辯・辨・辦、怎么办?
よく使われるのに、旧漢字というか繁体字が連想しずらい簡体字に「办」がある。調べると、わかるが、「辦」である。簡体字は真ん中の「カ」を強調してその左右を省略したのではないかと推察するが、「カ」が発音を示すわけでもなく、発音は、bàn である。
中国語では「办」は、「办公室」とかにもある、ごく基本単語なのだが、日本語で「辦」という字はあまり見かけない。
というか、日本語の簡略字が何かがあるはずなのだが、なんだかよくわからない。と、この字を見つめていて、あれこれは、道元禅師の『辧道話』の「辧」ではないかと、よく見ると、真ん中は「刀」、つまり、別の文字である。ただ、この『辧道話』は、戦後日本では『弁道話』とされていることも多いので、してみるに、「辧」は「弁」かと、考えていく途中で、あれれ、「弁護士」と「弁理士」を思い出した。
「弁護士」と「弁理士」は、旧漢字で書くとこうなる。
「弁護士」 → 「辯護士」
「弁理士」 → 「辨理士」
真ん中に注目すると、「言」と「リ」でそれぞれ別の漢字。そして、これは、意味も本来は違う。
戦後日本の漢字状況でいうと、「辧」「辯」「辨」は全部、「弁」になった。おそらく、「辦」も「弁」にしても御用でもないのではないか。というあたりで、「弁」は略字なんだろうと思ったが、どうやら、これはこれで存在する。
Wiktionaryを見ると、「弁」についてこうある。
異体字 : 現代日本の新字体において、次の漢字を代替する。例えば後述のように、弁護士の「弁」と弁理士の「弁」は本来は異なる字であり、意味も異なる[1]。
辯(辩), 辨/辧, 瓣, 辮(辫), 辦(办)
『辧道話』の「辧」は、「辨理士」と同じなので、その意味は「1 わける。2 正しいか正しくないかを分ける。わきまえる。」ということで、『辧道話』というのは、「何が正しい仏教なのかわきまえる話」ということだ。というあたりで、ちょっとググってみたら、「仏教で仏道を弁えることで、つまり、仏道修行を徹底完遂することをいう。道元の著に『弁道話』がある。」という解釈が出てきたが、間違いだろう。ただ、この「弁える」という訓読みは「辧」に由来するのだろう。
というあたりで、ふと、「弁」の訓読みを調べたら、漢字ペディアというのに、「[外]わきまえる・ わける・ はなびら・ とく・ かたる・ かんむり」とあり、辨・瓣・辯・弁の4つを混ぜ込んでいるようだ。こんなのでいいんだろうか?
話を戻して、「辦」だが、「合弁会社」というのは、「合弁花」のような字面だが、「合辦」である。大辞林を引くと、こうある。
共同で事業をするための資本提携。もと中国で、外資との共同出資をいった。
つまり、「合辦」は近代の中国からの外来語なのだろう。ただ、現代中国で「合辦」は使ってないようだ。
あと、ちなみに、"Bento"で国際語化しつつある「弁当」だが、台湾で「便當」とよく見かけるように、当て字ではないか。
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