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2020.06.25

急就篇と官話急就篇

 現代中国語を意識しつつ、漢文をどのように読むか。読むという場合は、音価と文法の二面がある。さらにいえば、正書法もあるだろう。
 そこでうかつだったのだが、そもそも、中国人は、その時代の中国語と異なる漢文という古代言語をどう学んだのか。その学習伝統について失念していた。で、それは、いわばアルファベットにあたる漢字についての、『急就篇』である。前漢末の史游の作と伝えられる漢字学習書とされている。Wikipediaに指摘があるが、漢字について、学習の便宜で韻をふむように並べてある。漢から唐に至るまで広く使われたらしい。千字文・百家姓・三字経などが使われるようになると急就篇は衰えたともある。だが、その過程は、実際には中古音あるいは読音の体系としての『急就篇』の衰退ではなかった。千字文や三字経ではすでに、それが学ばれるローカルの音価の体系を前提として漢字の、いわば字形と意味の学習が基本になる。
 で、ここで話題がそれるのだが、急就篇に調べていくと、『官話急就篇』に行き当たる。こちらは、これもWikipediaによるが、こうある。

『官話急就篇』(かんわきゅうしゅうへん)は、1904年(明治37年)8月、宮島大八によって善隣書院から発行された中国語会話教科書。タイトルは後に『急就篇』(きゅうしゅうへん)に変更された。

『急就篇』は日常会話を中心に構成され、20世紀初期の北京を中心とする地域の口語中国語がどのようであったかを示している。その内容は現代中国語とは異なっているが、中国語の歴史的変遷を知る上で、きわめて貴重な資料となっている。

 で、該当Wikipedia項目には『よみがえれ急就篇 戦前の名テキストで学ぶ中国語(青蛙亭漢語塾) - 昭和8年(1933年)版『急就篇』および北京官話の解説』があった。青蛙亭漢語塾は昨日の記事で引用した『注音解読法』の同サイトである。
 明治37年の『急就篇』の内容だがこう切り出されている。

では、どんなにすごいテキストだったかというと……、とりあえずは右上のサンプルをクリックしてみてください。
來了麼? 來了。
走了麼? 走了。
 いまの中国語テキストになれた人にとっては、「ありゃりゃ、何だこりゃ」というところでしょう。何の変哲もないこんな問答が並んでいるだけ。しかも漢字の本文のみ。発音説明もなければ文法説明もない。こんなもののどこが名テキストなのか、首をかしげることでしょう。

 現代中国語の会話教本だと、回答では、「來了」はあるが、「來了麼?」は見たことがない。簡体字の問題ではなく、主語の省略である。おそらく、口語の中国語では主語は不要なのだろう。あるいは、現代中国語というのは、主語を置くように文法を規定した一種の人工言語なのではないだろうか?
 たとえば。

你昨天去教堂了吗?

 は、

去教堂了吗?

 があって、

昨天去教堂了吗?

 となって、深層的(厳密にD構造ではないが)には最後に主語が出てくるのではないか。ドイツ語で動詞が深層で文末が第2語目に出てくるように。

你昨天去教堂了吗?

 そもそも、中国語のこうした「主語」なるものは、むしろ、副詞に近いなにかではないか? これは日本語でも、イタリア語、ラテン語にも当てはまりそうだが。

 それはさておき、こうなると青蛙亭という人に関心を持たざるを得ない。

 

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