« FaceAppで自分の顔を女性化してみた | トップページ | 中国語音韻がどのようにハングルに写るか »

2020.06.21

[アニメ] 『イエスタデイをうたって』の最終回

 『イエスタデイをうたって』のアニメが、1期の12話で最終回を迎えた。つまり、2期はなかった。すでに前半から、これは1期ものなんだろうという予感はあったし、話が進むにつれそれ以外ではありえないこともわかっていたので、最終回がこうなるだろうという予感はあった。どういうことかというと、Simplified Version ということだ。簡易版というのだろうか。ただ、長編があったものを短くまとめたという途切れ感や抜け感はなく、最初からこれでCompleteであるように脚本ができているのもわかった。で、その最終回はどうだったか。悪くなかった。こうなるのだろうという、予想されたもにょん感は残った。
 今回のアニメ化については、作者・冬目景の意向がだいぶ反映されていると見てよさそうなので、このSimplificationも作者の意に反するものではないだろう。実際、原作における、雨宮や莉緒は主題的には捨象できるものではあるのだろう。狭山杏子の物語も同じだろうが、ここで従って原作の最終回も消えてしまう。
 こうしたSimplificationの違和感は、他方では原作が負ってきた15年近い年月というのもあるのだろう。私はこの原作のリアルタイム読者ではないので、それを自分の人生に重ねてはいないが、重ねてきた人には、アニメはよくできた別作品に見えるかもしれない。実際、時代背景や風景は違うのだし。

 さて、以下は、ぶっちぎりでネタバレに振る。

 

 簡素化はよしとして、最終回で、ああ、これは、こうなったかと、ある種、嘆息したのは、本作品の最終的なクライマックスである陸生と晴のキスシーンである。ここの本質は同じと捉える人もいるのかもしれない。外形の差は本質ではないというのもあるだろう。だが、原作のキスは陸生から晴へのキスであり、アニメでは晴から陸生へのキスであった。
 どちらが自然か? おそらくアニメであろう。もちろん、原作の物語の力学においては、こちらが自然なのだろう。
 このキスは単に、誰から誰の差というより、背丈が20センチは違うだろう彼らにとっては、身体的運動的にも大きな差になる。陸生からであれば抱きとめる形になり、晴からであれば飛びつく形になる。そこは大きな違いだと思うのだが、その違いの意味はなにかとなると存外に難しい。しいて言えば、アニメは晴の物語であり、原作は陸生の物語であっただろう。もちろん、そう割り切れるわけではない。それでも、アニメの最終において陸生の物語は、原作からかなり逸脱する、バス中での解説的な自問自答によって補われることになった。その自問自答はあまり過剰なテキストにも思えた。また、晴の受け止め方は、これもどちらかというと、普通の乙女であった。晴の暗さというのは、見えにくい。
 クライマックスではもう一つ大きな差がある。シーンが電車と田舎駅の組み合わせから、バスと都会バス停になったというのも大きな差ではあるが、これは簡素化の必然であろう。もっと大きな違いはカラスである。最後に二人を結びつけたのは、カラスであった。そしてアニメはカラスをよく語られせていた。ここは、率直に、原作より脚本が優れたところではなかったかと思う。晴の暗さというものへの補正になっていた。
 森ノ目榀子については、原作とアニメとの差はあるだろうが、決定的とも言えるものではないだろう。この物語は原作もアニメも性を排除しているために、生身の人間感がないのだが、そこで榀子はさらにブラックボックス化していく。ただ、総じていえば、アニメ史上に残る地雷女と見ていいように思う。特にどこがといえば、料理だろう。料理をする女というのの地雷性そのものにも思えた。いや、私は榀子を嫌ってはいない。彼女も幸せであってほしいと思うし、おそらく幸せは暗示されているだろう。
 個人的には、井の頭公園がまいった。原作が井の頭公園だし、ここは変えないだろうと思ったがあまりに完璧すぎた。陸生と榀子の背景の池にスワンがゆったりと動いていた。作画班と脚本のなんだろ、この手の入れ込みはちょっと狂気すら感じる。さて、この二人の恋の終わりは、そのままにして、私たちの青春の終わりなのだと思う。私たちは、本当はそれほど恋するわけではない。では、恋とは言い切れないものを抱えているなら、恋人になれないのかというと、実はそうでもない。陸生と榀子が結婚したとして、なんら違和感がないどころか、二人は幸せになるだろうというか、人生というのはそれを幸せとするだろう。それがいいわけでも悪いわけでもない。
 そういえば、晴と陸生のafterwardsも読んだ。特にどうということはない。そうだろうなという後日譚である。つまり、現実とも微妙に乖離した美しく遠い情景であった。

 

 

|

« FaceAppで自分の顔を女性化してみた | トップページ | 中国語音韻がどのようにハングルに写るか »