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2020.07.21

[書評] ビザンツ帝国 千年の興亡と皇帝たち(中谷功治)

 我ら(声高らかに)ビザンチン帝国愛好家にとっては好ましいことだが、ビザンチン帝国が、微妙にブームなのである。
 まさかと思う人もいるだろうが、昨年末からビザンチン帝国関連書籍が続出なのである。12月『アレクシアス』、12月『コンスタンティノープル使節記』、1月『生まれくる文明と対峙すること 7世紀地中海世界の新たな歴史像』、4月『聖デメトリオスは我らとともにあり: 中世バルカンにおける「聖性」をめぐる戦い』、7月『歴史学の慰め:アンナ・コムネナの生涯と作品』。まあ、どれも学術書に近い書籍でお値段もそれなりになのだが、それにしても、何が起きているのだろうか? わからない。
 そして極めつけとも言えるが、ジュンク堂書店池袋本店の新書ランキング第1位が、この中公新書『ビザンツ帝国 千年の興亡と皇帝たち』であった。新書なので一般書と言えるだろう。
 まあ、このビッグウェーブに乗るっきゃないでしょ、ということでもなく、個人的にビザンチン帝国が顧みられるのは、西洋史というある枠組みの再編成の一貫なのではないかという印象がある。

 

 本書『ビザンツ帝国 千年の興亡と皇帝たち』ではそうした点、つまり、ビザンチン帝国史を現代日本人が学ぶ意義というものをどう自覚しているかといえば、それが縮小を繰り返しながらも生き延びる国家の姿ということらしい。
 たしかに、ビザンチン帝国の歴史というのは、ローマ帝国の長い終わりのようでもある。
 具体的に、一般書として本書はどうか?というと、とてもプレーンであった。中公新書の歴史学にありがちな、おっと、読んでいたらぐっと情念が引き込まれたという、タイプではないと思う。ディテールが整理されてきちんと書かれているのである。もう少し言えば、キリスト教史を踏まえつつも政治史が軸になっている。
 私自身の文脈で言うなら、以前書いた記事『ビザンチン絵画からルネサンス絵画へ』(参照)のように最近は、パライオロゴス(Παλαιολόγος)王朝時代(1261-1453)に関心があり、そのあたりの最近の文化史の学説を知りたいと思った。で、どうか? 本書は歴史記述としては過不足なく書かれているが、文化の内情にぐっと食い込む印象はなかった。
 また、そういえば、ブログに書いたことがなかったが、私はプレトン、つまり、Γεώργιος Γεμιστός ή Πλήθων(1360年頃〜1452年)に関心がある。彼は重要人物なので、本書も2ページ割かれているが、やはりごく基本的な事実の記述に収まっている。つまり、「イタリア・ルネサンスでの人文主義に多大な影響を与えることなる」に留まり、プレトンの思想やイタリアでの発展についての記述はない。イタリア・ルネサンスは本書の射程ではないはいえ、プレトンの思想についてはもう少し詳しく知りたいところではあったし、その重要性もあるだろう。とはいえ、新書としてのバランス上、仕方ないのかもしれない。
 総じて、最新学説がプレーンにまとめられている。そのなかで、感心したのは、イコノクラスムについてである。どうやらこのこと自体が一つの神話のようだった。
 こうした本書のプレーンさというのは、他方、読んでいて楽しいと言える、現在は講談社学術文庫に移った井上 浩一著『生き残った帝国ビザンティン』などを踏まえた上ということがあるようだ。「おわりに」には、本書が「難解と感じた人は」として井上の書籍などを最初に読むように勧めている。
 ある意味、本書は難解とも言えるだろうが、これが売れる日本の読書会は捨てたものでなない。そのこと自体が、まさに日本という国家の存亡の強みですらあるかもしれない。

 

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