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2020.06.24

中古音による中国語の意味

 昨日の記事「漢字音価の中国語・韓国語・日本語の対比」を書きながら、改めて中古音の重要性に思い至ったわけだが(というのは、現在の中国語・朝鮮語・日本語という文化を考える基礎になるから)、こうした考えはすでにあるんじゃないかとネットを見ていたら、奇妙なものというのもなんだが、考えさせられるアイデアに遭遇した。とはいえ、こうした分野はきちんと学術書を追わないとどうしようないのだろうとも思った。
 で、そのアイデアなのだが、「注音解読法」とされていた(参照)。
 昨日の記事で私が規則としてまとめたものに近い。

 中古音に比べて現代の諸方言は区別が簡略化されています。さしあたりわれわれは漢文を現代北京音で読んでいるので、中古音の特徴が北京音でどのように変化しているかを簡単にまとめておきましょう。
1.入声がない……中古音には「入声」という声調がありました。声調といえば普通は音の上がり下がりの形ですが、入声は「韻尾が短くつまる」形です。中古音では入声は-m、-n、-ngといった鼻音韻尾で終わる字音にのみ存在し、韻尾が短くつまった結果、-p、-t、-kと発音されます。日本漢字音では「フ・ツ・チ・ク・キ」で終わる字音がこれにあたります。-p、-t、-kとはいってもハッキリ破裂する音ではなく、そのような口の形をするだけなので、聞き慣れないとみんな「ッ」という音に聞こえることでしょう。現代諸方言では広東語にはこれがしっかり保存されていますが、上海語ではすべて-ʔに統合されています。北京語では韻尾が母音に変化してしまい、もとからの母音韻尾の字音と渾然一体となったばかりか、中古音との対応がイレギュラーな字が多くあります。
2.-mで終わる音がない……中古音には-mで終わる字音が存在しましたが、北京語では-nに変化し、もともとからの-nと渾然一体となってしまいました。
3.濁音声母がない……現代の北京音のピンインでb-、d-、g-、j-、zh-、z-と書いている音は一見濁音(有声音)に見えますがそうではなく清音(無声音)です。現代の北京音でb-/p-、d-/t-、などという対立があるのは無気音と有気音の対立であり、どちらも清音にすぎません。ところが中古音の声母(頭子音)には清音の無気音と有気音の対立とは別に、濁音が存在したのです(その濁音が無気音だったか有気音だったかは諸説あります)。現代の北京音ではもともとの濁音は清音に変化してしまったかわり、声調にその痕跡をとどめている場合があります。たとえば中古音の平声は、上記声調を表すのところで説明したように、声母が清音だったものは1声に、声母が濁音だったものは2声に変化しました。このように中古音の清濁が声調に転化しているケースが多いので、北京語など清濁の区別が失われた方言でも清濁の区別を無視することはできません。

 ある意味、この問題を考えれば普通に到達する思いではあるのだろう。
 ところで、このページの 当のテーマは、漢文をいかに読むかということである。中古音にするといいとしているようだ。

たしかに中古音どおりの発音をしている地域はどこにもありません。しかし中古音は、諸地域の音の違いをできる限り生かして統合化した音体系なので、どの地域でも通用する便利な音体系になっているのです。
 たとえば現代の北京語では、「課・克・刻・客」はみなkèと発音されます。しかし広東語ではfɔ3・hɐk7・hɐk7・hak8となります。広東語のほうが区別が細かいわけですが、その一方で広東語では「課・貨」がどちらもfɔ3、北京語ではkè・huòというふうに、北京語のほうが区別が細かい部分だってあります。

また。

 このように中古音は、現代・現実に発音されている音ではありませんが、「現代の諸方言のもとになっている音」なのであり、その意味ではまさに「今」音なのです。ですから中古音は、上述のような206韻→106韻といったような簡略化を経ながらもその後もずっと作詩の規範として生き続け、20世紀になって編纂された『辭源』『辭海』などの百科事典も、民国時代のものはこの音体系に基づく反切で音が表記されています。WEB支那漢(=支那文を読むための漢字典)の反切も同様です。

 ここで私は思い出した。「読音」である。漢文は中国人にも読めないというのは、異論もあるが、概ね事実と言っていいだろう。むしろ、漢文を中国人が読むときは、通常の漢字の音価ではなく、読音を使う。『漢文と中国語』というサイトにこう説明されている(参照)。

たとえば、「白」は語音では「bái」と発音します。しかし、読音では「bó」と読みます。詩人の「李白(りはく)」の名前の発音は、「Lĭ Bó」です。彼の名が英語で 「Li Po」と表記されるのは、読音によっているわけです。
 「読音」の例を、ほかにも挙げてみますと、我(語音「wŏ」、読音「ĕ」)、黒(語音「hēi」、読音「hè」)、車(語音「chē」、読音「jū」)、弄(語音「nòng 」、読音「lòng」)、六(語音「liù 」、読音「lù」)、巫(語音「wū」、読音「wú」)、怯(語音「qiè」、読音「què」)、杉(語音「shā」、読音「shān」)、率(語音「shuài」、読音「shuò」)、粥(語音「zhōu」、読音「zhù」)、軸(語音「zhóu」、読音「zhú」)・・・・。これも、かなりたくさんあります。

 読音の考え方からすれば、漢文は読音で読めばいいとなるだろう。
 他方、中古音を再現して、別種の人工現代中国語を作成するというアイデアも面白いのではないかと思う。
 とはいえ、現実的には、現代中国人がそうしているように、普通話の音価で漢文も読むのもしかたないかとも思う。なにより問題なのは、得音でも再構成された中古音でも、speechとしては理解できないからだ。この点、再構成されたラテン語とはまったくことなる。現代ラテン語なら、その音価を使って会話などもできる。
 具体的に、漢文をどう読むか? つまり、どのような音価で。
 話が、循環するが、そもそも、漢文については、「読む」しかないのだから、読むためのテキストに、読音か中古音のふりがなとして、ピンインを付せばよいだろう。
 つまり、読音のピンインは整備してもよいだろう。 
 あと、余談だが、そり舌音などは廃止した中国語の音韻体系を作ってもよいのではないだろうか。

 

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