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2020.08.17

ジョゼフ・プリーストリー(Joseph Priestley)について

 英文法史におけるジョゼフ・プリーストリー(Joseph Priestley)については、一応留意はしていたが、ロバート・ラウズ(Robert Lowth)ほどの重要性はないと思っていた。が、言うまでもなく、プリーストリーは化学者として有名で、ふと化学と英文法書の関係が奇妙に思えた。まあ、博学な人であっただろうし、プリーストリーの英文法はラウズとは異なり記述的ではあったしと思っても、考えなおすと奇妙に思えたので、少し調べてみた。意外にもウィキペディアにこってり情報があった。
 まず、プリーストリーについて今高校の世界史で教えているだろうかと気になった。手元に山川があるはずだが、たまたま見つからず。代わりに、山川の英語版があったので索引を見たがなかった。
 ウィキペディアを覗くと、プリーストリーの項目はあり、英文法についての記述もあった。

ダヴェントリー時代の友人らの尽力もあり、1758年にチェシャー州ナントウィッチに移ることになり、以前よりは幸せになった。会衆は彼の異端性をそれほど気にせず、首尾よく学校を開設できた。当時の他の教師とは異なり、生徒に自然哲学を教え、実験器具まで買い揃えた。当時入手可能だった英文法の教科書の質に失望し、自ら The Rudiments of English Grammar (1761年、直訳すると『英文法の基礎』[14])を書いた[15]。独創的な英文法の説明(特にラテン語の文法と切り離した点が重要)により、20世紀の学者に「当時の最も偉大な文法家の1人」と評されることになった[16]。その文法書を出版し、学校も成功すると、1761年、ウォリントン・アカデミー (Warrington Academy) から教師として招かれることになった[17]。

 概ね十分な説明のようにも思えたし、いわゆる定説でもある。ただ、間違っているというわけではないが、この説明に私はけっこう違和感を覚えている。ちなみに、英語のほうの項目はどうかと見ると、同じ内容だったので、この日本語の説明はおそらく英語項目の和訳なのだろう。
 さて、当のプリーストリーなのだが、一般的には、酸素の発見者として知られている。が、彼はこれを「dephlogisticated air」(脱フロギストン気体)と呼んでいたように、フロギストン説に立っていた。
 プリーストリーの側からすると、1775年に同説"Experiments and Observations on Air" をロンドン王立協会に提出。これを彼は、発見年である1774年にアントワーヌ=ローラン・ド・ラヴォアジエ(Antoine-Laurent de Lavoisier)に話していたらしい。文書については、ラヴォアジエの妻が翻訳したらしい。
 ラヴォアジエは翌年の1775年に、酸化水銀加熱の研究から、これとある気体と結合することで酸が生じるとして、酸を生み出すもの「oxygène」 オクシジェーヌ」を名付けた。この気体自体は、プリーストリーの発見が1年早く、話の経緯からも、酸素の発見者はプリーストリーとされている。とはいえ、スウェーデンの化学者カール・ヴィルヘルム・シェーレ(Carl Wilhelm Scheele)が1773年にこの気体を「傷んだ空気」として先行して発見していたが、論文提出が1775年であった。総じて、酸素の発見者は、プリーストリーとして妥当のようには思われる。異説もあるだろうし、そもそも発見者とは何?というやっかいな問題にもなる。
 ところで、時系列を見るまでもなく、プリーストリーが化学者としての名声を得る以前に文法書が書かれていることになる。どういうことか。
 彼の知的な経緯としては、まず、非国教会で非カルヴァン主義の神学者であった。自然科学的な合理主義と神学の融合だったようにも見えるが、当初の神学的な位置づけはよくわからない。こうした神学者から自然科学の教育者として文法に関わった。
 その後教育者としては歴史学に専念していき、自然科学研究にも専念する。他方、1767年にはリーズに引越し、ミルヒル礼拝堂の聖職者となっている。妻帯である。神学的には、ユニテリアンと見られている。後に彼の神学は、トーマス・ジェファーソンに影響していく。ジェファーソンはプリーストリーが後年米国に亡命したときも支援した。
 1773年にウィルトシャーのカルネに引越。以降は著述家と自然科学実験にも関わり、「酸素」の発見に至る。
 彼のごちゃごちゃした人生で最大の事件は、1791年のバーミンガム暴動だろう。非国教会信者への大衆攻撃で、彼はその被害の中心にいた。フランス革命への反発と見てもいいようだ。そういえばラヴォアジエはフランス革命の影響でギロチンで死刑されている。
 この関連でエドマンド・バークが出てくる。彼の『フランス革命への省察』(Reflections on the Revolution in France)を著したのは1790年で、そこにはプリーストリーへの批判も含まれていた。もちろん、これバーミンガム暴動の直接要因というわけでもないが、クラレンドン法典の廃止めぐる対立などもあった。プリーストリーへの敵対活動は激しくなり、最終的に米国に実質亡命することになった。プリーストリーは、1794年から10年ほどペンシルベニアで暮らし、その地で死去した。
 プリーストリーはいかにも自然科学的な合理主義者であり、合理的な神学者という印象になるのだが、実際には、彼独特の千年王国主義者であり、その到来の兆候としてフランス革命を捉えていた。わけがわからない。素朴な印象を言わせてもらえば、いかれてるんじゃないのという感じがする。

 

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