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2020.12.16

2020年を振り返って

 ブログは久しぶりになる。この間、ほとんど日々ツイッターでなにかしらつぶやいていたので、多少なり私に関心ある人がいても私の健在は伝わっていたかと思う。ブログを実際上休止していたのは、ブロクを書く気力がなかったことと、来年に向けて準備を進めていることに注力したかったからだ。後者についてはだいたい準備は終わった。来年の方向も見えてきた。何をするかというと、少しアカデミックな研究をしたい。世の中は「独学」がブームのようでもあるし、私も独学的な人であるが、できるだけそうではない方向になるだろう。
 今年を振り返って、もう一つ私事の方向転換で次に心にかかっていたことは、現実に私を取り巻く人々の関連でもあるが、簡単に言えば、4人もいる子育てにそろそろ終止符を打ち、老後の人生に向かうことだ。この夏、63歳の誕生日をきっかけにいくつか年金書類の申請をした。自分が老人になったのだと思った。
 さて、このブログにも関連する世事について、一番の思いは、率直に言って、新型コロナの問題を見誤っていたということだ。年末、世の中がこんなことになっているとは、想像もつかなかった。
 Covid-19がここまで感染を広げるとは思いもしなかった、という意味ではない。私の当初の考えからすれば、感染は十分なレベルにすでに収束している。東洋経済のサイトでの直近の実効再生産数は1.1である。1を超えているという点では収束とは言えないかもしれないが、この春大騒ぎした2.4といった数字ではない。東京の実効再生産数も1.11とさして変わりない。欧米に比べれば感染のもたらす被害はざっと50分の1といったほどで、欧米的な視点からすれば日本のCovid-19はすでに収束したと見ていいだろう。もちろん、今後の感染拡大は厳密にはわからないが、それも実効再生産数1.1の現状がベースとなって想定されるものだろう。もう一点で言えば、いずれ全貌がわかるだろうが、インフルエンザを含めての超過死亡にも例年と大きな変化はなさそうだ。Covid-19は高齢者や基礎疾患のある人を襲いがちだが、それらのようすは、他の疾患を含めた自然傾向を超えそうにはない。そういう意味で言えば、現下の日本の状況は、「コロナ騒ぎ」とでもいうべきもにも思える。
 そうは言っても医療体制は逼迫しているともメディアは喧伝するし、実態は厳しいものだが、すでに知られているように日本の病床数は欧米よりもだんとつに多い。ようは医療体制自体が潜在的に抱えていた問題が、Covid-19感染で顕在化したものだろう。女性の雇用状況も元来労働市場の調整的であったことに由来するだろう。
 そして突き詰めて言えば、SARS-CoV-2のような比較的弱いウイルスはそもそもが根絶できないだろう。ウイルスは私たち生命の遺伝子活動と一体化しているといってもいいはずだ。岩波科学ライブラリー294『新版ウイルスと人間』(山内一也)にも《ウイルスの究極の生存戦略は平和共存である。野生動物の社会では、新たに入り込むウイルスはいずれ、動物とともに進化して共存するようになる》とある。もしかすると、かつてアメリカ大陸とユーラシア大陸との人々の差のように、すでにアジア域ではSARS-CoV-2との共存進化の基礎があったのかもしれない。同書をもう少し引こう。
 《現在のグローバル化した世界は、SARSの時代をはるかに超えたものになっている。そのような環境で、新型コロナウイルスは、発病前の潜伏期から、もしくは無症状感染者などにより、監視網をくぐり抜けて世界中に短期間に広がった。ヒトウイルスとして定着したことは疑いない。》
 ではどうなるか。《これが今後、どのようになるかはわからない。》としながらも、こう続く。《風邪ウイルスのひとつ、コロナウイルスOC43は、一八九〇年頃にウシを介してヒトに感染し、パンデミックを起こした可能性が指摘されている。新型コロナウイルスも、長い年月の後には、OC43と同様に風邪ウイルスに変わっていくのかもしれない。》
 先に見たように、実効再生産数1.1で感染も欧米の50分の1、超過死亡もないだろうとなれば、OC43のようになり、これまで日本社会がインフルエンザを受け入れてきたように、Covid-19も受け入れていくだろう……私はそう思っていた。まったく間違えていた。
 私はこの点でまったく間違えていた。そして、上述のような見解は、ブログに書く分にはさほど読まれもしないこともあり無意味に近いし、同じように考える人もネットなどに散見するが、社会に伝わることはない。それはほぼ絶対と言っていいほど、ありえないことだったのだ。私はこの事態を想定できなかったし、そうした社会の新しいルールに異も唱えないようにこの間、なった。私は社会通念に負けた。ブログを書く気力が減衰していたのはそうした敗北感もある。
 いずれにせよ、私は間違っていた。修辞でもなんでもない。私ができるのは、そもそもが私に可能な私の未来の選択でしかなく、私には社会を超えることはできないし、そうすべきでもないだろう。

 

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