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2020.08.15

[書評] 教養としての世界宗教史 (島田裕巳)

 『教養としての世界宗教史』は、たまたま見かけて手に取ってみた。そのときの思いは、こういう物騒な本を出すのは著者さん、勇気があるなあという思いだった。ぱらぱらと読んでいると、私のような者ですらツッコミどころ満載なので、これはさぞやアマゾン評では荒れているのではないかと思ったら、そもそも星は3つしかなく、評1つだけだった。その評に「宗教本を数多く刊行している著者が、いろいろな自分の著作を再編集してまとめ直した本」とあったが、これは、出版社がまとめた本だろうか。

 

 それはさておき、まあ、ツッコミは野暮だなあと思って読んでいくと、それなりに面白い本だった。なかでも、面白かったのが、仏陀非実在説が説かれていることだった。これ、私も長いネット歴でたまに語ってきたが、非理性的な批判が殺到するネタである。本書では、『新アジア仏教史02』「第2章原始仏教の世界」(並川孝儀)をベースにしている。並川氏が仏陀非実在説を説いているわけではないが、島田の受け止め方は妥当なところだろう。

 最初期の原始仏典において、ブッダということばが、固有名詞ではなく、普通名詞として使われ、しかも複数形でも用いられたということは、並川はそうした言い方はしていないものの、ブッダは実在しなかったと述べているようなものである。仏教という宗教は、ブッダという一人の人間の宗教体験から発しているわけではない。この指摘は、極めて重要で、かなり衝撃的なものである。

 さて、ツッコミは野暮だが、それに非難の意図もないが、気になった点をざっと列挙しておきたい。
 三位一体について。《この教義においては、父と子と精霊が一体であるとされる。だが、三つの異なる存在に聖性を認めるということで、その考え方に多神教的な側面を見出すことができる》。問題は、「三つの異なる存在に聖性を認める」というと、聖性を三つとしてないと、この文脈の意味が通らないことだが、これは、単純に間違いだろうと思う。三位一体というのは、一つの本性(聖性)に三つのペルソナがあるということ。で、むしろ、一神教の基礎になる。まあ、私の理解も違っているかもしれないが。
 ユダヤ教の説明で、創世記が注目され、これをオリエント神話の一形態のように扱っているが、これはトーラーに含まれていることから明白なように、法であり、法源を示すもの。なので、天地創造については、二証言併置されている。が、同書だと、トーラーを字義から「教え」としているので、基本的な誤解があるように思える。

 「創世記」はもちろん、トーラー全体がユダヤ人の神話である。

 それも個人的見解としてはそれでもいいのかもしれないが。
 ユダヤ教はどのようにできたかだが、明確には触れられていなかった。というのも、アンフィクチオニー(Amphiktyonie)について言及がなかった。このあたりは、私は大学で並木浩一先生に学んだあたりで、懐かしくもあった(余談だが、懇意にしていただいた)。
 キリスト教の成立にもほぼ言及がない。パウロ書簡と福音書の関係も、擬似パウロ書簡の言及もなく、ぼんやりした印象を受けた。そういえば、公会議と教義については触れているが、信条についての言及はなかった。
 キリスト教聖職者の妻帯禁止だが、キリスト教全体像のなかで語られると奇妙な違和感があった。史的には第2ラテラン公会議ごろ以降のカトリックの話だろう。
 プロテスタントについては、最初に「宗教改革」を持ってきているので、中学校の歴史的な印象を受けた。とはいえ、プロテスタントをどう記述するかは難しいだろう。
 イスラム教については、細かいツッコミはさておき、イブン・タイミーヤとモンゴルの話は面白かった。これをワッハーブにつなげている説明は、面白いが、私には評価できない。
 大乗仏教については、バランス的にもう少し説明がほしいところだった。特に、ユーラシア史における観音信仰などは重要になるはずだ。が、いわゆる経典ベースの話に終始していた。
 禅の言及もほとんどなかった。特に宋朝の禅は日本への影響も大きいのでもう少し説明があってもよかっただろう。
 インドでの仏教消滅といった話題はあったが、近代においける神智学との関係の言及はなかった。オカルト史のようだがけっこう重要な論点であるだろうと思う。
 ベトナムの仏教についてそれが大乗仏教である指摘はあったが、わずかだった。本書に指摘はないが、ティク・ナット・ハンは臨済宗であったと記憶している。ヴェトナムの仏教はマインドフルネスなどの文脈に置かれているが上座部ではない。
 葬式仏教への言及は島田氏を思うと意外に少なかった。日本の葬式は儒教と言っていいが(位牌とか)なぜそうなったかという江戸時代の文化史的な説明はもう少しほしいところだ。余談だが、なぜ七福神信仰があるのか、現代日本ではわからなくなっているだろう。
 意外にツッコミ的な話が膨らんでしまったが、本書の「おわりに」では、長寿社会における宗教というテーマは興味深かった。別途著作があるのだろうか。

 

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