書評:『藤原定家 『明月記』の世界』(村井康彦)
岩波新書『藤原定家 『明月記』の世界』は、藤原定家という文学的な偉人の内情に加え、鎌倉時代初期の貴族の生活を知るための貴重な史料である日記、『明月記』を詳細に読み解き、その日常が明らかにされた書籍である。史的な背景を補うことで生身の藤原定家の姿が浮かび上がる中、貴族社会における公務の心労や人間関係の軋轢、家長としての重圧と苦悩、息子たちへの思いなど、複雑な人間関係や思いが織り交ぜられていて、小説を読むような面白さがある。
定家の宮廷公務の心労
日記である『明月記』には、定家の宮廷での公務に対する心労が多く記されている。さらに宮廷での公務だけでなく、私的な行事にも定家という人はやたらと多忙であり、あたかも自分で作り出したその多忙さに悩まされることが多かったようだ。例えば、「今日は朝から夕刻まで、御所におりて、御前に供奉しけるに、申し上げたる処、聞き取れず、返答に悩み、心労甚だしく候」(『明月記』延慶元年11月25日条)といった記述が見られるが、現代のサラリーマンの心情にも繋がる。こうした宮廷での公務による心労が生涯にわたって続いている。
個性的な女性たち
藤原定家を巡る女性たちには、意外なほど個性的な人々が登場する。例えば、定家の姉である健御前に関する記述が詳しい。彼女は、宮廷の女性たちの中でも特に有名で、その美貌と才能は当時の人々から称賛されていた。また、定家の妻である小督局や、息子・為家の妻である貞子局なども、定家の日記に登場する個性的な女性たちの一人である。彼女たちの生き様や思いが、定家の日常に深く関わっていたことがうかがえるとともに、女性としての行き方の情感は胸打たれる。
為家から定家を巡る伝統
定家の嫡子・為家に関する記述も、『藤原定家 『明月記』の世界』から詳しくうかがえる。為家は、定家の長男であり、定家の後継者として育てられたが、定家との行き違いや、為家と光家との微妙な関係など、複雑な家庭事情が描かれている。いずれにせよ、この為家から定家を巡る伝統が生まれ、後世に伝えられるのである。
貴族の生活の実態
『藤原定家 『明月記』の世界』は、鎌倉時代初期の貴族の生活の実態を知るためにも簡便である。例えば、定家が狩猟や遊興を楽しんだ様子や、庄園や知行国についての記述なども具体的に描かれている。それにしても、武家の鎌倉時代が始まり、承久の乱という大事件に巻き込まれながらも定家やそれを巡る貴族たちの思考は平安時代から変化はなかったのだろうとも想像され鼻白む。
俗物的な定家が面白い
藤原定家という人物は、知的な偉大さに反して、俗物的な精神も持ち合わせているということが『藤原定家 『明月記』の世界』からわかる。例えば、「今日は、宮中にて、一人を得て、美味の酒を飲み、なんとかお開きになる。これが、まことに生きているということだ」(『明月記』嘉禎元年2月18日条)といった記述も見られる。このように、定家は知的な一面とともに、のんきな俗物的な一面も持っていたことが伝わってくる。しかし、なにより俗物的なのは、保身や昇進にあくせく奔走し、絶望してみせたり、実は中二病的な人だったのかもしれない。
まとめ
『藤原定家 『明月記』の世界』は、鎌倉時代初期の貴族社会における生々しい人間関係や、貴族の生活の実態を知るための貴重な史料であり、また、藤原定家という個性的な人物の人間性を知ることができる一般書でもある。日記に着目したことから、定家の日常を浮かび上がらせることで、宮廷での公務の心労、個性的な女性たち、息子為家との確執、貴族社会での狩猟や遊興など、様々なエピソードが浮かび上がってくる。さらに『小倉百人一首』にまつわる詳細な挿話も含まれ、岩波新書ならではの格調でやや読みづらいとしても、幅広い層の読者におすすめしたい一冊である。
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