« [書評] アフター・ビットコイン2  仮想通貨vs.中央銀行(中島真志) | トップページ | スマナサーラ師の教えを聞いて »

2020.08.04

カルロス1世

 カルロス1世(Carlos I)というと、高校などで学ぶ世界史では、神聖ローマ帝国皇帝カール5世(Karl V)を指す。1500年ちょうどに生まれ、1558年、スペイン、ユステ修道院の離宮でマラリア熱で亡くなった。神聖ローマ帝国皇帝在位は1519年から1556年。退位時に痛風やマラリアがあったらしい。スペイン国王としては、在位1516年から1556年。つまり、当初、スペイン国王となり、1519年に、フランス王フランソワ1世との神聖ローマ皇帝皇位を争って勝利した。
 カルロス1世の父は、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の皇子、ブルゴーニュ公フェリペ、母はスペインの王女ファナである。フェリペは皇位には就かなかったが、カルロス1世の子はフェリペ2世を名乗り、1世がスペイン・ハプスブルク朝(アブスブルゴ朝)の始祖となった。つまり、ハプスブルク家が分裂した。
 世界史のお話はさておき、現スペインの前国王は、フアン・カルロス1世(Juan Carlos I de España )である。祖父は、アルフォンソ13世。1931年、市民選挙実施という無血革命で第二次共和制が成立すると、彼はイタリアに亡命。1941年、死の直前にローマで王位をファンに譲る。この時点ですでに、フアン・カルロス1世はローマに生まれていた。なお、フアン・カルロス1世の家系はスペイン・ブルボン朝、つまり、ブルボン朝であり、フランス王家カペー家の支流の一つである。
 スペインは1939年内戦を経てフランコ総統による独裁政権となり、彼の死後、彼の意向も反映して、1975年に王政復古して、1948年以降、すでにフランコ総統の下にいた37歳のフアン・カルロス1世がスペイン国王となった。王家としては44年後の期間である。フアンは王位に付かず、1977年に王位請求権も放棄した。1978年の新憲法でスペインは立憲君主国となり、王は象徴的な存在となった。
 2014年フアン・カルロス1世は退位して、1968年にフランコ政権化のマドリードで生まれた長男が、フェリペ6世として王位に就いた。
 さて前振りが長くなったが、前国王のフアン・カルロス1世が3日、事実上、亡命した。理由は、2011年のサウジアラビアから高速鉄道建設に関する多額の裏金が渡されていた疑惑の捜査から逃れるためだが(在位中は免責特権があった)、現国王からも亡命するよう促されたようだ。82歳の父を52歳の息子が国外追放しようにも見える。亡命先はドミニカ共和国サント・ドミンゴらしい。事実上の介護施設ではなかろうか。
 さてこのブログ記事はそれだけの話なのだが、スペイン現代史を見ていると、中世以来の、他国起源の王家や、亡命など、日本人の感覚からは、日本の王家(天皇家)にはなかなか想像しにくい。日本の敗戦時に天皇家が他国に亡命する可能性などおそらく天皇家自身想定もしていなかっただろう。まして、王家自体が、他国との間で裏金の授受といった疑惑すら浮かびそうにもない。
 そういえば、現国王フェリペ6世の妻(王妃)レティシア・オルティス・ロカソラーノはスペインのテレビでは人気の高いジャーナリストであった。また、フェリペ6世との結婚では彼女は再婚でもあった。ここに書くのは控えたくなるような話題もあった。
 日本の右派的な発想では、スペイン王家と日本の天皇家では格が違うとか言うのだろうが、立憲君主制の象徴的な国王という点では同じである。が、その王家へのイメージはけっこう違うものだなと思う。

 

|

« [書評] アフター・ビットコイン2  仮想通貨vs.中央銀行(中島真志) | トップページ | スマナサーラ師の教えを聞いて »