無意味な暗記と昔のこと
この夏、64歳になった。父が62歳でなくなっていて、その姿を老いに思っていたのだから、それからさらに2年近くも生きている自分が奇妙な気もしないでもないが、親族には90歳近く生きる人もいるし、思えば父の父、私の祖父、そして曽祖父も長寿な人であって、父も長生きするつもりでいたのだろうと思う。
自分はというと早世すると信じていたので、長く生きたものだ。人生を振り返ってもいい時期には達しているせいか、そんなことを思うのだが、実際に思うのは存外に些細なことが多い。その一つが無意味な暗記である。なんとなく暗記しているが、それになんの意味があったんだろうかという奇妙な感じのするあれである。
具体例。私は般若心経を暗記している。260文字なので暗記しようと思えば暗記できるものではなかろうか。というのを16歳のころ思って暗記した。ついでに観音経の偈文も暗記したのだが、途中で飽きた。理由は簡単で、事実上無意味だからだ。無意味なものの暗記といういうのは、あまり心地よいものではない。とはいえ、般若心経のほうはとりあえず頭に入ったので、人生おりおり特になんにもすることがないとき、頭の中の般若心経を読んでいる。実際読経もできるので、それが理由で人生に3回くらい褒められたことがある。お若いのにいい信心してますなと言われたこともある。そうだろうか。そんなわけでなんども脳内読者をしているうちに般若心経についてはいろいろ考えたし、過去にブログにも書いた。とはいえ基本的に今は関心がない。脳の記憶の書架に聖書の横に並んでいるだけだ。
他にそれに類するものがあるか思い、ふと「富士山麓オウム鳴く」というのを思い出す。
最近の若い人は知っているだろうか。5の平方根である。語呂合わせで、数字にすると 2.360679である。これを人生で使ったことがあるかというと、いくどかあるような気がする。状況は覚えてないが、なんか使ったな。ほかに、「人並みにおごれや」「一夜一夜に人見頃」「菜に虫いない」とかある。便利さは同様なのだが、それぞれのゴロの意味を考えると奇妙な感じがする。「菜に虫いない」のは普通だが、いることもある。「人見頃」ってなんだ?ストーカーか。まあ、意味はないのだ。が、意味の像は結ぶ。「西向く侍」は熊谷次郎直実であろうかとか、しょーもないことも思うのだが、そもそもなんでそれがしょーもないのか説明するのがめんどくさい。
円周率にも類するものがある。が、決定版はないようだ。数字では、3.14159235 であっているかな。小数点8桁である。最近では使わない。が、円周率を見ると、8桁くらいはあってるかなと確認する。どうでもいいが、355÷113は 3.14159292035 小数点6桁まであっている。これはけっこう使ったものだ。どこでつかったかというと、電卓で、である。電卓にπがないときや簡易なプログラミングでπがないときに、(355/113)としておくのである。
で、思い出したのだ。
私がアマチュア無線の電話級の免許を取ったのは、12歳のときで、当時は筆記試験だった。で、基本の電気磁気は父に教わったのだった。11歳のころではないだろうか。小学4年生だったか。小学5年生だったか。いずれにせよ、そのころに中学生の数学はすんなり終えていた。早熟ではあっただろうが、特段天才でもないが。初等数学は微積分くらい小学生でも学習できるものだ。(と思って、自分の子供に試して失敗したが、結果的んは4人の子供の3人は私より数学ができるようになった。)
父に電気磁気を教わった歳、彼は自身が学んだ電気磁気の教科書を持ってきたのだが、その巻末には数字の表があった。対数表である。対数計算に使う。三角関数の表もあった。工学系のこうした書籍には巻末にみんなこれが付いていたのものだ。いつからかなくなった。電卓が普及したころだろうか。
電卓が普及したのは、1970年代中頃で、僕が高校生になるころにはあっという間に安価になっていた。思い返すに中学まで電卓はなくて、筆算か計算尺であったな。平方根計算も筆算でしていたが、今できるかというと、もうできない気がする。
もう半世紀も前の話だ。古い時代のことでもあるし、中学生のころは今でもけっこうヴィヴィッドに思い出せもするので身近なことのようにも思う。
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