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2020.07.08

[書評] ULTRA LEARNING 超・自習法――どんなスキルでも最速で習得できる9つのメソッド(スコット・H・ヤング)

 勉強ができるようになりたいという人は多い。そして、「こうすれば勉強ができるようになる」という本も多い。こうした本のなかにはけっこうベストセラーもある。だが、そのこと自体が、実は、こうした本はあまり意味ないんじゃないかと直感させるものがある。ということが直感されるだろうか? ひねくれた言い方になるが、この直感がある人にとって、本書『ULTRA LEARNING 超・自習法――どんなスキルでも最速で習得できる9つのメソッド』はけっこう面白い。納得できる箇所が多いというよりも、その直感の確信をうまく捉えている。

 

 逆に言えば、勉強法なるもの書籍は、手法的にできる。①例証(とくに著者ひとり)でされているメソッド、②実証されているメッソド。
 たいていはその2つの面の曖昧なアマルガムになるが、この②を最近の知見で、さらっとまとめることもでき、例えば、メンタリストDaiGoの『最短の時間で最大の成果を手に入れる 超効率勉強法』がそれだろう。まあ、よくまとまっているし、個々の知見は参考になるのだが、核心的な直感は欠落している、と私は思った。他方、クイズ界で有名で独自な笑い声で人気のYouTuberでもある伊沢拓司の『勉強大全』は、受験向きであるが、とても普通の勉強法が書かれていた。よい意味で普通なのである。ひねくれた言い方をすれば、高校の授業で普通であることは難しいかもしれないが。
 さて、類書を挙げていけば切りがない。が、本書の直感の核は、同書のウリ文句である「どんなスキルでも最速で習得できる9つのメソッド 」とは矛盾しているのである、当然。
 では、その核心の、留保的な思索はどのようなものか? 例えば、こういうものだ。

 人間の長期記憶の根底にある正確なメカニズムについてはまだ結論が出ていないが、

 そこがわからないのである。そこがわからなければ、そももそも「超自習法」であれ「超学習法」であれば、いわゆるコンピュータ的なモデルとは変わりない。
 その上で、著者は、「忘れる」という人間の脳の特性に関心を持つ。そこからまとめられているのは、4点、間隔反復、手続き化、過剰学習、記憶術、であるが、これは類書の粋を出ない。実際のところ、受験勉強や、習い事(ピアノやデッサンなど)でも特段に変わりはない。しいていえば、記憶術は興味惹かれるところだが、著者は、最終的にそれほどのメリットはないとしている。
 当たり前といえばあたりまえだが、ある異言語を学ぼうとしたら、300語、2000語、6000語といった段階的な語彙の記憶構築が重要になるが、記憶術が対応できるのは、せいぜい2000語圏内だろう。その先は、記憶術で思い出そうとするプロセス自体が言語の運用に邪魔になるからだ。
 実は、確定的に示せる新規な「超自習法」も「超学習法」も存在しない。では、どうするのか、正確に限定的に目標を設定し、学習手順を規定し、その上で、一定期間で組織的に学習をフレキシブルに見直していく、しかない。むしろ、「超自習法」も「超学習法」といったメソッドが邪魔になるのである。
 その意味で、雑多な知識の集まりに見える本書の知見は、そのフレキシビリティーへの洞察の参考になるだろう。そして、本書が上手に指摘しているように、学習がある達成を遂げたとき、学んでいないことが多いことに気がつく、という点が重要だろう。
 本書については、こうした分野に関心あれば、面白い書籍だろうと思う。個人的には、その長期記憶の謎、忘却の謎、さらには、ウルトラ学習者たちの秘密、といったさらなる内的な領域だが、おそらく、人格の構成に由来しているだろう。人は学ぶというとき、なにか知識は技能が自分に加わると考えがちだが、学ぶという行為は、その人自体の変容であり、変容の欲求や変容の受容のありかたである。

 

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