« Duolingoのラテン語でトロフィー獲得! | トップページ | 対不起(Duì bù qǐ )は、なぜ「トイ・プ・チー」ではなく、「トエ・・プ・チー」なのか? »

2020.06.08

「再見(Zàijiàn)」は、なぜ「ツァイ・チアン」ではないのか?

 「再見(Zàijiàn)」は、なぜ「ツァイ・チアン」ではないのか? ポイントは、 ian がなぜ「エン」という発音なのか? というのも、 an や ang は、「アン」「アング」みたいに、「アン」である。
 と、その前に、「再見(Zàijiàn)」だが、IPAでは四声を抜くとおそらく、[ʦaɪ ʨiɛn]となると思う。というか、そもそも中国語の学習書で、IPAを採用しているのを見たことがない。ハングルもそう。英語の場合は、IPAが多いのに。なぜだろう?というか、拼音が発音記号の代わりのように見られているからで、それで、まあ、今回の記事ネタのように混乱を起こす。
 以前、ian については、ウェード式では、ienのようになる話を書いた。台湾の注音符号でも普通話の拼音と同じで、ianであることも書いた。問題は、これは、音変化なのか? 音韻構造の問題なのか?
 結論から、言うと、音韻変化が定着したもので、おそらくネイティブとしては、an、ang、iangの an には心理的な同一性があるのだろう。
 ではどのような音変化なのかというと(定着してしまっているとはいえ)、i に an が後続することで、i + an = iɛn なのだろうが、さて、これは音素論的にはどういう背景なのかというのが、長年疑問だった。
 というか、私だけが無知だった系の話のようでもあるが。なんでこんなことに気が付かなかったのだろうかというかという話である。
 i + an = iɛn なのだから、この i は分離しているわけで、そう、介音である。介音について知ってはいたが、私はこれをなんとなく母音だと思っていた。つまり、中国語の音韻構造も基本的に、子音+母音だろうと思っていた。というか、中国語の音韻論については概略は知っていたが現実の中国語学習にはあまり関係ないだろうと思っていた。が、ようするに、拼音を理解するのすら、介音の仕組みを知らないといけないんじゃないかと、ようやく気がついた。
 気がついた理由は、そもそも拼音を、中国人がどう学んでいるかというのを、お子様向けの学習アプリ、日本語でいえば、ひらがなやカタカナを教えるアプリを見ていると、短母音と複母音くらいしか教えていない。そこから、拼音表の学習のようになり、拼音表と拼音表記のずれを学習しているようだ。このズレについては、別途記事を書く予定。
 ということで、普通に言語学的に中国語音韻に立ち返ると、外大のサイトにあるようにこうなる(参照

 中国語は極めて明確な音節構造を有し,音節は中国語の基幹を成しているといって過言ではない。その構造は一般に
「IMVE/T」
と定式化することができる。この意味するところは,1音節を「音節頭子音(Initial)+介音(Medial)+主要母音(primary Vowel)+尾音(Ending)」と分析することができ,さらにかぶせ音素として全体に声調(Tone)が加わっているということである。この内,I,M,E,Tはゼロでありうる。伝統的に「I」は「声母」,「MVE (/T)」は「韻母」と呼ばれる。
 介音も韻母に入るので、なんとなく、声母が子音、残りが母音と考えていた。実際、学習書などでは、音節構造を無視して、「三重母音」という概念を出しているところもあるし、実際のところ、拼音表は三重母音として考えたほうが単純に整理しやすい。

 そして、介音なのだが、こう。

 主要母音の前に付き,日本語の「拗音」的な作用を持つが,それよりも独立性が強く,かなりはっきり発音される。以下の3つの介音がある。
/i/[i] /ü/[y] /u/[u]
介音のない音節もある。またこれら3つの介音が,主要母音や尾音なしにそれだけで韻母を成す場合もある。

 私はこれは、口蓋音化の一種ではないかと思っていた。つまり、子音の調音と母音の結合の音変化が仮に見せるだけではないかと。
 で、外大のこの説明には、そもそも介音が子音か母音かも書いていない。が、これは、どっちかというと、子音なのではないか。そして、介音は3つではなく、/Ø/ を含めて4つなのではないか。
 余談だが、英語の音節末の y と w はおそらく子音であろう。突飛なことが言いたいわけではなく、Gimson の音韻の注に指摘があった。つまり、英語には、開母音の音節構造は基本的には存在しない。とはいえ、現代英語では存在しているが。
 というわけで、anとangは別の音韻と見なしていいが(なので、en と eng は音素がそもそも異なる)、an と ian は共通部分をもっていて、音変化は、介音が引き起こしたものと考えていいだろう。
 つまり、「再見(Zàijiàn)」は、なぜ「ツァイ・チアン」ではないのか? という答えは、介音による音変化が定着しているためである、ということになる。

 

|

« Duolingoのラテン語でトロフィー獲得! | トップページ | 対不起(Duì bù qǐ )は、なぜ「トイ・プ・チー」ではなく、「トエ・・プ・チー」なのか? »