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2020.06.12

シンプルな仮説と複雑な説明について

 私は物事をできるだけシンプルに考えようとしている。オッカムの剃刀である。

Pluralitas non est ponenda sine neccesitate. Frustra fit per plura quod potest fieri per pauciora.
(必要でないなら複数を想定すべきではない。より少なくて済むことを複数にするのは無駄である。)

 一般的には、「ある事柄を説明するためには、必要以上に多くを仮定するべきでない」ということで、事象を説明するのに、1つの仮説で済むなら、2つ以上の仮説を使うことは劣る、ということ。科学的説明の基本ともされる。
 が、そこで前提とされるのは、オッカムの剃刀は、仮説の是非を問うものではないということだ。仮説の正しさを保証しない。突き詰めれば、趣味と言っていいかもしれない。
 常識的に考えても、自然界や社会の事象は複雑で、単純な仮説で説明できない。単純化には必ず、捨象(abstraction)が伴う。あるいは、モデル化が伴う。例えば、落下現象は無抵抗の状態を設定したモデルで説明される。
 私は物事つくころから、直感的にオッカムの剃刀を採用していたのだが、この一種の人生観に基本的なところで困惑を与えたが、四色問題、つまり、四色定理(Four color theorem)である。「いかなる地図も、隣接領域を異なる色に塗り分けるには4色あれば十分である」という定理である。非常に単純で、小学生でもわかるし、解けそうな気がする。アスペ傾向のある小学生の私には、無限にいたずら書きで時間を吸い込むブラックホールだった。が、1976年に証明された。19歳である。ニュースにもなったので、すぐに概要を知った。少年期を返してほしいと思うような内容だった。従来の数学の証明法とは全く異なり、可能なパターンをコンピュータを使って虱潰しで塗り分けが可能かをまとめただけのものだった。なんら、原理性がない。オッカムの剃刀ではそもそも太刀打ちできない問題だった。人生観を変えるようなものだった。
 それに秘して、カオスとランダムについては、以前、cakesにも書いたことがある(https://cakes.mu/posts/2951)。これは、オッカムの剃刀の最適例のようだった。が、そういえば、ライフゲーム (Conway's Game of Life)というのもあった。昔の計算機でよくサンプルを作ったものだった。これは、チューリング完全(Turing-complete)なので計算可能ではある。が、これはある実際のライフパタンから初期状態が推論的に一元的にトレースバックできただろうか。我ながら老いたなと思うのだが、この手の分野にはさすがに関心が伸びなくなった。
 さて、以上は前振りなのだった。
 COVID-19騒ぎで、私は、しばしば、オッカムの剃刀を思った。つまり、「新型コロナ騒ぎ」を説明するシンプルな仮説は何か? 私の仮説は、「COVID-19は人間の自然死の傾向と文明化で補正された死傾向を、一定の係数で自然死に接近させている事態である」というものだった。計算可能な仮説なのだが、自分で計算するのはめんどうなので、まあ、そんなものかなと見ていた。概ね当てはまりそうなのだが、問題は、この係数、仮に、fとすると、fに至るのは、それほどシンプルでもない。そのシンプルでないものを簡単に言えば、医療体制の指数でもあるだろうからだ。いずにれせよ、おそらく、シンプルな手法で人間の自然死を阻止している医療体制の国家は、新型コロナウイルスに弱いと言えるのではないか。そして、であるなら、その差分だけに注目した対応を取った国はもっとも最適であろう。それがどこの国だったかは書くまでもないだろう。
 COVID-19騒ぎについてはその仮説で足りると思うのだが、「シンプルな手法で人間の自然死を阻止している医療体制」が何を意味しているかはよくわからない。というか、あらためて問われると、自然死の傾向というのがどこまでモデル化できるのか、各国の医療体制そのものは文化・伝統にも統合されている。しだいに複雑になってくる。そして、四色問題の亡霊がやってくる。
 

 

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