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2020.10.15

[書評] 超訳ライフ・シフト―100年時代の人生戦略

 言うまでもなく、先月発売された本書『超訳ライフ・シフト―100年時代の人生戦略』は、4年前の『LIFE SHIFT(ライフ・シフト) ―100年時代の人生戦略』の「超訳」である。だから、基本、ベストセラーの前著を読めば十分と言えないでもないが、「超訳」が出てきた理由もわからないではない。一つには、出版側として、読みやすく編集することで、もっと広い層に届けたいというのがあるのだろう。その点ではすでに漫画版もあるのだが、こちらは啓蒙系の漫画にありがちでもあるが、基本エルザさんが原著を講義するということになっている。講義される側は、日本人の若い女性である美咲さん。この点ですでに読者モデルに重ねられている若い日本人となっている。この時点で、「ライフ・シフト」を日本と現代の日本人に重ねたらどうなるかという趣向が期待されることは理解しやすい。超訳が出てくる二番目の理由であろう。
 で、どうか? つまり、その二点が強化されているか。①よりわかりやすく、②日本人の現状に沿っているか? 読後感からすると両点満たされていると言えるだろう。日本の現状について考慮された「超訳」になっている。ローカリゼーションと言ってもいいかもしれない。逆に「超訳」ではあるため、原著からは意外と離れていない。ここには利点と欠点があるがあるだろう。
 率直にいうと、原著は原著として評価したせいもあり、むしろ、日本の現状に重ねると、ちょっと無理があるかなという印象が強くなった。「超訳」としての欠点を批判したいわけでもなく、また原著の枠組みを批判したいわけでもないが、以下、どちらかというと、批判的な印象を書くことになるだろう。
 その前に、本書の意義は前提として認めてよい。現代の先進国の市民は、半世紀以前と比べて格段に健康で生きられる時間が伸びているため、旧来の人生観・人生設計で生きていくことはできない。
 さて、最初の違和感は、原著ではさほど気にならなかったのだが、日本の文脈で長寿化と言われても、実際のところ平均寿命は頭打ちで、おそらく90歳あたりが限界だろう。そして、本書は楽観的に見ているが、健康寿命もまたその10年前で潰えるだろう。総じていえば、平均像としては健康で生きられるのは、75歳まであり、そこから5年くらいは、身体障害者となる。このことは、自身の人生の最終プランの問題でもあるが、それを誰が介護するかという問題でもある。本書では、そうした視点がごっそり抜けている。
 原著のトーンでもあるが、本書の人生観は基本、自分の人生という名の企業経営と同じになっているので、本来の意味でのリクリエーションが描かれていない、というより、意図的にリクリエーションを、人生経営的な「再創造」としている。それをそのまま受け入れる人には、否定的に聞こえるだろうが、人生というのは、別にそれほど生産的に生きるべきものでもない。荷風のように生きたってよい。というか、荷風のような生き方もライフ・シフトの一つのモデルだろう。
 そうした点でいうなら、無形の資産形成というのは、むしろ人生という長い期間を通じて芸術を味わうための学習や経験の積み重ねであってもよいし、本書が大切にしている人間関係も人間的な深みがあってこそのものだろう。
 本書は家族やパートナーとの関係も描かれているが、原著の米国世界は基本、保守的な価値観でもなければ、生涯寄り添うといった結婚のモデルは崩壊しているし、むしろ、離婚は通常の人生計画に自然に含まれているだろうし、それに育児も従属する。このあたり、日本も次第に米国的なものになるのだろうが、むしろ日本では、新しいライフ・シフトにおける、離婚と育児という前提感が醸成されていない。
 老後の資金については、つまるところ、金融リテラシーを高めようとするのだが、基本となるのは年金の設計であり、最大資産である住居の扱いだろう。このあたりは、日本の現状に沿った具体論を書くと、けっこうダークなものなるのではないか。
 本書のようなライフ・シフトがあってもよいだろうが、より現実の日本とその未来を含めた妥当なライフ・シフトがあってもよいだろう。現況、出生率や未婚者が話題になるが、出生率が回復するわけもなく、未婚者が減少することもない。これらは事後の対処としては政治の課題だが、それ自体政治の課題とするのは無理だろう。

  

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