[書評] 筆談で覚える中国語(陳氷雅)
このところ、中国語の学習をなんとなく再開しているのだが、そのなんとなくのきっかけは、Duolingoで日本語から中国語を学ぶコースができたのを試したことだったからだ。試していると、とても簡単なのである。いちどピンズラーをベースに学んだからかなと思ったが、そうでもない。どういうことかというと、漢字を見れば、答えがわかるからだ。
当然、こう思った。
発音の差がなければ、日本語と中国語ってそんな変わらないのではないか?
よく、日本語はSOVだが中国語はSVOだとか言われて、「我爱你」とか出てくるのだが、間違いでもないが、言語を学ぶ上で、あれ?と思うのは、「私は彼が最後に愛したという女性に会ったことがる」とかだと、「我遇到了一个他最后爱过的女人」のようになる。これは、「我が遇ったのは、彼が最后に爱した女人」ということで、日本語に収まってしまう奇妙さである。
そもそも、漢字というのが、こうした言語差を覆い隠す仕組みだから、むしろ、漢字を並べて意思疎通することを優先したほうがいいんじゃないか、と思い、そんなアイデアは誰も思い浮かぶよなと見ていて、本書を見つけた。
「12時間で中国語がマスターできる」ともしている。「そりゃ、サンマーク出版だからな」とツッコミを入れたくなるし、冒頭、成功体験談が並んでいて、そこで息切れしそうになるが、そうかもと思ったのは、これだ。
中国語を学ぼうと思ったら発音は「あとまわし」にしたほうがいいのです。
その先がけっこう衝撃的だった。
3歳のときから、親の都合で違う言語環境に投げ込まれ、20年間にわたり中国の7種類以上のまったく違う方言とつき合ってきました。
これ、びっくりしないですか。僕は、びっくりしましたよ。中国語の方言というのは、「方言」とは言い難いなんかですよ。というか、そういう環境にいたら、中国語の核というのが、発音じゃないなという直感が芽生えて当然でしょう。
本書には極限されていないけど、日本語だって、いずれ中国に統一されるときは、一つの方言になるんですよ(笑)。
冗談はさておき、そうした観点から考えると、日本人にとって中国語は、英国人にとってのフランス語みたいなもので、発音はわからないが、字面を見ればわかるなんかだ。
漢字も、簡体字が多少やっかいだが、せいぜい800字(と著者は見ている)。
日本語話者の人から中国語を見ると。
①名詞に複数形がない
②名詞の格変化がない
③名詞の性別がない
④動詞・形容詞に活用がない
⑤格助詞がない
⑥敬語がない
まあ、細かく見れば異論もあるかと思うけど、ラテン語とはかなり違う。
そして、こう。
①動詞文は英語と似ている
②形容詞文にBe動詞が不要
③修飾語と疑問文は日本語構文と同じ
なるほどね。で、本書はそれを、それなりに体系化していく。
で、筆談といいながら、かたかなで振り仮名が降ってある。
イュ ティン ラ チュ シュェ シャウ
雨 停 了 去 学 校
言語を学ぶとき、よく振り仮名はやめようと言われるし、中国は特にそう注意されるが、そうでもないんじゃないか?
ただ、本書の意図であれば、こうして欲しかった。
ウ テイ リョウ キョ ガッ コウ
雨 停 了 去 学 校
さらに言えば、こうして欲しかった。
雨が止んで行くのは学校。
雨 止 行 学校
「止→停」、「行→去」
冗談みたいな話はさておき、筆談とかにこだわらなくても、中国語の構文や主要動詞についてはよくまとまっていて、それなりに、便利な書籍だなと思った。確かに、中国語って、発音にこだわらなければ、筆談するという伝達性より、それなりに読めてしまう可読性はもっと注目されていいだろう。
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