[書評] 喧嘩の流儀 菅義偉、知られざる履歴書(読売新聞政治部)
私だけの感覚だろうか。今年の安倍内閣のことがうまく思い出せない。令和時代最初の内閣であり、一年ほど続いた第4次安倍第2次改造内閣なのだが、あれはなんだったのだろうと、奇妙に遠い過去のように思えてくる。内閣の終焉は、表向きは、安倍晋三が持病に負けたということだが、コロナ騒ぎに潰れたという思いのほうが強い。おそらくその感覚はそう間違ってもいないだろう。唐突な終わり方でもあったせいか、その内閣の路線継続は誰もの脳裏に自然にあり、ゆえに長期安倍政権の内実を担ってきた菅義偉氏が自然に首相となっても違和感はない。そこまでは、いいだろう。だが、だから菅義偉首相のことがわかるかというと、実質安倍政権の継承だろうとは思うものの、なにか私は腑に落ちない。菅義偉内閣のことも、再考すると、実はよくわからない。一つには、彼が本格的な長期政権の軸となるのか、なんらかの権力の移行期間の現象なのか、ということも、よくわからない。
このもやっとした感覚に本書が答えてくれるだろうか。そういう思いで読んだ。どうだったか。率直に言うと、そこはよくわからなかった。他方、本書は冒頭のある忘却を晴らしてくれた。そうだ、こういうことがあった、とフラッシュバックする。そして見えてきた想起の風景の奥に、呪霊のように見えてくるのが、二階俊博と麻生太郎である。焦点であるべき菅義偉は、その二人の印画にすら思える。
ということは、本書は焦点を失っているのか。そうではない。二階俊博と麻生太郎と菅義偉いう三者、それに公明党を加えてもいいかもしれないが、このどろっとした感触でこそ、禍々しい日本の政治がよく表現されている。昭和時代の政治の感覚にも近い。そうしてみて、ああと思い当たる。菅義偉という人間の裏に梶山静六を感じ取る。嫌な予感のような何かだ。
本書は薄暗い何かを暗示させつつ、新聞部らしい明瞭な文体でも描かれている。当然、「菅義偉、知られざる履歴書」というべき部分も描かれているが、私の印象ではさほど「知られざる」というほど踏み込んだ取材はなかった。それは悪いことでもない。驚くようなことがあれもこれも書かれているなら、それは多分に無用なフィクションにすぎないだろうからだ。
本書の性格は、「おわりに」に端的にあるが、この時代のドキュメントであろう。
《本書を執筆するために取材した首相官邸の幹部の一人から、こんな言葉を聞いた。「官邸には権力や、権力を求める人間が発する独自の匂いがある」。この幹部によれば、官邸内でも首相補佐が詰める4階と、首相や官房長官が執務する5階では、また空気が違う。「息苦しささえ感じる」という5階には、権力の匂いがより濃厚に立ちこめているだろうのだろう。本書は、その官邸を舞台とした人間模様を追ったドキュメントである。》
私たちは、今、奇妙な時代を生きている。それはなにか、テレビの催眠術師ショーで催眠に掛かった芸能人が、甘いーと叫びながらレモンを齧っているような奇妙さだ。この催眠のようなものは、容易には解けないだろうが、それが描き出す図柄の奇妙さは、本書を読むことで得られる。この本の、まるで異世界のような時間の中に、私たちは菅義偉と一緒に閉じ込められることで、逆説的に、現実という催眠世界からしばし逃れることができる。
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