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2020.07.23

[アニメ] アリスと蔵六

 偶然見たアニメだったが、『アリスと蔵六』はなんだろ、こんなのあり?な感触の作品だった。
 広く知られているコミックが原作のようだが、こんな話である。
 10歳くらいの少女「沙名(さな)」は、想像を具現化できる超能力者で、製薬会社に擬せられた秘密組織にたぶん軍事目的で幽閉されているところを、「外の世界が見たい」ということで抜け出し、追われる身となる。これを匿うのが、蔵六という1943年生まれの花屋の爺さんであり、その孫娘・早苗である。中学生くらい。沙名は万能者といってもいいが、能力の行使にはエネルギーを要するので、お腹がすくと力尽きてしまう。
 物語は第1部は逃亡と戦い。第2部はこの部の主人公である超能力少女・敷島羽鳥との対決。ということで、それなりに、ファンタジーというか、X-menかよ、といった世界観ではあるが、世界観の枠組みは、表題に「アリス」を冠しているように『不思議の国のアリス』(および鏡の国も)が比喩になっていて、世界は最終的に、成長後の沙名の回想に収まりそう。
 物語の軸は、しかし、人情物と言ってよく、世界を知らない少女と、人生の諸経験を積み重ねた実直な老人との心の交流といったところ。で、その部分の暗喩でいえば、沙名は普通に解離性障害の児童と言ってもいいだろう。あるいは、少なからぬ人が有している、この世界に対する違和感と解離性障害的な感覚の、ある帰着点の物語でもある。
 このアニメを見て、そうした、ある繊細な感性と純粋性のようなものに感動しつつも、自分がすでに62歳であり、蔵六に近い側の人間であることに、共感のような戸惑いのようなものを感じた。蔵六にリアリティがないわけではないが、おそらく私があと10年生きても、こうした老人にはならないだろうという、奇妙な確信の感じがある。
 同じことの繰り返しになるが、このアニメには、解離性障害的な世界というものの、ある感覚がよく表現されている。というか、普通の人にあれがわかるのだろうか?とも思った。私ならわかるぞといった上から目線ではなく、それは、ある哀しい感覚である。あまりわかりたくない感覚である。原初的に世界から隔絶されているが、とりあえず、人の世界に馴染んでいくことの宥和というか欺瞞というか。そんな。

 

 

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