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2020.05.08

ソ連崩壊の主原因は何か?

 ソ連崩壊の主原因は何か? ちょっと考えさせられることがあったので、再考してみた。話の枕に、ネットを検索してみた。
 Wikipediaを見ると、日本語版には「ソ連崩壊」の項目があるが、経緯をメモ書きしただけで、原因についての言及はなかった。英語版は充実していた。が、経緯が詳細なだけで、原因考察はなかった。考えてみるに、Wikipediaって、なぜ?に答えるものではない。
 『世界雑学ノート』というサイトが2位にヒットした。いわゆる一般向け解説サイトのようである。それによると、「原因の一端は、ゴルバチョフが小規模な改革を繰り返すにとどまり、抜本的な経済見直しを実行できなかったことにあります」とある。同時代を生きた自分でもそんな印象はある。
 『世界平和アカデミー』というサイトも比較的上位にあった。内的要因と外的要因を分け、内的は①ゴルバチョフ書記長の登場、②民族主義の高揚、③エリツィンの登場、④反ゴルバチョフ・クーデタ未遂事件(91年8月)、⑤ベロヴェーシの森の陰謀。外的は、米国のレーガン政権(在任1981-89年)の対ソ秘密工作。と、いうことだが、突き詰めると、「エリツィンに勝手な行動をさせたことが,ソ連解体の直接的な原因となった。」とのこと。
 『労働通信』2003年11月号というのも見つかった。「ソ連を崩壊に追い込んでいく要因として、わたしは三つあげます。一つは経済的要因、二つ目は政治的要因、三つ目は民族的要因です。」で、いろいろ書いてあるが、ようするに端的な答えはない。
 さて、1位のヒットは、RUSSIA BEYONDというサイトで『ソ連崩壊をもたらした3つの主な要因』という記事(参照)。記者はロシア人、アレクセイ・ティモフェイチェフ。読む。①原油価格と非効率な経済、②民族間の緊張、③ゴルバチョフの改革。つまり、諸要因はあるが、筆頭は「原油価格」である。

 「ソ連崩壊の日はよく知られている。 それは『ベロヴェーシ合意』(ソ連の消滅と独立国家共同体(CIS)の設立を宣言)の日でもなく、1991年の8月クーデターの日でもない。それは1985年9月13日だ。サウジアラビアのアハマド・ザキ・ヤマニ石油鉱物資源相が、サウジアラビアが石油減産に関する協定を終了したと宣言し、石油市場におけるシェアを拡大し始めた、その日だった」。こう書いているのは故エゴール・ガイダル。ソ連崩壊後の1990年代の急進的な経済改革を主導した人物だ。

 え?感はないだろうか? 実は私はやっぱりそうなのかと思った。続ける。

 ピョートル・アーヴェン氏も、こうした説を支持する。彼は、ロシアの新興財閥(オリガルヒ)の「アルファ・グループ」の最高幹部で、ガイダル内閣でロシア連邦政府の対外経済関係相を務めた。「1986年に原油価格が下落したことが大きな転機となり、(ソ連にとって)収益を生み出すためのあらゆる可能性が崩れた」
 アーヴェン氏の指摘によれば、原油収入は、穀物の購入に必要な資金をもたらした(ソ連における穀物の17%が輸入されていた)。
 原油収入は、ソ連が西側から消費財を買い、エリート層に使わせるのにも当てられた。つまりそれは、実質的には「エリートへの賄賂」でもあった。
 アーヴェン氏によると、原油価格の下落は、経済の減速と軌を一にしていた。それは1960年代に始まった。この長期的な傾向は、原油収入の減少でさらに悪化し、ソ連の経済モデルの崩壊をもたらしたという。
 その一方で、何人かの専門家は、ソ連経済の非効率性、最も基本的な消費財の、悪名高き品薄にもかかわらず、状況はそれほど悪くなかった考えている。ソ連の、そして後にアメリカの社会学者、故ウラジーミル・シュラペントフはこう語った。

