れている許氏ではあるが、本書を通して、古典派のオペラから現代オペラに至るまでの様々な作品を取り上げ、その背景や特徴を比較的、学校の教科書風にも解説している。特に、現代オペラについては、先に触れた、アダムスやグラスなどの革新的な要素について言及しながらも、従来のオペラの伝統を大切にしながら新しい表現方法を模索する作曲家たちの取り組みも紹介している。一般常識の範囲では、作曲家の生涯やその時代背景などを詳しく説明することで、作品の理解を深めるためのヒントが得られるものだ。特に、ワーグナー、ヴェルディ、プッチーニについては、彼らの作品とともに、彼らの人生や時代背景を紹介することで、作品の背景や意図を理解できる。
ワーグナーは、19世紀ドイツの音楽界における最も著名な作曲家の一人である。彼の作品は、現代の多くの音楽愛好家に愛されているだけでなく、彼自身がドイツのナショナリズムを強く意識していたことから、ドイツ音楽に大きな影響を与えたと言える。が、しかし、許氏は、彼の作品に対してけっこう批判的な見方を示しており、ユダヤ人差別的な思想を持っていたことなども指摘している。また、ワーグナーの最大のオペラというか楽劇『ニーベルングの指環』は、その壮大なスケールや物語性から、今でもよく上演されているにも関わらず、本書ではかなりアイロニカルな軽視を受けている。対して許氏は、ワーグナーの初期作品を高く評価するのだが、これがけっこう納得、共感できるところが、「してやられたなあ」感の愉悦がある。まあ、トリスタン和音から現代音楽への系譜など丁寧に論じてほしかった。
ヴェルディは許氏をもってしても欠かせない。彼は19世紀のオペラ作曲家で、その作品は今でも多くのオペラ愛好家に愛されている、どころではない。『椿姫』や『リゴレット』なども、オペラ史上不朽の名作だろう。が、許氏は、彼の作品の中には劣化した作品があると指摘する。これは辛辣というよりけっこう鋭い指摘である。それにより、むしろヴェルディの作品をより深く理解し、客観的に評価するための重要な手がかりを提供している。例えば、ヴェルディ作品には当時の社会情勢に合わせた妥協点が多く見られることがある。これらの妥協点が、その後のオペラ作品にも影響を与えたと考えらるし、こうした傾向自体がオペラ全体の方向性を与えた。政治的信念のオペラへの反映は単純な構成を招きやすい。ヴェルディに戻れば、彼はタリアの統一運動に熱心に参加し、その思想が彼の作品にも色濃く反映されているが、これをオペラの情熱としてよいものかは、本書は再考の機会を与える。
本書でヴェルディに対比されるのはプッチーニである。彼は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍したイタリアの作曲家であり、その作品は今でも多くのオペラ愛好家に愛されている。数多くのオペラ作品を残し、その中でも『トスカ』『蝶々夫人』『ボエーム』などは金字塔と言っていい。許氏は、こうしたプッチーニの作品について、しかし、総じて軽薄であり、現代オペラにつながる革新的な要素を欠いていることを指摘している。他方で、彼の作品には、人間の心情描写に深みがあり、感情移入しやすく、観客の共感を得やすいという特徴があるとしている。ぶっちゃけ、許氏はプッチーニに酔う、凡庸なオペラ愛好家の自分もアイロニカルに許容しているのであろう。
オペラ作品を楽しむ上で欠かせないのが、オーケストラであり、劇場である。こうした部分の批評はさすがに許氏を超える批評家は日本にはいないのではないかとも思うが、考えてみれば、欧米におけるオペラ批評では当然にして凡庸な部類なのかもしれない。いや、こういう言い方には棘があるが、許氏の現代オペラの社会批評的な側面と、有名劇場の最高のオペラ講演への高い評価には、けっこう本質的な矛盾が存在しているように思えてならない。
いずれにしても、許氏の『オペラ入門』は、感情を揺さぶられる。これこそがオペラ入門という他はない。
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