静かなカタストロフの予感
先日、塩漬け株を処分した。バブル崩壊以前から抱えていた。死んだ父にまつわる思い出のある株で、損切するも嫌になるようなものだった。気がつくと、自分は父の享年を超えていた。いつか処分するはずが、ずるずると踏ん切りが付かなかった。
損切なので大した額になるわけでもないが、さらにどん底になるものもいやだなとは少し思った。そう、どん底が来るなと思った。我ながら、老いて、バブル崩壊もリーマンショックも経験した。あれクラスのが、もうすぐドカンと来るなあという予感がする。
誤解なきよう。個人的な、なんの裏付けもない予感だ。もうすぐこの世が終わり、最後の審判になると信じている人と似たようなものだ。狂気に近いかもしれないな。
なので、この予感を多くの人に共有してもらいたいということではない。幸い、あまり人が省みることのないブログに成り果てたので、気楽に書いてみたい。
先日の散歩で、普段そう通ることもない路地のそば屋が潰れていた。コロナの影響だった。閉店の辞があり、読むと50年にもわたるご愛顧といったことが書かれていた。まあ、50年というのも誇張ではないな。私はその頃を思い出せないでもない。というか、思い出して、なんだろ、郷愁に涙腺が緩んでしまった。
それはおいしいと私が感じるそば屋さんでもなったが、50年といえば二代は続いたのではないか。コロナと限らず、おいしいほうのそば屋さんももう数年前に閉店していた。おそらくコロナ騒ぎがなくても、閉店したのだろう。
最後のひと押しか。断崖へずどんと。と、いつもながらに不謹慎なユーモアを想像しつつ、あれもこれも最後のひと押しが来ているなあと思った。アベの10万で食ったるかあと思いついた、好きだった、フランス料理屋も、調べたら、もう閉店していた。
閉店の風景はあちこちに見えだしたが、これはもっと来るだろうなと思った、というか、むしろ、合理的に考えればそうなるんじゃないか。
そういえば、ブログには書かなかったが、大学や病院の再編成は、オリンピックの浮かれ騒ぎの影で粛々と進むはずだったのが、これもなんだか、ネジがとんだように見えない。
それでもなんであれ、ツケは回るだろう。
新型コロナウイルス感染症も、じりじり各家庭に迫り、感染症事態ではないがろくでもない事態が予想される。
政府は何しているんだろうと思うが、なんとなく、安倍政権もさすがに脳死状態になっているような感じだ。
平成を思い出す。バブル崩壊は、ある日どかんと来たわけでもなかった。当時の新聞を見ているとき、株価のバブル崩壊に気がつくには3か月ぐらいかかっていた。それから、金融機関破綻など、どかんどかんと来た。神戸震災があった。オウム事件があった。振り返ると、奇妙な非日常があった。東北震災からまだ10年も経ってないが、日本国レベルで、ドカンということもなくここ数年平和過ぎたように思う。
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