 ソ連経済は、原油収入で回っていた。エリート層の賄賂というとなんだが、文化的な支出もそれに含まれているのではないか。なにより、先にあげた日本側の諸説、「ソ連経済の非効率性、最も基本的な消費財の、悪名高き品薄」は主要因ではなさそうだ。
 これが現在のロシアの主流の考え方なのか?
 そのようなのだ。
 このことに関心をもったのは、3月25日の石川一洋・解説委員による解説『ロシア対サウジアラビア、原油価格暴落、それぞれの思惑は?』(参照)である。

Q なぜ、サウジアラビアとロシアの交渉は決裂したのでしょうか? そもそもサウジアラビアとロシアはどのような関係だったのでしょうか?
A ちょっと歴史を冷戦時代までさかのぼらせていただきますと、実はロシアとサウジアラビアの関係は、原油生産においてはライバル同士、政治的には長く敵対関係にありました。東西冷戦の間は、サウジアラビアはアメリカをバックにして、アラブ諸国における反共産主義体制の柱でした。
 実はソビエトは70年代のオイルショックによる原油価格高騰で外貨収入が増えて、恩恵を受けていました。このソビエト経済に打撃を与えようと原油を利用したのがアメリカでした。1985年アメリカがサウジアラビアに密かに原油の増産を依頼して、サウジアラビアが応じたいわゆる「リヤド密約」です。この密約によって80年代後半原油価格は低迷、ソビエト財政は外貨収入が減少して破綻していきました。ロシアの経済学者はリヤド密約こそ、ソビエト連邦崩壊の主な原因だとしています。

 つまり、「ロシアの経済学者はリヤド密約こそ、ソビエト連邦崩壊の主な原因だとしています」ということだ。
 実は、この話を聞いたとき、え?と思ったのだった。通常、「リヤド密約」というと、キッシンジャー米国務長官とサウジのファハド皇太子が1974年に結んだもので、サウジは石油を米国ドル建てで低価格で供給する代わり、米国はサウジの安全保障を確約するというものだ。これが一種の米国の国是のようなものになり、サウジを脅かすイラクというのが問題にもなった。
 だが、ここでいう「リヤド密約」は1985年である。率直にいって、これが歴史叙述のメインストリートに出てくるものなのだろうか?
 気になって、三省堂の世界史、それも『詳説世界史研究』を参照してみた。こう書いてある。

 ゴルバチョフは当初、あまり新味のない「加速化」というスローガンを掲げた。だがソ連を取り巻く状況は急速に悪化した。1985年、ソ連経済を支えてきた原油価格が急落した。対イラク戦争を有利に進めていたイランの資金を断つために、アメリカがサウジアラビアを促して石油を増産させたことが一因であった。

 

 ここには「リヤド密約」という用語はないが、ほぼそう理解していい事実を三省堂が書いている。ただし、三省堂史観では、対イラン問題であり、ソ連崩壊は余波の「一因」となっている。
 さて、これをどう考えたらいいんだろうか?
 ソ連崩壊の主原因は何か? 原油価格の崩壊、といってよさそうだ。では、なぜ原油価格は崩壊したか? 密約なのでなんだか陰謀論にも近いが、米国の国策による。問題は、この米国の国策は、三省堂史観のように、対イランだったのか、それとも、対ソ連だったのか?
 いずれにせよ、国家間の密約でエネルギー市場を操作することで、敵対国家を潰すというのは、正しい世界史観に含めていいものなのだろうか?
 さて、なぜこんな問題が頭をよぎっているかというと、世間は、というか、世界は、コロナ禍で頭がいっぱいの状態だが、これがもたらす深刻な事態は、原油価格の破壊だろう。それで何が起きるのか。
 繰り返すが、「ポスト・コロナ」なんていう知的遊戯ではない。原油価格が低迷することが世界に何をもたらすのか。環境問題が緩和する、それも冗談とも言い切れないが。
 すぐに思うことは、ソ連崩壊同様に、原油依存の強いロシア経済が揺らぐ。米国はというとシェール革命が頓挫し、シェールオイル生産が赤字の生産になる。米ロは敗者である。サウジアラビアも引きづられる。では、この文脈で勝者は? 原油価格崩壊が国益となる国家は。まあ、言わずもがなには思える。ただ、そこに陰謀論的な国家戦略のようなのを想定はしがたいとは思う。

 

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